現象テープ№32 「物の考え方について」
81年9月15日 ラファエル様現象(霊媒 土田展子)
(「天上界メッセージ集・Ⅲ(95年2月初版)」314頁掲載)
私はラファエルでございます。
今日は物の考え方についてお話ししましょう。
先程の正法基礎講座にもありましたが、善にも悪にも片寄らないのは、中道ではない。
この意味が解りますか。
ただ単に講師の言葉を捉えて理解しているのではないでしょうか。
中道とは如何なるものか深く考えたことがありますか。
中道とは中の道をいうならば善にも悪にも片寄らないのは、
そう納得するのは至極当然なことです。
しかし中道とはそのような意味ではありません。何故か解りますか。
中道とはどのようなものをいうのか。
善と悪とは如何なる基準をしているのか、そこから考えてゆきましょう。
善と悪の基準は何なのか考えたことがありますか。
何を以てして善というのか、何を以てして悪というのか、その基準は何処にあるのか。
あなた方人間界の価値観の中にあるのか、自然界の中にあるのか
答えはどちらでしょうか。
自然界に答えがあるのです。
自然界の中に善悪を求めるならば、どのようになるでしょうか。
自然界は善です。
宇宙の法則が正法だと言うのはそこにあるのです。
何故自然の法則が善なのか、それは他者を生かすからです。
どのようにして他者を生かしているか。
適者生存、弱肉強食です。どのような意味かお解りですか。
生き残れる必然性のある者が生き残るということです。
基礎になっているのは必然性なのです。
必然性とはそうあらねばならないことを言います。
何故そうあらねばならないのか、お解りでしょうか。
それは生物が皆生きて行かねばならないからです。
それ故の自然淘汰であり、弱肉強食なのです。
ならば自然の法則とは、自然の法則を基にした善と悪はどのようなことを言うのか。
他者を生かすものが善であるのです。
あなた方人間界の価値観で決めてはいけません。
他者を生かすものが善であるならば、それを中庸と言います。
それ故に善に片寄るのが中道と言うのです。お解りですか。
中道とは中の道を言うのではありません。
他者を生かす道に於て最適な方法を言うのです。
その基礎となる価値基準は自然の法則の中に探らねばなりません。
あなた方が物を考える場合にもそうです。
理性を持ちなさいと私達は言います。
どのように理性を持たなければならないのか。
理性とは如何なるものかと何回もお話しました。
さて理性とは如何なるものですか。
メッセージにもあったように正しく認識しよう、正しく理解しようとすることです。
それはどういう意味でしょうか。正しく理解する、正しく認識するとはどのような意味か。
それは自分に都合の良い所だけを取るものではありません。
正しく理解するということは物事の本質を突き止めることです。
どのように突き止めるか。感覚で突き止めるのではないのです。
何故それはそのよういなっているのか。何故そう起こっているのか。
何故今のような状態になっているのか。
それを考えなければならないのです。それを正しく認識する態度と言います。
正法は科学で宗教ではないと言います。どのような意味かお解りですか。
科学とはどういう態度を言うか。
物事の本質を突き止めることです。
どのようにしてそれは動いているか、どのように成り立っているのか。
それを考えてゆくのが科学です。
ならば正法の態度もそれと同じなのです。
正法は苦しみがあれば、それを神に預けるものではありません。
神に助けてくれと手を伸べるものではないのです。
正法とは苦しみがあれば苦しみの根源を突き止めるものなのです。
苦しみの根源を突き止めてどうするか。
解決するのです。
原因が解れば結果が解り、解決策も解るでしょう。
例えば、何故自分の悪い性格が直らないのかを考えた事がありますか。
何故自分が何十年間もこの癖が直らないのか。
端的に言えば、直す気がないからだと言えるでしょう。
何故直す気がないか。
自分が楽だからです。
自分を容易に生かしてくれるからその道を選んでいるのです。
メッセージを受け取る場合にも自分の都合の良い所だけを受け取り、
他のものを切り捨てる人が多いのです。
そのような人は進歩しないでしょう。
自分の性格の悪い所が何故悪いのか、他人にどのような影響を与えているのか、
そして何故自分はそのようになってしまったのか、
何故そのままで放任しているのか、 何故、何故と繰り返さなければならないのです。
そうすればやがてベールが剥がれ、自分の性格の本質が解るでしょう。
あなた方に繰り返して申し上げますが、何故、何故と聞くのではありません。
何故、何故と考えてゆかなければならないのです。
あなた方はただ単に生きているのではない。
衣食住が足りれば生きてゆけるでしょうか。
そうではない筈です。
あなた方は考えて生きなければならない。
何故考えて生きなければならないか。
それは、より良く生きてゆかなければならないからです。
より良く生きるとはどのようなことを言うのか。
生き易く生きるのではありません。
正しく生きることを言うのです。
正しく生きるとは自分に安易な方法で生きるのではありません。
他者を生かす道へと生きなければならないのです。
他者を生かすこと、どのようなことを言うか解りますか。
他者の成長を促すことです。自己満足ではない善行を施すことです。
反省をした、修行をした、善行を施した、
果たしてあなた方の身にどれだけ役に立っているでしょうか。
善行をしたからといって自己満足に陥ってはいませんか。
自己満足や自己犠牲の観念は捨てなければなりません。
自分が満足するから善行を施すようでは何にもならないのです。
それは徒に自己満足という虚栄心を納得させるだけの
偽我を延長させるだけにしか過ぎません。
お解りですか。
又、自己犠牲に於てもそうです。
何故あなた方は自己犠牲をするのか考えた事がありますか。
そうしなければならないからそうするのか、そうするのが当たり前だからそうするのか、
或いはその人のことを本当に助けたいと思ったからそうするのか、どれですか。
困っている人がいた場合手を差し伸べようとするでしょう。
あなた方は何故そうしようとするのか考えたことがありますか。
何故困った人を助けようとしたのか。助けた後、気持ちが良いからですか。
それならば私達は止めなさいと言うでしょう。
それは他者を生かす愛には繋がらないのです。お解りですか。
その点は自分で良く考えてごらんなさい。
後から気持ちが良いから善行を施すのは果たして良いことか。
私達があなた方に望むのは、全き純粋な気持ちで他人のことを望むことです。
良いことをする場合にも、人を救う場合にもそうです。
その人が本当に困っているから、或いはその人の成長の為になるからと手を貸して、
それだけの気持ちならばそれを天の気持ちと言います。
ですが、してあげなくてはならないという義務感ならば私達は止めなさいと言うでしょう。
何故ならば、そこに苦痛が伴っているからです。
自己犠牲を自分に強いる癖を付けていけば、やがて自分をごまかす癖が付くでしょう。
自分が嫌だと思っているのに、そうしなければならないから、
そうすることが美しい事だからと認識し、自分をそのように誤解してゆく、
ごまかすとはそのように恐ろしいのです。
ですが自己犠牲はいけない、我慢してやるのはいけないと言いながらも、
そのままではいけません。
やはり、しなければならないと思った時にはしなければならないのです。
そこから出てくるもの、何故その気持ちが出てくるのか。
それは(責任を問われることを怖れる自己保存の心からではなく、
善我に立っての已むに已まれぬ思い、主体性からの)責任感を言うのです。
責任感がそうさせるのです。
(自己保存から強迫観念的に自らを強いる)義務感がそうさせてはいけません。
お解りですか。
それではあなた方の為にもならない、助けてあげる人の為にもならないのです。
自分をごまかしてはならないが、天をも人をもごまかしてはいけません。
たとえ今、自己犠牲の気持ち、やらなければならないの気持ちがあるならば、
それはそれでいいでしょう。
ですが、少しでも一歩前進する気持ちがあること、それが大切なのです。
出来ないことを無理してはいけません。それは自分をごまかすことになります。
繰り返し申し上げますが、大切なのは、何故、何故と考えることです。
聞くことではありません。
何故中庸は中の道を言わないで、善の道に片寄ることを言うのか。
八正道は何故必要か。何故、何故と考えなければなりません。
考えることに依って解答が見つけられるでしょう。お解りですか。
八正道は何故必要なのか。八正道の基礎となるものは何か。
八正道はどのようにして、行わなければならないのか。
正しく見る、正しく聞く、あなた方は正しくということが解ってますか。
恐らくは正見、正思ということが何となくにしか解っていないでしょう。
正見、正思のする方法が解っていないからです。
正しく見るとは、どのようなことを言うのか、漠然としてお解りにはならないでしょう。
それは、何故か、何故かと物事の本質を考えることです。
正見とは、物事の本質を見ること、
それはどのようにしてそこにそういう現象が伴っているのか、
(例えば天は)どのような意図を持って現れたのか、
それを考えてゆくことを、正しく見る、聞く、語ると言うのです。
正しく語る場合は、どのようなことを言うのか。
正しく語るとはその人の成長を促すことを言います。
正しく聞くとは、自分の受け入れ易いように、自分の為だけに、
自分の都合の良いように聞くことではありません。
その人の真意を受け取ることです。お解りですか。
物の見方について、今日、私の話の中であなた方が何か一つでも得ることがあれば、
これに越したことはありません。
これを聞いた後でも感動しただけではいけないのです。感動するだけは誰にでも出来ます。
しかし、あなた方は考えなければならないのです。
考えてゆきなさい。それしか道はないのです。
これで私のメッセージを終わります。どうも有難うございました。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様