「JI」88年5月号 「高等感情を齎す前頭葉の萎縮によって善人が悪人に変わるということ」
         ミカエル大王様

 桜花らんまんたる春というには、少しまだ早く、肌寒い日々が残る四月上旬なのですが、
このような時には、特に三、四月に病人の死を迎える家庭が多いのは、
冬季の暖房が二月から三月の上旬で殆ど終わり、気温の変化が著しいことも相俟って、
外気が反って底冷えするからでしょう。
 病人に取って体温を奪われることが何よりも抵抗力を弱め、生命力を失う主因となるのです。
 春は赤子の誕生も多いけれども老人の死も又多く、
人間も動物も生と死の交代する季節となります。

 老人の痴呆も、このような時期には一際進むでしょう。
 精神病者であれ、老人の痴呆であれ、生来の痴呆を刻まれた精神薄弱児でない限り、
罹患するまでの生活や人生観が習慣として残り、意志表示をさせるものです。

 それ故にシェイクスピアの描くオフェリアは哀れにも美しく、観る人、聞く人の琴線に触れ、
悲しみを誘うものです。
 うら若き乙女の一途な恋が、愛し慕う若者ハムレットの心とは裏腹の言葉に振り回されて、
苦しみ、錯乱し、水死してしまう短い生涯は、文学によって死を彩る耽美の極致です。

 私自身生前に老人痴呆という病に冒された人と接した経験なく割合に早く他界しましたから、
最近千乃裕子の身近に日々その人物を見るにつけ、復讐心、殺意、嫉み、など
他への破壊を目指すあらゆる人間の悪は、善意の迸りを止めた時に生じ、
又、精神もその時点から退行を始め、
精神病となるか痴呆化する
のではないかと感じ始めております。
 一言で言えば、高等感情を齎す前頭葉の活動が鈍くなるか、萎縮し始めると共に、
善人が悪人に変わり得る
ということです。

 同時に向上心なく、高貴な心の養いも目指さず、
エゴイズムの悪を正当化しては、自らを甘やかし、
身勝手な人生を反省もなく生きた人間の老年は、
只々心の醜い部分を剥き出しに暮す晩年でしかない
のです。
心が美しい"ことは何にも優る人間の徳性であり、
"顔形が美しい"ことは何の利点でもありません。
 
私達はそれを正法を通じ、常に教えてきました。
 
又、老年になっても"美しい心"を保つには若年の頃より努力しなければ、
大脳の細胞が多く死滅して習慣としての言動しか残らなくなった時に、
その人の真の心の歴史が表面化してくる
ことも覚悟しておいて下さい。

 オスカーワイルドの『ドリアン・グレーの肖像』という文学作品もありますが、
これなど正に若年の心構えが老年の心と生き様に直接関るものとの哲学を語る作品でしょう。
 天を知り、神を求める真摯な心は、
文学であれ、哲学であれ、宗教でさえ精神世界の真理と美を愛する心と繋がり、
反面どのような人であれ、真理と美を愛せず、求めもしない人は、
天も神も求めず無縁の生涯を送ることとなり、
悪霊の喜ぶ生活の中に、悪霊と等しい醜い心を育てて、

無自覚に死後の地獄を作ることになるのです。

 その様に、美しいものを愛し、求める人は、
周囲との関りに於ても健康で、楽しい雰囲気を齎し、
マスコミの喜ぶ俗的な世界に浸り、愚かしい笑いのみが最高の娯楽だと勘違いし、
そう教えられている人々には、
"美しく老いる"ことも"美しく錯乱する"ことも叶わず、
神や美しさとは縁なき生涯を送り、心の醜さを露呈するのみに終ります。
 本人がそれを恥とも思わないのならば、神も人もその人物を救うことは出来ず、
又本人自身がそれを不幸な人生であり、晩年であるとも気付かず、
死を迎えることになるでしょう。
                 (八十八年四月八日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法