現象テープ№24 「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」
 80年5月18日 ミカエル大王様現象(霊媒 土田展子)
 私はミカエルです。
 皆さんと、他の宗教の方々とどう違うか。どうでしょう。
 あなた方がここへ集ってきたのは、自分の幸せよりも他人の幸せを考えてのこと。
 自分の幸福よりも、他人の幸福を願うものです。
 〖何年か前に、GLAの現象で、慈悲と愛の塊のような人々が動き出すでしょうと、
予告しました(「一九七七年の約束」77年1月12日ミカエル大天使長現象)。
 そのあなた方が、ここに集っているのです。〗

 あなた方の良き所は、互いに謙虚であること。
 互いに互いを素晴らしいと思い遣っている所に尽きるのです。
 他の団体ではどうでしょうか。
 上層部に行けば行く程、増上慢になり、他人に対して何と冷たい態度を取ることか。
 あなた方の中に於ては、上に行けば行く程、
その下にいる人々の僕となるような態度でいるのです。
 上に行けば行く程、謙虚になる。難しいことです。
 私達でさえ、それは、未だに修行中なのです。
 
 魂の研磨に於ては、魂の進化に於ては、これでもういいということはありません。
 常に新しい問題が沸き起こってくるのです。平生な時はそれでもいい。
 だが、自分も疲れている時、自分も死にたいように悲しい時に、
他人のことを思い遣ってやれるか。
 それが問題なのです。
 今の平和な世の中で、あなた方が愛を説き、あなた方外部の人で、愛を説く人は多い。
 しかしあなた方の中で、その中で、自分が危機に陥った時、自分が疲れて物も言えず、
口も利けず、お腹が減って眠たくて仕方がない時に、その時にも他人の事が考えてやれるか。
 そこが問題なのです。
 私達はあなた方にそうなってほしいのです。
 自分が必要としている時に、それを他人に与えられる者に、そのようになってほしいのです。

 人生に疲れている人は多い。
 しかしあなた方も疲れているからといって、それに甘えていてはいけないのです。
 自分が疲れているならば、他人も人生に疲れている。
 生きていくことは楽しいことばかりではありません。
 寧ろ苦しい。その中で喜びを見つけていくことが生きていくということです。
 幸福ばかりが人生ではありません。

 あなた方の人生に於て、幸福よりも寧ろ苦労の方が実を結びます。
 幸福は、見掛けは幸せな人間を作りますが、その人間は幅がない。
 しかし苦労した人間には奥があります。幅があります。深さがあります。


 ガブリエルが九州の集いでも言いましたが、
私達があなた方に与えるものは、苦労と艱難と辛さ、その三つです。
 そしてあなた方はその中からこそ、賢さを学び取らねばならないのです。
 あなた方が賢くなる方法は、只一つ。
 頭を打ちのめされ、足元をすくわれることなのです。

 お解りでしょうか。
 私達は、他の宗教が約束するように、見掛けの幸せ、お金持ちや長寿を約束しません。
 寧ろその逆です。
 その中でこそ、あなた方は賢くなり、幸せになり、自由を得ることが出来るということ。
 そこが違いなのです。

 正法に集ってきているあなた方は、自分の幸福を求めてはいけません。
 他人が幸福になってこその自分の幸せ、そう考えなければならないのです。
 その為に、若い人々は経験を積みなさい。苦労をしなさい。逃げてはいけません。
 苦労しない人間がどんなに駄目か、あなた方はよく知っているでしょう。

 正法流布活動に於て、これからも苦労が付き纏うかも知れない。
 だがその苦しみは何であろうか、それは喜びの苦しみなのです。
 これから正法が広まり、隣人が幸せになるということ、
その過程に於て、自分も鍛えられるということ、その幸せなのです。
 幸せとはどのようなものか、よく考えて下さい。自由とは、幸福とは、答えは沢山あります。
 だがその幸福の中で、その数々の幸せの中で、一体どれが一番正しいのか、
見極めなければならないのです。
 他人に幸福を与えるということは、易しいことではありません。
 人が、俺は苦しい、助けてくれ、助けてくれという時に、すぐさま手を差し伸べること、
それが愛でない場合も、往々にしてあります。
 愛ということ、慈悲ということ、正しいということ。
 八正道とは、中道とは、あなた方にとっては、
限りなきテーマであり、終わりなきテーマであるのです。
 それは私達にとってもそうなのです。
 私達は、生まれてから気が遠くなるような年月を歩いて参りました。
 しかし魂の修業に於ては、まだまだ魂の完成は、成されておりません。
 だからこそ、私達も正法を人類に導くことによって、私達も又、魂の修行をしているのです。
 終りはありません。


 私達は常に前を向いて歩いていなければなりません。
 私達の道には、茨が沢山茂っているかも知れません。
 しかし薔薇の花は何故美しいのかということ、
薔薇の花は、傲慢さの故に棘があるのではありません。
 美しいからこそ棘があるのです。
 正法を学ぶ幸せもそれと同じです。
 手に取ってみようと思えば、痛さを伴わなければいけません。
 私達は苦労を知ってこそ、幸せを知ることが出来るのです。
 苦労した人間は、その分幸せを感じることが出来ます。

 幸福に浸っている者は、その幸せを感じることはありません。
 あなた方が、これから正法を広め、幸せを他人に伝えていく時、
よく考えてほしいのはこの事です。

 困っている人を見て、すぐさま手を差し伸べることが愛ではないということ。
 よく考えなければならないのです。八正道とはその為にあります。
 又、八正道だけでは駄目です。すべてのものが一度に為されなければなりません。
 無理をしようと思ってもいけないのです。
 あなた方には、あなた方の程度というものがあります。私達にも私達の程度があります。
 それに応じてやっていけばいいのだということ。
 焦る必要は何もないのです。焦らなくてもいい。
 走り出して直ぐに戻ってくるよりも、一歩一歩着実に踏み出すのがいいのです。
 歩みは遅くとも、確り歩いて欲しいということ。悟りとはそういうものです。

 又、悟りとは、神秘的体験ではありません。
 寧ろ理性が豊かになるということ。

 どんな悩みにも心を動かされないということ。そのことなのです。
 心を動かされず、流れるように事を運ぶこと。ものを考えること。そういうことです。
 お解かりでしょうか。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法