第三章 天使の章

 (一) ラファエル大天使
 私達が最後の審判に於ける使者として、その時期と行われるさまを聖書に於て、
使徒ヨハネを通じ予言致しましたが、その通りに行われるのではなく、
この末法の世に自然破壊の促進を少しでも阻む為、静かなる形で、
死者は各々その在るべき場所に於て、生ける者は日々の生活、行動の中で行われていることを
ミカエル大天使長に引続き、私ラファエルも証言すべく、ここに記述致します。
 
 何故それが突如として今日行われねばならぬに至ったかを申しますが、
それは言うまでもなく、私達の第一番目の書である『天国の扉』にて
神と人との在り方、繋がり、天上界の仕組み、その歴史に於て、
人は神と究極の意味に於て魂の家族であり、兄弟であることを、その理由を
明らかにし証明致しました。
 "人は神の子である"という言葉が何故繰返し宗教家及び偉大な世の救世主の口から出るか、
という謎の理論的説明であり解釈を与えたのです。


 そして、その結果を読者から来るお手紙、正法関係者の反応、正法流布の中心となる人々、
及びGLA即ち高橋信次氏によって創設され、拡充され、
そして新興宗教へと堕落してしまった団体内部の個々の役員、会員の反応などにより、
ここに明らかにしなければなりません。
 その結果はネガティブ(否定的 ー 期待に反する)のものでした。

 神と人、仏との関連性については、
既にブッタ様の時代にもブッタ様の法により説かれているものなのですが、
時を新たに、用いる理論を現代に解り易く科学的に解明しようと、
古代に人々の持てる知識に合わせて平易な言葉を用いて説こうと、真理は一つです。

 同じことなのです。
 しかるに、その昔インドに於ては
神に仕える祭司への敬意、崇拝の念を持つという因襲的な生活態度から、
ブッタ様により説かれた仏の概念 ー
神は無く、人各々その徳と行いにより仏になり、
その封建社会の階級制度による重圧から救われるべきである、という説 ー
により、人々がすぐさま神を冒瀆するということ、
神を否定し切るということは無かったのですが、
現代の末法の世に於ては、そういった神の人への近寄りが却って害となり、
人は神への敬意を失った。
 持つべき畏敬の念を持たなくなった。
 それが最後の審判を決定せしめるに至った一つの大きな要因であり、動機でもあるのです。


 それまでにもこの二十世紀に於いては神を無視し、冒瀆し、
戒律(モーセ様の十戒、イエス様の戒律)を平気で破り、
人間としての魂は悪魔に売り渡されてあった ー
その為に最後の審判は必至のものであることは天上界に於て決議されておりました。


 しかし最後の赦しへの機会として、高橋信次氏を通し、ミカエル佳子譲の現象を通し、
(昨年一九七七年三月半ばまでで、それ以後は天上界はこの方を離れGLAを去りました)
又千乃裕子様の編纂せる私達のメッセージを通し、中野氏主宰の日本神学誌を通じ、
或いは人々に送った高橋信次氏の現象テープ、これは土田展子嬢がなさいました。
 ミカエル様の現象テープ ー 同じく土田展子嬢によるもの、
そして『天国の扉』に表された私達並びに九次元の方々の各章毎のメッセージ、
如来界より唯一の方として選ばれた高橋信次氏の章
(ブッタ様の合体された方であるので、権威と特権を与えられたのですが、
普通は如来界、菩薩界の方は正法を説く機会は与えられないのです。
 太陽界以高の次元の方のみに許されています。)を通し語りかけましたが、
却って人々が私達の言葉に慣れてしまい、度重なりと共に、新たな感激を持たず、
メッセージに含まれている意義深い警告、予言、などに注意を払わなくなったのです。


 却って現代の表現を用いぬ、学者の判読や詳解を必要とするもののみが、
昔から珍重されてきた霊示、神託として、人々の注意と関心を引くような結果となったのです。
 そうした結果がどういう事態を引き起こすものか、
私達天上界の者は知り過ぎる程知っております(※1)。

※1注。
 今、人々が道を誤ろうとしているこの時に、
真の救いとなる光、神の法を悟ることのない知恵なき者が、
過去の教えを無理やり現代に当てはめる、
こじつけの解釈によって益々人々を誤りに導こうとするのです。)

それだけにこの書に於て、
『天国の扉』に於て与えられた事実への好ましくない反響を是正する必要が生じてきました。

 神という言葉及び存在は人間が作り、用いた語であり存在であることは事実ですが、
それは古代より怖れを抱かしめるもの、理性では計りかねる超越した存在、
として歴史の中で認められ、又人々により伝承されてきたものです。
 しかしながら、それは真実ではなく、真理ではない故に、
私達が種々の光の天使の転生により、又その証により人々に釈明してきたことも事実です。
 神は恐れて従うだけのものではない。怒りと罰だけの神ではない。
 却って赦しにこそ、その慈悲と愛にこそ神の本質があると、
人は智恵によって悟り、そう理解してきました。それも真理です。

 しかし地球人類に先んじて、天国を創始し、人類に意識を通じて、文明を伝えてきた
先覚者とも言うべき私達及び他のベー・エルデの善霊達及び、
この人々の転生により新しく生まれた徳高き人々、偉大なる人々の魂は、
共にこの天国に於ける構成員であり、神であり、仏であるのです。
 神とは西洋の概念、仏とは東洋の概念
(神の多くは九次元以高、仏は八次元以下と考えてもよいのです)、
階位の差はあっても、立派な、尊敬されるべき貴方がたの師です。
 人類の恩人であり、賢明な先達でもあるのです。
 神との(仏との)連帯感や親和感を持ち過ぎ、しかるべき敬意を払わない

そのようなことがあってはならないのです。

 やはり天上の方々は、その啓示、警告、教訓に、歴史を通じての経験と叡知を含み、
善なる意志と救いを齎す人々として、謙譲な心を持って謹んでその言葉を傾聴し、

(盲従せよとは申されておりません)良きことであれば従うことが賢者であり、
善我の持主であると言えます。
 それがなされていない今日、
『天国の扉』にて私達の人々の歩み寄りは、あまり良い結果を生みませんでした。

 一つには善霊と悪霊を見極めるに、非常に困難な課題を与えられたからでしょう。
 しかも如何に論旨が通り、語られていることが首尾一貫して立派であり、
真理が大きいものであろうと、
読者の意識の高さにより、又悪霊、サタンの暗示と誘導により、
必ずしも正しきものを正しいと人は判断出来ぬことが明らかになったのです。

 霊能力者が超能力がある場合、その霊能者の個人としての見解、三次元的表現の方が、
私達異次元の者が、直接人々に語りかける旧約、新約聖書に表わされたような霊示、霊言より、
一層重みを持ち、悪霊まがいの判明しかねる霊能者の言葉までが
過大に評価されるようになったのです。
 これは十九世紀末と同じ現象にて、私達天上界の者は非常にその状態を憂えております。

 果して貴方がたはこれらの種々の予言をなすもの、霊示をなす者、
メシヤを名乗り、その如く振舞う者から、
真の天上よりの啓示を判別し、識別することが出来るでしょうか。
 この人々の正しき予言や霊示が正しき方向を指していなければならないのです。
 そして貴方がたはその指す方向を、正しき方を見、聞かなければなりません
※2)。
 貴方がたはこれについてよく考えてみなければなりません。

 私は神々の使、即ち天使の一人として、
一番人間というものの性格、その表象的なもの、心理的な反動形成、
人種差別、階級差別、思想の違い、貧富の差、文化の優劣、
などから来るその実生活の様々の幸、不幸を知り、理解を持ち、
人間の側に立つものとして、歎く者です。
 望むらくは、すべての人々が最後の審判に於てその罪を軽くせしめられ、
天国に席を連ね、或いは地上を真の仏国土、ユートピア、神の国にする使命を自覚し、
行うものとして残されることを私は祈るものであり、
又神々の怒りを宥(なだ)めるものとして、貴方がたにその真意を伝えるものなのです。

※2注。
「希望と愛と光」82年3月号初出 ラファエル様メッセージ「判断力について」全文
&「天上界メッセージ集」218頁
「判断力についてお話ししましょう。
 良い悪いと正しいと間違っている、の4つを区別出来ますか?
 集いを廻っていて、意味を掴んで発言、考察している人は滅多にいません。
 殆どの人が、4つを混同しています。何故今回そう問いかけたか分かりますか?

 正法に対する認識の中で、
「良いものと悪いものをはっきりさせる」、「正しいか間違っているか判断する」と言いながら、
何がそれに当るのか解らずにいる場合が多いからです。
 
 良い悪いというのは、概ね個人の主観から出る場合が多く、
良いものも時には悪く、悪いものも時にはよくなります。
 長所、短所の考えに似ています。
 では良いと正しいは同じでしょうか。
 私達天上界が正しいとするものはどんなものでしょう。
 正しいというのは方向や姿勢を判断しているのであり、良いというのはその状態を判断しています。
 一見差し障りのない所謂"良いことを言っている"宗教を、
間違いとする天上界の見解がここにあります。
 正法的なものの捉え方というのは、良い悪いではなく、正しいか間違っているか、なのです。

 真実と事実も又そうです。
 事実が状態を指し、真実は方向や姿勢、性質を指します。

 これらのことを判断出来るようになるには、まず考える癖を付けることです。
 今まで何となく思い浮かべていた事柄について、人の評価について洗い直してみることです。

 理性は生まれながらに備わっているものではなく、育つものです。
 理性を育てるのは謙譲な気持と考える意志です。
 だからといって、考えることや反省すること(所謂内観法に囚われること)ばかりに気を取られ、
実際に行動する上での積極性と智恵に欠ける人は
"役に立たない"ということを忘れないようにして下さい。
 生きていく上の、人生の智恵 ー パニャパラミタ ー
こそ正法者としても天の一員としても欠くべからざるものなのです。」

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