第三部 「天の奇蹟(天上界への質問と解答)」
「天の奇蹟・上巻(80年10月初版)」 第一章 ヘブライ民族揺籃の地・メソポタミア
章末・天上界への質問と解答
質問者:著者 岩間文彌先生 解答者:ラファエル様
問一 聖書は『旧約』でも、のちに述べるように、本格的に編集され始まったのが、
紀元前九世紀であり、ダニエル書などの「諸書」に至っては前二世紀の終りごろと、
予想以上に後世に成立しました。
それはヘブライ民族が関与した土地や国の諸々の、風土・神話・伝承・祭儀の影響を受けつつ、
預言者達やそれに近い教養人、それに祭司出身者、歴史家、学者、知恵ある教師等が、
それぞれの時代の要請と制約の下に編集したが故に、
時には偏見や誤解さえも混入したであろうと考えられます。
にも拘らず聖書に一貫性があり、世界の文化に大きな寄与をし、
今も人々の指針となるものを湛えているのは、
聖書が、神がヘブライ民族ひいては全人類を、
歴史を通して救済しようとされたと理解する人々の「救済史観」に貫かれており、
又聖書には、実際に人類救済とユートピア建設を意図される
天上界高次元の神々の言葉が誌(しる)されているからだと思います。
そこで聖書は、「霊感の書」と言っても、
一字一句が全て神の手によって書かれたものではなく、誤った観念も混じっており、
又特定の時代には是とされても、今の世には肯けない観念も入っていること、
しかし基本的には霊能者である預言者や、賢人・智者を通じて、
天上の言葉がそこに溢れていると結論出来ます。
聖書についてこのような考えでよいか否かお答え下さい。
又天上界の聖書観について、これに加えて明らかにして頂くと幸いです。
問一解答 聖書は一般に三次元で知られているように、一民族の歴史でもあり宗教書でもあります。
又、神と人との契約の履行が如何に正確に為されたかを述べ、
それを神と人との大いなる絆と互いへの信仰即ち信義の証として、
神を信ずる者同士の心の支えともし慰めともしてきた書です。
旧約新約を通じて貫かれた神の愛と、人の神への絶対的信仰が読む者、信ずる者の力となり、
励ましともなってきた証言の記録でもあるのです。
神という超人的力を備えた人格神に、如何なる時も救われるという希望を持ち事を為す時、
人は父親に守られた子供のように日頃出来ぬこともやる勇気が出ます。
聖書は正にその勇気を得た子供の日記でもあるでしょう。
又、預言者や、神に選ばれた者をして、人の見えぬ未来を予言させ、
信じ難い奇蹟を行わせる超人的(三次元で可能でない事を可能にするという点で)力を持つ
(旧約の時代には"超自然的力"と考えられていた)神への信仰は、
人類の幼児の如き純真な驚きを伴う"力への信仰心"であり、
超能力への信仰でもあるでしょう。
神の救いと奇蹟に満ちた聖書がかくも長く人類の注目を浴び、
二千年いや四千年の昔のヘブル人の祖アブラハムと同じ深さと強さの信仰を
かき立てる動因でもあるのです。
今述べたように、聖書とその背景にある神即ち私達の代表する天上界への信仰と固執は
他ならぬ"力"への信仰です。
従ってこれが必ずしも理性に基づくものでなくても良く、
多少常識を超え、科学の約束事を逸脱した物語の羅列であっても、
芝居じみた訓話(旧約に顕著)であっても、
科学者をも含めて充分に理性的な人々にも抵抗なく受け入れられ、
人生の全てをキリスト教信仰に徹することを可能にするのです。
特にイエス様への信仰は、キリスト教学者の説によれば
"原罪無き処女懐胎により産まれられた原罪無く、穢れ無く、
無垢な救い主イエスの贖いの子羊としての死"及び、
超自然の力を以て死から生を呼び戻した偉大なる神への
新たなる信頼とその神を戴く誇りの形を取り、
旧約時代にもいや増して強くキリスト者を神に結び付けることともなったのでしょう。
信仰は理性に基づくものではない。
それが故にまた、最も過激思想と見られる共産主義にキリスト者の転向、
或いは左翼思想のキリスト者がかなり見出され、
矛盾無く闘争運動に身を投じるといったことも起こり得るのです。
キリスト教は財産共有制を歓迎する立場にあり、
信仰の為の死を喜ぶという共通な要素を持つからでしょう。
勿論この聖典を伝えた民族が文化が低く、大部分が稚拙な表現や、
ヘブル人特有の民族性、習慣を通じて伝えられたものであろうとも、
私達天の与えた真理は永遠のものであって、私達がそれを否定する者では決してないことは、
イエス様が旧約の律法を否定される立場になかったと同様のものであると
理解して頂かねばなりません。
問二 聖書中の奇蹟現象はかつては(或いは今も)、聖書中に書かれていることは、
神の霊感によっているが故に、すべて真実であると信ずるキリスト教やユダヤ教の信者にとって、
疑う対象ではありませんでした。
ところがルネッサンス期以後、時代が進むに従い、科学的合理思想の浸透と共に、
常識を超える現象と考えられる奇蹟の記述に戸惑い、悩み、或いは否定する人も増えて来ました。
これは長年信じられて来た聖書の権威に係わる問題です。
そこでこの問題を解決すべく努力した学者達の結論もしくは立場が三つ程あります。
一つは、基本的には古来通りの、決して聖書の記述に誤りはなく、
奇蹟もその通り起こったものだとし、やたらに人知で聖書を分析することに反対し、
たとえ分析しても、自分達の信念の正しさを裏付けんが為にする立場です。
次に、知性で不明なものはそのままにしておこう。
例えば神話化されたかも知れないイエス様の生涯を、
学問的に解明してその史実を浮き上がらすこと自体が本来不可能で無意味なことである。
それよりも奇蹟等を通して聖書記者が、というよりイエス様などが何を訴えたかったのか
を感知する方がより重大であるとする立場です。
もう一方は、聖書の奇跡を、考古学、歴史学、言語学、神話学、祭儀史学、地球物理学、
地質学、精神分析学等、それぞれの分野から、
又総合的に徹底的に合理的に分析しようとする立場があります。
こうした三つの立場に対して筆者は、三つのそれぞれの中心思想を是認しつつも、
それらの行き過ぎや考え違いを指摘し、正そうとするものです。
まず、奇蹟は多くが実際に起こった、その数々のものは天上界(神)の力によってなされた
ものであるとする点のみは、第一の立場と同じです。
神話的なものが過去の事件を反映していることは、
シュリーマンやエバンスによる古代ギリシャ遺跡の発掘その他で明らかになってきております。
しかしだからと言って、古代人の書いたものを、一字一句そのままに信ずることは、
頑迷の謗りを免れません。
そこに、古代人特有のものの観方、誇張、美化、決めつけなどの、
人間の心理に対する理解不足が指摘出来ると共に、
真実追及の意欲と勇気不足が指摘出来るからです。
次に、奇蹟そのものに目を奪われて、何を言わんとするかの本道を見失ってはいけない
とする点で第二の立場に同意します。
しかし、だからと言って、
奇蹟そのものを率直に受け入れる態度が意識から剝離してしまうのであるとしたら、
神が奇蹟に託したメッセージの意味を充分には理解し得なくなるという点で、
そうした奇蹟現象への消極的態度は、正しいこととは思われません。
同様に奇蹟がたとえ事実でないとしても、それが心に響き、真実として感得されれば、
「宗教的真実」として認めるべきだとする説も、そういう面があることは否定出来ませんが、
それで十分とは言えません。
考古学その他の面から奇蹟を解明しようとする第三の立場は、
本書に於ても実際に活用している立場であり科学的解明の道として十分に尊重致します。
只それぞれの学問分野の者は、自己の学問的視野からのみ、
例えば、何でもかでも神話で、自然現象で、精神分析の手法で、或いは最近ではUFO、
宇宙人の線で解釈しようとする傾向が目立ちます。
我々は奇蹟を霊的現象ととして解明することがあります(実際そうですから已むを得ません)
が、全体を通して、諸々の立場を考慮して、
多角的・客観的にアプローチする総合的且つ批判的立場に立とうとしております。
以上のような基本的立場が正しいかどうか。
又天上界の抱いておられる聖書の奇蹟に対する基本的な考えを、お聞かせ願えれば幸いです。
問二解答 質問がかなりの所まで正しい奇蹟の把え方に近付いておられるので、
私はその通りであるとお答えするのみで良いような気が致します。
しかし只一つのみ附け加えておきたいのは、
実際に奇蹟というものは神と呼ばれる人間の霊による作意であり、
人為的に拵え上げられた舞台及び演出効果であるということ、それ以外にはないのです。
私達が霊であるが故に、人間の身体という衣を着ている間は可能でなかった
かなりの能力を会得し、それを駆使してあなた方人類に畏敬の念を起こさせ、
それによって天の権威と言葉と法に従わせ、あなた方を正しい方向へ導く。
その為の演出であり、舞台設定であるのですから、
悪霊やサタンの力が威を振い、只人を傷付け不幸に陥れ、天から引き離す為の誘惑的、
且つ破壊的奇蹟とは自ずから質を異にするのです。
勿論、奇蹟の現出はあくまで私達天の声を人々に素直に聴かせ、
受け入れて貰わんが為のもの以外にはありません。
第三部 「天の奇跡 」第二章 (天上界への質問と解答)
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- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様