「慈悲と愛」79年4月号 「民主主義と共産主義」 ウリエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」40頁掲載)
 「天国の扉」が一昨年十二月、「天国の証」が昨年八月に出されて以来、
続々と読者からのお便りが千乃様の所へ届き、私達も共に読ませて頂いておりますが、
一つ興味あることは、共産主義思想を理念とするグループの人達から何の異存も反論もなく、
至極素直に私達の説く民主主義思想をそのまま受け入れていられるかに見え、
私は少しく戸惑っておりました。
 ところが、最近判明した事柄が一つあります。
 それは共産主義思想そのものが自由社会に於ける民主主義思想と相反する方向へ歩んでいるのか、
歩み寄っているのか判然としないままに、第一次大戦後から今日に至るも尚、
民主主義と名付けられた政治原理の占有権を巡って自由主義陣営と社会主義陣営が争い続け、
"民主主義"という言葉自体は両陣営共通の言葉となり、
しかも解釈は両極端の対立するものであるという奇妙な現象が通念となっているということです。

 人間の持つ思想や信念に別に規制はなく、
いかようにも変革し改善していくことはそれこそ自由です。
 しかし現実に共産圏諸国や共産政権に切り換えた、
曾て植民地であるとはいえ自由諸国の一員であった国々を見てみると、
彼等にまず要請されるものは全体主義的統一国家であり、
個人の意思や意見が尊重されるというものではなく、

個人はあくまで全体を構成する一単位にしか過ぎず、
権利も全体の為には無視されるといった政治形態に変化してしまうのです。
 詰り無意志の大衆が国の方針と計画に従って生活することが、
生活の安全と保証の引換えに要求されているのです。

 第一次大戦後初めてレーニンによって提唱されたプロレタリア民主主義は、
同じ民主主義ではあっても自由社会に於ける民主主義とは質を異にし、
労働者・農民を基礎とする独裁制にしか過ぎず、
社会全体への個の為の便宜を図り、言論の自由を認め、
その人権を必ずしも保障するものではないという所に、
私達天上界の求める真の民主的社会、

理想郷には程遠い理念であることを明らかにしなければなりません。

 なるほど私達が現在説くものは
唯物論及び科学的社会主義を推奨するが如くに外見は見えるでしょう。
 しかし微細な点に於て、且つ又その根本理念に於て
個により形成される全体(自由民主主義思想)と、
全体の中の個を語る思想(プロレタリア民主主義)とは全く逆の立場にある
ことを賢明な人々は識別し、
どちらが個にとって無害であり、どちらが有害になり得るものであるかを認識して頂きたいのです。
 私達は個を常に重視してきたのであることも。

 又私はよく刷新だとか革命といった言葉を用いるので、
左翼思想に傾倒している人々には区別し難い所もあるのでしょう。
 しかしこれは単に言葉として必要な場所に適宜に用いているのであって、
そこを混同して頂きたくはないのです。
 更に現正法の説くものはマルクス主義思想の如く、唯物論に偏るのではなく、
神に対する信仰心を持ち、心や魂といった唯心論の世界にも言及する、
詰り唯物的な概念が科学と宗教の一致という論旨に於て、

唯心論とも合致するものであることの立証ともなるのです。
 思想に於ても政治形態に於ても中道を行くものである訳です。

 共産主義は唯物論に徹するのであって、
神に繫がる心とか魂といったものについては決して興味を持ち、
語る思想ではないことは識者である方々は、ご存じであると思います。

 私達の説く民主主義思想は、共産主義思想の如く暴力革命を肯定するものではなく、
しかし古代ギリシャに於てプラトンやアリストテレスにより
衆愚政治と評されたものでもないのです。
 現在の多義的に用いられる"民主主義"という表現で
ユートピアの基礎となる理念を説くのは非常に難しく、
又誤解を生みやすいものであることは否定は致しません。

 しかしあくまで私達天上界の見解は、
真に民主主義の原理を生かし得るものは自由主義思想の中に於てであり、
人身、内心、言論、表現、学問、等の自由を保障し、
人間が神の前に平等に有する権利は、国家に先立つもの
であり、自由たるべきものとし、
如何にプロレタリアートが数に於てその権利が保障される社会が
真の民主主義政治形態であると(誤導)し、
国民の選出した機関であるソビエトへの権力集中をマルクス主義が唱えたとて、
その原理の優劣のみを盾に取り、しかるが故にソ連は世界を支配し、
その侵略的態度を正当化するものとはなり得ないことを改めて説かねばならないのです。

 共産圏諸国に住む人々の目は輝いているでしょうか。
 その魂は自由に躍動しているでしょうか。
 聖書を禁じ、心を語らず、神と人とを遮断する思想は、
形と数の上に於てのみ民主的であるとしたすり替えの理論であり、
天上界には通用しないサタンの理念であることをここにはっきりと断言するものです。

 とはいえ私個人として秘かに明かしますならば、
日本に於ては元大天使であった七人の者はどの政党を支持するかと問われれば、
逆説的ではあるのですが、
宗教人の名の下に権勢欲と支配欲を巧みに隠し、善人の仮面を被る公明党でもなく、
個人の欲望を露わにし、民主主義の堕落を推し進め衆愚政治の温床となりつつある自民党でもなく

寧ろ民主社会党を敢て選ぶ者であることを申し上げたいと思います。
 (真の)神への信仰を認めることを前提とし、
純粋な理想社会制度の実現を目指し続ける限りに於て。

(注。言うまでも無いことと思いますが、現在の天上界の御見解ではありません。
 ただ利権や権勢欲の偽我まみれの人格を忌み嫌われる天上界の御性格は不変です。

注。
「アンティゴネーの決意」江藤淳 産経新聞平成九年五月五日掲載 「月に一度」120頁
「(前略)いうまでもなく『アンティゴネー』とは、
国禁に背いて戦死した兄の屍(しかばね)を手厚く葬り、
その廉(かど)によって石牢に生き埋めにされ、
自ら縊(くび)れて死んだテーバイの王女アンティゴネーの悲劇である。
 オイディプース王の二人の息子のうち、弟のエテオクレースはテーバイの王になっていたが、
王位を弟に奪われた兄のポリュネイケースが、復讐のためにアルゴスの軍勢を糾合し、
テーバイの市門に押し寄せてくる。
 凄惨な激戦の結果、兄弟は共に刺し違えて戦死する。
 そのあとを継いでテーバイの王となったのは、二人の叔父に当たるクレオーンであった。
 クレオーン王は直ちに勅令を発し、
テーバイの七つの門を守り抜いたエテオクレースは最高の礼を以て葬るが、
不義に与した反逆者ポリュネイケースの遺体は野ざらしにし、
烏や禿鷹のついばむままにせよと厳命した。
 これに背いた者は、石打ちの刑に処するというのである。

 ところでオイディプース王には、刺し違えて死んだ兄弟のほかに二人の王女がいた。
 姉がイスメネー、妹がアンティゴネーである。
 アンティゴネーは、王の厳命とはいえ戦死したのは自分の血を分けた兄弟である。
 弟が義戦を戦ったからといって栄誉を以て葬られ、
兄が不義の戦いに与したという理由で野ざらしにされるのは納得できない。
「お姉様、お手をお貸しください。
 ポリュネイケースの屍に礼を尽くして葬りましょう」と訴える。
 王命には抗えないと、イスメネーがそれを拒むと、
アンティゴネーは、それならもう頼まない、自分一人で兄を葬り、
死罪になることも厭(いと)わないと、決意を告げる。
「生きている人の気に入られようとしても、時間はあまりにも短い。
 でも死者を愛する者は、永劫の時間の中で愛するのです。私はそこに行きましょう。
 お望みなら生きておいでなさい。生きて、最も神聖な神々の法に背きなさい」
 
 やがて登場し、国禁の絶対を説くクレオーンに対して、アンティゴネーは昂然と言う。
そんな禁令は神の思(おぼ)し召しではありません。
 冥界の神々とともにある正義は、そんな法を認めていません。

 あなたの勅令には、どこにも記されず、
変えられもしない神々の法を無効にする力などありません。
 あなたは只の人間で、勅令は昨日今日のものですもの。
 神々の法は永遠で、人間にはその起源すら確かめられないのです

 ここでアンティゴネーのいう「神々の法」「冥界の正義」とは、過去現在、宗教宗派、
勝者敗者の別や習俗の違いを超えた人間の死者を悼む心情にほかならない。
 殊に「義戦」か否かに拘らず、戦死者は手厚く葬らねばならず、
いかなる国法といえどもこれを妨げることはできないというのである。

 去る四月二日、最高裁判所大法廷が下した
いわゆる「愛媛県玉串訴訟」に対する違憲判決の報道に接したとき、
私がとっさに思い浮かべたのはここに紹介した『アンティゴネー』の一節であった。
 先の大戦は連合国側の「義戦」であり、敗戦国日本の戦死者は、
そちら側から見れば不義の戦いに斃(たお)れたポリュネイケース同様に、
追悼に値しないというのかも知れない。
 そして、「義戦」の勝者アメリカが書いて与えた
現行憲法第二十条が「政教分離」の原則を謳っている以上、
愛媛県が靖国神社春季例大祭のために支出した玉串料十六万六千円は、
当然違憲ということになるのかも知れない。
 だが、そのとき、私の脳裡で最高裁大法廷の多数判決を支持した十三人の裁判官が、
俄にクレオーン王の末流に変貌したことだけは記して置かなければならない。
 現行憲法の禁令のごときは、人の、それも外国人の定めた「昨日今日」の法令ではないか。

 ソポクレース以来、
自国の戦死者を、威儀を正し最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、
この地上のどこにあっただろうか。

 国人よ、誰に謝罪するより前にこのことを嘆け。そして、決して屈するな。」


天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法