現象テープ№29 ①「愛と信仰」
79年12月23日 イエス様現象(霊媒 土田展子)
(「エルバーラム(82年4月初版)」26頁掲載)
唯今より私イエスの現象を始めたく思います。
皆様、一年間の御無沙汰でした。如何お過ごしでしたか。
昨年のメッセージを覚えていらっしゃいますでしょうか。愛とは如何なるものか。
あなた方自身の中で繰り返し繰り返し問い続けたこの問題を、
私の前に今答えを出すことが出来る人がいるでしょうか。
或いはこの一年間で、私は愛を見つけた、私は愛を見たと私に報告出来る人がいますか。
一年間の間にあなた方はどんなものを見たでしょう。何を見たでしょう。
日々の変わらないものの中に何の価値を見つけましたか。
何時もとは違った価値を見つけましたか。
愛とはどのようなものであったか、目を閉じて深く思い出して下さい。
真の愛とは、あなた方の身が裕福である時に与える愛ではなく、
あなた方の身に何もない時に人に与えられる愛、人に与えられる思い遣り、
そのようなものが愛であると申し上げました。
では、そのような愛とは如何なる行動を伴うものでしょうか。
愛は犠牲を厭いません。又その犠牲の結果が何であろうとも、愛は恨むことをしません。
妬(ねた)むことをしません。悔むことをしません。焦ることもないのです。
あなた方の身が貧しい時に、あなた方が人に与えた愛が撥ね付けられたり、
又は逆恨みされたりした時に、その時にあなた方の心の中に起こった葛藤、
私達はそれを深く悲しみます。
愛はどのような犠牲でも厭わないのです。
この意味で、愛は全てを超え得ると言うことが出来るのです。
愛は何ものをも超えることが出来ます。
私一人が声を大きくしてこのようなことを申し上げても、
あなた方自身の人生の中で見つけることが出来なければ、それは無にも等しいのです。
私達が如何に力を持ち、奇蹟を起こし、天変地異を起こそうとも、
そして如何なる人の上に奇蹟を起こそうとも、それは無に等しいのです。
私達が如何に語ろうとも、あなた一人の身に奇蹟が起らなければ、
あなたが愛を知ることがなければ、何の価値があるでしょうか。
天上界とはそういう所なのです。
神の愛とは如何なるものでしょうか。
神の愛を知れ、神への愛を通せ、神を愛しなさいと私達は言います。
神を愛するということはどういうことでしょうか。お分かりになりますか。
それは神を見なくとも信ずるということなのです。
見なくても信じる。何をもとに信じるか。一人一人で心の中を探ってみなさい。
尽きることのない神への愛とはどのようなものを言うのか。
神を見ることなく信じることである、と申し上げました。
それはどのようなことを言うのか。
例えば、あなた方の身の内に艱難、苦難が訪れるとしましょう。
それでもあなた方が神を見失わず神を信じる時に、神への愛を見つけたというのです。
天上界は、信仰の代りに決してあなた方に安らぎや幸福を容易く与えはしないでしょう。
私達が天上界への信仰をもとにしてあなた方に与えるものは、艱難と苦難だけなのです。
しかしそれであるが故に、艱難と苦難は、あなた方の内に強さを生み出すでしょう。
その強さこそが真(まこと)の勇気を生み出し得るのです。
真の勇気とは信仰から生まれるものなのです。
神への信仰とは神を見ずに信ずること。あなた方自身の心の内でそれを見つけなさい。
世に蔓延(はびこ)る新興宗教や、あなた方の心を捉えやすい思想は、
やがては流行病(はやりやまい)のようにバタバタと、
自らの流行病のように倒れて行くでしょう。
そしてあなた方の心の中に残ったもの、それこそが正法であり、神の愛であり、
そして真の真理なのです。
繰り返し申し上げますが、私達が如何に声を大きくして神の愛を叫ぼうとも、
あなた方自身の心の中に神の愛を見出すことが出来なければ、それは無にも等しいのです。
私達はあなた方に服従を強いるものではありません。
あなた方の心の内に起こる隣人への愛に賭けているのです。
何故そのように人は生きなければならないのか。
何故そこまでして人は生きなければならないのか。
そのようにして真理を求めなければ人は生きてはいけないのだろうか。
こう思う人もいるでしょう。
しかし、そういう質問には私達はこう答えます。
それでも尚、あなた方は生きてゆかなければならないではありませんか。
あなた方は生きてゆかなければならない。しかも考えて生きてゆかなければならないのです。
考えて生きてゆかなければならないということは、どのようなことを意味するのでしょうか。
あなた方は迷い易く、そして弱いのです。
屡々(しばしば)神の道を逸れて、悪の道に進もうとする足取りの方が多い。
それはあなた方自身もよく知っているでしょう。
そのような道を踏まない為にも、考えること、生きること、正法が必要なのです。
何ものをも超える愛とは、犠牲を厭わぬ心です。あなた方は犠牲を厭ってはいけません。
進んで自らを犠牲にするようにしなければならないのです。
それが無報酬であれば、あなた方の身の内に苦痛を伴うかも知れない。
しかし、それが故に神の愛は大きいのです。
あなた方の身が裕福である時に神に感謝を捧げたとて、天はそれ程喜びはしません。
寧ろあなた方の身が貧しい時に、神に感謝を捧げ、日々の平安を祈る時、神は微笑むのです。
天上界とはそういう所を言うのです。
あなた方の中にあるものが少ない程、神への感謝も大きいと、
そのような人になってほしいのです。
お解りでしょうか。
安らぎよりも艱難、苦難を求めて行きなさい。その方があなた方は強くなれるでしょう。
勇気とはそこから生まれるのです。
繰返し申し上げます。私達は幾つかのメッセージを通じてこう申してまいりました。
地球上をユートピアにするということも、あなた方の時では叶わぬことかも知れません。
しかし、あなた方には子供がいます。そして孫も出来るでしょう。
そして正法は百年掛かり、
或いは二百年掛かり地球上をユートピアにしてゆくのかも知れません。
或いは又、志半ばにして倒れてしまうかも知れません。
それはあなた方が、身の内の中に神の愛を見出すか、見出さぬかによるのです。
今、あなた方の心の中に小さな灯が点ったならば、それを大事に守ってゆきなさい。
又、この場で幾ら感動しようとも、それではいけないのです。
この場で感動して、決意することは簡単です。
ですが、日々の生活の中に戻り、いざという時に艱難、苦難がやって来て、
その時に私達の言葉を忘れるようでは何にもなりません。
そのことをよく覚えておいて下さい。
このような場で、志を同じくする者が集まり、
そのような中での私達の言葉に感動を受けたとて、それは当たり前のことなのです。
寧ろ、あなた方の身の内が苦しい時に、私達の言葉を思い出して下さい。
あなたは今艱難、苦難の中に強さを見出そうとしている。
そしてそれは勇気に繋がり、果てはそれは希望に繋がるのです。
如何なる苦しい時にも必ず終りがやって来ます。
そしてこのような暗く悲しい時代にもやがて終りが来るでしょう。
ですが、その終りがやって来る時が、果して新しい希望の時代であるのか、
それとも絶望の時代であるのかは、あなた方の心の内の一つ一つに掛かっているのです。
お解りでしょうか。
ユートピアを作るということは、並み大抵のことではありません。
あなた方自身の心の中でも葛藤が多く、不調和なことが多いのに、
世間全体にどうしてそれを伝えてゆくことが出来るでしょう。
そう思う人もいるでしょう。
ですがそういう心でいたのでは、何時になったらユートピアが来るのでしょうか。
何時になっても希望を持ちなさい。希望こそがあなた方を救うのです。
そして天をも呼ぶことになるでしょう。
心正しき人には必ず天上界が付いてまいります。
それはここではっきり申し上げておきましょう。
正しき人が如何なる艱難、苦難に遭おうとも天は必ず付いているのです。
短いようですが、これで私の今年のメッセージを終りたく思います。有難うございました。
現象テープ№29 ②「クリスマス・メッセージ」
80年12月21日 ミカエル大王様現象(自動筆記)
(「エルバーラム(82年4月初版)」33頁掲載)
私はミカエルです。
一九八〇年の今年は、八〇年代に相応しい幕開けとなりました。
来年も政治、経済面に於て、様々な事件が新聞紙上を賑わせることでしょう。
それだからこそ、あなた方は、イエス様のメッセージの内容をよく理解し、
お互いに手と心を合わせて正法流布活動をして頂きたいのです。
ユートピアは、一人一人の努力と、弛まぬ魂の研磨が必要です。
それには、あなた方正法者が、その道を自らの行動で示す事です。
それしかありません。
その道とは「現正法」即ち私達天上界が、最終にして最新の法の後継者、
千乃裕子様を通してあなた方に説いているこの正しい律法、現正法です。
これ以外に、人類の救われるべき道はありません。
今、あなた方の住んでいる社会の現状を見てみれば、納得出来る筈です。
私達の説く「現正法」は、あなた方の魂の自由、即ち真の救いを言います。
巷で言われている三次元の金銭、名誉、権力とは、何ら関係ありません。
目を覚ましなさい。心の眼を覚ますのです。
そして、私達の警告に、素直に耳を傾けなさい。
これが最後の警告です。
一日も早く、あなた方に真の幸福が訪れますように。
それでは、私のメッセージは、これで終らせて頂きます。さようなら。