「JI」83年8月号 「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」
ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」171頁掲載)
各集いの議事録が毎月千乃様に届けられ、
その中で適当と思われるものが月刊誌に掲載されるのは皆様もご存知と思いますが、
二、三私の興味を惹いたものや、更に詳しく説明を要するものを今日述べてみたいと思います。
或る集いで新会員でしょうか、
愛する価値のある者のみを愛せよ、というメッセージは、学校教育の偏りを思わせる。
良く出来る生徒のみ偏愛する教師のようだ。
狭い考えではないかと、しきりに主宰の説明に反論しておりました。
知能レベルを問題にして、成績の良い生徒を喜ぶことと、
善意と智恵と天への信頼の度合いを問題とする、即ち道義の問題とは
右と左の脳ぐらいの違いがあり、ポイントを外れた反論であると説明しましょう。
親にとって子供はそれぞれ皆可愛い。
しかし手に負えぬ子供を厳しく叱り、躾(しつ)けることは親の義務であり、
子供にとっては親の盲愛よりも、叱られて良き社会人となるべき養分を与えられる方が良いことは、
賢明な人ならば良くお判りでしょう。
社会の基準を外れて、人の災いとなるような甘やかされた人格は、
社会に出て結局は世間から嫌われ、疎外されてしまうからです。
親の社会人としての道義心が子供を叱り、躾ける理由であり、動機なのです。
教師も同じ。企業の雇用主も又同じ。
そして又私達天上の者も同じ心を持ってあなた方を導いているのです。
それをしない、したがらない親も教師も雇用主も社会人としては欠陥を持ち、
その資格のない人格であるのは明らか。
自らも社会への責任と義務を放棄しているのです。天の善霊も同じ。
愛する価値のある者とは長上の智恵と助言を信頼して受け入れる、
向上心があり、善き心を持つ者を指します。
頑なで親や教師、その他あらゆる社会の秩序への復讐と破壊を企み、
且つ反省なき者を許し、放置しておく盲愛は、
左翼の教師が教える悪平等であり、悪の温床となる行為でしかありません。
迷える一匹の小羊を探せと私達は言いましたが、それは善良で力弱き者。
迷えるピラニアではないのです。
また他の集いで、自己主張について、自己の能力を人に語ることは誤った行為ではない。
嫉妬心(※1)は、その人が何か実力を付ければなくなるからさして問題とはならない。
特に米国に於てはそのような生き方が肯定されている、と発言する人が居りました。
なるほど米国はそういう社会であるかも知れません。
しかし、往々にしてその習慣が、出来ないことも出来ると雇用主を騙すような主張をし、
実際に使ってみると、主張通りの仕事が出来ない。
役に立たない米国人に迷惑を掛けられることも起こります。
嫉妬心が、自分にない能力を持つ他人への羨望として起こり、その他人への破壊衝動が伴うなら、
それは天の許す所ではない、醜い偽我であり、自ら許してはならぬものです。
(八十三年七月十日 口述筆記 千乃裕子)
〖※1注。
「希望と幸福(ヒルティの言葉)」(秋山英夫訳編)59頁
「人間のあらゆる性質の中で、嫉妬は最も忌まわしい性質であり、虚栄は最も危険な性質である。
この二匹の蛇から解放されることは、素晴らしい快感である。
但し、それに代わって他の二匹の蛇、即ち人間軽侮と傲慢が心に巣くって、
前の二匹を追い出したのでなければ。
ところが、嫉妬と虚栄から解放された人達には、これが普通のことなのだ。
自己欺瞞に陥らぬよう、この点に用心するがよい。」〗
〖備考
神々の大切にされる徳の観念を自らの心の指針として生きようと、
天への道を歩もうとする者を神々(聖霊)は愛されるのですから、
神が愛される彼等の徳を認め、彼等に倣おうとする謙虚さすら持ち合わさぬ者は、神に愛されません。
誰をも平等に愛するのが神だと言う者の愛とは、愛を受ける者の価値を問わない愛とは、
受ける者の心の中に何の価値も見出すことが出来ない、働きかけることの出来ない、
愛すべきものが何かも解らぬ盲目で、無知な心の求めるもの、
真の愛が伝えられて尚、偽りの愛の内に生きていることの悟れぬ愚か者の抱く自らの為の思いです。
幾ら美々しく言葉で飾り立てても心の糧にならない、生命を持たない愛です。
神に愛されるに値する者とは、神の愛を、神の思いを受け入れる者です。
神の愛を受け入れるとは、神の教えを受け入れることです。
神の教えとは、友の為に己が命をも顧みぬ愛を心とせよということ、それが神の愛であり、
神が人類を救い得る唯一のものと心に掛けてこられた思いです。
神は平等に人を愛すると言う者は、この神の御心を理解した上で、
神の愛を望んでいるのでしょうか。
神の愛を求めながら、愛に生きようとしない、そのような心に神の愛は何の役にも立ちません。
神を知っても(存在を認めても)神を敬うことを知らないのなら、
神の戒めが私達の救いへの導き(天への道標)であるとどうして悟れるでしょう。
神の善が解らず、如何なる善が人を救えると考えているのでしょう。
神の愛を、法を真に理解する者なら、神がそれを伝えようとした思いも受け取っているのです。
その思いを受け取って自らの思いとならないようでは、
そのような人が神の愛を、法を人に語って何が伝わるというのでしょう。
神から愛が与えられようと、神が眼前に現れようと、神の心に繋がることが出来ない心に、
何が理解されるというのでしょう。
自らを救えない真理がどうして真理であると証せるのでしょう。
愛は、人の心を思い遣る気持ちから、理解しようとするものです。神への愛も同じです。
神の御心を思い遣ろうとしない者に、神への愛などありません。
愛されることでその愛に応えようとする愛を生むのは、真の愛だけです。
人が愛されることで、愛されるに値する者へと変えることの出来るものが愛ならば、
その愛を受けながら、愛に心を動かされることのない、
未来永劫そのような愛に応えることの知らぬ冷酷な心に生きるしかない絶望を知ったら、
神に救いを求めたであろうし、神も憐れまれたでしょう。
それすらもない高慢な者が愛されるに値しない者と言われて、神の言われる愛に疑いを持つ。
彼等の心は、神の愛を求めていないのに、
神に認められないことに傷付く自我(偽我)を守ろうとするのです。
自分を認めぬ神は、神ではないという思いを隠し持つからこそ、
神が言われることに納得がいかないと平然と言えるのです。
神が語り掛け、救おうとされる善我(神の心)を見出すことの決してない者達です。
神の望まれるような人間になろうと努力する者、
神のご意志に応えようとする者が多く愛されるのは当然でしょう。
イエス様も(神様のように)多く愛する者は
(清められているのであり、罪の力から救われているのだから)、神に許されている
(愛されている)と言われました(※2)。
人の幸せを願う愛に満ちた心だけが変らぬ幸福であり続ける、
そのような愛は自らの苦難や苦しみを乗り越えてゆくからです。
その先にある神の国を、その聖なる霊に魂の招きを見るからです。
そのような者は、愛に従おうとしない者から虐げられようとも、裏切られようとも、
悪に屈しない善を、憎しみに心を明け渡さぬ愛を信じる心を失うことはないと言う
天上界の信念が伝わるのです。
彼等がそのように生きてきたことを私達が信じたのは、
彼等の心と共にあったからだと判るのです。
真の愛は愛するに値する者のみ愛するものであると天上界は言われるのは、
神の愛に生きぬ者であってはならない、私達に神の心を見出すことを願われてのことです。
ひとたび愛を志したのなら、真に愛の必要な者に目を閉ざし、
真の愛よりも自己愛に動かれるような心を許してはいけないのです。
天上界の愛を受けるに値する者だけが与えられるというのは、
天の愛を生かすことの出来る者だけしか受け止めることが出来ないからです。
悪に生きる者に善なるものが与えられればどうなるでしょう。
(「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。
恐らく彼等はそれを足で踏み付け、向き直ってあなた方に噛み付いてくるであろう。」
とイエス様も仰しゃっています。)
悪なる者に善なるものが働きかければ、悪なる心を刺激して悪なる行為が生まれるのだから、
悪しき者に善なるものを与えないのは、寧ろ天上界の御慈悲と言うべきものでしょう。
その天上界の慈悲にも値しない者に罰が与えられるのです。
それは悪しき者の犠牲になった者への天の愛を明らかにする為のものに他ありません。
〖※2注。
「ルカによる福音書」7章40~50節より
『そこでイエスは彼に向って言われた、「シモン(ペテロ)、あなたに言うことがある」。
彼は「先生、仰しゃって下さい」と言った。
イエスが言われた、
「ある金貸しに金を借りた人が二人いたが、一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ借りていた。
ところが、返すことが出来なかったので、彼は二人とも許してやった。
この二人の内で、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
シモンが答えて言った、「多く許して貰った方だと思います」。
イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。
それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、
「この女を見ないか。
私があなたの家に入って来た時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。
ところが、この女は涙で私の足を濡らし、髪の毛で拭いてくれた。
あなたは私に接吻をしてくれなかったが、
彼女は私が家に入った時から、私の足に接吻をして止まなかった。
あなたは私の頭に油を塗ってくれなかったが、彼女は私の足に香油を塗ってくれた。
それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪は許されているのである。
少しだけ許された者は、少しだけしか愛さない」。
そして女に、「あなたの罪は許された」と言われた。
すると同席の者達が心の中で言い始めた、
「罪を許すことさえするこの人は、一体、何者だろう」。
しかし、イエスは女に向って言われた、
「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。』〗
(天上界メッセージ・エッセンス
第一部・第四章・一節・(二)その教えから真の神(天上界)であると知る者)
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様