「JI」88年8月号 「痴呆の抑止は、大脳を常に柔軟に保ち、知的作業から離れないこと」
         ラファエル様
 (時事問題を扱ったメッセージの前半部分は割愛致します)
 (少し長文になりますが、終りに)老人痴呆について私なりの観察を述べたいと思います。
 身体を動かすこと、手足を動かすことなどがボケ防止に役立つと言われておりますが、
やはり何よりも大脳を常に柔軟に保ち、知的作業から離れないことが肝要だと思われます。
 脳細胞を常に働かす習慣を身に付ける、或いはその習慣から離れないこと。

 その為にも人間は自分の社会の一員としての仕事、個人の生活や健康管理は当然として
(現実逃避しないよう常識的に、知恵を用いて生活すること)、
 天の前に、謙譲に正法に従って生きること ー 。
 即ちナルシシズム、自己顕示、虚栄心、自己防衛の為の虚言

ヒステリー性格的な欠点、名誉欲や個人的な野心

こういった自己に関するすべての偽我を捨て去り、
正法流布を神の使命として、只それのみを念じ、

そして他への奉仕と思いに生き続けることが必要です。

 古人は種々良い諺を残しております。
"身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ"
(一身を犠牲にする覚悟があってこそ物事は成就することが出来る)。
 自分のことばかり考えて躊躇(ためら)ったり、危ぶんだり、逃げ腰でいては、
行き詰った時の打開策も浮かばず、危機から脱することも出来ないし、物事も成就しないのです。
 又は、"身を殺して以て仁を為す"(自分の身を犠牲にして人道の極致を成就する)。

 自分を他との競合に於てのみ、努めるような生き方ばかり身に付けていては、
現実逃避どころか、善悪の判断も逸脱してしまい、
ナルシシズムやエゴイズムを捨てて知恵ある社会人として成人することも叶わず、
正法者となること、天の意を汲むこと、正法流布の為になすべき重要な事柄も理解し得ず、
却って人の迷惑となる一生と老人痴呆の晩年を迎えるだけの人生を送ることになります。

 自らを正法者と称しながら、既にその轍にはまり込んでいる人もかなり居ります。
 そういった人々はたとえ正法の群れに属して死を迎えても天には招かれぬ人々です。
 これは私からの老婆心としてお話ししておきましょう。
 あなたが何歳であれ、今この時期に何を考え、何を目指して生きているか、

それが重要な鍵なのです。
 人の目に自分がどう映るか、どう評価されるかなどと考えるのは
虚栄心とナルシシズムでしかありません。
 大脳が退化しているか、未熟な人間の考えることです。
                   (八十八年八月五日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法