「 JI 」82年8月号 「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」154頁掲載)

 今日は暖かい心と冷たい心の違いについて皆さんにお話ししたく思います。
 何度も私達が申し上げていることですが、
表面的な優しさは単に人前で身繕いをする社交的な言葉の遊びと同じで、
真に暖かい心の尺度とはなりません。
 時には優しい言葉も苦しみ、悩んでいる人、愛を求めている人の救いにはなりますが、
真の優しさはやはり人間への深き理解に裏付けされたものでなければ、
人の心を癒すものとはならないのです。

 微笑みがポーズであってはならない、
言葉が単に言葉で終るものであってはならないのです。
 このような人は、いざという時は逃げて、あなたを救ってはくれません。
 その優しい言葉の語る内容を分析し、突き詰めて考えていくと
何か壁のような物にぶつかり、何が目的なのか判らない。
 迷路に入り込んでしまったり、会話から何も得る価値がなかったり、
逆にあなたの同情や賞賛を求める物であれば、
それはエゴイズム、ナルシシズムの変形に過ぎないのであり、
真に優しい思い遣りから出たものではないのです。人の事を考えぬ冷たい心です。

 逆に、言葉は少なくとも、ブッキラボウでも、厳しいものであっても、
あなたへの理解が深く、魂を磨き、知性と判断を高めてくれるもの、
あなたへの思い遣りから言葉の少ないもの
 それは他を益する優しい、暖かい心です。
 
そして又、暖かい心は些事に拘ることなく、あなたの判断と思考と行動の自由を与え、
正しい方向にあなたが向くのを待つ師の思い
でもあるのです。
 時に愚かや甘えを鞭打つ厳しさも師の暖かい思い。あなたに期待しているのです。

 しかしあなたの隣人が思考と行動を束縛するような厳しさを持ち、
正しい方向も示さないような人であるならば、
それは、エゴイズムとナルシシズムから来る厳しさ、ぞんざいさ、冷たい心の表れです。

 お判りになりましたか?
 冷たい心とはエゴイズムの表れ。
 そのような人は自己の偽我を指摘されると益々防衛的に冷たくなるのみ。
 永久に天には来れぬ人。
 知恵も、三次元の社会を漕ぎ抜ける知恵しか身に付きません。
 言葉や動作の身繕いの巧みな人は、エゴイストであることを理解しておくべきです。

 又、理屈の為の理屈を捏(こ)ね、
物事の表面的な理解をしか示さない人は未熟な知能かナルシストで、
これも社会のリーダーとなるには相応しくない者。
 全体を見通せないで、一つの事ばかりに執着する者も同じ。
 暖かい心を持つに至らない、心を預けるに相応しからぬ人物です。
 そのような人々は避けて通るべきでしょう。
                    (八十二年七月十日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法