「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」113頁掲載

 今月は思いの他土田展子さんの現象への中傷に反論して下さる方の御寄稿が多く、
出来るだけ掲載して頂く為に、すべてを短縮したり、割愛したりせねばなりません。
 しかも内容として最重要なものは載せねばならないので、
私のお約束しておりましたメッセージも短くするの已むなしとなりました。

 郡山の現象で土田さんが集いの時間不足を気遣って早く喋られ、
私も暗記文でないことを立証する為意識してそうさせましたから、
雑音も入っている録音テープが、機械に掛けマイクを通すと、
早口過ぎて聞き取れないものとなりました。
 声の余韻がテープとマイク上で消されてしまい、判断出来なくなるのです。

 その為ここに現象を文章化して頂き、私自身表現の至らない、
言い足りない所を少し補足訂正致しました。
 あなた方と同じで、忙しい私達は千乃様の所から現象時直前に会場へ行き、
メッセージの下準備など致しませんので、
考えつつ書くことが出来る口述や自動筆記の場合のように良い文章とはならないのです。

 私が郡山でお話したかったのは、集まってくる色々な集いの報告などを通じ、
何時も不足していると感じられる正法者間の親和力、即ち愛と親しみということです。

 それが多くの正法者の心が愛に満ちているのではなく、信義に支えられるものではなく、
正義と天への信仰のみ、或いは天への信仰と不信の間に揺れ動くものであることを垣間見、
それが不思議でならないと思えるのです。

 良心に恥じぬ生活をすれば心は軽やかで明るい筈です。
 その明るい心は容易に人への信頼と愛に変り得る筈です。

 如何に正しくともその人から愛が伝わらなければ、
"愛なくば響く鐃鉢(にょうはち)の如し"とパウロが人々に語った如くになるのです。

 あなた方は世の悪に心が塞ぎますか。
 冷たい言葉に疲れが重くのしかかりますか。
 その時こそ正法者同志は兄弟の愛を以て慰め合い、励まし合わねばならないのです。
 お互いが共に歩むことを知り、勇気を得、心が暖かくならなければ、
あなた方は天とも繋がるものではないのです。

 集いは敵同士の集まりではありません。
 機関誌の単なる読者であっても同じです。読みたい。内容に感銘を受けた。
 共感し、賛同したから読み続けるのであれば、
他の読者から連絡があれば愛の言葉が返ってくる筈です。
 氷の言葉を返事に書くような読者は、
千乃様が創刊号に書かれた"神の前に善なるもの"ではなく、
創刊号も読んでおられない方であると見做さねばなりません。

 人は神と繋がる時、人と神の愛を以て繋がり、人に神を見出す時、天と繋がる。
という聖書の中の言葉をまだ悟っていない故でもあるでしょう。

 神と人と愛との深い関り合いとその意義について、
一度ゆっくりと心を落ち着けて考えてみて下さい。
 たとえ一羽の小鳥に対しても、
一人の幼な児に対しても自らの愛を伝えなかったと悔いを感じることがないかどうか、
良く反省し、以後改めて頂くようにお願い致します。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法