現象テープ№23 「心の美は」
80年5月11日 ガブリエル様現象(霊媒 土田展子)
私はガブリエルでございます。
先程の話にもありましたように、様々な宗教が入り乱れて、
この世を救わんと立ち上がっております。
今朝、ここへ来る時も、それをしみじみと感じて参りました。
近くのホールでは、新興宗教が大集会を開いております。
けれど、私達はそれに何も関知することがあってはならないのです。
曾て人類が己の知性に対抗するものを、
その知性の暴虐さに歯止めをかけるものとして宗教を考え出しました。
その産物として作られたのが神の概念でした。
あなた方人類の歴史は、その神によって動かされてきたといっても過言ではありません。
あなた方人類は、普段何気なく暮らしている時は、
"神が必要である。神の概念がなくては生きてゆけない。神が必要である。"
と悟ることは出来ません。
ひとたび足元が揺らぎ、その生活が脅かされた時のみ、神に縋るのです。
それだからこそ、新興宗教が生まれてきた理由でもあるのでしょうか。
長い間の歴史の中で、人類は様々な人達によって、風俗によって、土地によって、
それは違いましたが、根源は一つのものでありました。
そしてそれを齎した高橋信次という人が、方向を間違えた為に、
日本での正法流布が大変遅れてしまいました。それはあなた方、周知のことと存じます。
他の宗教はあなた方に何を齎すでしょうか。
宗教に求めてゆくものは、己の幸福、己の家族の幸福、自分自身の栄達、出世、
そのようなものの筈です。
だが、私達があなた方に与えるものは、そのようなものではありません。寧ろその逆です。
私達があなた方に与えるものは、艱難、苦難、様々な所謂、あなた方の言う、イヤな事です。
そしてあなた方はそれによって何を得るか。
苦しみによって、あなた方は何を得ることが出来るでしょうか。
私達は苦労も知らずに、幸福の中で育ってきた人間がどのような人間になるかを、
よく知っております。
あなた方も又、話の中ではそのように聞く筈です。苦労のない人間は実がない。
そのように知っていながらも、あなた方は道に、茨のない道を求めます。
それで良いのでしょうか。
鍛えられぬダイヤは輝きません。
正法を知っていて、私達は時々、正法者の中にも、
"私は正法をしているのに、何故幸せにならないのだろう。"
"何故、身体が健康にならないのだろう。"
そういう人を、よく聞きます。
私達はそういう人を見ると情けなくなるのです。
あなた方は何の為に、正法に集ってきたのか。
己の病気を治す為だったのか。家庭不和を直して貰う為だったのかと。
私達はあなた方の家庭不和を直す為にやって来たのではありません。
あなた方を賢くする為にやって来たのです。
賢くなること。これがあなた方の、永遠のテーマなのです。
幸せは賢さからやって来ます。
又、自由もそこから得られるものなのです。
あなた方が愚か者であったならば、何の自由があるでしょうか。
うち続く困難に負け、神にのみ救いを求め、苦しいことがあれば、直ぐ神様、神様と叫ぶ。
その点を反省してほしいのです。
だからあなた方はこれからの人生に於て、幸福な方向ばかりを求めないで下さい。
寧ろ艱難の中に身を投ずることによって、幸せは齎されるでしょう。
安穏とした、柔らかいベッドに包まれ、美味しい食べ物を食べる。
このようなものが幸せであるのでしょうか。
寧ろ、粗末なボロを着て、粗末なものを食べ、粗食に耐えて、
そして魂が研磨されていった人々を沢山知っています。私達もそうでした。
特に若い人々にとってはそうです。
先日、東京へ参りました時に、このような質問を受けました。
私達が悪に負けてはならない。善に確り根付いていなければならない、と申しました。
すると正法者の中から"悪に打ち克つとはどのようなことか解らない"
そのような質問を受けたことがありました。
悪に打ち克つことが解らない、そう聞いた時、私達がどのような気持ちになったか、
あなた方にお分かりになるでしょうか。
人類はここまで道を無くしてしまったのだろうか。
悪に打ち克つということが、どういうことか分からない。
愕然と致しました。
悪に打ち克つとは、悪に染まってはならないということ。
己自身に於て、楽な方向を選んではいけないということなのです。
勿論、時と場所に応じてそれは様々に変えなければなりませんが、
悪に打ち克つとはどのようなことか、そのようなことを考えられないようではいけないのです。
私達は悪に向って、口に角が立つように、
口に泡を飛ばし激論しろと言っているのではありません。
寧ろ悪があなた方の前に立ち塞がった時に、上手によけてさり気なくかわす方法、
そして悪い者が論議を挑み掛けてきた時、賢くそれを打ち負かす方法を、知ってほしいのです。
議論はどのようにするものか、お分かりでない人も多いと思います。
それはあなた方自身で勉強してほしいのです。
老いた者も若い者もすべて学ばなければなりません。
歳を取った者は経験を経たので丸いが、若い者は角があり過ぎます。
特に私達が教える所の、理性を持ちなさい、
何でも確かめてから検討しなさいという言葉の中に、
若い人々は時々間違って解釈する人がいるようです。
そういった検討は、悪の方向に向けて為されなければならないのに、
何故か天国の方へ、奇蹟の方へ向けるのです。苦笑せざるを得ません。
私達が、あなた方に何を言いたいのか。
人類はこの世に於て何を学ばなければならないのか、今何をしなければならないのか。
あなた方自身が、身が細っても、頭が賢くなければならないのです。
私達は献金を要求致しません。あなた方に賢くなってほしいのです。
その点を考えて下さい。
幸福になるとは、賢くなること、自由になることです。
自由になるとは、自分を解放しなければなりません。
自分の心が地に縛り付けられている何か、それを解き放たなければならないのです。
自分を不幸だと思う心、何によってそれが起因しているのか。
それは自己保存にあります。
考え方一つで不幸も幸福になります。
他の宗教と正法とは何処が違うかということ、
詰り正法はあなた方に隣人の幸せを願えということなのです。
自分自身の幸せを考えてはいけません。
人の幸せを願えてのみの自分の幸せ、人の幸せがベースになっての自分の幸せなのです。
人類はそれが出来るのです。
究極に於ての幸せとはどのようなことを言うのか、ご存知でしょうか。
隣人の幸せが己の幸せと取れる時に、どんなに幸せになれることか。
良かったね、良かったねと心から言える時に、どんなに清々しい気持ちになれることか。
経験したことのない者には、分らないでしょう。
しかし、これ程気持ちのいいものはないのです。私達とて同じです。
魂の研磨、魂の研磨と申しますが、私達でさえ、まだまだ覚束無いことです。
目を閉じれば、こうして三億年の年月が甦ってきますが、その中に於てさえ、
私達はどれだけのことを学び、どれだけのことをやってきたのかと問われると、
少し答えに困ってしまうのです。魂の研磨とは、そのようなものです。
私達が、何億年もの長い年月を耐えてこれたのも、
偏(ひとえ)に人の幸せを考えてきた為でした。
無論、そうなる為には若干の苦労は要ります。
あなた方は、人の苦労を知った時のみ、人の幸せを考えることが出来る。
又、人の苦労を知る為には、自分も苦労しなければなりません。そのようなものです。
考えてごらんなさい。
自分が幸せになった時に、隣人が不幸ならば、
その幸福は果たしてあなた方の心の底から喜べるものでしょうか。
そのような人間になってほしくないのです。
お互いのことを思い遣り、お互いの心を理解し合い、
お互いのことを幸せになってほしいと願う心、
そういう心をユートピアを作る心と言います。
ユートピア、ユートピアと言われてから久しいが、
本当にそれが成されることが出来るのは、あなた方、一人一人に於て、成されるのです。
その一人一人の心が集まった時に、全体としてのユートピアが出来上がります。
ユートピアとは、高度の科学文明が発達し、人類と程よく調和することではありません。
寧ろ人と人とが調和し合うことなのです。
人と人との調和とは、自分の幸せと人の幸せが一緒になる時、そういう時なのです。
人の幸せを自分の幸せと受け取るようになる為には、かなりの自己研磨が必要です。
修行が必要です。それはよく存じております。
又、私達とあなた方との関係も、私達天があなた方より
一段上のもの、二段上のもの、正に所謂、神のようなものではないのです。
同じ、人の幸せを願うという道を歩く、正法の道を歩くという者の、
一歩か二歩、先を進む者なのです。
そして、あなた方を先輩として導いている者にしか過ぎません。
あくまでも、あなた方は私達が手を差し伸べて救うものではなく、
あなた方は自分自身の力で上がってこなければ、いえ、前に進まなければならないのです。
時には自分の性質に気が滅入り、膝を抱えて座り込んでしまう時もあるでしょう。
しかし、座り込んでも解決にはならない、寧ろ青空の下に出て、
思いっきり空気を吸う方が解決になるのです。
気が滅入って、自分が嫌になる時に、考え込んではいけません。
考え込んでも解決にはならないからです。
寧ろ表に出て、運動する方がいいのです。幸せとはそういうものです。
悩みのない人間は、よく馬鹿の象徴のように言われますが、そうではありません。
私達は、学もなく、名誉もなく、地位もなく、権威もないが、
しかし幸福で、自由で、賢明であった人間を沢山知っております。そういうものです。
寧ろ権威や名誉や権力が、その人の賢明さを曇らせることが多々あるのです。
私達は天を統合する者として名を挙げられていますが、
私達は何の名誉も、地位もありません。
只、心の美しさという点でのみ、私達は計られるのです。
心の美しさのみが、計られる社会。そういうものをユートピアと言うのです。
あなた方はお互いに理解し合わなければなりません。
しかし、一人で生きていくことは出来ません。
悩みを解決するのは自分自身ですが、それを助けてくれるのは、あなた方の隣人なのです。
良き友人は良き人格を作ります。
一人では耐えていけないことも、友人となら耐えてゆけるでしょう。私達とてそうです。
だからあなた方もそのようであってほしいのです。
人の幸せを自分の幸せと受け取るようになる為には、
自分というものを意識し過ぎてはいけません。
自分を意識しないでおくとは、どういうふうにいられることか。
大変自由で、心地好いものです。
私達は、生きている内から、そういうふうになれる人を沢山知っています。
だから決して無理ではないのです。
そういう人は、大変自由で、見ていてとても気持ちがいいものです。
さて、自分を意識せずに、他人の幸せを考えるようになる為には、どうしたらいいのか。
こればかりは、私達が幾ら言葉を尽して説明しても駄目です。
何故ならそれはあなた方自身で解決していかねばならない、
自分自身で見つけていかねばならない問題だからです。
あなた方は、一刻も早くその道を見つけて、幸せになれるように。
流れる雲のように、透き通る空のように、又、生命の生まれた、
あの深い海のような人格になれるように願って、私の現象を終ります。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様