第二部 神と人類の交流
第二章 (霊道の開かれた)古代人類に証された神の顕現と御意志、
    及び真実を封印されるのも、
    その解かれるべき時にそれを為す者(現天上界)も神である。
     預言されたものを成就するは神であることを、神の証するに時があることを、
    神が現れる時、人類は悟るであろう

四節 現天上界が今を生きる神であることの証言
「天の奇蹟・下巻」 第八章 "人の子"イエスの訪れ 323頁
 ここで「天の奇蹟」シリーズの大団円を迎えるため、
たいていは歴史の背後に隠れ、時折、記録されるに過ぎなかったが、
実は歴史を動かす原動力であった天上界の働きを、まとめた形で明らかにしたいと思います。
…… と脱稿時点で筆者は書き、続けてイエス様の誕生から十字架上の死まで、
如何に天の護りと導きがあったかを、もう一度ふりかえり、
天の導きを讃えることで本章を閉じておりました。
 しかし前に示した事情によって、イエス様の一生はサタン・ダビデが提案し、
天上界をそれにひきずり込んだ遠大なドラマであったことが判明した今は、
前の稿は使えなくなりました。
 このような事実を初めから知らされていたら、
恐らくこの章を書く意欲は失われていたでしょう。
 そして今はもう、繰り返してイエス様の生涯を概観し、
その一つ一つがダビデの計画にあったと記す気力は残っていないのです。
 何ということであろう。
 神の栄光に満ちるべきその生涯と死さえもが栄光へと変わることのない悲劇であったとは‼

 イエス誕生の予言も、その準備、誕生も、サタン・ダビデの舞台設定であり、
奇蹟の多くはダビデの配下と、手伝わされた天使達により、
大天使方は出来るだけノータッチにされ、
合体霊・守護・指導霊と共に必要な場合のみイエスを助けられたとは!
 栄光に彩られるべき奇蹟が、実はダビデ及びその配下の者達が主体となってなされたものであり、
それらは天上界指導のものではなく、またイエス様が自ら関与されたものでもなく、
強い磁場のある地域に育っておられたイエス様の身体が
サタン・ダビデの強いエネルギーを通過されるに使われたとは!

 イエス様とその弟子達を正法流布の松明(たいまつ)とし、
正しい教えを常識とするまで広め、世界を浄化し、
最終的には正しい教えを基盤とするユートピア実現へと望む計画は、
天王であったエル・ランティ様のご意志であったのに、それを悪用し、
この計画に献身した偉人たちの霊を暗殺し、はたまた奇蹟をわが手中にし、
やがてはサタン・ダビデが自分の王国を作る計画へとすりかえようとしていたのだとは‼
 もはや語るに言葉なく、天の奇蹟は暗色に彩られてしまいました。
 ただ次の箇所のみは、この節で記載に訂正が要りませんでしたので記しておきましょう。》

 天上界はサタンの再三再四の妨害工作を避けるべく、イエスを危険より遠ざけた。
 しかし頑迷な祭司、律法学者、軽薄な大衆たちの迫害、
それにサタンの執拗な陰謀の手は伸び、彼らはイエスを捕え残酷な十字架の刑に処した。
 天上界はこのとき、張り裂けんばかりの気持ちを込めて、
イエスにエネルギーを注いで苦痛を柔らげると共に、肉体の完全な死をも防ぎ通した。
 それが「復活」という大奇蹟となって弟子達を奮い立たせることになる。
 その際、イエスの巨大な墓石を除(の)けたり、
マグダラのマリヤ等に顕われて復活の事実を告げた(身体の復活)。

 やがてイエスはたびたび霊体で弟子達に顕われて(霊体としての復活)
のち天に昇られたときに、再来を弟子達に予告した。
 五旬節(ペンテコステ)に大勢の弟子が集まっているときに天は、
突然、激しい風と共に弟子達に降って、諸々の国の言葉で異言を語らせ、
まだ信じなかった人々をもキリスト者とし、ペテロらの弟子を伝道に立ち上がらせ、
道々で弟子達を通して奇蹟を行い、沢山の人を集いに加わらせた。
 その上イエスは迫害者パウロに顕われ、一転して彼を大伝道者に変え、
ギリシア・ローマの地にイエスの教えを広げる業をなさしめた。
 ペテロが牢に閉じ込められると、扉を開き、番人を眠らせ、ペテロを逃がした。
 また各地に伝道する弟子達を助けて奇蹟を行い、町の有力者を弟子達の下に来らせ、
世界各地に次々とイエスの教えを浸み込ませた。……

天と、そして「人の子」の栄光に帰せらるべき数々の奇蹟が、
実はサタンの主導したものと暗転してしまった。奇蹟は今や悲劇と同義語となった。
 そのようなことは、筆者も、そして読者も夢にだにしえないことでした。

 しかし冷静に考えようとしてる筆者の脳裡に浮かんだのは、
『天国の光の下に』第七章「正法」に千乃様が書かれた次のような冒頭の言葉です。
「元大天使の長(おさ)ミカエル様の本体として与えられた使命、
即ち科学と宗教の一致に関し論証しつつ体系づけてゆき、(中略)
科学的合理的理念に基づく調和された文明の進展を促す原動力を与えること、
の他に私のもう一つの使命は、一万年前の昔より人類と天上の善霊の唯一の敵であったサタン、
と戦うことであると教えられました。
 サタン・ダビデに襲われ、元大天使方と戦い抜いて遂に消滅し得たそのサタンが、
いかに世を惑わすために卑劣で巧妙なわなを仕掛け、(中略)
全世界に偽物と本物を混同する恐ろしいほどの数の霊能者および四次元の奇跡をばら撒き、
悪霊の配下をして三次元人間の徹底的な魂の堕落を計った。
 科学を愚弄し、呪術信仰その他諸々の"神の癒し"によって医学を軽んぜしめた。
 それら世界の盲点となり死角ともなっている点を
この第三巻以降の巻によりすべてについて明らかにし、世の混乱を失くしてゆくこと。
 正しきものと正しくないものをふり分け、読者の理性に訴え、
天上の光はいずこに射し込んでいるか、それを灯台のごとくに示してゆく。(中略)
そういった形で、"サタン"と戦うのです。
 勿論私のみでなく、世界中の方々が共に"サタン"と戦って頂かねばなりません。
 そして三次元の人々が四次元の悪霊の謀略に惑わされぬ知慧を得た時、
初めてユートピア建設の第一槌が音高く打ち下されるでしょう。」

 期せずして本書の最後になって、イエス様の生涯と奇蹟に関して、
サタン・ダビデの謀略の全貌が明らかにされたことは、
この千乃様の、そしてわれわれの使命の一つにふれることとなりました。
 そして大切なことには、天上界高次元の方々の生き方と考え方、
そして意志が改めて浮き彫りにされたことです。
 つまり、天上界の方々は、
一、合理的思考を基調とし、科学、医学を重んじられること。
二、人為を凝らした巧妙な大じかけのトリックともいえるような奇蹟を好まれず、
より自然な、自然に合致した生き方を好まれること
(自然のすべてを生かす心(法)に、愛に目覚める心が自然に生きる生物の、
進化した人間の到達点である。自然と一体を見出す心は、
ブッタ様が悟られた宇宙即我の心境に近いのではないでしょうか)。
三、小動物から人間に至るまで、こよなく生物を愛されているので、
生物の血を見るような悲劇は断じて計画の中に入れず、また避けようとされること、
それはロシア革命を初めとする幾千万の血を流す革命を徹底して嫌われる
(そのような悪の犠牲者を救おうともしない冷酷を嫌われる)ことにも現われております。

 このような精神がユートピア造りの基調でなくて何が他にあるでしょう⁈
 合理的思考や科学を軽んじるような宗教があるとすれば、
そのような宗教がどうしてユートピア造りの一員となれるだろうか。
 血を流し続けることを正当化するような社会・共産主義に、
どうして人類の運命をゆだねることができようか。
 これらの組織やグループは、サタン・ダビデが仕掛けた遠大な謀略の余燼(よじん)の一端を
今もって担い続けているピエロではないだろうか。ー

 このように考え、人々が再び決して、サタンの残した惑わしに同調しなくなること、
何よりも健全な思考と意志の持ち主になること、そして敏(さと)き者となること、
それが未来のユートピア実現への希望を作ることです。
 それが暗転した天の奇蹟を、再び天と人の子との栄光へと転じる、
唯一つの道ではないでしょうか。

「古代日本と七大天使(西澤徹彦著)」19頁
 8 〈神樂歌71〉 得選子(とくせにこ)
 得選子(とくせにこ)が閨(ねや)なる や 霜結(しもゆ)ふ檜葉(ひば)を 
 誰(たれ)かは手折(たを)りし 得選子(とくせにこ)や たたら濃(こ)き日(ひ)よや
 誰かは手折りし 得選子
  得銭子加祢也名留 也 志毛由不比波乎 
  太礼加波太乎利志 得銭子也 多々良古支比与也
  太礼加波太乎 利乃 得銭子

 この歌謡の原文では、前出の加波良与里(ガブリエル)が
加波太乎利(ガブ(リ)エル)となっており、良が太に変わっています。
 良(ら)が太(た)に訛ることはよくありますが、
これは和文が「誰かはら折り」では解りにくい、解らないとされ、
これは檜葉を手で折ったことを言っているのだ、と解され、
「誰かは手(た)折りし」と変えられたと推定されます。

[ヘブライ語訳] (語文、発音は図8参照)
 あなたは踏襲するだろう。
 彼は二番目を定められるだろう。
 私達の異邦人である彼は受け継ぐだろう。神の名、ヤハウェの遣わすべく。
 すなわち、証(しる)しはエル、ガブリエルである。
 そのあなたは神としての二番目を踏襲するだろう。
 あなたは順番を望むだろう。
 彼はあなたを待ち望むことだろう。
 神は告げる。
 証(しる)しはエル、ガブリエル。
 そのあなたは踏襲するだろう。
 彼は二番目を定められるだろう。

(註釈)
 ガブリエル様が、次期王位継承者であることは、現天上界メッセージで既に明らかですが、
このことも既に古代に於て決められ、発表されていたのです。
 次期王位継承者についてのミカエル現天王の最初のメッセージは
一九八一年一月二十二日付のものですが、

(また、ガブリエル様自ら、八四年六月二十九日のメッセージ(JI誌八月号)で
次期大王として王位継承を明言されています)
この得選子(とくせにこ)の古代ヘブライ語訳出解読は一九八六年一月十七日に始め、
同月十八日に完了したことを明記しておきます。

(注。解読以前にこの事実を明らかにした者は現天上界だけであった。
 そしてその解読へと導いたのも現天上界であった。
 現天上界以外に天上界は存在しないことが証明された。)

 これらの訳出は、『JI』誌と本書で発表されるのが初めてですから、
事実については天上界以外は誰も知らない筈です。

 サタンの迫害から人類を救いたい、
そのサタンが実の弟であったことは十字架の苦しみであったことを、
エル・ランティ様は『天国の証』で語られましたが、
『天の奇蹟 下巻』を執筆されていた岩間先生は、イエス様の十字架とは、
そのエル・ランティ様の人類救済の思いの現れであると確信するものでした。
 マリヤ様の処女懐妊も、死人が蘇ることも、
自然の摂理を超えた存在、全知全能が神を信じる当時の人々には信じられたかも知れないが、
真実ではないことを証明されてきた岩間先生が原稿を完成する直前に天上界の発表されたことが、
イエス様の十字架はサタンが計画したということでした。
 何故それを今になって天上界は伝えたのか。
 ダビデにエル・ランティ様が従わざるを得なかった事実を天上界は明らかにしたくなかった、
しかしダビデの意志を隠した場合、神の心を捻じ曲げられて捉えられかねない、
そしてダビデがエル・ランティ様によって消滅されたことから、
真実を公表する方向に変わったのではないでしょうか。

 宗教が真の神を見出だすことが出来ない事実を天上界は明らかにされました。
 聖書の中に書き込まれた、
神を名乗るサタンの意志を成就させる為の予言を人類は全く見抜くことは出来なかった。
 宗教は人類の精神を停滞させるものであることを天上界によって初めて証されたのです。
 宗教が神に従うものではなく、サタンに従うものであることが証明されたのです。
 そのようなサタンを見抜くことの出来ぬ人類を神に立ち返らせる為に、
神の心を目覚めさせる真理を以て現天上界が現れました。
 真理を語る為に現れたとミカエル様は仰しゃいました。
 その真理の光の下にサタンの業を明らかにする現天上界が神であることが明らかにされたのです。

 エル・ランティ様は、サタン・ダビデの計画に従う以外に、
救世主をこの世に齎し、救いの預言を成就することは、神の教えを、導きを与え、
迫害に苦しむイスラエルの民を救うことは出来ないと、
ダビデによる十字架の計画を承認したものであったことは、
心情的にも、またキリスト教の信仰の基盤を破壊するほどの衝撃であったことが、
岩間先生の言葉から伝わるものでした。

 そしてヘブライ語で語られたエル・ランティ様の霊言が隠蔽された古代日本歌謡
(古事記、日本書紀、万葉集等)の解読を西澤先生が進める中、
一九七八年にエル・ランティ様に継いで天王となられたミカエル様の後を
ガブリエル様が継承されることを天上界が発表されました。
 古代日本の時代にそのことを予言したエル・ランティ様の霊言の隠蔽された歌謡を、
やがて西澤先生は解読するに至るであろう。
 西澤先生が解読する前に、天上界以外にそれを知る者がいない時に、
自らを真の天上界であることの証となる、
ガブリエル様の次期天王であることを公表したことは明らかでした。

 岩間先生の文章からも、また西澤先生の文章からも、
生ける神、現天上界の働きかけを明らかにする証言が残されたことは、
真の天上界を証するものとなりました。
 これほど現天上界の実在を証する言葉はないのではないか、
それを皆様にお伝えしたく思いました。

 現天上界を確信している皆様が、両先生が実感された如く、
今を生き、働きかける現天上界の存在を感じ取る契機になれば、
皆様にとって忘れ難い出来事になることでしょう。
 真の天上界との出会いを迎えられることになるのですから。


〖追記〗
「トリノの聖骸布の奇蹟(天上界メッセージ・エッセンス)」より
"十字架上のイエス様の痛覚を麻痺させた天の奇蹟"
「JI」80年5月号初出 千乃先生解説より
&「エルバーラム(82年12月初版)」126頁

「トリノの聖骸布は十字架から降ろされたイエス様の御身体をお包みした正にその布であることが
『天の光の下に』で私が他に先駆けて発表した通り、科学者によって証明され、認められたことを
御存知であると思います。
 その布、リンネルにネガフィルムのように写し出されたイエス様のお顔は、
あれ程の残酷な扱いにも耐えて、実に安らかで苦痛なきお顔です。
 この"苦痛の跡を留めぬお顔"について、
宗教関係者も科学者も、何一つ疑念を抱こうとしないで、
これこそ神である証としか考えないという所に、
私は宗教に関する非科学性を今更に痛感するのです。
 布フィルムからも判る通り、イエス様は正真正銘人間でいられます。
 人間ではなく神が人形(がた)を取られているのだ、
などという宗教馬鹿には何を説明しても無駄でしょうけれども。
 そして人間であるからには、拷問に等しいやり方であのように無残に傷付けられれば、
苦痛に歪んだお顔をして死なれるには、医学生であっても知っている筈です。
 エジプト第十七王朝のセケネンレー王のミイラは、頭と顔を手斧で五、六箇所割られ、
苦しみの形相を残しているとのことです。
 手斧だったからだろう、などと馬鹿気た反論は伺いたくないものです。
 では何故イエス様は苦しまずに死なれたか。
 天上界元七大天使方は、イエス様が苦痛を感じないよう、お守り申し上げた、
と『天国の証』でミカエル様が述べられております。
 その通りなのです。私はその方法を、ミカエル様に詳しくお伺いしました。
 ミカエル様によれば、頭部から電気的刺戟(微弱電流)を与え続けることによって、
イエス様は苦痛を殆ど感じられなかった、との事でした。
 何故感じられないかは、その刺激によって痛覚が麻痺する効果があることを
ベー・エルデで学んだから、とのお答えでした。」

「希望と愛と光」81年11月号初出(改訂) 千乃先生解説より
&「エルバーラム(82年12月初版)」135頁

「(トリノの聖骸布に見られる)ヘモグロビンの反応を示す血液の痕、その流れの方向、
ムチ打ちの跡、ユダヤ人の容貌と三十歳代の身体、各所の聖書記述通りの、数まで一致する傷跡、
槍と釘の跡、瞼の上に置かれたコインの大きさと形の跡、
当時のパレスチナで生えたとされる不毛地帯植物の花粉と
(死海やネゲブ周辺の典型的な植物や)布があちこちに運ばれ、
隠されていたとされる歴史通りの場所や国の植物の花粉。
 あらゆる可能な、そして厳密な物理化学的測定と調査(炭素14法による年代測定を除く)
研究に基づき行われたNASA科学者チームによる発表ですが」

「『UFO』誌のNASAチームは、
顔の輪郭などの立体像がどのようにして克明に布に写し出されたかは謎としております。
 密着していただけでは証明出来ない立体的なものとのこと。
 しかし、布に描かれた画像でも十四世紀に偽造した物でもあり得ない、
あまりに多くの証拠が分析によって発見されたことは当然すぎる程当然です。
 中世の科学技術にも知識にも、キリストが十字架の上で苦痛を和らげる為にしばしば伸び上がり、
それによって生じた血液の流れの角度、脇腹を槍で刺された時に迸り出た血の流れの痕 ー
そういった物を偽造する術は皆無。
 現代でもこれだけ多くの事実を裏付ける為に聖骸布をそのまま偽造することは、
実物がなければ不可能なのです。
 それを結論付けられない学者は石頭でしかありません。」

「JI」82年3月号初出 千乃先生解説より
&「エルバーラム(82年12月初版)」137頁
「実はこれについては、『天の奇蹟』下巻発刊まで発表しない方針でしたが、
NASA(前述の科学チーム)では来年辺りにトリノの教会が炭素14法テストに合意するであろうと
言っておりますし、下巻が出るのは一寸時期が判りませんので方針を変更することにしました。
 真偽論争が現在の実験方法で果たして正しい解答を得、
終止符が打たれるかどうかに疑問を生じてきたこともあり、
一方こちらに先んじて万一正しい解明が得られた場合、私達の出る幕がなくなります。
 詰り、真実を知る天上界高次元の方々が自らを証明する場を一つ失い、
私にとってはこれは耐え難い事です。

 偽メシヤ、宗教宗派及び非良心的なマスコミが
勝ち誇る機会を虎視眈々と待ち構えているからです。

  さて前掲のUFO誌82年新年号に依りますと、四十名の科学者がテストを行い、
どうしても謎として解明を待つ事柄に、
 一、 一体どのようにしてその像はリンネルに付着して、完全に立体的な像を形成したのか
   (現象の条件 ー 如何なる材料、環境が齎したか)
 二、 このリンネルに、どのようにして奇蹟的な立体像が現れたのか
   (現象の原因 ー どのような理論が現実に展開されたのか)
の二点があります。
 彼等はもし布が人間の顔に直接に押し付けられたら、出来る像は歪んだものになる。
 そして一つの実験をやってみて、一人の男の顔に油を塗り、その上に布をかぶせ、
その布を焦がして像を得たが、随分歪んでいた。
 その理由は立体的な物体を二次元のものに投影したからで、
結局一、二の論点は謎のままであると書いております。」

「聖骸布が全面に密着していなかったから余計に鮮明に映像が写し出され、
それが写真のような平板なものではなく、レントゲン写真のように立体的にイエス様を前面、
背面の細部に亘って写し出し、しかも強い放射線でなく、
普通の辺りに存在する電磁エネルギーで行われたが故に、
布と肉体との距離に忠実にネガフィルムを布上に作り出し、
レントゲンフィルムのように骨のみを写し出すことはなかったのです。」

「自然現象では起こり得ず、熱或いは光の照射によって生まれたからなのです。
 たとえ全面的に密着していても、押し花のように上下から重石がなければ、似た像は出ません。
 そして聖骸布にイエス様の立体像を写し出す為に何らかの工夫が為された訳ではなく、
人によって"偉大"という表現をしようと、"何だ、簡単な"と表現しようと、
それは"イエス・キリストの復活を実現する過程での副産物"であったのです。
 しかも死海周辺地域の強い電磁波の偏在するパレスチナでこそ可能であったのでしょう。」


 トリノの聖骸布の謎を解き明らかにしたのは、
後にも先にもこの天上界による証だけです。
 現天上界を知らない人々は、今もその真実を知る神を、その苦しみを知りません。
 神の思いの伝わらない心に生きているのが自分であると思うこともありません。
 自分の知りもしない神を崇めているということも知りません。
(2026.7)