「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」ラファエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」169頁掲載)

 偉人と聖人君子と哲学者と凡人の違いをあなた方は知っていますか?
 まず偉人とはその名の如く偉大な生涯を歴史に残した人であり、
天才と同じく人が崇拝し易いタイプの人物です。
 その偉業の故に個人の生活に多少の難点があっても、人は大目に見ます。

 聖人君子とはその名の如く、個人の生活の場を感じさせない程、居住まいを正し、
隙なく、清涼で有徳の士であること。
 視野はやや狭く、だが真直ぐな心と振舞いが一致する人物です。

 反して、哲学者は宇宙普遍の理を探して、他のすべては眼中になく、
ましてや個人の利害には一切無関心、世の常識や道理を逸脱し、
寧ろそれを望むかの如き人生を生きる人です。
 偉人や天才と通ずる所があり、しかも個人の野心や欲望のすべてを達観して、
超越する性格であるので、しばしば世に理解されず、受け入れられない場合が多いのです。
 共感する人間味がないという点で、奇人変人と見做され、実社会とは疎遠になるのです。

 凡人は凡庸の世界と生活がすべての対象であり、目標であるので、
己の尺度で計れる物をしか認知せず、強いて理解し得るのは、
すべての徳と道理に適って、人間の域を超える精神の力を備えた、
聖人君子のみであり、偉人、天才、哲学者は真の理解の外にあるのです。

 従って、宗教家は聖人君子たることを目指し、世もそれを求めます。
 天上界、神々に、それを求めます。
 この点に於て、私達天上界の今迄の在り方や、
神も人格を持つと説く私達の言葉が理解され難いのでしょう。
 聖人君子とは見えない人物も居た。又は居るらしいという点です。
 或いはそれを神がよく理解し得るという所が不思議だとするのかも知れません。

 さて、今述べた四人が四様の生き方、タイプは
天の法、正法に当てはめるとどうなると思われますか?
 私達の求める正法者、天上界の一員となるには、これら四様を併せ持つことが望まれるのです。
 賢者たることを最大の目標とし、凡庸も偉大も天分も、聖人も君子も、
一つに偏らず、あなた方の人格に併せ持つよう努力して頂きたい。
 至難の技であるかも知れないですが、一箇所に留まらず、進化する精神とはそれを言います。

 しかし勿論、知能の限界、才能の多様性から、
自分が常に偉人や天才などに成り得ると過信するのは禁物。
 己の能力・限界に問うて謙譲であることが賢者としての条件でもあるのです。
                       (八十三年六月十日 口述筆記 千乃裕子)

〖備考
 神々がそれを私達に望まれるのは、神々がそうであるからに他ならないからだとは思うのですが、
彼等の中に凡庸な人格が潜んでいると言われて、皆様は納得出来るでしょうか?
 己の内に凡庸を見つめる厳しい目があり、
己を高しとする慢心(凡人の心)に堕さない者が凡人の訳があり得ません。
 善人であっても、偽善を見抜けぬ者もいるでしょう。愚かを悟らぬ者は善人と言えるでしょうか。
 己が愚かを知るには賢い心に立たねば解りません。
 内なる愚かを知る者は、真理の光の下にいる者です。
 それは愚かな心どころか、真理に生きる心です。
 悪しき思い(を抱くことがあろうとも)に心を許さず、常に善なる心に留まる者は偉人です。
 神の御意志に生きる者は聖なる人です、その意思の中に神を見ているからです。

 偉人や聖人の心の中に同居している凡庸とは、何を指しているのでしょう。
 又、偉人や聖人である為に、役に立つ、必要である凡庸とはどのようなものを言うのでしょう。
 本人が偉人や聖人であると思っても、実際にそのような者は、まず居ません。
 そのように思う者は、凡庸とは何か、己が凡庸を悟れぬ者です。
 凡庸を知るには凡庸であってはならないからです。
 凡庸とは、文字通りの意味ではなく、自分が偉人とか聖人である筈がないという
(どんな人間であれ、曾ては精神の幼い、未熟な時代があって、
それを克服してきたが故に得た偉大さなのですから)
凡庸さから人間の一生が始まったのですから、
それを完全に克服したと思うことの傲りの怖ろしさを忘れるようでは
偉人でも聖人でもないという意味で、
己が凡庸を知れと言うことなのではないでしょうか。

 天上界の求められる人格が、決して偉人や聖人や哲学者(言うまでもない凡人)
ではないということです。
 何故なら、社会の、人々の中で私達が必要とされる人格は、
常に変らぬ一つの人格である訳ではないからです。
 最適な対処が取れる、自分という固定観念に縛られることのない、
知恵の、真理の前に己を投げ出せる者が、真の賢者であり、
賢者でなくば、人から偉人と、聖人と呼ばれようと虚しいものに過ぎないのです。

 時には、偉人のように大胆、且つ勇敢であることが求められる、
堕落へと誘惑に遭おうとも、聖人の如く潔癖であらねばならない、
間違った(人を取り返しの付かぬ不幸に導く)人生観に溢れるこの世にあって、
盲目であってはならない、哲学者の如く真の人生の道を見出そうとせねばならない、
そのような岐路を誤ってはならぬ状況にあって、
正しく見、正しく考える者である為に、如何なる人格であろうとも、
賢者でなければ、愚かに堕するしかない、
一つの人格に満足していてはならない、
これでいいという満足に留まることで精神の弛緩を招いてはならないことを
教えられたのだと思います。〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法