「希望と愛と光」82年5月号 「慈悲について」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」221頁掲載)
慈悲についてお話ししましょう。
善人は憐れみ深く人助けばかりしますが、
彼等が善人と呼ばれて賢人とならないのは何故でしょう。
慈悲は悲しみを共に感じることから起こっています。
この自然の中で人類だけが意識を持ち、慈悲を持っているのは、
苦しみながらも生きてゆかねばならないことへの救いともなっています。
しかし慈悲はそれだけでは人を救うには至りません。
憐れみという悲しみに囚われているだけでは一時しのぎの人助けしか出来ないのです。
何をする場合でも一時しのぎでは、後から必ず破綻が来るように、
人助けもユートピア作りもそうです。
何がそれにとって建設的なのか、を考えて慈悲をかけねばならないのです。
厳しさとは言っても、きつくするのや、むざむざ失敗しようとするのを放って置く、
或いはしごく、というのとは違います。
直すべき所、改善せねばならぬものを甘やかさず辛抱強く見守ることです。
善人であるだけではユートピア作りは難しいのです。
賢くなければ悪辣な人間に頭からねじ伏せられてしまいます。
個々の家庭でもそうであるように、より良く生き、家庭を守り、
外からの侵入を許さないというには賢さが必要なのです。
厳しさのない慈悲は人を駄目にします。
賢さのない善は実らないのです。
(八十二年三月二十四日 口述筆記 土田展子)