現象テープ№19 「宗教と人間との関係について」
 80年3月9日 ガブリエル様現象(霊媒 土田展子)
 私はガブリエルでございます。
 現象旅行の初めの月に当って、今月は宗教と人間との関係についてお話ししたく思います。
 本日来られた方々の中には初めての方も多いと思いますので、その点を深く、
他の宗教と正法の違いについてお話ししたく思います。

 人間の生活には内的な面と外的な面があります。
 言い換えれば公的な面と私的な面とも言えるでしょう。
 外的な面を司るのが社会生活であり、又その行動を規範するものが法律と呼ばれるものです。
 では内面生活はどうでしょうか。
 内面と言われるもの、それを司るものが宗教と呼ばれ道徳と呼ばれて来ました。
 何故道徳や宗教が必要になるのか、内面的な生活の規範が何故必要になるのか。
 或いは宗教の持つアニミズム的なもの、詰り霊体の関係することが何故必要になるのか。
 内面に関係するものであれば、

何故霊体という目では見えない解りにくいものを 必要とするようになったのか、
それが問題です。

 人間が他の動物と違う所、それは何でしょうか。知性を持つから、それだけではありません。
 人間が他の動物と違う所、それは未来に対する不安を感じるということがあります。
 未来に対する不安。
 未だ見ずもの、或いは自分の能力を超えるもの、自分の限界を超えるもの、
自分の理解を超えるものに対する不安があります。
 その代表的なものが、原始社会に於いては今年の作物はよく実るであろうか、
或いは今度の戦争には勝てるであろうか、というような占い的なものでした。
 宗教の発生の起源には、そういった未来のものに対する不安、
詰り未来に対する不安から来る、確信を得たいという気持ちと、
それからもう一つ大切な最も忘れてはならないもの、行動規範ということでした。
 何故行動規範がなければならないのか、何故法律だけで人間は規制出来ないか。
 人間は知性を持つことが特徴です。
 知性というものは善性と結び付けば素晴らしいのですが、
欲望と結び付いた知性というものがどの様に恐ろしいか、もう御存知でしょう。
 現在はその危機に晒されているのです。

 知性と結び付いた欲望、これを抑える為のものでなければならなかったのです。
 ですから宗教というものは未来に対する不安と、

知性と結び付いた欲望を制御する為の、言わば人類の、
知性の欲望に対する(本能的なものへの)安全弁といった意味がありました。

 現代の宗教はどうでしょうか。
 未来に対する不安を解消する為だけのものではないでしょうか。
 或いは自分だけが救われればいい、自分の先祖だけを祀ればいい、
自分の子孫だけが繁栄すればいいという宗教になっていないでしょうか。
 真理というものは何処に於ても真理でなければなりません。
 日本に於て真理であるならば先祖崇拝が真理であるならば、
宇宙の果てに行っても先祖崇拝は真理でなければならないのです。
 そのことをよく考えて下さい。

 心の指針が失われたと言われてから随分になります。
 大阪の集いでも申し上げましたが、心の指針は失われたしまったのでしょうか。
 行動規範の原点は失われてしまったのでしょうか。。
 失われてしまったからこの様な状態になってしまったのでしょうか。そうではありません。
 それらは昔の古いものであって、役に立たなくなってしまったものだからです。
 二千年前のキリスト教、三千年前の仏教、四千年前の宗教、
そういうものが役に立つでしょうか。
 過去に於ては過去の状況に於て説かれた宗教が、
何故現代の新たな悩みを持つあなた方にとって解決になるのでしょう。
 そういうのは新しく取捨選択されなければなりません。
 良いものは良いと認め、悪いものは切り捨てなければならないのです。
 
 悪いもの、良いもの、大変抽象的な言い方ですが、
ここにあなた方の鋭い感受性が要されるのです。
 あなた方にとって楽なものがいいものとは限りません。寧ろ逆のことが多いのです。
 厳しいものの中にこそ真実があります。磨かれない玉がどうして光りましょうか。
 厳しくされたことのない魂がどうして美しくなれましょうか。

 あなた方は自分の子供が生まれた時に、何でも欲しがるままに物を与え、優しく、
ただ徒に優しく抱擁するだけのものであっていいとされているでしょうか。
 天が厳しいと言う人もいますが、それは自分の甘さに気付いていないからです。
 エゴイズムに対する人間の異常なまでの鈍感さ。

 エゴイズムや愛という観念については、よくあなた方に考えてほしい所です。
 気付かない所にこそエゴイズムが隠れ潜んでいるのです。


 又私達が動物愛を説けば、動物霊が憑いていると言う人もいますが、それは誤りです。
 人間も又生態としての動物の一種であり、動物と生理学的には何等変わる所はないのです。
 人間も自然の中に発生した以上は自然の法則に従わなければならないのは、
当然のことではありませんか。

 いいですか、他の動物と仲良く愛情を交せるようになるのは人間だけなのですよ。
 他生物の間で友情や信頼といった関係が成立するでしょうか。
 人間と動物の間にこそ、そういった関係が存在するのです。
 特殊な例も稀にはありますが、人間はどの種類とも仲良くなれる素質を持っているのです。
 わざわざその素質を棄てることはないではありませんか。
 動物から学ぶ事は沢山あります。

 それから人間優位に立っている上での自然環境保護ではいけないのです。
 人間も自然も平等だという観念を養わなければなりません。

 自然と人間と、この関係に於て、あなた方はどのように為すべきか、
一人一人で悟って行かねばなりません。

 そこにもメシヤが介入する機会はないのです。
 救い主と言われる人々が出現して世の中は救われたでしょうか。
 イエス・キリストが出現して、その時代に於て正法であったものを世に広めはしましたが、
それによって恒久的な平和が来たでしょうか。
 キリスト教徒達は平和を愛し、戦争を憎み、隣人愛を為してきたでしょうか。
 仏教徒は不殺生をして来たでしょうか。そうではなかった筈です。
 如何に理論が素晴らしかろうとも
実際にそれをあなた方で実行しなければ何にもならないのです。
 悟りは個人個人に於て開かれるべきであり、

誰か一人の素晴らしい者の出現に依って為されるものではありません。
 その者に接したからといって為されるものでもないのです。

 正法の集いに出席して正法が素晴らしいと感動したからといって何にもなりません。
 自分の悩みに於て苦しみ悲しみ、そういうものを超越しなければ、
あなた方に何の輝きも齎されはしないのです。
 苦しみを超えてこその強さ、悲しみを超えてこその清らかさ、

そういったものが真実なのです。
 困難に遭ったことのない人が立派になっているからといって何の、

何の尊敬されるべき点がありましょう。歪まないのが当然なのです。
 寧ろ歪められるような環境に於てこそ歪まない人物、そういう人物を望みます。

 現代のあなた方に於ては、占い的宗教は必要ありません。
 理性で確り自分を保ってゆけるからです。
 先のことが分からなくとも、あなた方は充分暮してゆけるではありませんか。
 先の事をどうしても知りたいというのは、異常なエゴイズムであることに気付いていますか。
 自分がどうなるか知りたい。その欲望は誰にでもあります。
 しかし、それがそれのみに片寄ってしまってはならないのです。

 これで本日の講義は終りにしますが、何か質問はないでしょうか。
 なければ現象をこれで終らせて頂きます。どうも有難うございました。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法