「慈悲と愛」81年1月号 「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」
            ラグエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」127頁掲載)

 新年になりました。人それぞれに思うこと、喜ぶこと、憂うことがあるでしょう。
 天上界の思うことは、地上に生きるあなたの平和であり、
 天上界の喜ぶことは、苦しみ多き中にあるあなたの内の平和であり、
 天上界の憂うことは、あなたの住む小さな国の外の争いと、
自らにも降りかかりつつある争いに対して、
為す術を誤って敗者の道を選択しようとしていることです。

 本来、防衛と平和運動は同義でなければならず、
力で押してくる者に知恵で勝とうとするのは、
相手が戦う武器を持たぬ愚か者の場合にしか通用しません。

 平和を願い求め、自由を享受しようというのならば、
その根底には自国の独立と主権を命懸けで守る、という気概がなくてはなりません。

 自由も人権も、曾ては同じように守る為、得る為に戦った筈です。
 防衛が平和を守る運動であるのです。

 守る、ということは襲い来る災難や何者かの侵略、攻撃に対して、何らかの対策を講じ、
崩す者が来ても堪(こた)えぬ準備をすることを指すのです。
 それなくして如何に災害と敵から身を守り、家族を守り、国を守り得るでしょうか。

 人一人の人生に於ても、赤子のままの心で成長したら、如何なる人間になりましょうか。
 求めるばかりで与える人間とはなりますまい。
 天上界が赤子のような心で、と喩えるのは、その姿勢であって、
決して無知を言うのではないのです。
 生まれてから成長の過程に於て知ることが多くなるにつれ、
悩みや苦しみも増してゆくその中で、悟りを得るものです。
 悟りは、囚われに対する経験から生まれた防衛なのです。
(注。柔軟な思考を失った心に蔓延るイデオロギー、教義から自らを守る、
囚われから自由な精神に宿る智慧(真に心の従うべき指針を知るもの)こそ、
悟りと言われるもの、ユートピア、神の国に生きんとする人の心でもあるのです。)

 武器を持つことは、殺人のみを意味しません。守りの為の武器があるのです。
 天上界の善霊と暗闇に棲む悪霊の戦いも、悪霊は善きもの美しきものを滅ぼそうと動き、
善霊はそれ等を守る為に武器を持って戦うのです。

 悪霊の狙う善きもの美しきもの、
とは地上に生けるあなた方の心の内にある善や自己犠牲、正義の観念なのです。

 天の正義や善は純粋なるが故に暗闇の中でも貫くような光を発しますが、
あなた方は生きているが故に、魂と同じく、善きものの心は磨かねば、
磨き続けなければ光らなくなるのです。
 善き魂を持った人でも心の醜い人間の中におれば、やがてはそれに染まるのと同じなのです。

 悪に対して無防備、無抵抗で、神の裁きを待つ、というのでは、
何時までも地上に神の国の平和は来ないでしょう。
 神が裁いて下さる、と安易に問題を考えてはならないのです。

                      (八十年十二月九日 口述筆記 土田展子)