「JI」85年3月号 「高度の教育を受けた女性の偽我」 ラファエル様
(「天上界メッセージ集・続(86年1月初版)」50頁掲載)
今月は男性にも、ままありますが、女性の、
それも平均以上の教育を受けた女性にかなり見受けられる、プライドと偏狭、
それに伴う向上心の衰えと歪んだ競争心について述べてみたいと思います。
男性の場合はどうしても一般常識として、将来家長としての責任と立場を与えられる以上、
若い頃から、社会もその目で以て迎えます。
従ってどうしても多面的な物の見方をしなくてはならず、
自分を弁え、他のと関りに於て自分を見ようとするし、
又、自分の能力についても次第に理解するようになります。
即ち、人生の競争に無駄な焦りや背伸びをしなくなるのです。
焦りや背伸びは必ずしも本人の能力を高めるものではなく、
自分の立場に於て出来ることをマスターする。
自分の能力の限界も早く見抜き、人は人、己は己と地道な努力を積み重ね、
それが又、次の段階への前進ともなる ー
そのような人が責任ある仕事も出来るし、社会の信頼も得るのです。
女性の場合は、なまじっか頭が良い。
学業成績が良かったという優越感があり、
それを人に認めさせたいという偽我が芽生えてしまいます。
その自信とプライドを傷付けられると気難しくなり、
人から一線を画し、近付きにくくなる人が多いようです。
男性の背伸びも女性の気難しさも偽我であって正法に即した態度ではなく、
正法者らしい人格とは言えません。
しかも一番好ましくないのは、正法を自己を見出す場としていることです。
正法は常識、良識的な生き方を良しとし、人格的な成長を目指しこそすれ、
目的は正法流布であり、天との協力にあります。
それは二の次として、正法を自己顕示の場としてしまうのは、
ノイローゼを治す為に正法流布を行うのと同じ、関心が自己に向いており、
奉仕の精神など忘れているのです。
競争の為の競争心が能力の向上に結び付かず、厭味な人間を作るのと同様に、
自己顕示欲も背伸びや焦りと同じで、せいぜい偏狭な知識人がその人物の進歩の行き止まり。
柔軟な思考、判断力は養えず、向上もしないのです。
曾てソクラテスが"己を知れ"と人々に説いたのは、
ゼウスの教えの流れを汲むものですが、哲学だからと棚上げせず、
誰にでも解るこの簡単な教えは正法の教えとしても通じる真理ですから、
それによって正法者は一度自らの姿勢を正してみるべきですね。
難解な哲学の理論は、寧ろ哲学ではなく修辞学とも言うべきものですが、
そのようなものは正法者には不必要。
大自然の真理と智恵を体得するのに、雄弁は寧ろ障害となるでしょう。
適切な言葉を適所で吐く。
知能も常に真理と正しい思考法に基づいて、無駄なく使って頂きたいと思います。
何等かの偽我があっては、それも会得出来ません。
(八十五年二月二十四日 口述筆記 千乃裕子)