第三章 天使の章
(三) ラグエル大天使
私は律法を司るものであり、この巻に於ては『天国の扉』で明らかにしなかったこと、
即ち天上界に於ける法律というものもあるということを述べたいと思います。
時は今、最後の審判が行われつつあり、
地上界の皆様は如何なる形でそれが行われているのか、
又如何なる人々が裁きを免れるのか、
それを皆様への大いなる助言として、ここに述べたく思います。
まず、いろいろな形で最後の審判というものが
予知され、予言されてきたことは御存知の筈ですが、
この度新たに天上会議に於て議論の対象となり、決定要因となったものは、
人間が"神の裁き"というものを何か別世界の、自分達とは関係のない、
書物に録されてある事柄としてより以上のものとは考えていないということでした。
すべて災害が来てから、被害を被ってから対策を練るという、
楽天的で、ある面では怠惰であるとも言える心情で生きているのでしょう。
それはイエス・キリストの十字架の贖いにより、人類の原罪は赦された ー 罪は許された ー
従って多少の罪に生きても神は最早罰し給わない、という甘さから来ているのです(※)。
無関心であるとの証明になるかも知れません。
(※注。
罪と定める天の法も、法を施行する神も認めずに生きてきても、
神を思い知らされることがなかった、罰されることがなかったのに、
今になってそのように罰する神を信じろというのは真実ではないと、
自分に都合の良いように解釈されればそれが真実であると、
安心出来るものが自分にとって真実なのだと考える。
己が魂の行末を案じることの決してない甘さでもあるようです。)
遠き昔にあった事柄、起こったかも知れない単なる歴史上の一齣、二千年余の昔、
ユダヤという国に生まれた偉大な宗教家が、神と名乗る能力を持つ霊の啓示を受け、
恐れまた畏敬の念を持って、正しき行いと言葉とも見え、聞こえる説話をした。
人々は心を打たれ、その人に従い、そして悲劇が起こり、何故か解らぬまま、
彼等はその救世主と噂された人を失った。それもこの上もなく残酷な方法で。
そして人々は知らぬ間に神に赦しを与えられ、
幸せを享受して楽天的に暮らしてゆけることになり、
最早神の罰を恐れる必要もなくなった。
それが何であるか神は知らせ給わなかった。
神の叡知はそれを人間に当時は知らしめ給わなかった。
そして今、それが何であるかを私達は初めて貴方がたに明らかにしたいのです。
即ち、神、至高神、天上界の最高権威であるエホバであり、ヤーウェである、
エル・ランティ様は人類にイエス様の十字架上の死を通し、人類の罪の贖いを通して、
一つの取捨選択の自由をお与えになったのです。
善と悪との取捨選択の自由と、魂の成長の機会をお与えになったのです。
子が親から離れて巣立つように、人類はそれまでの又それからも犯すかも知れない罪を問われず、
罪があるならばそれを反省し、己を罰する心を神への詫(わ)びとして、
自由なる人間として良き生を選び、悔い改めの生涯に何か意義を与え、
人々に、己を十字架につけて、その隣人愛の証とする ー
それをエル・ランティ様は人々に範としてお示しになった。イエス・キリストの犠牲を通して。
しかしその後人類は何をなしたか。考えてみなければなりません。
歴史を通して人類の罪は再び贖うべくもなく深きものとなったのです。
そして一度(ひとたび)イエス・キリストが人類の為己の生命を捧げて、
神の前に犠牲(いけにえ)の仔羊となった。
が故に、その後人類が贖わねばならぬものは各々の生命で以てしかないのです。
人は人生に於けるその為してきたことの数々、善きにつけ、悪しきにつけ、
それらをすべて秤に掛け、残った重みのある方に於て裁きを待たねばならぬのです。
もはや貴方がたの為に生命を捨てて、罪を贖って下さる方は与えられてはおりません。
神の烈しい怒りも、厳しき裁きもすべて貴方がた自身で受けねばらぬのです。
緩衝地帯は何もない。
そして少数の善なる心の持ち主、敬虔なる心の持ち主、慈悲と愛溢るる人、を除いては、
邪な心の人、悪を育ててその悪について知らぬ人、
無知で自分勝手な人、怠惰な人、欲に溺れる人は、
その罪の為、又愚かしさの為、神の裁きを受けねばならぬのです。
それに相応しい罰を覚悟しなければなりません。
人間が生き延びる為ありとあらゆる手段に訴えて、
只生きるということの為だけにどれだけの代価を支払っても惜しくない、
そういった人は多くいます。
これは三次元の生命だけのことですが。
三次元の生命でさえこのように執着するのですから、
ましてや"永遠に生きる"ということがどのように素晴らしいものであるか、と夢に見、
それを只得る為に善行を為す。或いは神に従順である。
或いはキリスト教会、教団の喰物になる人も数知れぬ程です。それは哀れな人々です。
何が永遠の生命を得るに値する生き方であるかお解りになっていられない。
只そのことの為に言われた通りのことをする。
それでは神々はその人の人格を信頼することが出来ないのです。
人格をよしとする極め手にはならないのです。
それは何故か。
私達は天上界に於て、昨年五月よりベー・エルデのサタン、悪霊とその配下を交え、
何度も戦いを繰り返しました。
戦いの繰返しの中では、能力のあるサタンによる恐ろしい程の陰謀と術策の中で、
力は互角とも見え、勢力と数に於て、悪霊側が優勢と見えたことは幾度もありました。
その中で最後まで天上界の側に立ち、善霊として戦い抜いたものは幾名いたでしょうか。
初めの人数から見れば、約半数しかありませんでした。
勿論これはこの末法の世に至って起こった現象で、
それまではサタンも必死にはなっておりませんでした。
死闘などということはなかったのです。
それまでサタンとして知られていたルシファーも、
合体した天使ルシエルの働きかけで天上界の力に抗するほどの気概はありませんでした。
そしてベー・エルデのサタン滅びし後、残ったものは昔私達と共に泣き、共に喜び、共に苦しみ、
共に勝利と栄光を味わった人々が半数、新しき魂が半数でした。
正しい側に立ってサタン側と戦い永遠の生命を失い、真の死を迎えた方は多くいられます。
しかし悲しむべきことは、戦いの苦しさとその長い期間に善悪の判断がぐらつき、
サタン側に寝返り、天上界を裏切った人があるということです。
数の大小に関らず、これは驚くべきショッキングな事実でした。
あれ程魂の修業に明け暮れ、
魂の転生輪廻の過程で数え切れぬ良き物、良き悟りを得てきた人々が、
次元の高低を問わず、我々善なる霊の世界を裏切ったのです。
これは永遠の生命への執着でした。
サタンはその攻勢の大なること、その兵力の無限なること、
決して天上界を滅ぼさずんば止まぬことを宣言し、
そして善霊側は数がどんどん減っていました。
そしてサタンはその時自分に加担する者は、味方するものには、
"永遠の生命を与えよう"と申したのです。
善悪何れにも関らず永遠の生命(何か大変素晴らしく見えるもの)を約束された時、
三次元の多くの人は強く見える方に付き、弱く見える方を滅そうとするでしょう。
天上界の善霊も同じことをしたのです。
人間の魂である四次元の霊は天国にいながら、同じ愚かな心を持ちました。
それ故私達の戦いは一層苦しいものになり、一層長く続くものになったのです。
それはサタンとの最終的戦いが二月二日から十三日に亘って行われた時のことでした。
私達は初めて知りました。最後の審判に於て何を基準とすべきであるかを。
その基準とすべきは次のようなことなのです。
又これは今後、天上界(天国)に迎え入れられる基準にもなるでしょう。
最後の審判に於て与えられる永遠の生命は、如何に生きる人に与えられるものであるか、
又天国に迎え入れられる人とはどのような人であるか。
イエス様の山上の垂訓により証せられた人々による善人の基準を外れてはもちろん駄目です。
しかしそれ以上に光(善)を求めなければならないということです。
植物も動物も生き延びる為に太陽の光を求め、その光の当らぬものは死を迎える。
自然淘汰してしまう。
そのように人間もあらゆる事をして神の恵みと光を求めなければ、神は光を与え給わない。
恵みを与え給わない。
その恵み(永遠の生命)はしかし、太陽の光と同じく光が当る所におりさえすれば降り注ぎ、
与えられるものであり、自然に得られるものでもあります。
しかしこの光(善)は只求めるだけでは駄目なのです。
善の為に戦い、善なる心に徹すること。
それが如何に困難なことであるかは、密林の中の木々が曲がりくねって太陽の光を求め、
根はうねりにうねって水を求める。
それは死闘さながらのものを思わせます。
それ程"善に徹して生きる"ことは難しく、又天上界に迎え入れられるものも数少なし、
ということを私は皆様に改めてお知らせしたいのです。
この度天上界の戦いで出た半数の人の裏切りに加えて、
高橋信次氏の生前のあれ程の善行と徳行にも関らず、天上界に於て天上界を裏切り、
悪魔とも見える行為をなした。
それが天国の規約を一層厳しいものにし、永遠の生命を一層数少ないものにしました。
これはまた見方を変えれば、
人類が一つの大きな自然の法則に生きているということの証です。
苛酷な自然の中で動植物は適者生存を強いられ、
又それに従って生き、種族が残り、保存されてゆきます。
しかるに人類は、言わば今まで神の恵みと保護がありすぎて甘やかされ過ぎた、
と言っても過言ではないと思われます。
これからの天上界より与えられるものは"塩辛いパン"です。
水はそれぞれの心の中の"善なる心"。
自分で求めて得なければなりません。
そして"善なる世界"が、これから人間が生きていかなければならぬと与えられた所なのです。
"善"とは厳しい秤です。その秤に乗らないものは適者生存の法則から外れて、
三次元では日陰に(不幸に)生き、四次元では遂に生命を失うのです。
善人のみが天国に迎え入れられるのです。善人でない人には天国の門は開かれません。
"善人尚もて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや"というのはもう通用しなくなりました。
イエス様の罪の赦しの期間は終ったからです。ブッタ様の慈悲の光も届かなくなりました。
これは人類が余りに自然を冒瀆し、自己の悪なる心で自然の秩序を破壊した。
(これは人間社会の無秩序をも含めてです。)その為に償わねばならぬものなのです。
そして善悪を知る人類はその責任と義務に於て、罪と悪を容認してはならないのです。
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様