第一部 天の教え
第一章 天の歴史
五節 天の指導と方針
進化の中で心の座として獲得した前頭葉に宿る理性は未熟であり、
旧皮質の本能以上の力を持っていません。
ヒトがホモサピエンスとなるための動物の持ちえぬ人間性
(理性が求めずにはおれない真理の観念)を獲得し得ていない前頭葉の未発達が、
人類はまだ進化し終えていないことを、進化を成し遂げた
(地球以外の惑星に生きた人類である)神々がその存在を以て証明されているのです。
その為に、神々は人間の霊であることを、
地球人類は神々と等しくなるまでに向上し得る種であることを、
本能に生きてきた動物としての種から、
理性に於て自然との調和を可能にする種へと進化し終えないならば、
人類の心が本能から来る力に生きるか、理性による意志に生きるか
バラバラのままに、人類という種に於てすら調和に生きようと望まぬ種のまま、
自然の法を見出せない未熟な理性に留まるならば、
進化し終えぬ、自然の内に適応し得なかった種の道を辿るであろうことを告げ、
真の救いに、進化に向けて地球人類を鼓舞されているのです。
(一) 天の指導
現象テープ№10 「正法を学ぶ人のためにⅠ」より
78年7月10日 ミカエル大王様現象
&機関誌「慈悲と愛」78年11月創刊号初出
&「天上界メッセージ集」20頁
「魂に於てはもっと進んだ形での己を磨き鍛え浄化させることが必要となります。
これは己について反省を日々行い改めねば達成されません(※1)。
サタンの甘言と誘いと甘やかしに己の虚栄心をくすぐらせて喜んでいるような人間は、
正法を学ぶ資格さえないのです(※2)。」
「(悪魔による魂の永遠の存続を約束するという申し出に、
天を、己れの善なる心を捨てて従った多くの善霊は)
善悪の基準と共にサタンの何が誤りで不合理であるかを見抜く英智を養っていなかったのです。
これは生前の暮し方によるものが大半で死後の天上界での魂の修行は身についていませんでした。
悲しいことに生前に厳しく自己を鍛錬した者でなければ、
死後に徳を養うことが出来なかったのです。
また生前の徳を保つことも出来ませんでした。」
(※1注。
昔、殿様が和尚に極楽と地獄について教えを乞われました。
和尚は殿様をさんざん毒づいた。
殿様は本人の気付いていない欠点を暴かれたのか、怒り狂って和尚を追いかけ回し、
叩き切ろうとした時、和尚は殿様に、それが地獄じゃと殿様を正気に返らせた。
殿様は地獄を教えてくれと言ったが、
自分の心を地獄に変えてまでも知りたいとは思わなかった、
自らをも殺す所であった。
地獄に落ちた心が如何に恐ろしいものか思い知って、和尚に深々と頭を下げた。
和尚は、その心が極楽だと殿様に語ったという、本当にあったお話しでした。
"常に善意が悪意に先行すべく自らを矯め直し、厳しく鍛えてゆくのです(天上界の教え)"
人を敬う気持ちは、人を傷付けたくない、人を生かしたい、救いたい、
人の中に謙虚な思いを感じる時、自らの内に同じ心の現れる者でありたい、
そのような思いと同じ心から生まれます。
己を良く見せようとする、人に敬わせようとする、
己を人よりも高い者と思わせようとする高慢な心が、
人を傷付けても苦しめても痛みを感じぬ心を、行為を生むのです。
正道を踏み外してしまう、悪しき感情に、怒りによって、
天と共に在った善我から地獄の意識に繋がる偽我に意識が支配されてしまう。
天を裏切るような弱い精神に安住し、改めるよりも言い訳や言い逃れでごまかそうとする、
そのような偽我でいたくないと思うから反省によって善我への意識を高めようとするのでしょう。
間違った行為や思いに動かされようとした時、善我こそ真の己であると自覚されたか、
善への熱意を失わなかったか反省する、善我を顧みんとする条件反射を強める、
偽我(悪霊の働き掛ける深層心理)に欺かれない、
神の知恵に生きる善我に目覚めていられるように為されてきた反省によって、
魂を研磨するのです。※1注終)
(※2注。
宗教組織に胡坐をかき、正法を理解した自分には人を導く資格があると、
従うべきは人であると思い上がる者を見たら、人は正法を知ろうと思うでしょうか。
人を躓かせていることも解らないような者に
正法を学ぶ資格はないと天の言われる所以です。
「マタイ福音書 第二三章一三節から一五節」
「偽善な律法学者、パリサイ人達よ。あなた方は、災いである。
あなた方は、天国を閉ざして人々を入らせない。
自分も入らないし、入ろうとする人も入らせない。
偽善な律法学者、パリサイ人達よ。あなた方は、災いである。
あなた方は一人の改宗者を作る為に、海と陸を巡り歩く。
そして、作ったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。」
(注。NHKラジオはクラシック番組で、人を天上の音楽を通して神の心に触れさせて、
神の心の美しさに浸らせておいて、神の心の上から悪魔の心を浴びせかける。
美しい波動の心に邪悪な波動を浴びせかける。
御馳走やご褒美を知らせておいて、もったいぶって説教を聞かせる親のように、
天上の音楽の前後に延々と解説を、御託を並べる(拷問です)。
聞き終わったあとで、雑音以上にひどいナルシシズムから出た感想を以て気分を破壊する、
この悪魔的嗜好はNHKという組織が悪霊に侵されていることを証しているとしか思えません。
注終)
天の鏡に映る彼等の心を、彼等に理解し得る言葉によってイエス様は知らしめました。
そのような偽善者に正法を教えようとする軽率な善人を天は戒められているのです。
教える、愛する価値のない者に(神の教えを)与えてはならないということです。
神を証する者、神に与る者と認めさせてはならないのです。
真理に飢え渇く者とは、そのような苦しみにあっても、
偽りに、悪魔の甘言に満たされることのない神の心に生きる者です。
真理を求めぬ者に真理を与えることは出来ないのです。※2注終)
「慈悲と愛」79年7月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」54頁
「私が今ここに集い、天の波動に合う為、日々魂の修行をと決意を新たにして善に徹し、
心の浄化に努めていられる人々にお願いしたいのは、
個人の尊厳を意識し、互いに真の尊敬と、思い遣りを持って欲しいということです。
魂の修行に励む人々を立派だとは思いませんか?
もしあなた方の中に自分の修行の方が立派だと他を見下す人がいるならば、
それは天上人となる資格を持たぬ人です。
またもや偽我の世界を自分で作り出し、
如何に心の立派な人々と交流し、最高の徳の教えに接し、善のみを実践しようと、
他の人々の徳が目に入らず、敬うべくを敬わず(※3)、
判断の基準を狂わせて偽りの対象を敬うならば、
あなた方は知らずにGLAの再現をしようとしているのであり、
私達は再びあなた方を離れてもっと真なる善我の世界を求めて出て行かねばならないでしょう。
相手を敬う心を持つ事は、徳ある人となる為の初歩の心得(※3)であり、
その気持ちが無ければ互いを高め合うことなど出来ないのです。
もし自分がなべて人を軽んじて呼ぶ資格があると思う人は、それだけで傲慢な心を持つのであり、
対する人の謙虚な言葉遣いや態度が、自分より弱者であるからなどと思う人は、
余りにも物事の表面をしか見抜くことが出来ず、
そのような人々を私達の"集い"に参加させているだけでも、天の恥となります。
GLA内外であろうと、私達の"集い"であろうと、単なる読者であろうと、主宰をなじり、
千乃様を軽んじ、或いは善意を以て馳せ来たった正法者である仲間に、
魂の修行への暖かい思い遣りを持てず、敬意を払えない人は、
私から同じものを受けるであろうことを覚悟して頂かねばなりません。」
(※3注。
「現代訳 論語(泰伯第八の十一)」下村湖人訳
「完璧な才能が備わっていても、その才能に誇り、
他人の長所を認めないような人であるならば、もう見どころのない人物だ」
孔子様は合体霊であるガブリエル様と同じ意識を持たれていたということは、
論語を読まれた方は理解されることと思います。
孔子様はガブリエル様の声(言葉)を聞き取れる程の霊能力があったとは思われませんが、
【孔子様は天から使命を与えられていることを確信されておりましたが、
自分以外にも同じ使命を天から与えられている者が
(顔回以外の)弟子の中にいるとは思っていなかったでしょう。
天上界の計画によって、ガブリエル様が孔子様に合体霊として入られていたことも、
弟子の曾子様にラファエル様が合体されていたことも理解し得るものではなかったでしょう。
孔子様は、自分の教えを真に理解し、後世に伝えて行けるのは顔回しかいない、
それほど顔回の心を理解しまた愛しておられましたが、顔回が孔子様に先立った時、
愛する者を失っただけではなく、
自分の教えを伝えて行くことの出来る唯一の後継者を失い、
「ああ、天、予(わ)れを喪(ほろぼ)すか。、天、予れを喪すか」と
その絶望の思いを論語は伝えています。
霊能力があれば、霊の言葉を伝える霊媒にはなれるでしょう。
しかし善霊か悪霊かを見抜く真の賢者になれる訳ではありません。
真の賢者に霊能力を与えられる場合は、
天上界の方が自ら名乗り出てメッセージを伝える場合だけです。
天上界高次元の霊であると偽って騙ろうとしても悪霊であると見抜く賢者でなければ
神ばかりでなく、悪魔も神と偽って人々に伝えようとするのですから、
偽りの神と見抜けず信じてしまう人々は、悪魔に導かれる(天上界に背反する)ことになり、
人々を躓かせるような霊媒を通して天上界はメッセージをする訳にはいかないのです。
合体されたミカエル様の指導により、賢者と天に認められ、霊道を開かれた方(千乃先生)を通し、
天上界の神々は二十世紀に於て初めて世にその姿を証すことが出来たのです】
天上界の高い意識に生きた者に培われた知恵は、
真理に、徳に対して同じ理解を得ることが出来る(※4)ことを知れば、
天上界の波動が伝わる、自らの内に与えられている善我に心を向けさえすれば、
真の天と意識が繋がる、天の強い善なる意志に聞き従う真なる我を見出すことが出来るという
天の教えを確信されるでしょう。※3注終)
「慈悲と愛」79年11月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」75頁
(天の教えを理解する熱意の足りぬ主宰による集いでの指導が、
天の指針から外れたものであったことに関して)
「私達のメッセージに含まれる深い真理
(勿論天国シリーズで既に打ち出してあるはっきりした思想であり、主張でもあるのです)
を見落しておられるのでしょうが、
それを今後あなた方正法者の戒めとして、ここに改めて問題として取り上げるのは、
すべて私達がメッセージ、或いは法話として機関誌に発表するものは、
あなた方の批評や再検討を待って、その中に説かれている真理を、
再び三次元の偏見と誤謬に満ちた迷論や、
世論に媚びるような俗論に落としめんが為のものではないことを、
再認識して頂きたいのです。
私達の述べる真理と同じ結論が出なければそれは私達に誤りがあるのではなく、
却ってあなた方の正見・正思・正定に誤りがあって正しい真理に達したのではない(※4)、
ということを今後は弁えて頂きたいのです。
何の為にあなた方は天国シリーズが神理であり唯一のものであると
感動して集まり来たったのかを思い出し、
これら三巻の著書のどの箇所がそうであると感じて"集い"を開くまでの熱意を持つに至ったのかを
思い出して後、私達に何を求めているのか、何を私達と共に為したいか心の整理をして頂きたい。
只天の為に働くならば、私達が天上界の一員として迎えると安心するのは大間違いです。
天上界の一員となるにはそれに相応しい人格と、思考、判断力を身につけて頂かねばなりません。
三次元に於て仲良く肩を叩き合って人間が住めば良いというものではないのです。
そのような浅薄な考えしか持たぬ人は、それ相応の報いしか受けないでしょう。
詰り、私達は天上界にそのような人を迎え入れたくないということです。
又、そのような人々が築くユートピアは神の国ではなくて、
人間的な俗臭を持つ人間のユートピアでしかあり得ません。
それが如何に容易に毀(こぼ)たれ、再び地獄と化すかは言うまでもない(※5)でしょう。
聖書の中の"エデンの園"の物語と同じことです。
あなた方が我が身を振り返って、
私達天上の者より優れた識見と判断力を備えていると考えられるならば大きな誤りです。
私達が義というものの本質について、どのように験され、鍛えられ、
年月を通じて正しい判断力を備えるべく教育されてきたか、
あなた方にはお判りにならないでしょう(※6)。
それ無くして、巧妙な悪魔や悪霊に操られた人々のすり替えの理論や罠を見抜き、
三次元を正しく導き、或いは人の愚かさを教え、賢き道を歩ませることは出来ないのです。」
「三次元の歪みを正しくし、人々の心を正しい方向に向けることのみが
地球に平和を齎す唯一の方法であり、且つそれ以外にはないことも改めて述べておきましょう。
これは主宰のみならず、協力者、講師、延いては参加者であり、
正法者たらんと努める方々すべてに与えられた義務即ち使命でもあるのです。
これなくして只正法者の輪に繋がれているが故に天に迎えられる特権は己のものと考える
選民意識は、 愚かなクリスチャンと同じく、直ちに今日この場に於て捨てて頂きたいと思い、
又そう私はあなたに望みます。」
(※4注。
数億年に亘り天上界が自然の叡智から見出してきた真理、
その真理が理解され生きようとする意志こそ天上界の方々の心に培われた理性であり、
その指針(その心から現れる行為である徳)を、人類に伝えることで、
真理に生きる心(理性)の目覚めへと天上界は導かれたのです。
神々が歴史を通して人類を悪魔の破滅から守護し、
悪魔を悪を見抜く知恵へと善に生きる心へと導いてきた思いを、
そして神々の齎された法を、私達の開かれた知性の前に明らかにされたのです。
叡智(パニャパラミタ)とそれに素直に従う善我
(片方だけが維持されることはなく、片方だけでは無意味です)に生きる者同士なら、
互いの見出した真理が相反することはあり得ないのです。
天上界の方々が合体された者は、たとえ正法の知識を持っていなかったとしても、
神々の強い善の意識の働き掛けを感じながら真理に生きたが故に、真理を見出したのです。
知識となる前から神々の叡智に従う善我(神の心)に生きていたのです。
天上界が、本能という自然の与えた知恵に素直に従う動物の心は、
真理についての知識があっても真理に生きることの出来ぬ偽我から逃れられぬ人間よりも
神の心に近いと言われる所以です。
天上界の合体された方々が語る真理は、正法の教えそのものです。
真理を見出した叡智と善我を持つ者は、正法に生きているのです。
正法に生きていない者の正法の理解が、天上界の見識に反するならば、
その者が真理を見出す知恵を、真理に素直に生きる善我を得ていないからだと
ラファエル様は仰しゃっているのです。
そのように言われて納得出来ぬ者は、
天上界を偽者と言って反旗を翻した背反者と同様、
自らの偽我を悟ることはないでしょう。※4注終)
(※5注。
共産主義と相反する民主主義国家の指導者が言うのなら信用すべきことになるのでしょうか。
悪魔の蒔いた種が開いた(邪念によって心を育てた)社会・共産主義国家だけに
悪魔が働きかけているのではなく、民主主義国家の邪教の信者にも働きかけてきたのであり、
邪教に侵された(安倍氏やトランプ氏のような)政治指導者に導かれて、
共産主義独裁国家と戦ったとしても、サタンに操られてサタンの掌で戦うに過ぎないのであり
(戦う目的が同じ心から生まれた(エゴイズム、ナルシシズムに根差した)ものということです)、
人類の破滅へと導かれることになるのです。
天上界が幼な児の如き心を愛すると言われたのは、
そのような(真理に対して)素直な心に、真理の種は開くのであり、
何十倍もの豊かな実りを齎すことが出来るのはそのような心しかないのです。
天上界は常にそのような者に語りかけてきたのです。
神を、神の心を軽んずる権力者や、大マスコミに(それらの力ある者に盲従する人々に)
己を高しとする者に神は語りかけないのです。
聖なるものを犬にくれてやるなとイエス様が仰しゃったことです。
神に導かれて、神(真理)への愛を、神の知恵を育てることの出来た者が、
この世に神の救いを、神の国を明らかにしてきたのはご存じのことと思います。
神の心に生きる者が、悪魔の心に生きる者を見抜けない、
そのような者達を信じて天の救いの計画を妨げることに加担するようでは、
天上界の思いを全く理解して来なかった愚か者であり、
自ら(の神の心)を救えない者が人を神の救いへと導けると思っているのかと、
その自惚れを天の下に明らかにされるだけの者でしょう。※5終)
(※6注。
死に物狂いで考えて、
それでも解らない者にしか教えたいと思わないと孔子様は言われましたが、
例えば真理に、正法について解っている者から見ると、
解ってないのに解っている気になっている者、真理に生きていないことも悟れない者が、
そのような者にも解る程度のものとして、
真理を語ることは許し難いことだと思うのは当然でしょう。
天上界の愛する心、信念に生きる人々への冒瀆であり、
神の心を汚す悪魔の行為に等しいものなのです。
ラファエル様の仰しゃるのは、そういった思いからではないでしょうか。
私達のような者でも、天上界の方々のように何億年も厳しく魂の研磨を続ければ、
彼等のように真理に生きる者になれますよと聞こうと思えば聞けますが、
真理を明らかにされる神の御心を前にして、謙虚な心を持てず、
天上界は私のことを解っていないなどと、
天上界の善我に徹する心に打たれることもない者が、
悪魔の甘言に擽(くすぐ)られることなく、己を厳しく律するなど不可能、
早晩悪魔の道を転げ落ちてゆくことになるのです。※6注終)
「天国の証(78年8月初版)」77頁 ラファエル様メッセージより
「天上界の方々は、その啓示、警告、教訓に、歴史を通じての経験と叡智を含み、
善なる意志と救いを齎す人々として、謙譲なる心を持って謹んでその言葉を傾聴し、
(盲従せよとは申されておりません)良きことであれば従うことが賢者であり、
善我の持主であると言えます。」
「JI」82年5月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」149頁
「あなたの生活に於て何が一番重要なものとして視野に入って来るか ー
それによって天に仕えるか世に仕えるかは決まってくるのです。
そして私達はすべてを常にあなた方の究極の幸せの為に計っているのです。」
「世の諸悪を一掃することが天の召命であるならば、
あなたの心の中に悪を憎み、天の聖戦に加わる決意と、
それを第一義とし、且つあなた一個人の責任に於ても、
それを為し得る勇気が無ければ正法者と呼ぶことは出来ず、
又、私達も天に迎えようと思ってはおりません。
正法者は自らと他への責任に於て諸事を決定しなければならないのです。
"使命感に偽我や無理が伴わないように"と言ったことで、あなた方に弁明の場を与え、
甘やかす積りは毛頭ないことを明言しておきます。」
「JI」82年12月号初出 ウリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」160頁
「正法とは天の美しさを伝える以上に徳の厳しさによって導かれねばならぬ神の法であること。
神の法であるが故に、そこには微塵も軽々しく、且つ俗的で、
視野の狭い考えが存在してはならぬこと。
天が未来を語る時、それは常に永遠に連なる善と正義の予見が存在していること ー
それらをまず心に深く留めて、自らの洞察を養い、過ちを防ぐ努力をして頂きたいと思います。」
第一部 天の教え
第一章 天の歴史
五節 天の指導と方針
(二) 天の方針
現象テープ№10 「正法を学ぶ人のためにⅠ」より
78年7月10日 ミカエル大王様現象
&機関誌「慈悲と愛」78年11月創刊号初出
&「天上界メッセージ集」19頁
「(第一は)善霊の基準が大幅に変り確りした善悪の判断力を身に付けた方でなければ、
天上界に迎え入れることは出来なくなりました。
微細な点に至る迄善悪の判断力がなければならないのです。
又、勇気のある方のほうが、ない方よりも喜ばれます。
人の為に進んで己を投げ出し、善の為、平和の為に、正法の為に尽す、
それが最も私達天上界の喜ぶところなのです。」
「(第二は)その人の一生が後の霊としての生涯を定めるのです。
価値ある者か無き者か、優れたる者か、成長の止まれる者か、
本人が生ある間に如何にその脳細胞、大脳皮質に学習をさせたかによります。
それによって全体の価値基準が決まるのです。誰もが同じレベルになる訳ではないのです。
能力を開発させ思考訓練をしておかねば死して後に同じことは絶対に出来ません。
霊体の仕事はただ人の一生の助力者として導き教えて行かねばならないだけです。
他の人の指導をしなければならないのです。
たとえ合体霊としてもその人を導いて行かねばならないのです。
それが出来ない頭脳ならば最早、天上に籍を置く資格は無くなるのです。」
「(第三は)今生に於ける正法流布の目的は人々をして迷信から合理的思考へと導き出し、
徹底的に霊の世界と三次元との関わり合いに於て不明の点を明らかにし、
即ち私達天上の者の知る限りの真実と真理を与え、
宗教という有名無実の却って人々の魂の修行の妨げとなり、
神についての知識を迷妄に導く宗派・団体を解散させこの世から去らせるものです、
この世から消え失せさせるものです。
僧侶の解釈がある為に、牧師の説教と独断的解明がある為に、
どれだけ天上界と人々は遠きに隔てられ、理解を阻まれたことでしょう。
世の中があらゆる分野に於て科学優先となり、人々の学習レベルが上がり、知的水準が高くなり、
私達の語るごく人間として当たり前であり、
常識的に物事を見極めてゆこうとする態度を理解して下さる迄に成長された、
それが故の私達の証です。
これは私達を低くする訳でも卑しめる訳でもありません(※1)。
(※1注。
私達に伝える為に神々がこの地上に天上から降りて来られたという意味であって、
神々と同じまでに私達の知性が高められたが故に、私達は彼等を見出したのだと、
彼等の仰しゃったことをそのように聞くのなら、
これ程彼等を貶めていることはないのです。
古代の人類の知性にあって、同じ人間とは見做し得ぬ知性を彼等に見るが故に神とされた、
その彼等の知性を同じ人間のものと判断出来るまでに私達が成長したとしても、
私達の前に現れた同じ彼等を仰ぎ見た古代人の、
神を神と知り、己を低くする心を持っていた古代人に私達が勝ることにはならないのです。
古代においては、天上界の方々が愛されたブッシュマンのような純粋な者が多かったことでしょう。
現代文明の恩恵に心を奪われ、
魂の生きんとする真理の、神の救いの道に盲いていった魂がいた反面、
例えば医療関係者のように治療技術の向上に努め、人々に希望を、
救いを与えることに一生を捧げた人々は、人間の善なる心を証して来たのです。
天の導きに従った、神の心に生きた人々です。※1注終)
教養と立派な人格、徳と知性とを備えた者のみを私達は今、選んでいるのです。
それ以外は只人類を混乱と、破壊に陥れる者のみでした。
善人であっても愚かであれば人の迷惑となり、全体の進歩を阻むものです。
人々の全体の向上を低下させるものです。
そのためにあなた方は、老いも若きも等しく向上し続けなければなりません。
要するに精神的な成長を望むのです。立派な成人としての人格を望むのです。」
「JI」86年12月87年1月合併号初出 ガブリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」65頁
「天の現在の方針とは『JI』誌に明記してある通り、
① 人間としての優れた特質である徳性や理性、愛をすべて言葉のみに空洞化し、
実はそれらを破壊して、人間の悪心のみを助長し、
それを以て国家権力に密告の形で奉仕させ、権力維持に利用しようとする、
最も悪質な、悪魔の申し子である、共産主義というイデオロギーへの戦いであることと、
② それに関連して、動物、植物を問わず、あらゆる生命を持つものを愛し、
健やかなれ、幸せをと祈る心を共産主義への戦いの原動力とせよということです。
何故共産主義を悪とし、それを支える他のイデオロギー、
社会主義やリベラリズムや中道という名の容共思想も同一視するかというと、
これらは究極的に自然と動物界に破壊を齎し、世界の全国家と全人類を共産主義に隷属させ、
しかも国家の権力保持と、国民の不満を抑圧する為にのみ集中し、
種の繁栄や存続に留意する余裕がなくなる政治機構だからです。
共産圏や社会主義国の現状を正しく把握し、
その中で人間の生命はおろか、動植物の健康も存続も羽毛の如く軽視され、
生殺与奪の権利を政府に握られている現実を見れば、
天がそのようなイデオロギーを悪魔と呼ぶことに異論があろうはずがないと思います。
これこそ"聖戦"なのです。」
「JI」87年3月号初出 ラファエル様メッセージ全文
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」67頁
(ラファエル様のこのメッセージの2ケ月前にガブリエル様の発表なさいました
(上記)メッセージを通して与えられた天の方針から伺われる、
この世に浸透した悪魔の思想、考え方を受け入れた人々が如何なる行動を取っているか、
天の見識(正見)によって証され警告されました。)
「前月号で情報よれば、社会主義は悪魔教から由来したと読者連絡にありましたが、
社会主義から発展した共産主義を含め、それは正しい見方だと考えます。
という訳は、
まず第一に、神とモラルを否定し、良心の声を無視する。
第二に、社会を支え、国家を支えている法律、諸規則、習慣、伝統を
(守ろうとする理性を)破壊する目的を以て計画し、行動する。
第三に、家族離散を企み、人間相互の唯一の繋がりである愛の価値観を歪め、
砂漠のような乾いて、冷酷な人格作りを目指す(※2)。
第四に、キリスト教の神によって定められた、一夫一婦制の価値を減じ、
動物と同じ乱婚、雑婚、離婚を当然視して、罪の意識を無くさせてしまう。
第五に、生と死に無関心となり、女性や子供でさえ、殺人や虐待を何とも考えず、
容易に行えるような心理状態を社会に作り出す。
現実にこういった意図で、
数々の文学作品や、テレビやラジオの放映、放送用ドラマやコマーシャル作品が絶え間なく作られ、
子供向けにマンガ化されて居ることは、誰もが否定出来ない社会現象です。
そして第一から第五までを忠実に実行した人々はどのような状態で生活していますか?
荒んでいる人(非行少年少女や、いじめ、凶悪犯罪者の増加)のみ増えて、
大らかに伸々と、希望に溢れ、美しいものを喜び、翳りのない笑いを持つ人や子供は
この国から消えています。他の自由主義諸国も同じ。
共産主義、社会主義思想(第一から第五を計画し実行する思想)や
リベラリズム(第一から第五に共鳴し、自ら行動に移す人々)が浸透し、
浸食が進んでいる国は特にこの現象が著しいですね。
この悪魔(の思想)が否定するものを分析すると答えは二種類しかありません。
良心や愛は人間社会と種の存続の保護に繋がり、"種の繁栄と存続"を。
性の乱れは犯罪と闘争と死に繋がり、"種の絶滅"を招きます。
神は前者を望み、良心と愛と生命を人間の世界に齎しました。
悪魔は後者を望み、闘争と死を齎そうとしているのです。
私達を信じるあなた方も、信じず従っていない人々も生命と死のどちらを選びますか?」
(※2注。
夫婦別姓があたかも互いを束縛しない思い遣りの現われの如くに主張する。
何故主張するのか。夫婦が同姓であることは、
一方が他方を束縛しようとの心からであると思わせたいからです。
愛する心を、信じる心を捨てさせることから、自由を奪われている、搾取されている、
猜疑心を、被害者意識を植え込むことで心を歪めさせるのです。
「JI」83年10月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「今は滅びし同じサタン・ダビデが、曾て神の民に地上に神の国を築かせぬ為、
地獄をこの世に作らせたのです。
その為には、神の与えた戒めのすべてをまず捨てさせること。
神の前に明らかでなければならぬ良心を次に。
そして地獄の中に人類の苦しみと滅亡を備えたのです。」
同じ姓を名乗ることに苦痛を感じるという。
相手への信頼、愛の生きる心が、そのようなことに苦痛を覚えるものでしょうか。
その程度のものを愛であると理解しているのでしょうか。
神々が生命をも擲って伝えてこられた愛が、その程度のものだというのでしょうか。
何故、左翼の偽善を見破ることが出来ないのか。
神はその真理を伝える為にどうされたでしょう。
神の愛に生きた者に語らせられたではないですか。
神の真理は、神の愛の波動を以て人々の心を目覚めさせたのでしょう。
左傾メディアの言葉から、愛に目覚めた者がおりますか。
憎しみの心を、不信の心を目覚めさせただけではないでしょうか。
悪魔に操られ、その左傾メディアに操られ、その政治家(左翼政党)に操られ、
その国民は国を滅ぼそうとしていることを悟れないのです。※2終)」
第一部 天の教え
第一章 天の歴史
五節 天の指導と方針
(三) 国を守る為に戦うということ
"神を、自らの神の心を愛する故に、同じ心に生きる者を知る、
真の救いとは神の道を生きる自由であることを知らぬ者が、
守ることを、戦うことを憲法によって強制するは、
愛ではなく力への信仰、サタンの心に過ぎないということ"
現日本国憲法の異常性は、神の法、自然の法に照らせば明らかです。
神の法を知らなくとも自然の法はご存知でしょう。
自分の生命を守る、自分の種を守る、それが本能であり、
自然の与えた唯一の生きる道です。
強い相手からは逃げる、逃げられないなら戦うしかない。
(弱い相手が向かってくることはないから関係ないか)
強い国が攻めてきても、国土を失えば国家は滅びるのだから逃げることは出来ない、
国を守る為には戦うというのが生きるということ、国を持つとはそういうこと。
生きる為には戦わないということは、その国民であることを捨てる、
同胞(種)を見捨てるということではないか。
自分が捨てたように、仲間であった同胞からも捨てられる。
神を裏切った善霊と同じであり、同胞を裏切るような者が、敵国の国民となったにしろ、
そのような者がその国民から相手にされる訳ではない。これは真理です。
真理に背く生き方を憲法は正しいと言っているのです。
自分の生命を守る、生命以上に守るべきものを持たない、
自己保存の本能だけに生きるなら動物と変らない。
動物は本能に生きる為に、それ以上のものを捨てるようなことはない。
人間は自己愛という本能を理性へと昇華することが出来る、
自己愛に生きる心を、神の愛に生きる心へと昇華することが出来る
(それを拒絶するなら、神の愛を知って憎む心以外にない。
神を憎む霊に、神の愛を憎む、嫌悪する心を植え付けられているのでしょう)。
だからこそ人は神を求めずにはいられない。
神の愛を信じ、救い(神の導き)を求めるのです。
神の心へと導かれることが神の救いである、神に救われた者は皆それを知っている。
その人間であることを放棄して動物として生きることを望んでいるのが、似非平和主義者です。
このような堕落を現日本国憲法によって達成できるなら、共産国は戦争を起こさなくとも、
侵略すると脅すだけで、人を奴隷同様に堕落させることが出来るなら、
何としても現日本国憲法を残そうとするでしょう。
左翼は共産主義国家のスパイか、
共産主義に洗脳され理性を育てることの出来なかった獣同然の人達でしかありません。
国を持つとは、自らの民族を、種を守る本能から学んできた知恵です。
本能に逆らう法は、自然の法に逆らう故にその種(民族)は滅びる、淘汰されるでしょう。
日本民族を滅ぼす目的で作られた法を守ろうとしているのが日本国民です。
日本国憲法は、戦ってでも自分の国民を守る日本人を、他国を疑う日本人を信じず、
他国の善意を信じないことを悪であると法を以て規定している。
これが異常と思わないのが、共産主義同様、現憲法がサタンの息が掛かっている、
信じた者は悪霊に侵されていることは明白ではないか。
この憲法を作った者(他国)に善意の欠片もない故に、他国を疑ってはならないと言っている。
これほど解り易い欺瞞が(悪魔のイデオロギーに侵された)日本国民には理解出来ません。
その他国(米国)自体が、
ユダヤ共産主義勢力に支配されてきたことを知って政権の座から追放したのに、
日本国憲法を押しつけた他国(米国)の共産主義(ニューディール)の偽善を正義と信じている。
本筋に戻すと、この憲法は替えられるのが当然です。
無論国家を、国民を守る為です。
軍需産業で金儲けをする為ではないのは言うまでもありません。
素人が何故このようなことに言及するかは、
如何なるマスコミの論調にも書かれることはない、最も大事な点、
皆様には不思議でも何でもないことと思いますが、
それは、戦争の陰には常にサタンや悪霊の暗躍があったということです。
サタンによる戦争の目的は、人間の獣性の解放であり、善我の破壊であり、
この世に地獄を齎すこと、天の王国の破壊、
もしくは天上界を地球から追放するということであった。
それを理解されれば、法によって戦う権利を保障すれば良いでは済まされない、
法によって悪を規定すれば正しい心になる訳ではない、
悪の行為を抑えることが出来るだけであり、
法を知ることで神の善を知る、神の心を知る、育てることが出来ないなら、
人の偽我にサタンは幾らでも働きかけることが出来るのです。
この世の法を、神の法に従うものに作ろうとしない者に、
法を作らせること自体が既にサタンの介入を受けているということではないでしょうか。
神の法が何故絶対であるか。
神の法に生きることで、人は善を知る、善に生きる心を育てることが出来るからです。
意識しようとしまいとそれ以外にないから人にとって絶対なのです。
善を信じる心は悪の芽を摘むことが出来る。
悪を知る善の心を育てなければ、常に悪の心は芽吹いてくるでしょう。
悪霊の介入を防ぐことも出来ません。
虐げられてきたユダヤ民族の、他民族への憎しみの心にサタンは付け込んで、
神の選民は世界を支配しなければならないと、野望に取りつかれたのであり、
自国を守る為ではなく、世界を破壊しようとも躊躇しない、
軍需産業の齎す利益と引き換えにサタンに魂を渡したのがユダヤ共産主義勢力であった。
日本を戦争に引きずり込んで天皇制国家の転覆を目論んだのもサタンの筋書であった。
日本が神の国であったこともサタンの標的とされた原因であった。
これらのことを理解されれば、
法における善が、真の善、神の善に繫がるものでない、神の善を明らかにするものでないなら、
サタンによる偽善を人は見抜くことは出来ない、
真の善を理解するには、神の心の育つことなくしては不可能なのです。
自らの欲望(金銭以外にも、己の虚栄心を満たそうとする欲望もあります)
を隠し持つような者に、法を作らせてなならない、
人の心から神の心を奪う、人を悪魔に繋ぎ止める目的で作られた現憲法を知るならば、
当然理解されるでしょう。
悪に屈することなき善を愛する心を養わねばならないと天上界は教えられました。
善を愛する心を天上界は愛されます。
自らの心にある悪に打ち克つことが出来るのは、自らの意志以外にない、
故に天上界は導くことしか出来ないと言われます。
人との信義を守ることが出来るのは、内なる神の心だけです。
その尊さを知るのは神の心だけだからです。
善を愛する心だけが、神の御心に、
人の神の心、信義に生きんとする心に繋がることが出来るのです。
人への愛が、人への信頼を生むのです。愛なくば信義など持てません。
この世の生命に執着する者に、
自らの心、真我よりも、肉体の生命に執着する者に、
神への信仰(信義)が、神への愛があるとあなたは思われますか。
天上界の聖霊が、天使達が私達と同じ人間であった。
成長する、それが人間である、如何に成長するか、それが道である。
愛を注ぐ者に導かれて愛を注ぐ心を養うか、
人に与えさせる、人の心に愛を強いて得られるものを愛とする、
自己愛を満たすものが愛であると貶める、
愛を侍(はべ)らすを以て己が力を誇る、真に神の心を堕落させる者に誘われるか。
正しい心に生きたが故に、神の心を、神の意志を自らの内に見出した、
その魂に守られてきた、悪霊の誘いから守られてきた。
彼等の思いを理解する心なき者が、
神の心を守る為に悪と戦って(永遠の生命どころか)この世の生命を失ったら何にもならないと
主張している左翼の似非平和主義者がその事実を知った時、
エゴイズムに生きる己が心の醜さに耐えられるであろうか。
耐え得るなら、彼等は神の心の欠片もなき悪霊に他ならない。
神の心を知ったというのなら、
それは神に導かれたことを知ったからだと解ることでしょう。
それを知って自分はどうありたいか、その為にどうすればよいか、
その為に生きる意志がある者に、正しい道を神が隠されるとは思わないでしょう。
神に生きる道と、神に背く道のどちらに踏み出すか、
それこそ自らの意志によって定まるものです。
その自由がないと言うのなら、自らの意志の自由である為に戦うことを拒絶する、
自由を得ることよりも、人の意志に従う、隷属に生きる道を選んだ、
自由の中に生きる己が意志を捨てたということです。
神を見失った故の高慢が、人を救うと言う。
偽善者よ、己が目から梁(邪心、欲心)を取り除いて見よ。
そうすれば神を見失った者の苦しみを知るだろう。
神を見失っていたのは己自身であることを知るだろう。
本当に助けたい心を持たない、愛を持たない者の言う、
救いが、愛が、人の心を踏み躙ってきたことを、
それが己が心であったことを知るだろう。
自民党よ、何故自分の心から悪を取り除こうとしないのか。
心が清くなれば、現憲法の悪を正しく知ることが出来るであろう。
自らの内に悪を隠し持つ者に、真の悪を知ることが、憎むことが、
悪と戦うことが出来るとは思わないであろう。(2026.5)
天は自らを救おうとする者を助ける、
自らの意志で生きんとする者を強くするのは神の愛である。
他国が自らを守ろうとするのを助けたいと思うのは愛であるが、
正義の名の下に彼等に武器を売りつけようとしている者の偽善が何故理解出来ないのか。
他国が核兵器を持とうとするなら爆撃してでも阻止するのに、
核兵器でない武器は他国に売りつける、買わないなら同盟国ではない、助けるに値しないと、
自分達は核兵器を持っていると脅す、そのような国に正義があるとでも思うのですか?
兵器で金儲けなど、神の国のすべきことであろう筈がない、
悪魔に魂を渡さない限り出来るものではない。
豊臣秀吉(合体霊は、ラファエル様の分身である曾子)
に刀狩りをさせたのは天上界の意志です。
日本は神の国なのです
(が、今の日本人は八割が地獄に落ちると天上界によって警告されました。
残り二割が、霊界以上か消滅対象ということでしょうか)。
ユダヤ民族が世界を支配することが神(サタン)の意志であると狂信する一部のユダヤ民族が、
かつては革命という名の戦争を起こす為に、
また革命を起こす為には国家を疲弊させる必要から戦争を起こして来たユダヤ教徒
(ユダヤ民族主義者)の末裔達に支配されるものが米国の軍需産業であり、
彼等を支配するのは共産主義者の亡霊(戦争の犬)達であり、
サタンの息のかかっていないことなどあり得ないのです。
その米国に倣って、海外に武器を売りつけるなら、
サタン(戦争の親玉である米国の軍需産業)に支配されることなく、
真の目的(平和を、善なる心を)を見失うことなく、
サタンの悪知恵に弄ばれることなく、真の悪と戦う意志を失うことなく、
サタンの与えるこの世の栄耀栄華に堕落することなく、
自らの善悪の判断を以て軍需産業を制御し得ると思っているのなら、
サタンを知る知恵なき者がサタンの世界に踏み入ろうとする滅びゆく者に従うなら、
悪の帝国を肥え太らせる為に利用される、
サタンの王国の属国とならざるを得ないのは分かりきったことではないのか。
かつてのイスラエル民族のユダヤ教の指導層であるパリサイ派はサタンに支配され、
イスラエルの支配者となる為に、イスラエルをローマ帝国の属国とさせるを以て、
ローマ帝国の権力の保証を得ましたが、今の日本は正に当時のイスラエルと変らない。
帝国主義と堕した米国の属国に自らなろうとしている、
自民党はパリサイ派と同じ心に堕したものであることは明らかではないですか。
かつてヤーウェ様がイスラエルの一部の民族をヤーウェ神の立てられた
預言者イザヤの子供達に導かせて、日本に神の国を、ヤーウェ神を信じる王国を築いた。
そしてユダヤ民族である証拠を隠蔽し、日本民族による国家を作らせた。
神の立てられた王であることも王自ら隠蔽し、日本民族の王となった。
その本当の目的は、
イスラエルがサタンの支配を以て、神の人類の救済が失敗に終わらせてはならない、
その為に絶対神を名乗ったヤーウェ神は、八百万の神を信じる神道
(真の神が自らを隠蔽されたということです)を以て日本民族を導いた。
日本民族は神を信じながら、唯一神もその神の心も知ることなく、
神の愛の内に導かれてきた、それが日本民族であった。
サタンに導かれた一部のユダヤ支配層に世界が、人類が屈してはならない、
神の意志を実現する為に、
神は自らの導いて来た日本民族にすべてを証されたことがはっきりと理解されたではないですか。
日本の権力者がパリサイ派の如く日本をサタンに導かれていることを知って気付くようでは
情けない限りですが、今の自民党にサタンを見抜く方なら、
神の御意志を、御計画を悟ることが出来るに違いないと証する者です。(2026.4)
① 自分を守る為に他を顧みることなき者は、
神と共に神の国を守る人々の妨げとしかならないということ
「JI」90年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「英国のサッチャー保守政権打倒に大いに左翼勢力(マスコミや野党)に利用された
反人頭税騒ぎも、辛うじて一部の賢明な英国市民によって歯止めが掛かり、
五月三日の地方議会議員選挙での致命的な保守派議員の減少という迄には至りませんでしたね。
日本に於ける"反消費税"運動と衆議院議員総選挙の自民党安定多数選出と
似た経過と言えなくもないでしょう。
勿論、英国では保守派が二〇〇議席も失ったのですが、地方財政の約二分の一を固定資産税で、
残りを政府助成に依存してきたのに、固定資産税を払わない国民が圧倒的に多く、
急増している自治体財政への市民の監視が行き届かず、歳出を抑制する力が弱い。
英政府としては、民衆の税意識を高め、地方行政の肥大化を防ぐ狙いであったとのことで、
他に選択の余地がない代替案でしょう。
米国民のベトナム派兵という形も、同盟国へのベトコンによる虐殺や弾圧を防ぐ為の軍事介入で、
"友の為に自らの血を流す"崇高な行為であった。
このように、自由民主主義国に於いては、義務と責任とモラルの範囲を自覚する人々が
博愛に基づいて助け合うということが、よく見られます。
米国民がベトナム戦争に参戦したことも、
年間一人当たり約三万五千円から約十五万五千円もの人頭税を、
所得がなくても納税するという英国民も素晴らしい人類愛、国家への忠誠心です。
日本人も、たかが三%の消費税を拒否し、
イラン・イラク戦当時の自国の石油タンカーの護衛にさえ、
自衛隊の派遣を反対するというエゴを剥き出しの世論ばかりで、
他国に相も変わらず、自己愛しか持てない鎖国民かと
見下げられるような愚は謹んで貰いたいと思います。
日本人の国民性と言うのか、戦後の容共教育の徹底の成果か、
なべて自分や家族の幸せな生活や夢ばかりを追う嫌いがあり、
そういった考え方に戦前・戦中派まで甘えが出て、
同じように、人の為に自らを犠牲にすることへの疑問や躊躇(ためら)いが出てくるようです。
以前の背反事件でも、正法流布に打ち込んでいる間は天への協力、
人への愛に励む毎日でありながら、一旦報われていないと考え始めるや否や、
急速に離れてしまい、且つ周囲の人も天から疎遠にさせてしまう ー 、
特にGLAから現正法に転じた人に、その傾向がありました。情ないことです。
私達天の者が何の為に法を説き、あなた方の協力を求めているか、
理解していなかったのでしょう。
私達はあなた方とあなた方の家族も含み、
全人類の幸福の為に悪魔の王国がこれ以上蔓延るのを阻止する為に、
天と地の協力を願ってきたし、今後もそう求めているのです。
とかく目先のことに囚われ、楽な方にとばかり考えるのは無理からぬことです。
しかし、それが自己愛に限定された生き方で、
国家や人類のことに関しては、"誰かに任せておけば勝手にやるだろう"式の考え方では、
日本民族は滅亡するしかないのです。
市民の無自覚で無責任な生き方が、国を滅ぼしてしまった例は、
過去に遡(さかのぼ)るまでもなく、
共産政権に国の政治を明け渡してしまった国々の総てに共通する所です。
賢明で、社会人として一国民としての義務や責任の所在が明確な人物であるならば、
左翼勢力の巧妙なデマに乗り、政府を安易に批判、中傷する、或いは保身の術に身を委ね、
国家の行末、世界の力関係など関知しないといった反正法的な生き方はしないでしょう。
神の愛に疑問を抱き、悪魔に同胞を売り渡すなど以ての外です。
悪を容赦したり、放置することは悪に加担するのみならず、自ら善を滅することになるのです。
悪魔 ー サタン・ダビデの手に掛かり、生命を落した多くの高貴な魂を思い出し、
その天の人々の為にも、正法者であるあなた方も、新たに参加する人達も
茨の道を共に私達と走り続けてほしいのです。」
「JI」90年10月号初出 ミカエル大王様メッセージ全文
「八月初めに隣国の王政の小国クウェートを不当に侵略し、
しかも歴史上クウェートはイラクの領土であったなどと、
国際法を踏み躙る暴言を繰り返し(注。日本の某隣国のことではない)、
当時双方に居住または滞在中のあらゆる外国人と大使館員を
人質同然の軟禁と軍隊の監視下に置いた、
サダム・フセインのその人もなげな、ゲリラ戦と同様の暴挙に
立腹した米、英国が両国を含む多国籍軍を配備したり、
イラクとクウェートの経済封鎖や艦隊によるペルシア湾封鎖など、
中東ペルシア湾岸危機の為に米ソ首脳会談まで開いて、
その解決策に苦慮しているというのに、サダム・フセインはまるで悪魔の如く、
"正義と公正の為に西側諸国への聖戦を"などと、自己正当化の宣伝声明を発表したり、
"経済封鎖をするならば、人質の食料は保証しない"とか
幼児がその為に餓死寸前だとか、
イランのホメイニも言わなかったような卑劣な脅しを掛けています。
これは人類史上例を見ない卑劣な方法で、
しかもスターリンやチャウシェスク同様、
反対する閣僚はその場で射殺して口封じをしてしまい、独走する。
国民は軍隊も含めてフセインに処刑されるのを恐れて、
如何なる非道な圧政も見ざる・聞かざる・言わざるを通し、ただ服従に甘んじ、追随する
(キューバのカストロとて同じこと)。
そして西側に協力する国、サウジ・アラビアやエジプトの政府転覆を計るよう呼び掛ける。
"盗人猛々しい"このフセイン氏は
"中東の蛇"とも"何時裏切るか判らない人物"とも言われて嫌われ、恐れられていますが、
こういった横紙破りの独裁型は社会主義国に共通で、
しかもマルクスがリーダーの条件にしたように、
貧農の出であり、教育はイデオロギーの洗脳以外あまり受けていない。
共通して情緒に欠け、
前思春期までの子供の残酷さをそのまま持っている性格の人物であるようです。
こういった情緒欠如型の人間は、自分以外の人間の感情も痛みもまるで判らず、
だから次々と平気で拷問や大量虐殺を行えるのです。
中国の文化大革命もカンボジアのポル・ポト政権も同じ。
直接射殺しなくても、収容所で拷問死させるのも餓死させるのも同じ。
そういった独裁政治は、ベトナム、北朝鮮、アフリカの社会主義政権と、
総てはマルクス・レーニンの非人道性に遡るのです。
貧農の出であるから、勿論、
裕福な者や、インテリ階級への偏見と嫉妬を自らの活力として生き、
広範囲の学問や教養を身に付けている訳でもなく、先人の精神から学ぼうとする姿勢もなく、
ましてや哲学にも人生にもまるで無関心であること。
大脳の前頭葉部位の未発達は野望を遂げる以外に用いることのなかった為であり、
良心の麻痺した理性は無感覚となり、
自らを弁護し、口実を駆使して
あらゆる悪行を正当化してしまう雄弁にのみ働かせ、
誇大妄想にも似た大義名分を振り回す人物です。
サダム・フセインやホメイニの如き人物は、
"神の掟"の第一の戒め"汝殺すなかれ"を平気で破り、人殺しの人生を送るにも関らず、
国民や部下には貧しさと飢えからパンを盗んだだけで手を切り落とす。
無防備な国を侵攻し、非武装の国民を殺す。
そのような施政は、神の前に通ずる筈がありません。
彼等は悪魔の思想に共感し、悪魔に仕えているだけです。
"聖戦"などと言う資格もありません。
アラブの国民はこのことだけにでも、真実を悟るべきなのです。
一国を何の予告もなく、内乱があった訳でもなく、ただ侵攻して、王政を破壊するのと、
それに抵抗して(アフガニスタンのように)侵略者と戦う"聖戦"とは全く質を異にします。
敵国と交戦して、祖国を敵の侵略から守る為に、
又は侵略された国の国民から(政府から)助力を求められて援軍を派遣するのとは、
まるで理由が異なります。
そしてまた、目的がそういった崇高なものであれば、
たとえ戦火の合間にでも、兵士は泥土の上の進軍に、道端に咲く一輪の花を踏まずに通ったり、
家族からの手紙に涙したり、小鳥を愛でたり出来る心の余裕と人間性を保ち得るのです。
アフガニスタンやニカラグア他の自由の戦士達、延いては二つの大戦中の関係国(非共産国) ー
自由諸国の兵士達は真(まこと)にその通りです。
戦いが人を荒ませ、非人間性にするのではなく、
どのような目的と心で戦いに参加するかが大切なのです。
"人間性を失うこと"は"人間がけもの以下になること"なのです。
マルクスとレーニンは、ユダヤ民族以外の民族が総て"けもの以下"に堕落し、
互いに殺し合い、滅し合うことを望んで、あのイデオロギー理論を完成させたのです(※1)。」
このメッセージを今まで理解していなかったことに気付けたのは、
サタンに魂を渡した(比喩ではない)一部ユダヤ人によって、共産主義のみならず、
(ワイマールや現日本国)憲法の中に、魂の堕落、人格の破壊へと導く悪魔の指針が
埋め込まれていたことが、
その心を育てた人々の内に、
悪魔の蒔いた種(イデオロギー)によって、
悪魔の心を育てられた事実が明らかにされたからに他ありません。
ミカエル様のメッセージがどれほどの悪への怒りが込められたものであるか
その張本人のサタン・ダビデを哀れと言われたミカエル様の思いは
どこから来るものなのか、私は全く理解されていませんでした。
「天国の証(78年8月初版)」
"天使の詩集"ミカエル大王様「二十一世紀」より
「ああ我等が父の御計らいの
深さを知ることなく、
いとも容易く欺かれし人の群よ。
サタンは父の身近にありて、
真の救いの光をも破壊の道を辿らせ、
遂にその配下となさしめた。
父の慈悲と愛を拒みしこの人も哀れ。
サタンの惑わしに偽りの栄光を夢見し人ぞ哀れ。
そは悲しき生涯よ。」
「JI」84年4月号 ミカエル大王様メッセージより
「あなた方を含め、全人類をモーセ様出エジプト以来、イエス様ご誕生の時より更に、
どれだけ私達天があなた方に愛の手を差し伸べ、救いの言葉を掛け、
あなた方迷える人類の虚ろな心に悲しみの涙を流したことか。」
悪魔の破壊し尽くそうとする狂気に、
自らの生命を失うまいとする執着心に、
怯むことなき理性を、他への愛を持たねばならなかった。
人の心の唯一の希望であり、真にあらゆる心に勝利するものは、
真理への愛、そして生きとし生けるものを永続させてきた
自然の叡智、生きものへの愛だけであると、
生命のある限り真理を、福音を伝えてこられた、
その真理の前にダビデは滅び、エル・ランティ様は勝利された。
生命の続く限り彼等の愛は変ることはない。
私達の心の中の一番強い思い、心の底に根を張る自己愛にサタンは働きかける、執着させる。
自己愛に縛られた、真に自由を求める心を解放する為に、
天上界は自らを魂の研磨に掛けて得た、真理に生きる自由な魂を以て、
人類の心を目覚めさせる真理を知らしめられました。
「希望と愛と光」82年6月号初出 ガブリエル様メッセージより
「私達がこの地上を神の国、ユートピアにする為に、
あらゆる方法と人物を通して語り続けてきましたが、あなた方現代に住む人々にとって、
最早私達の真なる心からの呼びかけにも関らず、何故か功を奏する所少なく、
そればかりか却って正法を一宗教視し、挙句の果ては、私達天上界に対して畏敬の念さえ失い、
三次元に住む俗人と何等変わらぬ態度で接し、千乃裕子様に対しては取りも直さず、
これ以上の侮辱はないと思われる程の有様です。」
天上界の思いが伝わらなくなった、そのような心になったと言われているのです。
(そのような人類を神は救おうとしないことを伝えているのではありません)
救おうと導いているその思いを伝えなくしている、
神の愛を拒む心になったのは何故なのか、その心の悲しみが何故解らないのか、
そのように仰しゃっているのではないでしょうか。
神の思いの伝わらぬ心に、(霊能力を与えられた者を通して)
神自ら語られる言葉をもって、神自ら証された姿をもって、
今を生きる神の思いを伝えられました。
「現象テープ№16 79年11月4日 ミカエル様現象」
「目の見える者は私の姿を見なさい。
耳の聞こえる者は私の言葉を聞きなさい。」
耳で聞いて目で見て知る者となったのです。
真理であることを、真の神であることを人類が理解し得たのは、
神自らそれを為してこられたからであり、
今初めて、神自らそれを人類の前で証されたのです。
神に抗った者は、真の神であることを知る、神を憎む心であったことも。
「彼等は私と私の父とを見て(知って)、憎んだのである。」
とイエス様が言われた(悪魔に従った)パリサイ人になるか、
(彼等に立ち向かった)神の子になるか、
天上界のメッセージを知った以上、どちらかに定まるのです。
現象テープ№7 ①「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」より
77年12月1日 ミカエル大天使長様現象
「どんなに厳しい試練が待ち構えていても、どんなに厳しい目に会っても、
決してあなた方は挫けてはいけない。
あなた方は一度正法という光を目にしてしまったのだから、決して道を逸れてはなりません。 」
"善を信じる心(誰もが持って生まれてきた、この世の悪に染まる前の、素直な心)、
光の中に生きるということ"
「人間の心というのは、だいたい、善我なる心でしかないのです。」
「自然の心は調和である。善も調和である。
だから、善は自然と同じ(それを理解することが出来るか否か)であるということですね。」
(「天国の扉」より ミカエル大天使長様)
「慈悲と愛」80年1月号11頁 (天上界の教え)
「そして善意を持つこと。
常に善意が悪(意)に先行するべく自らを矯め直し、厳しく鍛えてゆくのです。
善我には如何なる虚栄も、我欲も、我執も、嫉妬も、優劣を競う為だけの競争心も
(これは顕示欲と深く関り合っています)、存在してはならないのです。
それが出来ないようでは義人とは定義付けられません。」
「JI」83年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「人を信じることは、疑いながらその言葉を聞くのではなく、
真直ぐな心で受け入れることなのです。
これは正法を知り、学ぶ者として心しておかねばならぬことです。
人が偽りを言い、欺こうとする時、それに気付くのは遅くても構いません。」
このような考えが、心の持ち方が、正しいか否かを考えようとする者は、
彼等の思いが伝わることもなく、どのような思いからこのように語ってこられたか
考えずにはいられぬ心さえも持たない者なのかも知れない。
このような善を信じる心が天国を、天国に至る道
(人が如何に生きれば神の心が、神の愛が持てるか。
神と同じ心に立って、共に天国の平和をこの世に齎そうとする意志が持てるか)を、
人の善なる心を守って来ました。
彼等はそのような心が正しいと理解して、そうあろうと努力したのでしょうか。
自らを滅ぼす道であると知って尚、
その道から逃れようとする意志を失ってしまった人々の悲しみを、
そのように人を貶めることを喜びとする悪(なる心)を見て、
悪を(自己保存の心に屈することを)許さぬ心が、
善なる心に徹する意志が現れるからに他ならないからでしょう。
人は善なる心を持って生まれてきたと彼等の言われるのは、
自ら善を捨てる時、善を憎まずにはいられぬ心しか残らぬからではないでしょうか。
悪を見て、人の立ち返るべき善を知る、善に生きるを人の生きる道と知るを知恵と、
知恵なくば人は滅びると伝えられてきました。
悪なる思い(怒り、憎しみ、心を損なわせる悩み苦しみ)からの解放を、
善を信じる心を、善を求める心を人が見出せる為に、どうすべきか、何をしてあげられるか、
心に真が在れば必ず人に伝われものです。
その思いのない、偽善は人の善なる心には伝わらない、偽我は偽我にしか伝わらないものです。
自分に関わらねば、悪に無関心な者、自己愛から人の賞賛を得んがために善を行う(偽善)者、
彼等に人の苦しみに自ら苦しむ心なく、天上界の言われる善なる心を知らぬ者、
自らを救う善を知らぬ者、天の教えに聞き従う心なき者、
人に天を見失わせる為に、悪魔に唆されても、自らを恥じる心なき者です。
神の教え(神の与えた真の宗教)を学びながら、
神の心を養うことができなかった。
神の言葉を曲解させ、偽りの道に導く悪魔の魂胆を見抜けず、
悪魔の種の実りである共産主義思想に魂を支配された。
今神自ら神の知恵を伝え聞いても、真理であると覚れない、悪魔の心を以て神を拒絶する。
「天の奇蹟・上巻(天上界への質問と解答)」ラファエル様解答より
「勿論この聖典(旧約・新約聖書)を伝えた民族が文化が低く、大部分が稚拙な表現や、
ヘブル人特有の民族性、習慣を通じて伝えられたものであろうとも、
私達天の与えた真理は永遠のものであって、
私達がそれを否定する者では決してないことは、
イエス様が旧約の律法を否定される立場になかったと同様のものであると
理解して頂かねばなりません。」
真の神の教え(宗教)を理解されてしていたなら、
今人類が直面している危機から救い出さんとされる、
神の思いが、叡智が理解されたことでしょう。
その真理を被ってきた人間の間違った解釈を取り除いた、
神理、神の法である、神自ら証された正法が理解されたことでしょう。
「JI」84年12月号初出 ガブリエル様メッセージより
「ただ末世、世の終わりを来たらせるもう一つの要因として、人々のエゴイズムがあります。
ソ連や共産国の野望や非道のみならば、それは世界の一部に限られ、
人類の生存を脅かすことはないでしょう。
しかし他の自由諸国の人々(あなた方を含め)が巧みに呼びかける
悪霊の如き共産主義思想のユートピア作りに賛同し、
企業を潰し、学問を歪め、国家と経済を崩壊させ、
自由思想や資本主義打倒への闘争と労働なき報酬、
努力なき豊かさと道徳否定により犯罪を肯定し、
良心の責(せめ)なき人生を送ろうと望むならば、
当然の結果として世の終わりは来るのです。
国や社会というものは国民の協力や秩序なくしては保たれず、
諸国が崩壊と無法の巷と化し、共産政権による個人の破壊、
人命軽視が結果的に人類の破滅を招くのは火を見るよりも明かなことでしょう。」
(第一部、第六章、十節 (二)エゴイズム)
現日本国憲法を平和憲法と呼ぶ者がいます。
侵略者に尻尾を振る者に齎されるを平和と、
自ら生きる自由無く、与えられることでしか生きる自由のない、
奴隷故に与えられるを平和と、
そのようなものを平和と呼んで保証する憲法を、平和憲法と信じられる者とは、
そのような平和を人に強いる特権階級の立場にあると信じる者でなければ、
出てこない考えでしょう。
そのような平和を平和と思う人間に、尊厳などあろう筈がない、
それさえも解らないのでしょうか。
(※1注。
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」103頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
(GHQのニューディーラーが日本国憲法を作成するにあたり、
手本としたものは同じユダヤ人共産主義者の作ったワイマール憲法でした。)
「このワイマール憲法の作者ユダヤ人プロイス以下のユダヤ賢哲達(賢人と哲人)は、
教条主義に陥っていたといわねばならない。
ワイマール憲法の最大の目的はユダヤ人にとって自己の中世以来の差別を撤廃し、
平等権を確立することであった。この点は、以下に見る如く全てにわたって成功している。
プロイスはそのへんまでで止めておけばよかったのである。
とにもかくにも、ドイツ国民と平等な権利を獲得したのだから。
しかしプロイスは、ここでちょっと色気を出した。
それは、ユダヤ民族の反撃戦のプログラムの要諦ともいうべき要素の指示するところを
盛り込んでしまったのである。
それは簡単にいえば、十九世紀のプログラムであるマルクス主義から
一歩飛躍した闘争方針の要諦を指示するものといえよう。
その一歩飛躍した闘争方針というのは、マルクス主義が経済的闘争
(搾取するのが資本家であるから、倒さねばならないといった闘争史観)
の道具であるのに対して、
これは神経戦、心理戦を主とした闘争の道具とするものといえよう。
簡単にいうと、「人間の純度」を落とすことを狙いとしたものである。
人間を闘争本能丸出しの動物的なものに回帰させるのを目的とするものであり、
それにより既存の国家を内部から崩壊させようとするものである。
それに対しては後にゲッペルス宣伝相がドイツ国民に警告する文書を交付している。
この計画の手段となるのが、フランス革命の時用いた「自由」「平等」である。
「自由」「平等」のスローガンは、またもや役に立つことになったのである。
ただし、今回はフランス革命当時の如き、
素朴に「自由が欲しい」、「平等が欲しい」といったものではない。
この違いは、十八世紀の未成熟社会と二十世紀のドイツの如き成熟社会との差によって生じる。
成熟社会における「自由」「平等」は調和を崩し
(このような言葉が自然に表れる心に触れると、
左翼の偽善を、その性根の醜いまでのエゴイズムを嫌悪する魂は、
天上界と心が繋がっているとの信頼を抱かれるのではないでしょうか)、
国内を収束のつかない混乱に導くものである。
さらに「自由」と「平等」の二つの概念の非両立性により
その矛盾、混乱は幾何級数的に増大する。
我々ユダヤ人は「自由」「平等」という言葉の裏に
かくも恐ろしい毒素を含んでいたことをはっきり知らなかったのである。
全く頭が悪いといわれても仕方がない。
プロイスは、これをワイマール憲法に盛り込んでしまったのである。
これはまさしく、教条主義的態度であったといえよう。
ワイマール体制というのは、
すでに自分達ユダヤ人がとにもかくにもレーテ(権力)を握っているのである。
自分達が直接君臨している国家では、
敵(非ユダヤ人)に国家を突き上げる「自由」「平等」を吹き込むことは、
上を向いてツバするが如き自己撞着であるはずである。
つまり、自分達の政府の下で「自由」「平等」をかざして突き上げが起こっては、
困るのは当然ではないか。
しかるにプロイスはこれを盛り込んでしまった。
これは信じ難いほど頭が悪いといわねばならないだろう。
(破滅していく他の民族の姿が、勝利者たる己が姿が妄想されたことでしょう。)」
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」80頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「ドイツのゲッペルス宣伝相は、ドイツ国民に与える警告として
次のような内容の文書を一九三四年に公布している。
それは、非常に強大な超国家的(共産主義)勢力が、
文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。
これに対してドイツ国民は十分に警戒せねばならない。
この心理戦、神経戦の目的とするところは、
人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんでいこうとするものである。
ゲッペルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは
次の如き大要である。
「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追及、道徳軽視、
3S(Sports Sex Screen)政策事なかれ主義、無気力・無信念、義理人情抹殺、
俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、
享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定
以上の十九項目をつぶさに検討してみた場合、
戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。
(中略)これらは正常な人間の頭で判断すれば
人類の文明の破壊につながるものであることは一目瞭然である。
人間の純度を落とし、本能性に回帰させようというものである。
ゲッペルス宣伝相が警告を発した第二次大戦前の時点で
どれだけの人がこれを真に人類の文明への挑戦として脅威的に受け取ったかは分らない(※2)。
しかし第二次大戦が終わってみると、日本へはこれら一連の風潮が忍者の如く忍び寄って
完全ともいえるほどに定着してしまっていたのである。
これらを戦後日本へ持ち込んだのは一体何者なのか。
また、これらがこれほど完全ともいえる状態で日本に定着したのは何故か。
話を戻してみよう。精神衛生面の虚無性が何故に経済の高度成長バックアップするのか
という疑問も前述の一九項目を見ると直ちに理解されると思う。
これらが日本人の間に巣食ってしまうと、
楽しみはただ「カネ」ということにならざるを得ないであろう。
つまり、すべてを「カネ」のために、という思想が強烈なものにならざるを得ないのである。
いわゆるエコノミックアニマルの徹底ぶりである。
ここにエコノミックアニマルと、「アニマル」なる語が使われているのは、
ゲッペルス宣伝相の警告にあった「人間獣化」と一致していて面白い。
エコノミックアニマルという言葉は、
パキスタンのブット外相(のち大統領)が言った言葉だが、急所を突いていると思う。
高度成長のほとぼりもさめた今日、日本人が真剣に取り組まなければならないのは、
この精神衛生面の虚無性である。
志ある人々は皆、日本はこのままでいいのかと憂いている。
何故、前述のゲッペルス宣伝相の警告にあるような風潮が今日の日本に定着してしまったのか。
また一体誰が巧妙に持ち込んだのか。
持ち込んだ時期は終戦後のどさくさにまぎれてのことであるのは誰にでも分かることだが …… 。
さらに、忠実な残置諜者(敵地で情報を収集する諜報員)とでもいうべき、
これら病巣をタブーとして固持、培養している勢力は何か。
その勢力とこの勢力を持ち込んだとの関係は如何。
今日の日本にとって最も大切なことはこれらを解明することではあるまいか。
さらに、これらのこれらの病巣の残置諜者たる勢力が
金科玉条としている日本国憲法の作者は誰か。
この日本国憲法の隠された狙いとは如何なるものか。そのルーツは。
これらの諸問題にメスを入れることは
今日の日本にとって焦眉(しょうび)の急といわねばなるまい。
これらの病巣のコーディネーターの役割をしているのが日本国憲法であることは
何ら疑いを入れない。しかしもう少し考えてみると、
この日本国憲法を持ち込み残置諜者(日本共産党)を利用してタブーの網を張り、
信仰という宗教的呪縛性でもって、あたかも千古不磨(せんこふま)
(途絶えることなく伝わり続けること)の大典の如く日本国憲法を最大限に活用している勢力は
一体何なのか。
(※2注。
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」78頁 モルデカイ・モーゼ著 沢口企画
「開戦前、近衛内閣の外務大臣・松岡洋右(ようすけ)は、
対独戦参加を焦るアメリカのルーズベルト大統領に対して野村駐米大使を通しての書簡の中で、
大要次のようなことを言っている。
「もし仮にアメリカが戦争により日本を撃破したとしても、
その時にはソ連は満州へ進出し、中国も完全に赤化されるであろう。
そして何よりも日本は、たとえ撃破されたとしても、
ものの三十年を出ずしてもと通りになるであろう」
つまり、日本との間に戦争を始めてもなんの利益もないことを諭しているわけである。
しかし、何よりもこの予言の見事な的中ぶりには驚かざるを得ないのではないだろうか。
皮肉にも、ソ連の進出を促したのがルーズベルト自身というパラドックスを生むところなど、
松岡洋右とルーズベルトの国際感覚の差を見せつけるものである。」
当時、共産主義に毒された者の本性(魔性)を見抜く知恵者が、
独逸や日本の政治家にいたのです。
一世紀を過ぎて尚、このような偽善者(共産主義者)を見抜けないのは、
毒する者にこの世が支配されてきたからに他ならない証拠でしょう。※2注終)」
※1注終)
私個人のことですが、参考になると思えるので(そうでないかも知れないですが)
書くことにしました。
能力次第でいくらでも稼げる、他との収入の差も歴然としてくるタイプの仕事に携わっていますが、
人の能力への嫉妬か、人のエコノミック・アニマルぶりへの嫌悪か、
不快な思いを抱くことがよくあったのですが、私自身も仕事に忙殺されることが多く、
ある時、ひょっとすると私自身がエコノミック・アニマル化していることに、
守護霊達の抱く嫌悪感が伝わって来たのではないかと、
そう思った時、もやもやした気持ちがなくなりました。
そういったことはただの気持ちの変化に過ぎないのかも知れませんが、
変化することなく荒んでいくのも困りますでしょう。
守護霊の気持が伝わったかどうかなど解りませんし、私が善我を見出したのかも知れません。
善我を見出すとは、今まで偽我に捉われていたことに気付くことに他ならないでしょう?
その逆に、善我を見失っていく時、それに気付く心も失って行くのであり、
(文字通り)魔が差すようなことを仕出かすまで気付かなかった事例を
知らない人はいないでしょう。
善我を見出すことは、善なる思いの波動の前に、悪の波動は弱まり消失して行くでしょう。
その逆に、善我を見失えば悪なる波動は強まり、偽我の感情に執着して行きます。
善我の思いや偽我の思いを、そうであると意識することが容易になれば、
罪を犯す偽我が自分を飲み込もうとしている、
それでも善我が目覚めないということは防げるのではないか、
善我が飲み込まれること自体が、自我の破滅に他ならないのだから、
自分の思いがどの心から来るか意識されると良いし、
偽我の思いを深く理解して行けば、
その感情が現れて気付かないということはなくなるのではないでしょうか。
第一部 天の教え
第一章 天の歴史
五節 天の指導と方針
(三) 国を守る為に戦うということ
② 神に生きる戦士をも食い物とする悪魔の禿鷹という種について
こういう話を耳にしました。
自民党は、侵略国家である中国共産党に傅(かしず)く者と、
中国に負けじと米国(大統領トランプ)に傅く者がいる。
しかしトランプは、戦争こそ軍需産業に、米国に潤いを齎すものである、
その為には戦争は必要(悪なのか善なのかは不問)と考えているのであり
(レーニンは戦争こそ、革命以上に有益であるとした。
疲弊した国家を共産主義へと転覆させることが容易となるからです)、
その為には、そしてそれを以て互いを認めるロシアや中国(の軍需産業)こそ
この世を支配する仲間との認識である。
それを助ける大悪魔が共産主義を齎した、
悪魔の番頭であるユダヤの陰の権力者、大富豪たちである、そういった話です。
共産主義をマルクスに造らせた(マルクスが仲間と信じられる者であったからです)
ユダヤ人達と共に同じサタンに生きたユダヤ人であったことは昔から知られてきました。
(「日本人に謝りたい」の訳者(著者とされるモルテガイ・モーゼこそその人との説もある)
久保田政男さんの著作に詳しく書かれています)
神の救いを貶める為には、
神の救いを求めることは自らを破滅させると人類を神から離反させる為には、
神を求める信者を、神の(自然科学によって)齎す真理の理解し得ぬ幼児の精神に留めるべく、
全能の神に依存する心を信仰とする宗教に堕落させたのがサタンなのですから、
神に生きることに、神の御心を成就することに愛を、
天の戦士の犠牲(神の心)と神の国の破壊を以て、
悪魔の王国が齎されると信じたサタンの支配欲を自らのものとした権力の犬たちが、
良きものを愛する心を滅ぼし、権力に従うことを喜びとする、
善を滅ぼす悪の力こそ世を支配するものと崇める者に、
権力を誇示して来たことはよく知られる所だと思います。
そういった事実を理解するべきことではあるでしょう。
しかし、私達は悪を知って憎むことに留まってはならない、悪に打ち克つ善を求める、
常に意識を善に向けることを忘れてはならないと思います。
戦争によって、人の犠牲を以て得る利益の満たす心は、悪魔の心だけであり、
自らを地獄に繋ぎ止めることしか出来ません。
そのような悪には利用されたくないからと悪と戦うことを厭うなら、
自ら神の心を、神の国を放棄するということになるのです。
こうなった原因は、正義に与えるべき力(武器)を放棄させてきた、
悪魔の共産主義者から押しつけられた日本国憲法に飼い慣らされての
平和を貪って来たからに他ならないでしょう。
このような平和の内に、
サタンの与えるものを享受する堕落した心を養ってきたのではないでしょうか。
今の世に神の求める平和を理解するものがいたでしょうか。
悪魔の種を植え込まれて、共産主義者の悪意を見抜く知恵なき民族へと、
神に従った民族であった事実も奪われてきたのです。
共産主義者が国歌「君が代」を拒絶したのは正しく悪魔の意志であったことが証明されました。
悪を憎むだけでは、悪に勝つことは出来ません。
善を見失ったから、悪が蔓延ることになるのです。
悪は悪であることを示して蔓延ったのではないでしょう。
人の自己愛を満たしてきたからでしょう、善を愛する心に生きてもいない者が、
善人であるとくすぐられて、平和憲法を愛する者と煽てられて、
悪(共産主義)と戦うことを放棄し、悪に支配されている自分達のように、
悪に支配されることを喜び、悪(共産主義)に抵抗する、戦う者を非難してきたのが、
日本(の左翼メディア)だったでしょう。
私達は神(天上界)の御意志を、神の善を知ったのですから、
その心に繫がることなくして、サタンから自らを守ることの、
人々を神の下へと救うことの出来ないことが理解されたのでしょう。
神を信じる心なくして、サタンに繋がる、自らの心をサタンにする、
己を高し(神)とする心に克つことの出来ないことが理解されたのでしょう。
自分を、自分の国民を守る為には、自ら武器を持たねばならない、
食料を他国に依存する心は、自立することを望まぬ依存する心でしかない、
(自らの意志で立ちて歩めと言われた)神の心を遠ざけるものでしかない、
そのような心が自らを滅ぼすというのが神の教え(叡智)に他ならないのです。
神は人類をそのように導いていることを、
自らそのように生きるを以て、神の御意志を顕わして行かなければならないのだと思います。(2026.2)
左翼メディアの悪を断罪した安部元首相を正義の人であると
(左翼以外の)多くの人が信じました。
ヒトラーと戦った共産主義を正義であると人々は信じたように。
統一教会という悪魔の傀儡と知らずに、
善を求める多くの人々が安部元首相に従い、悪に従う者に変えられていきました。
悪と戦うから、その者を正義と信じることで、
神に生きるべき人々の心から神の正義と判断する理性を奪い、
悪に従うことも解らぬ愚か者に変えられていったのです。
サタンはそのようにして、神の導かれるべき人々を奪い取っていったのだと思います。
安部元首相が統一教会の信者であることメディアは知っていたにも関わらず言わなかった。
言えなかったメディアの腰抜けぶりを責めることよりも、
自民党の権力が恐ろしかったことを理解しなければならないでしょう。
自民党は中国共産党やNHKという極左と手を組む、
勿論創価学会の魔性を悟ることもなく公明党と手を組んできたのが自民党でしたが。
権力を得る為に悪魔に魂を渡して来た権力者が破滅していったことも知らないのでしょうか、
彼等が権力の偉大さに心を失うのは当然の成り行きかも知れません。
更に自民党は、自民党だけではなく世界中の政治家が、
常に天上界の計画を阻んで来たサタンの意志を実現する力を与えられてきた組織、
共産主義を齎し、日本が神の民であることを知る故に破滅させる為に戦争へと唆し、
原爆を以て破滅させようとした、戦後は共産主義を浸透させた組織が、
現代にあってコロナという武器を手に人命を脅かし、理性を顧みる心を奪い、
人が(生存)本能によって行動する動物へと、劣化させることを目論みました。
人間の心を獣へと貶める為に、共産主義という悪魔のイデオロギーを齎したことと同じでしょう。
悪魔の心からしか生まれないものです。
(人の生命を守ろうとするのは理性・愛であり、理性に生きることが、
己の生命への執着(する心、自己愛・本能)から己自身の心(神の心、理性・愛)を救うのです。
本能にのみ生きれば、理性を顧みさせなくする、本能の働きを強化する、それが執着なのです。
何故なら本能を制御することが出来るのは理性だけであり、
その理性を育てなければ、執着する(本能しか意識出来ない、それが執着なのだから)のは当然です。
そのような心に人を留める為に、神の心の成長を奪う、
即ちサタンの支配を可能にする為に、生命を脅かせば、
恐怖から逃れる本能に縛られ、理性を育てられなく出来る、
神の人類の救いの意志を踏み躙ることを生甲斐としてきたのがサタンであり悪霊なのです)
そしてワクチンで巨額の富を得ようとするのは如何にもユダヤ人らしい抜け目のなさです。
そうやって彼等は神の国を求めることよりも、
金銭を、悪魔の権力を以てサタンの心を満たしてきたのでしょう。
悪と戦おうとしてはならない、悪と戦うことが悪だという、
無抵抗な者に悪を為しても悪ではない、抵抗することが悪なのだと。
そのような者に真の悪党を見抜く知恵などあろう筈がない。
今日の日本人に、コロナや共産主義を齎した邪悪の存在を見抜けないのは
仕方がないとしても、悪の実の実態が明らかになれば、
隠された悪の意志に気付く者が現れるでしょう。
コロナが自然発生ではなく、悪の意志の結実である、
そうとは知らずに悪の手助けをした愚か者ではあっても、
悪を憎む心が生きているなら、愚かではあるが己の善意を騙した悪への怒りと共に、
政治家としての真の誇りを取り戻して、真の悪党に立ち向かう者が現れるかもしれません。
一人としてその気概を抱く政治家が現れないのなら、
やはり政府(自民党)は巨悪を知っていて、自らその力に与ることを良しとした、
支配欲、権力志向の権化に過ぎなかったというのが実態なのではないでしょうか。
ガブリエル様は、何故人類が共産主義を受け入れることが出来たのか、
それを理解しなければいけないと仰しゃいました。
理性の、心の成長を人から奪えば、
神の愛される心を、神に繋がるを喜びとする心を、神の正義を、愛を信じる心を、人は失う、
サタンの喜ぶ心へと人を堕落させてきたのが悪霊であることを天上界は教えられています
(サタンの働きかける心について、サタンの誘惑に脆い心を、
サタンの甘言に天上界を裏切った背反者の心を基に、千乃先生は語られています。
またミカエル様は理性なき心が悪霊の憑依を許していった例を詳しく説明されています)。
自らの偽我を認める謙虚さを持たぬ者に、自らを研磨に掛けることは不可能、
楽をしようとする心、神に愛されていると信じる自らに甘い心、
そういった心を満足させれば、
人が堕落することなど悪霊にとって訳なく出来るのではないでしょうか。
そういったことばかり彼等は考えていますから。
その道理を理解しなければ、何故人類が共産主義を信じるまで心の堕落を許したか
覚れないということではないでしょうか。
それを理解しようとしない心が、サタンを見くびっている(慢心している)のであり、
天上界の警告を軽んじているに他ならないと思います。
地球外星人に侵略されたら、今の地球人はひとたまりもないと、
嘗てラファエル様は仰しゃったのですが、
現天上界や、サタン・ダビデをベー・エルデ星から追放したベー・エルデ星と同盟国の人々は、
ダビデとその一味だけが彼等に立ち塞がる悪として存在したのではないようです。
天上界の意志に迫る力を持った地球外星人が存在した
(ダビデが関わっていたとすれば極秘事項でしょう)のであり、
その悪に決して屈しない力を明らかにしてきたのではないでしょうか。
神が存在しなければすべてが許されるなどと、哲学者を気取った、
単に自分さえ良ければいいと思っているエゴイストが、仮に死後も存在し得たとして、
彼等にあるのは自意識、自分への執着から逃れられない、自分を執着し続ける心があるだけであり、
それが如何に苦しいものであるか、天上界の方々が知らぬ訳がなく、
ガブリエル様は、三億年もの長い年月を倦むことなく生きて来れたのは
人への愛があったからに他ならないと、
エル・ランティ様は、愛に生きることの出来なかったダビデは、
エル・ランティ様の人類救済の計画を破壊することに生甲斐を見出したと言われております。
自己愛に生きる者は、自意識から解放されて、人を愛することが出来ません。
自意識に縛られた精神に、人を愛する自由を持てないのです。
天上界の聖霊が、人間の精神の持てる限りの意志と、
犠牲を厭わぬ愛を以て人類を救おうとしてきたことを、
(天上界と同じ愛を、人は自らの内に見出すに違いない、
人類の愛に懸けているとイエス様は仰しゃいましたが、彼等の)人類への信頼に、
真の神は彼等以外にないことを、人類が悟ることが出来ず、
創造神にあらずば神ではないと、サタンの呪縛から脱することが出来ないで終わるなら、
神の国に、神と共に生きることを拒絶するならば、
現天上界は、地球人類と共に生きることを断念せざるを得なくなるなるでしょう。
ベー・エルデと同盟星が地球を仲間として導くことを断念し、地球を見捨てた時、
悪に生きる地球外星人がもし存在したなら、ラファエル様が警告した如くに、
ひとたまりもなく地球は悪の支配する地獄になることでしょう。(2026.3)
〖備考1
善が悪に勝つのは、悪にその敗北を悟らしめるのは、彼等の信じる力に於てしかありません。
その力とは真の知性であり、知性を齎すのは科学的な思考(それが正法です)なのです。
悪に対抗するには知性に於て勝らねばなりません。
天上界が仰しゃるように、
武力で向ってくる者に対抗し得るのは武力しかないことも悟る知性なき者とは、
(話せばわかるのだから)外交が平和を齎すのだと言う者とは、
ソ連が攻めて来たら白旗を揚げて迎えようと言った政治家(社会党)と変わりません。
今も同様な政治家を信じる知性なき人々が、
左翼の偽善に騙されていたことに気付いてから目覚めた時には、
日本が地獄になっているのです、私達の子孫に地獄を残すことになるのです。
今のロシアや中国の政治家に神の心があるとは思われないでしょう。
彼等は世界を制覇する、他の民族を支配することしか考えていない地獄の住人であることは
解り切っているではありませんか。
神の心を、天の徳を踏み躙って生きた者がのし上がって国家権力を手中にしているのです。
(左翼は国家権力を悪の如く言ってますが、
自分達のものである権力を奪われていると考えるから、
保守(真の民主主義)という悪に悪用されていると信じるが故に
国家(保守)権力を罵るのでしょう。
そのような国で恵まれた人生を生きている者が、
国の認める、受け入れる人格が如何なるものであるか、
自由な、真の民主主義国家の日本に生きて来て悟れない筈はないでしょう
(勿論例外はいるでしょう)。
悪から逃げるとは、自ら善なる心を捨てるということです。
国を悪から守る、悪と戦うことから逃げることで、
たとえ(戦って死んだ)人より長くこの世に生きることが出来たとしても、
その魂は、神の心を捨てた魂は、永遠に神の心を失うのです。
永遠に神の心に、神の愛に生きる喜びを知ることはありません。
神の思いを受け止めた人々、神と共に戦った人々、神から愛される人々を妬む、
憎しみに支配された魂(悪霊)が残されるのです。
それがあなたの求める幸せなのでしょうか。
94年7月18日 ブッタ様メッセージより(未出版)
「私はこのメッセージを受け取る人々に
もう一度"正法者"と成られる為のチャンスを与えたいのです。
あなた方をこれまで導くために努力され、
そして天上の戦いにおいて無念にも亡くなってしまわれた人々の想いに気付いてほしいのです。
一言の言葉も交わされる事無く、只、あなた方お一人ずつの意識に呼びかけられ、
誕生の時より共に苦楽を味わわれた方々なのです。
その方々の意志を受け継ごうとは思われませんか。」備考1終〗
〖備考2
2008年2月19日、海上自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船「清徳丸」と衝突した事故で、
当時の石破防衛相は、全責任は自衛隊にあるとして自衛隊幹部を解任した。
自衛隊(員の国防意識、祖国愛)を憎む、
左傾メディアは一斉に自衛隊の責任であるとミスリードした。
漁船の船長による事故の要因(飲酒その他)は問わず、
左傾記者はエリート意識から自衛官を右翼と軽んじ、
彼等の判断の根拠を理解しようとせず、左傾した判断の正しさを押し通した。
当時の防衛大臣の石破は、左傾マスコミを恐れたか、自身が左翼だったか、
自己保存だけに生きる小心者だったか知りませんが、
全責任を自衛隊に負わせ、自衛隊幹部を一方的に解任し、自分は責任を取ったとした。
左傾マスコミは、事故の原因は堕落した自衛隊にあると、
彼等を処分した石破を自分達と同じ(善悪の)判断基準に立つ者と評価した。
全ての自衛官がそうである訳ではないでしょうが、
多くの自衛官は国民を守ることを誇りとし、自らの人生を捧げている。
彼等の思いの信じられぬ者に、国を愛する心があろう筈がないのです。
左翼が愛を知っているとでも言うのですか?
自ら自衛官の長となった者は、何よりもその思いを守る者でなければならない。
その思いに生きる自衛官への信頼を自ら捨てる以上の裏切りがあるでしょうか?
国を守る思いに生きる彼等を誹謗する者から守る意志なき者に
その長となる資格などある筈がないでしょう。
国民を守ろうとの自衛官の思いに応えようとする、信じる心を簡単に捨てる去り、
自衛隊の罪を漁船の船長に擦り付けようとしていると、
自衛官の思いの中に見出してきた筈の自己犠牲の精神まで否定する
己が自己保身の醜ささえ気付かず、一方的に断罪する。
神に勝る力を持つ者と信じ、神を裏切り、悪魔に従った、
自己保身から愛を見失った、小心者の善霊などよりも、
部下に全ての責任を押し付けた、自衛隊の長である防衛大臣の罪の方が
遥かに大きいことは当たり前でしょう。
地位高き者の裏切りは、極刑に処すと、
それは当然であるとガブリエル様は仰しゃったことが理解出来ないのでしょうか。
そのような者を吾が国の長と選んだ日本国民は、
同じ国民なのに、自衛官が国民を守り、国民は自衛隊に守られるのが当然と考える、
たとえ国民の愚か故であろうと、国民が自衛隊に傷つけられたとすれば、
許し難い行為と非難されるのは当然であると考える。
人間と変ることのない(実は同じ人間故の)感情を持たれる存在であることを
知らされてきたにも関わらず、
神は自らの犠牲を顧みず(神にとって大切なのは愚かな人類のみで、
神と共に闘う聖霊が人類の為に生命を落としても
神は痛める心などないとでも思っているのでしょうか)、
人類を守るのを当然と考える心と同じではありませんか。
堕落した魂は高貴な魂を憎む、
左翼が、自らを擲(なげう)って人を守ろうとする軍人を、自衛官を憎むのは、
悪霊から、邪念から人々を守ろうと、善を愛する心が、
悪魔の邪念に屈することなく立ち向かう勇気を、人を守ろうとの熱意を齎してきた神の、
神の心だけが持つ力であることを明らかにしてきた神を、神を愛する人々を憎み、
高貴な者を貶めるを喜びとする、邪心を満たす、
驕り高ぶる心が何処から齎されるものかお判りになることでしょう。
備考2終〗
〖参考〗
「JI」誌 1981年3月号"読者への連絡"より
「市川房枝さんが遂に姿を消して下さり、ホッとしました。
勿論即刻消滅されました。白光真宏会の愚かな偽メシヤ五井昌久氏と
(注。自らメシヤと名乗る如何なる偽メシヤも)同じく。
天は世を惑わす人々、国を売る人々に容赦はなさいません。
今後は悪霊が市川です、五井ですと出てくるでしょう。
(注。悪霊による偽の天上界メッセージを仲介する「幸福の科学」から、
天上界に消滅された筈の高橋信次を名乗り、
悪魔の教えへと捻じ曲げた偽正法を伝えることで、
真の正法の存在を見失わせているのです)
「安らかに眠って下さい、私達を守ってくださいます」等と追従者は涙を流しますが、
何処に自分の国があるかも判らないような者
(注。彼等は日本に住んでいながら、その心は地獄(共産主義国)を求めて彷徨っているのです。
在日北朝鮮人も同様)
は天に住む場所は与えられません。
同調者(白光真宏会でさえそうですから、悪魔の手先となって偽ユートピア作りをしている
創価学会を天上界は消滅と言明されたことは推して知るべしでしょう)
の皆さんはこの世限りなのですから、
精々何でも反対デモに明け暮れて、春を謳歌なされば宜しいでしょう。」
第一部 天の教え
第一章 天の歴史
五節 天の指導と方針
(三) 国を守る為に戦うということ
③ 同胞(民族)への愛、国家への愛は、真の愛、唯一の愛の現れである
現天上界高次元の聖霊、自らを神と名乗ってこの世に現れた霊は、彼等以外に存在しなかった、
その証をされた霊も存在しなかった。神、天地を統べる大王ミカエルは、
ジャンヌダルクの証で知られる聖ミカエルがご自身であることを告げられた。
それを語った者も現天上界の神々同様に今まで一人として存在しなかった。
現天上界、そして神ミカエルは彼等以外に存在しないからです。
現象テープ№10 ミカエル大王様現象、及び「慈悲と愛」78年11月創刊号より
「私はミカエルです。
私の名を御存知ない方は、キリスト教の旧約新約聖書に出ておりますし、
マホメットにもジーブリール即ちガブリエル大天使と共に
啓示を与えたミーカイールと紹介されております。
又、オルレアンの少女ジャンヌダルクに使命を与え、
オルレアン市からイギリス軍の占領を退けた聖女を、
守り助けた大天使ミカエルとしても知られております。
イエス様誕生の折は、ガブリエル大天使と共にマリヤ様の下に現れ誕生を告知致しました。」
「希望と愛と光」81年4月号 ミカエル大王様メッセージより
「如何なる時代にも、義人の行く道に花咲くことはなく、人は背を向け、敵意の瞳が光り、
天への信義のみが、義人の心を支えるのです。
それと好対照をなすものが、ローマ法王であり、ホメイニであり、
その他の諸々の既成、新興宗教の教祖であるのです。
ローマ・カトリックに的を絞れば、古くは中世教会の権力絶大な時代を思い起こすまでもなく、
科学者、改革者の迫害、
ジャンヌ・ダルクは私が使命を遂行させた聖女であるにも関らず、
火刑に処し、その罪許し難く、
天の許可無く免罪符なるものを、値を払わせて売り、教会の封建制と非科学性は他に類を見ず、
人口過剰が地球上の人類を飢餓の時代に追い込もうという恐れのある時に、
"産児制限"は罪であると平然と述べるヨハネ・パウロⅡ世は何を目的とし、
何を代表して語るのか、私は知らぬ、と言いましょう。」
「天上界メッセージ集・続」167頁「フランスでの七大天使(西澤徹彦著)」より
「次に掲げるのは、ジャンヌがイギリス軍に宛てて出した手紙の全文です。
『イエスス・マリア
イギリス王、並びにフランス王国の摂政を名乗るベドフォード公、
ギョーム・ドゥ・ラ・プール、シュフォール(サフォーク)伯ジャン・タルボット閣下、
そしてトマ(トーマス)・ベドフォード公の副官と名乗るスカル(スケールズ)閣下の皆々様に、
天の王なる神の御名において命じます。
天の王なる神からここに遣わされた〈乙女〉に、あなた方が手に入れ、
あなた方がフランスでむりやり奪ったすべての良き町々の鍵をお返し下さいますように。
彼女(ジャンヌのこと)はここに王家の血統を要求するため
(オルレアン公シャルルの解放を意味する)神から遣わされてやって来たのです。
もしあなた方が彼女の理を認められ、フランスをもとにもどされ、
あなた方がフランスに負わせたものを清算なさいますなら、
彼女はただちに平和をもたらす所存であります。
オルレアンの町に立ちはだかっている射手たち、歩兵たち、高貴な方たち、
そしてそうでない方たち、あなた方すべて、神の命においてあなた方の故国におもどりなさい。
そうするおつもりがないないのなら、〈乙女〉からの知らせをお待ち下さい。
〈乙女〉はあなた方の前に束の間姿を見せ、あなた方に大損害を与えることになりましょう。
イギリス王よ、故国におもどりにならないのなら、私はたたかいの長(おさ)です、
そして私はあなたの国の人々をフランスの何処までも追いかけます。
そして彼らが望もうが、望むまいが、私はそうさせますし、
彼らが従わないなら皆殺しにいたします。
私はここに、闘い合い、あなた方をフランスの外に追い払うために、
天の王なる神より遣わされてやって来たのです。
そして、もし彼らが従うなら、私は彼らを祝福いたします。
他の考えを持ってはなりません。
何故なら、あなた方は聖母マリアの御子、
そして天の王なる神のものであるフランス王国をつなぎとめることはできないからです。
しかし、王シャルルはそうすることができます。彼はフランス王国の真の継承者なのです。
天の王なる神はそれを望まれ、そのことは彼に〈乙女〉を通じて伝えられています。
彼シャルルは、パリにそのよき伴侶として入ることでありましょう。
もし、あなた方が、神からの、そして〈乙女〉からの知らせを信じようとなさらず、
私たちの理をくんで下さらないなら、
あなた方をいかなる場所でもみつけ出し、あなた方を襲い、
我がフランスに一千年来耳にしたことのないような
とてつもなく大きな勝どきの声を上げることでしょう。
そして、天の王が、
あなた方が彼女や彼女の良き兵士たちに全力をあげて攻撃をかけてもかなわぬほどの力を、
彼女に授けられるであろうことをよく覚えておいて下さい。
いずれ、戦場で天なる神がどちらに軍配を上げるかおわかりになられましょう。
ベドフォード公様、
〈乙女〉はあなたが御自分の首を絞めるようなまねをなさいませぬようお願いし、
かつ要求いたします。
もし、あなたが彼女の理をくんでくださるのなら、あなたは彼女の仲間となられましょう。
そこでは、キリスト教徒がまだ手をつけた事のない、
最も美しい計画が遂行されようとしているのです。
そして、もしあなたがオルレアンの町に平和を望まれるなら、
どうか回答をよこしていただきたいのです。
それをなさらぬ場合は、
あなたはすぐにあなたの記憶に留めねばならないような一大損失をまねくことになりましょう。
聖なる週の火曜日に記す
(一四二九年三月二十二日のこと)』
ジュール・ミシュレ著『ジャンヌ・ダルク』より。
天上界メッセージ学ばれてきた方は、
このジャンヌの手紙は、ジャンヌ(の自我)を通して語られた
ミカエル様ご自身の言葉(天上界の霊言)に他ならないとご理解されるでしょう。
天上界のご意志を伝えることの出来たジャンヌは霊能者であった、
天上界と同じ心を持つ(天上界高次元の聖霊の合体によって導かれた)者として、
天上界のご意志を理解出来るが故に、偽りの霊の言葉をそれと見抜くことが出来た。
そのジャンヌが語った聖ミカエルとは現天上界を統べられる大王ミカエルであることを
ミカエル様自ら証されたのでした。
天上界の、神の遣わされたジャンヌによってフランスを救ったのは、現天上界に他ならないと、
そのジャンヌを守護した聖ミカエルこそ自分であり、
常に神の愛する人々を、国を守ってきたのが唯一の天上界である。
その天上界が今人類に語り掛けているのだとミカエル大王は告げられるのです。
天上界の心に生きる人々に、常に天上界は神の導きを与えてきました。
天への救いを、神の愛を証されてきました。
「天の奇蹟・下巻(87年7月初版)」 第七章 黙示の時 ガブリエル様メッセージより
「問七解答 イエス様の誕生に備えて、人々を神の国の使徒となるべく
心の備えをなさしめたことは元より、エル・ランティ(ヤーウェ = エホバ)様の御意志を汲み、
何よりも神の選民であるユダヤの民の存在を危うくし、神の聖なる城であるエルサレムの町を、
ローマの堕落した文化と虐殺によって帝国支配を強いた時代に、ローマに忠実で、
より残虐な血の粛清による支配を徹したユダヤ王ヘロデの足元に踏み躙らせるに忍びず
(総てはサタン・ダビデの陰謀によるものであるだけに尚更)、
多くの信仰篤き人を通じ預言と警告を発し、勇気ある者を奮い立たせて、
神の祝福された平和で自由なユダヤの国を取り戻すべく、努力に努力を重ねました。
が、サタン・ダビデの悪の扇動は、
虐殺と焼き討ちで人の住まぬ荒野と化した町を"平和"とした
ローマの非道な支配の形で熾烈を極め、遂に紀元66年には反ローマの大反乱が起き、
全ユダヤ対ローマ軍のユダヤ戦争に発展しました。
しかしそれも77年、エルサレム攻城戦で最後の一兵まで滅され、
六十年後の第二ユダヤ戦争も135年に全滅の後終結して、
ユダヤの民は再び離散、流浪の民となったのです。
ハスモン家の祭司、老マッタテアと息子達
(最初のユダヤの対シリア独立運動 = マカベア戦争)、
勝利を得てハスモン王家となったが、後に専制王の代となり、
それに抗し、批判の声を大にした故に処刑されたハシディームの人々、
及び第一、第二ユダヤ戦争に参加したエッセネ派の人々は、
サタン・ダビデの暗躍による侵略者や自国の専横非道な支配層への隷従と屈辱を拒否し、
自由と独立と民族の存亡を掛けた時代に生きた殉教者達であり、
神と民に生命を捧げた正義の戦士であったのです。
ダニエル書、エノク書など、黙示文書を通じてのミカエル様他、
大天使の予言は真にユダヤ民族への警告と励ましでありました。
今まさにユダヤの後裔としての日本の民に、
私達が総力を挙げて世界の終りを警告していると同様に ー 。」
ガブリエル様が証言されるように、天上界の守護し、導かれる民族を、国家を踏み躙る、
また天上界を侮る、天上界のご意志を妨害する如何なる民族も、国家(権力)も天上界は許さず、
その悪魔の心を思い知らせるのが天上界(の意志)であることを明らかにされています。
天上界の言われる、この世にユートピアを、神の国を作るという意志は、
真の神の心に現れる意志です。
このような神のご意志をキリスト教徒は全く理解することが出来ず、
サタンの意志を神の意志とすり替えられたことも分からずに信じてきたのです。
(サタンに導かれて)神の道を踏み外す、
(サタンの甘言、罪の誘惑と形容される)自らの神の心に背いても、
偽我から来る、自己愛を満たすことに喜びを得る心に従う。
サタンに従って得た喜びは、神の心を裏切った虚しさに、良心の呵責に変わる。
そのような罪人の苦しみに情けを知らなかった心が、
信者からはユダヤ教指導者と信じられたパリサイ人であり、
彼等は力弱き人々を罪から救おうとせず、サタンの苦しみに縛り付けてきた。
それを喜びとするのがサタンの心に生きていた。
神の教えを以てユダヤ教指導者は、信者を地獄の苦しみに縛り付けてきた。
天上界が齎した福音とは、
人々の心をサタンの力から自らの意志で解放させる信仰を齎すことであった。
神の導きに生きる意志へと導くことであった。
神の救いとは、自らの内に生きる神の心によって天へと続く、
神の備えられた道を生きることで、天国に迎えられるに相応しい魂へと成長する。
それ以外に神に救われた喜びを知る魂となることはない、
たとえ神に救われようと、その救いを喜ぶ神の心がなくては、
救いにはならないではありませんか。
イエス様の齎した福音とは、
人々が神の心を見失った、神の救おうとされる心を、神の愛される心を見失ったが故に、
サタンの、パリサイ人の導きに救いを見出せない、希望なき道に救いはない、
その絶望から救う、真理の道、天への道を示されたのです。
イエス様は、魂を救う道を示されましたが、
その道に神の国を守る愛が生きていることは言うまでもないことだと思います。
イエス様が十字架の道から逃げなかったのは、
それが神のイスラエルを、同胞を救おうとされる神のご意志であるからに他ならない、
神を信じる心を疑うは、サタンの心と、神への信仰を貫かれた。
イエス様が魂を救うことを神の福音とされ、
イスラエルをローマから守る為に戦うのは、神の福音ではないと、
どうしてそのようにキリスト教徒は考えたのか。
イエス様はサタンの齎した十字架の苦しみの道から逃げることなく、
その先に神の備えられた救いの道を信じたのであり、
サタンと戦ったイエス様がローマと戦うことが
神のご意志ではないなどと考えられる訳がないでしょう。
ローマを操ってイスラエルを滅ぼそうとしているのがサタンであることは判り切ったことでした。
罪に生きる人々の苦しみから、魂の滅びから救おうとされたイエス様の教えを、
キリスト教徒は人々の真の救いとは、魂を救うこと、人々の魂を神の国、天国に導くことと捉え、
サタンの支配欲に生きる侵略国から母国を守る為に戦うことではない、
それはイエス様の教えを理解出来ぬユダヤ人の考えであるとした。
イエス様を救い主としてではなく、ダビデ王の再来
(それをユダヤ民族に信じさせたのはサタン・ダビデであったことを天上界は証言された)と考え、
ローマからイスラエルを救う王と信じたユダヤ教徒を、そしてそのような王ではなかったイエス様を、
偽りのキリストであると十字架につけたユダヤ教徒を、キリスト教徒は蔑視したのです。
天上界の愛する愛国心を、サタンの支配欲、権力欲に憑かれた、自国を大国とする、
巨大な力を持った大国にするサタンの心の別の呼び名に過ぎぬ、
裏と表に過ぎぬ一つのもの、偽りを真という偽善に過ぎないと、
それを見抜くことのできたのがキリスト教徒だとユダヤ教徒に優越感を持てたのでしょう。
天上界が預言者を通してイスラエル国民に、他国の侵略に備えることを、
それを疎んじる心に、愛国心の欠如を警告されてこられました。
侵略国の支配欲に屈することなき愛国心を理解せず、
愛国心を支配欲の裏返しの心に過ぎぬとサタンは貶めたのであり、
そのような愚考を、愛国心を侮蔑する心をサタンに植え込まれてきたのです。
自衛隊は軍国主義者であり、他国を侵略するためのものであると、
自衛隊への憎悪を日教組は子供達に植え込みました。
共産主義が世界を支配するためには、独立国家の軍隊が邪魔であったから、
それだけの理由さえも日教組は理解出来ぬまでに洗脳された教育者でした。
魂の自由を齎すには、自由を愛する魂を育てる世界をこの世に作らなければならない、
それを理解せず、如何なる世界に育った魂も、天国に生きるを喜びとする魂であると考える、
天国だけが神の救いであると信じさせたのは、サタンであって、イエス様の教えではない、
イエス様はこの世に神の国を作ることを教えられました。
この世を支配するサタンの欲望に生きていることも悟れないのが、
ローマ・カトリック、キリスト教徒を名乗るバチカンです。
天国に至る道は、この世の神の道以外にない、その神の道とは神の心を以て生きる道、
神の意志の現れる生き方に他ならない。
この世に神の国を作ることをおいて他にはないのです。
神のご意志の現われを望むことなく生きる如何なる道も、天に繋がる道ではありません。
神のご意志の現われ、この世に神の国を作る、
神の愛される民を、国家を、サタンの侵略から守ろうとする愛国心を理解出来ない心とは、
サタンに支配された心に他ならないのです。
イエス・キリストの心を深く理解し、愛するジブラン(※)も神のご意志を理解出来ず、
サタンの意志をイエス様の意志であるかのように誤解しました。
共産主義の偽善を見抜けぬようなクリスチャンを作り出したのが、キリスト教会だったのです。
天上界が見限ったのは当然でした。
同胞(民族)、国家を愛する心は、種を保存する意志、本能から来ていますが、
人間のみならず、すべての生き物の心は、自然が何億年とかけて作ってきた心です。
その心に愛の優しさが、愛の心を生かす血が流れているのです。
自然の与えた心、同種であっても他を愛する心を失ったものに、
如何なる心を、僅か一生の束の間に得られるというのでしょう。
血も涙も理解し得ぬ、自己愛だけの心
(そのような心だけに生きるなら、人は必ず人間社会の法を犯すのであり、
人間社会から淘汰される。
人間社会を裁く法は、神の法も理解出来ぬ人間によって作られた法を以て裁くのであり、
真に人を生かす知恵に程遠いものですが、
生き物を裁くのは、自然の法であり、自然の法を犯すものに、
自然の法に背く心に生きる世界は自然の中に存在しないのです)、
欲望に生きる心、知的満足に生きる心
(人よりも優れているものを自分の中に見出して喜ぶ心)から、
(徳の観念を理解し、愛する、大切にする価値観を育てるまでに知性を向上させる、
偽我を、魂を研磨するを以て、善なる心を自覚する)高等感情を、理性を開発するには、
自然の与えた心を進化、昇華させることでしか得られない、
現実にそれを成したのが現天上界の聖霊であり、
それを拒絶した魂がサタンとなったことからも、真実に他ならないのです。
自然の与えた心、自然だけが作り得た生き物、その心を理解した知性に於て、
心は進化の、昇華の道が現れるのだと思います。
自然の与えた心の葉化された者に如何なる高等感情も、理性も育つことはない、
そのような心を導く心が破壊されているからです。
種の保存の本能を、同胞への、国家への愛を失った心は、
サタンの心を満たすことに喜びを見出す、堕落に生きる心となるしか持たない人なのでしょう。
ミカエル様の、ガブリエル様のメッセージによって、
はっきりと理解されるのではないでしょうか。
愛国心を顧みぬ心を以て、人から神の愛そのものを失わせる。
その為に愛国心を、サタンの支配欲に、権力欲に生きる心の如くに貶めるを以て
愛国心の中に生きる神の真の愛を見失わせる。
愛に生きる心を、人々を権力欲に、サタンに生きる心と区別も出来ぬ無知に停滞させる、
魂の成長を奪う。
神の国を求める、守る心を失えば、自分の魂の天国に迎えられることだけを望む、
エゴイズムに魂を満たすことになる。
それはサタンの道に導かれていることも悟れない魂たちによって
真実であることが証明されているのではないでしょうか。(2026.10)
(※注。
〖参考〗
「人の子イエス」カリール・ジブラーン著 みすず書房
『ゼベダイの息子ヤコブ この世の王国について
その年の春のある日、イエスはエルサレムの市場に立って、
大勢の群衆に向かって天の王国を説いた。
またイエスは、天の王国を希求する者たちに罠を張り巡らし、
陥穽(おとしあな)に落とそうとする律法学者たちとパリサイ人たちを非難した。
イエスは彼らを否定した。
律法学者やパリサイ人を擁護する者たちが群衆の中に大勢いて、
イエスとその説教に耳を傾けていた私たちをも捕え拘束しようとした。
しかしイエスは彼らの追及をかわしてそこから離れ、エルサレム市の北門の方へ歩んで行った。
イエスは私たちに語った。
「わが時いまだ来らず。いまだ語られざることどもわが裡(うち)に数多あれど、
我天に召さるるより以前(さき)に為さるるべき数多の行為(おこない)有り」
それからイエスの語った声には、喜びと笑いが谺(こだま)していた。
「我同胞(はらから)と北国に行き春に謁(まみ)えん。かの丘陵に我とともに来れ。
冬過ぎ往きて、レバノンの解けたる雪小川となりて野を下り、
その歌声峪(たに)々を響き巡らん」
「野の果樹園と葡萄園、微睡(まどろ)みより醒(さ)め、
緑なす無花果の木々、柔和なる葡萄の房々、陽光浴びて太陽に頭(こうべ)垂る」
そしてイエスは私たちの前を歩み、その日私たちはイエスに従った。
その翌日もまた私たちはイエスに従った。
三日目の午後、私たちはヘルモン山の頂に到着した。
イエスは平地の町を見下ろしながら、たたずんでいた。
イエスの顔は、溶融した黄金のような輝きを放っていた。
彼は腕をのばして、私たちに語った。
「緑なす衣を纏う大地を眄(み)よ。大地の衣に白銀の縁取りをなす川の流れを眄(み)よ」
「真に大地は分け隔つことなく、その上に住まうものは麗し」
「汝らの眼差し及ばざる彼方に、わが統べる王国あり。
されど汝ら自ら択(えら)び、真の心で欲するならば、
かの王国の玉座に来りて我とともに坐せん」
「仮面(かぶりもの)わが顔を覆わず、汝らが顔を覆うこともなし。
わが手に剣(つるぎ)なく笏(しゃく)もなし。
わが臣民(たみ)は我らを愛し、惧(おそ)るることなし」
イエスはこう語り、私の眼前から世の王国が悉く消え失せ、町を縁どる塔も城壁も消えた。
心に宿る唯一の願いは、わが師に従ってその王国に入ることだけだった。
まさにそのとき、イスカリオテのユダが歩み出た。彼はイエスに近寄って言った。
「世の諸国の大いなるさまをごらんください。
ダビデの町、ソロモンの町が、ローマ人に抗して蹶起(けっき)するでしょう。
あなたがユダヤ人の王になってくだされば、
私たちは剣と盾であなたの側にたち、異教徒どもを征服しましょう」
しかしこれを聞いたイエスは、ユダの方を向いた。
その顔には憤激の念(おも)いが窺えた。
空に轟く雷鳴のごとき凄まじい声で、イエスは語った。
「サタンよ、退(さが)れ。
長(なが)のこの年月(とし)を経て我が来れるは、彼の蟻塚を統べるためなりや」
「わが玉座は汝が見ゆるものにあらず。
天翔ける翼、地に打ち捨てられし廃巣に住(すま)い憩(やす)らうものなるや」
「死屍(しし)の纏う経帷子(きょうかたびら)、生けるものの誉れたりえるや」
「わが王国、この世を統べるものにあらず。
わが玉座、汝らが祖先の死屍の上に立つるものにあらず」
「汝ら霊の王国を求めるにあらずば、我と袂(たもと)を分かつべし。
汝ら死者の国に下り行き、累々たる祖先の墓に留まりて昔日の栄華を賛美し、
その積(つも)れる死屍の上に虚しき玉座の旗を立てふるがよし」
「わが額昴(プレアデス)に向き輝くに、
汝ら穢(けが)れた薊(あざみ)なす玉座を以て我を誘わんと欲するか」
「我昼にわが忍耐を試す照りつけを緩さず、夜にわが影の汝らの道よぎるを許さざるは、
忘れ去られし民族の夢のゆえにぞなかりしか」
「我巻き布を剥ぎ、自由へと逃れんとせしは、母の願いにあらざるや」
「汝らすべての内なる悲しみのため、我とどまりてともに泣かんと欲せざりしか」
「イスカリオテのユダ、汝いかなる者にして、何を為さんと欲するや。
何故、我を誘惑せんと欲するか」
「真(まこと)に汝我を忖(はか)り、
我小人(しょうじん)どもの軍勢を率い、形なき戦車を駆りて、
汝が恐怖(おそれ)と憎悪(にくしみ)の内にのみ陣取る敵を
蹴散らすことを欲する者と思いしか」
「我が足下を這い回る虫ども数多あれど、我虫けらどもと戦う意向(おもい)なし。
我なべての茶番に倦み、地を這う虫けらども我を見下すに倦む。
かの城壁に護られた砦にて、ともに戦わぬがゆえに我を臆病と罵る者どもに倦む」
「我を憐れむ者どもこそ、最果てまでも憐れむべきかな。
より大いなる者たちの住まう、大いなる世界に入ることの叶わぬ者ども。されどいかにせん」
「汝らの王と祭司、わが血を欲す。この地より去るにあたり、彼らの心は満たされん。
我地上の法を変えることを求めず。我愚かさを統治(おさ)むることを求めず」
「無知は倦むまで無知を生み続けるがよし」
「無分別なる者、陥穽(かんせい)に落つるまで無分別に導かれるがよし」
「死者をして死者を葬らしめよ。大地がその苦き果実に噎(む)せかえるまで」
「わが王国は地上のものにあらず。
わが王国は、汝ら二人ないし三人の愛のうちに謁(まみ)ゆる中にあり。
わが王国は愛に溢(み)ちた生命(いのち)の驚異のうちに、
その慶(よろこ)ばしき発露のうちに、我を思い起こすことのうちにあり」
それから突然イエスはユダの方を向いて言った。
「退れ、わがもとより。汝が王国、わが王国と相容れず」
それは黄昏時のことで、イエスは私たちの方を向いて言った。
「我ら、歩み進まん。夜の帳(とばり)が近づけり。光あるうちに光の中を進め」
イエスは山から下り、私たちはイエスに従った。ユダは、はるか後方からつき従ってきた。
私たちが平地に着いた頃にとっぷりと日は暮れていた。
ディオファネスの息子のトマスがイエスに言った。
「師よ。もう日が暮れ、視界がきかず、進むこともままなりません。
よろしければ明かりのあるあそこの村で、食事ができ、宿泊できる宿を借りましょう」
イエスはトマスにこたえて言った。
「我飢えをもって汝らを高みに導き、さらなる飢えをもって汝らを平地へと戻り導けり。
されど今宵は汝らとともに居る能わず。我を独りあらしめよ」
それからシモン・ペトロが進み出て言った。
「師よ。一人で暗闇へと赴き、我らを後に残さないでください。
この脇道でも我らとともにとどまると約束してください。
夜とその影は長くはとどまりますまい。
我らとともにいてくだされば、じきに夜が明けるでしょう」
するとイエスはこたえた。
「狐に帰るべき窖(あなぐら)あり、鳥に戻るべき巣あり。
されど人の子には憩(やす)らうべき寝床なし。
而して我真に独りなるを望む。
もし我を見出したくんば、汝と出会いし湖にて待つべし」
私たちは心打ち沈んでイエスと別れた。イエスから離れたくはなかったのだ。
何度も私たちは立ち止まり、去り行く師の姿を見やった。
師は荘厳なる孤高をもって、西方へと歩み進んでいた。
師の孤高なる歩みを見やらなかったのは、
私たちの中では、イスカリオテのユダただ一人だった。
その日以降、ユダは陰鬱になり、私たちと距離を置くようになった。
彼の目には、暗く危険な光が宿っているように思えた。』(2026.10)