「慈悲と愛」80年6月号 「時事問題(後編)」 ウリエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」106頁掲載)

 前月からの続きでイラン国民の批判を続けたいと思います。
 世界の米イ対立を見る目は近視眼的で、少しも米国の苦悩を実感として捕らえていない上に、
国際的に全く手段を誤り、今はテロリスト、
誘拐犯の集団としか見えないイランの無法振りを甘やかしています。

 パーレビ元国王の側近や秘密警察が当時の不満分子や左翼分子に対して為したことは
確かに行き過ぎのものがあったでしょう。
 しかし果してこれら反体制派は充分に王政に反抗するだけの理由を持っていたでしょうか。
 イランに住むことを不満とする。
 発展途上国であるイランに於て王者とその周辺のみが富み栄えることと、
反体制派に加えられた拷問は、パーレビ政権下に於て、特殊なものではなく、
それ以前からあったものです。

 イスラム教徒の"目には目、歯には歯を"の生き方は時に大変残虐なものとなり
穏健な国を驚かせますが、家畜を殺し食する遊牧民的習性を残し、
殺人を何とも思わぬ前世紀的習慣に生きる彼等に取って、
封建制の圧力は最初はそれ程でもなかった筈です。
 却って国王の導入した近代化の波と教育の質の向上が不満分子を増しました。
 それが国の民主化の台頭でもあったのですが、
近代化の恩恵に浴した商人や文化人は多く居た筈です。

 近代化と民主化が何ゆえ不満分子を増したか。
それは左翼分子という、ソ連の後押しによる過激派の自由主義打倒の煽動を
許すことに繋がったからでしょう。

 パーレビ元国王の国民の生活の向上と、国の水準を高める努力が無かったならば、
左翼分子の策謀もかくの如くイランを王制打破から革命にまで持って行けなかった
ことは明らかです。
 曾ての多くの例からも明らかなように、
自由主義社会に於てしか社会主義化の裏面工作は成功しないのです。

 私はパーレビ氏以前のイランを是とはしませんが、
イラン革命の実情は国民の訴えのみを取り上げてもすっきりはしない何かを感じるのです。
 その何かを冷静に分析するとこういった要素が浮かび上がってきます。
 左翼分子の扇動が介在しなければ、王と国民の結び付きはもっと容易で、
パーレビ氏は善政を敷き、イランの民主化及び近代化はもっと円滑に行われたであろうことは
想像に難くないのです。

 常に争いを齎すものは誰か。
 それは社会主義・共産主義思想に他ならず、諸国の内政に干渉するものは表面に現れずとも、
必ずソ連に於て他にないのです。

 かくして国民の不信を買い追放されたパーレビ氏は、イランの歴史的転換期に於て、
復讐の為虐殺された数多くの国王派と共に、
スケープ・ゴート(犠牲(いけにえ)の小羊)となり、
急速度の近代化に付いて行けなかったイラン国民のあらゆる不満と怒りの対象になった
ということです。
 パーレビ元国王に関する限り、
私は、"罪無き者、この男を打て"と言わずにはおれないのです。
 彼は自らの益の為に、国民を罰したのではないからです。

 天上界は如何に事が紛糾しても、正義と信義と愛の本質を見失うことなく、
富める者も貧しき者もそこに偽善ではない善意があれば公平に裁きます。
 イランの米国への非難と人質の利用は筋違いであり無法の行為であって、
許されざるべきものです。

 この観点に於て、私達はエジプトのサダト大統領を尊敬し、
イスラエルのペギン首相の合理性と良識的発言に肯き、
世界の非難を浴びた人質救出作戦に関しても、
英国のサッチャー首相の盲(めし)いぬ正義の目と勇気ある評に同意、
中国の信義と公正な判断を好ましく思い、カーター大統領の英断と責任感を高く買うものであり、
救出の為に危険を承知で志願し、
しかも生命を失った米国兵士達の崇高な魂に深く頭を下げる者です。

 国益が人命に優先し、計算と打算が行動の基準となり易い
EC諸国、並びに日本並びにマスコミは、
米国の人質に関してのみ捕虜の権利を忘れてしまったのでしょう。
 一旦捕虜として囚われた者にはその瞬間から脱出の権利が与えられるのであり、
同胞、同国人の救出の為の如何なる手段も正当化されるのです。

 身勝手な選手のエゴイズムに引き摺られてモスクワ・オリンピック・ボイコットもままならず、
キラニンの頑迷をも説得出来ぬ無力なEC国の多くと同調を目指す日本は、
イラン問題並びにアフガニスタン侵攻を、彼等の立場に置き換えてみたことはあるのでしょうか。

 カーター氏のすべてを大統領選の布石としか解さぬ左傾マスコミと、
米国支援の大平首相の約束を対米追随と非難する
野党と一部の進歩的自由主義者(新自由クラブ)は、
イランと直接関わりのない人質の生命という人道上の問題が
そこに横たわっていることを無視するか、或いは失念しているのでしょう。
 主義の前に人命が軽視される野党即ち社公連合並びに共産党に取って、
すべてが反米思想の材料になるのです。

 イラン国民に和した偽物のシュプレヒコールに欺かれてはなりません。
 イランの生活習慣に立ち入らず、
内政干渉しなかった米国政府及び CIAに革命の一因ありと告発することは許されず、
国王の亡命を一時的にも許した事を米国の非とすることは出来ないこと。
 それによってソ連の明らかな背後からの扇動と内政干渉と侵略政策への非難を、
すり換えることは許されず、
イラン革命政府及び過激派学生の国際法無視は正当化されないことを
改めてあなた方にお教えしましょう。
 もし日本の反体制側のすり換えの論術によって米国を告発する人が居るとするならば。

 米国は先進国として超大国ではありながら極(ごく)良識的な国であり、
善悪や正義に関して正直な見解を持つ国であり、国益の為に策謀のみに走る国ではありません。
 そこに神の良しとするところがあります。
 彼等は常に良心の声に従い、自らの益の為に節を屈してまで友を選ぶ習性は余りない国です。
 EC 諸国をも含めて日本は米ソの何れを友とすべきか今再び冷静に省み、
又、米イの何れを愚挙とし、或いは真の友とするか、

これは国益ではなく、国と世界の存亡を懸け、賢明に判断を下すものでなくてはなりません。
                                 (八十年五月四日)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法