「 JI 」81年5月号 「怒りについて」 ガブリエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」134頁掲載)

 怒りについて、お話ししましょう。
 天上界が何故、許しの代りに叱責をあなた方に与えるのか、考えたことがありますか。
 神は癒すもの、何者をも救い給うもの、と受け取り、何故天上界はこんなにも厳しいのだろう、
お怒りになるのか、と疑問に思ったことがありますか。

 もし、あなたがそう思うなら、正法を理解していない証拠です。
 正法は宗教ではない故に、安易に手を差し伸べず、
その代りに、叱責と忠告を以て自ら立たせようとするのです。

 ユートピアを作るのがその目的であるからです。
 それ故の共産、社会主義批判であり、厳しい消滅であり、妥協なき魂の研磨なのです。

 神は、天上界は、義人は、聖人は怒らず、批判しない、と考えてはいませんか。
 善は悪と相容れぬ故に怒るのです。批判するのです。
 正しきを知る故に異を唱え、厳しさを以て接するのです。
 善も悪もない、善も悪になり、悪も善になる、だから罰するのはおかしい、と言うものは、
その悪に泣かされ、踏み躙られ、殺された者を知らぬだけなのです。

 何があっても怒らず、乱されず、心を平静に保つのが正しいと考えてはいませんか。
 世を捨て、一人山間に隠居する仙人ならそれも良いでしょう。
 山紫水明に詩を吟じ、露を食べ、姿を消す術に身をやつす、
そんな生き方なら、そのような心も持つでしょう。
 しかし、あなた方は、俗世に生きているのです。
 仕事を持ち、家族を養い、明日を思い、今日を暮らす人間です。
 社会に生きるが故に、平凡ではあっても、人類史の一頁、片端に生きるあなた方なのです。

 一人では決して生きては居ません。
 目に見えるもの、見えぬもの、総てによって生き、生かされているのです。
 それならば、少しでも良い社会を作ってゆくことが、課題になる筈です。
 その為には悪いことは悪い、美しいものは守る、正しいことは貫く、

そんな姿勢が大切なのです。
 必然的に、正しくないものには厳しくするのが、自然な生き方と言えるのではありませんか。

 批判をすると、何か円満さに欠ける人格であるかのように思われ勝ちですが、
批判出来ぬ人は悪や不義に対して鈍いだけなのです。
 鈍いというのは気が付かぬという事であり、自分もその中に浸っている、
容認しているのだと言えるでしょう。
 社会悪と妥協し、そして社会浄化には関心のない人です。
 あなたはどうですか。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法