「JI」83年6月号 「人を信じることとは」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」167頁掲載)

 今月は"人を信じること"とはどのような心構えであるかを、
特に正法を信じ、学ぶ人にお教えしたいと思います。

 人を信じることとは、その人の可能性を信じ、同じ正法を知る者として対することです。
 時には歪む事があっても、その心の中に飛び込む気持ちで忠告すれば、必ず正しい道に戻ります。
 何故ならばそこにはやはり一般の人達や反正法的な考えの方とは違う、
共通した真理への関心がある上に、人として天に望まれ、受け入れられる人格となろうと
努めているからです。

 人を信じることとは、優しい心と同じ、寛容な態度でその全人格、言葉や行いを受け入れ、
又、正しい方向に向くまで待つことです。

 勿論、忠告してのち待つので、その人の反省すべき点を指摘せずに待つことは無意味です。
 賢明な人には穏かに言葉を選び、はっきりと言わなければならぬ人にははっきりと。

 しかし忠告や助言に対して反撥心しか湧かず、素直に受け入れ難い独善的な人は、
それ以上の向上は望めず、放置しておくしか仕方がありません。

 プライドの高すぎる人も同じです。
 助言に柔軟に応じ得る人は益々人格が幅広く円熟し、
磨かれたものになるのは言うまでもないでしょう。
 しかし勿論、柔軟なだけで何時までも賢明になれぬ者は、
助言を真に受け入れたとは言えません。

 又、人を信じるとは、疑いながらその言葉を聞くのではなく、
真直ぐな心で受け入れることなのです。
 これは正法を知り、学ぶ者として心しておかねばならぬことです。
 人が偽りを言い、欺こうとする時、それに気付くのは遅くても構いません。
 他の証言を得、あらゆる点から見て、あなたに真実を語らぬと分析的に証明し得た時、
初めてあなたはその者を悪と断じて拒否すればよいのです。
 その場合には毅然として譲らずに。関係を断つことに未練を残さずに。
 それまではお互いの善我を信じ、許し合いましょう。
 それがアガペーの愛です。

 但しこの助言は、正法や私達天の者に何かの御利益を求める人、
或いは天を無視するイデオロジスト、頑(かたく)なに天を見ぬ故に、
あらゆる人間の悪を容認して彼等の目的を果たさんとする
悪魔の思想家には当てはまらないものです。

 神を利用して益を得ようとする者、神を恐れぬ人格はサタンと等しくなれる心を持ち、
サタンの業を行える者であり、又サタンの誘惑に直ぐ陥(おとしい)れられる未熟な者です。
 あなたと接して変らぬ人であれば、無縁となるのが天の望む所です。
 天に於ては消滅される者達です。
                     (八十三年五月十五日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法