「 JI 」82年2月号 「柔軟な心について」 ラファエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」145頁掲載)

 柔軟な心についてお話ししましょう。
 何ものにも囚われない心とはどういう意味を持つものでしょうか。
 今あなたが自分の心を覗いてみて、どういう心になっていますか。

 何ものにも囚われないというのは、放縦や身勝手な心とは違います。
 厚かましさや傍若無人さを言うのでもありません。
 あなたは無理に優しくなろう、強くなろう、厳しくなろう、善くなろうとしていませんか。
 無理に、というのは、訳も解らずにしなければならぬから、という心から来ています。
 これは偽我
ー 本当の自分の気持ちでない気持ち ー に繋がる心です。
 何故無理をするのでしょう。無理は続けると苦しくなります。
 正法に縛られているのは無理に"正法者"になろうとした人達です。


 無理して苦しんだ挙句、挫折するか、立ち直るかは、正法を続けている動機によります。
 自己の完成のみを願う人は挫折するか、偽我を大きくするだけで、
ユートピアを願って正法を続けている人は過ちに気付くのです。

 無理して良き人になろうとする人は向上心というよりも偽我が先立っているのです。
 果して善行や義行は無理して行うものでしょうか。
 心からそうしたいと思い、行うもので、

そういった心が天へと通じ、人の中へと繋がるのです。

 何ものにも囚われぬ心は無理せず努力し続けます。各々人により程度も速さも違うのです。
 無理を続けていけば、心は硬くなり、判断もなくなります。
 焦らずやってゆくことです。焦るのもまた偽我へと繋がっていくのです。

 ではどうすればよいのか、と思われるでしょう。
 誰でもこのような世界の状態では焦るのは無理ないと言うでしょう。
 ですが、まずせねばならぬのは焦るよりも考えることです。
 地球人類が全員焦ってどうしますか。
 考えるのが大切なのです。
 何を行うにしても、常にどの方法が一番良いか考えることです。
 柔軟な心とはそういうものです。

                      (八十二年一月十日 口述筆記 土田展子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法