神が今を生きる神ならば、
イエス様が、ブッタ様が今を生きる霊として存在していると信じるならば、
彼等が心に掛けられているのは、私達の生きる今、この世であることが理解されるでしょう。
その天上界の思いの伝わる者とは、天上界の働き掛けられる心とは、
真理に、真理に生きる神に対して素直な心になれる者と教えられました。
人を生かそうと、人が(神を信じる)神の心を見出しての真の幸せを知ることを願う者は、
神に愛される者です。
神の愛に導かれてきた人類の歴史を知らされて尚、
善なる心へと顧みる、優しさを思い出すことが出来ぬ心なら、
その者は神の愛から隔てられた世界に生きて来たのでしょう。
愛を知らぬ心は、人は無論、己自身をも救えない、
真の救いが如何なるものか理解出来ないのです。
"メシヤが個人である場合には人を救う神とはならない、
天に在る神々の意志と計画のみが人類を救うからです"
とイエス様は仰しゃいました。
私達の魂を救う為に、本当に物心の付く前から私達の良心の糧となる善なる思いを
合体霊から受けながら、
そのような思いも、神の伝えてこられた愛も、憐れみも、宗教の問題と考える、
その宗教も信者を喰い物にするものと避けられるのも無理からぬとあっては、
個に於て(合体霊を通して)神を見出すしかない。
正法によって合体霊の存在を知らされても、
彼等の思いを踏み躙ってきたことを知っても悔い改めようとしない。
神々の言葉からその心の美しさ、魂の研磨の精神力、
悪霊との闘いから人類への救いの思いも伝わらない己が心に苦しむことさえない、
その愛に応えたいとの思いも尊敬の念も起きぬ心ならば、
そのような心をしか養わぬ世を変えようとされる天上界の思いも受け止めることがないなら、
天上界は人類に地球を委ねられ、天上界の思いの伝わらぬ地球を去られ、
地球人類の望むままに任せられることを証されました。
天上界の愛と一つになることを拒む心に愛があると考えるなら、
世界は神を捨てた共産主義に生きる、真の愛の不毛な魂だけの、
弱肉強食のみに生きる生物しか存在しないものとなるでしょう。
現天上界(即ち天国)に生きる全ての善霊の心を一つにするとは、
魂を研磨した者の見出した真理が同一のものであるということに他ならないのです。
故に天上界を統べる唯一の神の法(正法)を最後の福音として齎したのです。
神の法に生きる全ての善霊の思い、人類を救いたいという思いを伝えたのです。
そのことを忘れ去っていたとしたら、
神の愛の伝わらぬ心(偽我 ー 悪魔に手玉に取られる心)に生きてきたことを
何にもまして悟らなければならないことだと思います。
末法の世であるとも判らぬ人類に、天上界は神の法によって裁かれた者を滅び去るに任せ、
彼等(邪悪なる者)から心正しき者を救い出されて来たのです。
神の救いに与る意志なき者を最後の審判によって篩に掛けられるという、
末法という世を予言(警告)されて来たにも関わらず、盲いたままにこの時を迎え、
今人類が後戻りの出来ぬ道に踏み込むなら、
地球は未来を失う、そのすべてがこの時代に掛かっている、
天上界が初めて人類の前にその姿を現されたのは、その為でした。
肉体を持たずば魂は生まれず、この世を如何に生きたかが魂を定める
(死んだら誰もが成仏出来るものとの教義を信じ、
研磨されることのなかった、清めることのなかった心は、仏から程遠い心をそのままに
自らの魂として残される)真実を初めてこの世に伝えられました。
人は無論、霊も地球が滅びれば存在し得ません。
人間の属性を持つ霊に見える世界は、この世の物質世界であり、
生きる喜びは人も霊もこの地球の美しさと生物の存在無くば、只地獄を生きることになるのです。
肉体を持たなくなって、生き物を食する必要の無くなった、
また如何なる動物からも食される恐怖から自由になった
(人を含めてあらゆる動物の)霊にとって、
自然は、生き物の存在は、愛のみを必要とする魂の生きる喜びそのものとなるのです。
この世を地獄にすれば、新しく生まれてくる人間は悪人となり、死後は悪霊となる。
地上も天上も悪の想念が支配する世界となります。
この世を神の国にしなければならない。
その為に天上界が正法を、魂を救う道を伝えられました。
霊ではあっても彼等が、私達と同じように今を生きていると信じることが出来るなら、
彼等が今この世をどうされたいと考えているのか、
人々を救う為に今どのように働き掛けられているのか知ることが出来ればと、
その為に役立てればとの思いを持たれるに違いないと思います。
クリスチャンは、今も十字架に磔にされたイエス様を仰ぎ見て、
心を痛めて祈りを奉げているのだそうですが、
イエス様を十字架に掛けた人々は、過去に伝えられた神を心に止め、今に働き掛ける神を、
神が今願われている思いを、理解したいという神への愛を持たなかった人々が、
イエス様を殺したことを、クリスチャンは理解しているのでしょうか。
【イエス様の心が理解出来なかったということは、
真の神の心が理解出来なかったということです。
現天上界の神々(高次元の聖霊)が自らメシヤとしてその思いを意志を語られたのです。
その語られた真理から、思いから真の神と認められずに、
過去に伝えられた絶対神の虚像を崇め続けるならば、
イエス様を受け入れられなかったユダヤ教徒と同じように、
真の神の御意志(人類の救い)を拒むことになるのです。】
聖書の中のイエス様の十字架に心を痛めて、
今を生きるイエス様(御霊)の苦しみを見出すことなく、
己の、宗教の無力を嘆かないでいられるような者に、
天上界の苦しみを感じ取ることは不可能なのでしょう。
苦しみにある人々への責任から逃げての、己が良心の呵責(神の目)をも欺かせる為に、
イエス様を十字架に掛けた人類の罪を裁く神の側にあると
クリスチャンは思い上がっているのでしょうか。
自分はクリスチャンだから神に愛されているとの自己愛に安住させながら、
今も神の子らを彼等は十字架に掛けている(平然と見捨てている)、
そのように信者を導き、依存させる宗教の欺瞞を、
偽善を天が見逃すとでも思っているのでしょうか。
イエス様は真理を知らずとも真理に生きている者を愛すと言われました。
真理を学びながら、今神が証されている真理が見出せないのは、
真理に生きていないからです。
天と同じ心であれば必ず天の思いが心に伝わることを天は証されております。
神が今、人類を救おうとの思いからその存在を証され、語り掛けられている、
その思いに神の愛を認めず、その言葉に神の智慧を認めることも出来ない宗教団体に
解散を命じられた天の失望に胸を痛める誠実さが残っているでしょうか。
神に聞き従おうと神の御心を慮ることのない、愚か者の祈りに天が耳を傾けると考える、
そのような自惚れた者の祈りは天国には届かないと神は仰しゃいました。
現代に於て、神は人間の霊であることを証されました。
(彼等の信義の基盤であるその誠実さ、生きる物に注がれる優しさを本質とされる、
神の法に従う人々の国(天国)を守られ、真に神を求める者を救う)神々から
人類に与え続けられた愛と信義と、その叡智を現代の人類は理解する理性を、
天上界の導きで得たのですから、その魂に出会うことの出来た者は、
神への愛を、信義を持つことが出来ると天上界は信じられたのです。
このような神の人類への歩み寄りによって、
神を身近な者と感じて、軽んじる者がありました。
(注。
全能なる神を信じた古代の人々も、天に上がり神々が人間の霊であることを知るに及んでも、
神々の霊に導かれてきた彼等の仰ぎ見る神への思いは不動のものでありました。
現代に於いてもそのような純粋な魂を持つ者が稀にいて、
神々は傲り高ぶった現代人に比べて彼等(ブッシュマンのような)は遥かに神々の心に近い、
愛すべき魂であると言われます。
正法者に程遠い者が、自らを正法者と信じる。
偽預言者が、偽救世主が、我こそはその者なりと信じるその心の醜さに、
神々は辟易されたことでしょう。
己自身を知らずして正法を学ぼうとも益することなしとラグエル様は仰しゃいました。注終)
しかし、神々が今この時代の人々を救う為に、
人がその魂に、神と同じように悪に対する強い精神と、
悪を見抜く知恵を持たねばならないことを、
そして、人間の魂にはそれが可能であることを知らせる為に、
彼等が私達と同じ人間として生まれてから、数億年という長きに亘る魂の研磨と、
破滅へと導く悪魔から人類を守り、天へと導き続けての、
現天上界の神と呼ばれる存在に至ったということを、
そして彼等の教える正法(ブッタ様の、イエス様の教えを更に深めたものです)
に従うことで人類が彼等と同じ神の心(善我)を掴むことが可能であることを
伝えようとされたのです。
何故ならば、天上界の神々は、創造神の子として永遠に神の庇護の下に生きようとする人類の
認識を改めざるを得ない真実を知らせる為でした。
神の人類への思いは、人類が天の思いを理解し、
信義で以て天へと繋がることの出来る精神へと成長すること。
その為に父として我が子を成人した精神へと導こうとされました。
その為に彼等の知る、彼等が命に代えても守ろうとした真理である正法を伝えるのです。
それを受け入れる魂しか、天国を、善なる魂の喜びであり、希望である世界を守れないからです。
この世に天国を齎すことが出来る魂とはならないからです。
その正法とは、彼等天の聖霊が、数億年に亘りこの地球の自然の営み、
生物が生き抜く為に進化してきた、そして人類が誕生する姿を、
彼等進化し終えた異星人(の霊)にとって、
初めて目の当りにする自然のダイナミズムの表れの中に見出されたものです。
その間の生き物が生き続ける、種が保たれている法則と、
その法則に従う生き物の知恵から見出された真理、自然の中に生きる調和と中庸と愛こそが、
永遠の存続を支えるもの(真理)であることを伝えねばならない。
人の短い一生では理解されず、
また人類を滅ぼさんとする邪悪な存在により、
欲望に生きる喜びの内に破滅へと導かれた者達に、
神の願いを妨げられてきたからです。
真に人々の魂を救いへと導く指針こそが正法です。
そのような教えを、古代の人々に、
自然現象が、宇宙の誕生が神の業と考える、自然科学を何も知らぬ人々に、
理解出来る精神は育っておらず、彼等(の幼い精神)には
絶対神と信じられる方の保護が必要でした。
(二千年に亘って、精神の成長を齎し得なかったキリスト教会は、
信者を支配する為に神への依存心を信仰と呼び、精神の成長を阻んできたのです。)
すべての生き物を救う、地球をサタンの破壊から救おうとされる神の御意志に、
神を愛するあらゆる宗教の信者が互いに唯一の神に導かれた者同士である自覚を持って、
今語り掛ける生ける神の教えに聞き従うよう、
神の真理へと導かれた宗祖達が一つになって救おうとされているのです。
私達は、天上界の伝えようとされた意味を、理由を、
そしてその思いを理解するに充分な知識を与えられました。
彼等と同じ心となって自ら神の愛を持つ心に変える為には、
その知識を指標にして生きられるか、心が目覚めるか否かに懸っています。
天の道に生きることを喜びとする心に変え得ないならば、
その心に真の自由を見出せないならば、
光に背を向けさせる偽我を、天を裏切るとも知れないような心を許しているのです。
現実に天に踵を返した者達の存在したことを知らされたのですから、
偽我を軽く見ているならそれが偽我なのです。
善我の光が心のすべてを照らす(常に良心に意識を向けていられる)時、
偽我から安全でいられる善我に立っていると言えるでしょう。
神の心(善我)という真実は、天上から齎された光であり、恵みであり、
人は光の中を歩むべき存在であることを証するものです。
天国とは神の心を持った人々の生きる世界です。
神々がこの世に神の国を作れと言われ続けたのは、
天の法が真理(魂に永遠の自由、解放を与える唯一の道)に基づいたものであり、
あらゆる生き物の種を存続させる調和を齎すものに他ならないからです。
この世に生きれば、悪に苦しめられれば、怒りに苦しみに自分を見失うこともあるでしょう。
優しい思いが踏みにじられれば、何故愛に生きるべきなのか解らなくなるかも知れません。
満たされた人にしか、余裕が、優しさが持てないのだと思うかも知れません。
しかし裕福な中で、求めずとも得ている、優しさが、愛が、本物なのでしょうか。
本物の愛が、人を安穏とさせて、満足するものでしょうか。
裕福に生きる幸せを失うかも知れぬ時に、
理性を見出していた心の余裕を失うことなく、
人の思いを顧みる心を変わらず持ち続けていられるでしょうか。
(自らの生きる環境が平和でありさえすれば、優しい心でいられる、
それが目的で、自分の平安を脅かす争いの世界から、救いを求める人々から目を逸らす、
そのような心に愛が宿るとは思わないでしょう。
本当の優しさは、人よりも自分を優位に置こうとする、
人よりも優位にあると優越感に生きる心からは決して生まれるものではありません。)
苦しみに遇うまで苦しみに屈しない信念など求めることなく安穏と生きてきた者が、
苦しみに遭って天の救いを求めた時、初めて、
"本当に人が見つけなければならないものとは、
そのような苦しみの中でなければ人は探し、求めようとしないものだから、
この世に満たされた偽我に生きる者が、真理に生きる真我に目覚めることはないのだから、
苦難に遭って神を見失わない為には、
神の救わんとする神の愛を信じることに他ならないのだから、
人が神の愛を自らのものとする為に、
天上界は艱難、苦難を与えられるのだ"
と言われてきたことに気付くのではないでしょうか。
神の心に生きる者なら、真の愛を見出した者なら、
苦難に遭っても、善なる心を見失うことはないのかも知れません。
そのような愛に生きていないから、私達は苦しむのかも知れません。
しかし、私達は人を憎んで、人に腹を立てて、
それでよいと思えないから苦しんでいるのではないでしょうか。
善が悪に負けてはならないように、
善を愛する心が、憎しみから愛を見失うようではいけないのです。
イエス様が仰しゃった、本当に苦しい時に私達の言葉を、
思いを忘れずにいることが出来る心とは、そのような道を神が導いていると、
天の霊が傍らにあって善なる意志を、神の愛を伝えてきたと確信されるのは、
苦難としか思えなかった、光を見出せないでいた自身の心から、
闇の中を光へと導かれていると信じる心に、
悪を悪と認めて立ち向かう善なる心に目覚める以外にないのです。
この世に正しい道を歩く者の苦しまない者はいないのだと天上界は仰しゃいます。
彼等は常にそのような者と共にあって、人々の希望となり、救いであり続けたからです。
「天は何時も心正しき人の味方であり、
義に飢え渇き、世の不義に泣く人が私達の袂で泣くからです。
その為に私達があるのではありませんか。
世の不義に怒り、この場に集って来たのではありませんか。」(ミカエル大王様)
真の愛を必要とする者は、皆神の袂に行くのです。
彼等を苦しみから喜びに変える真の愛を与え得る者は神だけである(※)からです。
苦難に負け、神に背を向けて、何を求めるのでしょう。
神を捨てた心に満たし得る何があると言うのでしょう。
人々の前に初めてその姿を現し、語り掛けられた存在を神と知る心へと、
天に導かれてきた者が、その愛に立ち返ることがない、
神と知って尚、神に生きる心の目覚めぬ者は、二度と目覚めることはないでしょう。
天と共にこの世を救おうとの愛に生きる人々を、天は今呼び集めている、
それが神の私達への思いであることを受け止めようとしない者が
自ら神の救いから零れていくからです。
真に神を見出そうとする者を愛する彼等は、そのような者を天国に招いてきました。
神の心に生きる人々だけが神の御心を知ろうと、
神の心に近付こうと、神の導く天への道に生きんと
その為に自らを律する、切磋琢磨することを厭わぬ魂だからです。
(※注。
「苦悩の中にもあなたは、しばしば、大変強い内面的な慰めを味わい、
その為この苦悩の時さえもが、のちには幸せな時として
あなたの記憶に残ることになろう。」(「希望と幸福(ヒルティの言葉)」120頁)
「不幸の中に於ても、私達の存在を感じる時、
私達天上界の霊が共に歩み、恵みの光を注いでいることを、
見出して頂きたいのです。」(「天国の扉」136頁 パヌエル様)
「誰の心の中にも天上界と私達が存在するように、
私達の中にも、あなた方一人一人が存在しているのです。
あなた方は、敵の迫害に遭い、言葉のつぶてを投げられようとも、私達が傍らにいます。
あなた方は決して一人ではないのです。覚えて置いて下さい。」
(「現象テープ№27」 ガブリエル様)
神の思いに、喜びに満たされたことも苦しみの内に忘れ去るようでは、
愛を、正義を行う者に必ず立ちはだかる苦難を知ることのなかった者なのでしょう。
人を絶望に陥れる悪意をも顧みぬ世の冷酷にあって、
神への愛を見失わぬように、
神の袂に導いてこられた神の思いを信じて生きる幸せを忘れぬように、
苦しみから神は救ってくれなかったと神の救おうとする思いすらも信じられなくなるような、
愛をも捨て去る冷酷な心を許すことなきように、
苦難に屈しない為には、自らがその心を持つしかないのであり、
その心へと導ける者は、その道を歩んだ者しかいないのだから、
厳しい道であるからこそ神が導かれていることを忘れることなきように、
艱難、苦難がやって来て、その時に私達の言葉を忘れるようでは何にもならないのですと
私達に語りかけられたイエス様の思いを心に留めて下さいますように。※注終)
「慈悲と愛」80年12月号初出 ガブリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」125頁
「抜き差しならぬ立場に立たされても、自らを守る為の、自己保存の嘘で言い逃れを計る
(自分を騙す、良心の声に耳を塞ぐ)のは止めましょう。
それを始めるや否や、あなた方は天から後じさり(後退)を始め、
遂には背反の曲がり角へと追い詰められて行くのです。
すべての反逆者、消滅宣告者もこの道を辿りました。
よく心して毎日を過ごして下さい。」
心に余裕のある(、与えることの、神の愛を為すことの出来る己を誇る)、
そのような者が愛を施すことは容易いとイエス様は仰しゃいました。
そのような愛は金銭と同じである。
与えるという愛を為したという自己満足を、代償として得ている、
この世の価値(金銭)に生きる心と同じなのだと言われました。
(胎児の時から守護される為に天から降りてこられた善霊は、
悪霊の憑依から私達を守る為に戦われて亡くなられた方もおります
(その度に新しい方が守護に来られました)。
彼等は私達に何を伝えようとされてきたのでしょうか。
私達が善なる心を、神を信じる心を持てたのは、彼等のお陰であるといったことでしょうか。
皆様が人に親切にされた時、人からの感謝を求めてのことでしょうか。
そのような心ではないでしょう。
私達に伝えた善霊の心もそのように感謝されたいといった思いからではありません。
善なる心に生きる者は、そのような心を見出せずにいる人が、
神の心を知り、神を信じて救われることをこそ願っているからです。
イエス様の伝えようとされた、報酬を求めないのが神の愛であると言われたことも
そういった思いからではないでしょうか。)
自己愛に満たされた心が、余裕から愛に見える行為をなしたからといって、
自己満足している心に真の愛はありません。
何故なら、自分が苦境に立たされた時(自己保身から他を裏切る)、
中庸を逸脱した報酬や高い地位や人々の賞賛を得るチャンスが訪れた時、
善我を、良心を裏切る偽我を、人は気付かず(気付こうとせず)に隠し持っているからです。
心に余裕がある、幸福に感じている時、
偽我を持った者も、自分さえ良ければいいといった偽我が
首を擡(もた)げることはありません。
善人のつもりで、人から善人と言われるように
(それが自己愛を満たすという自分中心の心の陰性の現れであり、偽我に変わりはありません)
人は生きようとするからです。
(自らを繕うことの出来る自我の維持が困難な状況に追い込まれた者が、
偽善によって隠されていた本性(偽我)を剥き出しにして自己保存に走る時、
偽我なる己を救う為に、自ら善我を滅ぼす(サタンに滅びの引導を渡す)のです。)
平穏な時の、偽我に生きていない者だからといって、
その人を信用するに足るものと、天上界が見做されることはありません。
(そのような者達が、自らの神の心を捨て、天を裏切り、自己保存の偽我の塊と化したのです。)
(自己保存という)偽我が首を擡げてくるような艱難、苦難に遭って、
自らの内に偽我のあることを知って、偽我に打ち克つ善我を貫いた者を
天は仲間と迎えることを繰り返し伝えられてきました。
艱難、苦難の前に、神を愛する心を失い、すべての真理に盲目になり、
己の命だけに執着する、そのような心は堕落の坂道を押し留める善我を失うのです。
善我を、信念を失った人間の弱さ、脆さを痛感したのなら、
偽我に勝る善我を、神々が伝えたその神の心を得るために、神の備えた道を進むように、
苦しいからこそ、正しい道を見失うまいと、人は神を求めるのだから、
神に生きんとする者に、必ず天上界の者が付いているという言葉が実感されるのは
神の道においてだけなのだから。
「現代訳 論語(泰伯第八の七)」下村湖人訳
曾(曾子:ラファエル様本体)先生が言われた。ー
「道を行おうとする者は大器で強靭な意志の持ち主でなければならない。
任務が重大でしかも前途遼遠だからだ。
仁を以て自分の任務とする、何と重いではないか。
死に至るまでその任務は続く、何と遠いではないか」
「天国の証(78年8月初版)」 "天使の詩集"
ラファエル様「追想」全文
時は満ち 大いなる霊は総て立ち、人の子もそれに従え。
イエス・キリストの預言せし神の国の到来は間近く、
釈迦の説きし仏国土ユートピアの建設も近し。
エルデンの園の復活は約束されたり。
古代フェニキア人は黄金を夢見て帆を張り、
ギリシャの国の、果てなくどこまでも青き空と海は、
あのエーゲの輝きをそのまま伝えん。
唐の都はいまも目の前に浮かび、
東西文化でわきかえる様が、
李白を、胡弓弾く胡姫を思い出(いだ)させる。
かつて自由と若さで彷彿としたアメリカは、
ピューリタンに始まるバイタリティと、
明日を夢見るフロンティア精神で、
歴史のページを開きたり。
フランス革命は平等意識に火を点し、
人間の尊厳を認め、ナポレオンは馬上で指揮を執る。
明治維新の雄達を覚えているか。
あのパワフルな動乱の人間像を、数々の悲劇を。
血の滲む過去の、悲劇に綾取られし栄光の偉業を。
その精神を忘るるな。
求められて来しはいつも、
そなたらの幸せであり、自由なりしを。
かくの如く若き人々よ。
先達のごとく自由であれ、
そは放縦を求めるものではなく、
柔和であれ、そは弱さの結果ではなく、
賢明であれ、しかも心は貧しく保つべし。
求める心は与える心ともなり、
愛する心はそのまま愛される心とならん。
若枝よ伸びよ、天まで届け。
手を伸ばせば星々に触れ、
太陽を手中にすることも可能ならん。
立ち止らずそのまま頭を真直(ますぐ)に上げ、
希望に胸膨らませ、一歩一歩踏締めて行け。
道は限りなく宇宙にまで伸び、地平にまで伸び、
地なる母のもとに、
天なる父のもとに、繋がりてあらん。
"追記"
最後まで読んで下さった方には、間違いなく心の奥深くから、
神の法、正法に共鳴されたことと思います。
そうであれば、自ずと他に正法に出会えた幸せを、喜びを伝え、
同じ志に生きる仲間として出会うことを願い、
互いの心の中に神を見出し、強め合いたい、
力を合わせて、神の思いを実現したいとの思いを抱かれるであろうことを、
そのように導かれた方々であることと信じます。
ですが、人に伝えたいと思っても、知人に伝えたら、
自分を誤解し、それまでの人間関係が崩れてしまう、
信頼は崩れ、二度と元の関係に戻らなくなりはしないか、
そのような自己保存の思いから、熱意が失われてしまうかも知れません。
それはよく理解しますが、それでへこたれてはならないと、
あなたも思っているに違いありません。
仮令今までの友人を失うことになっても、それ以上に素晴らしい友の出会いが待っているのです。
天上界の方達にとっても、そのような人々との出会いが希望であり、喜びであるのです。
理解すべきは、自己満足させ停滞させる偽物の真理ではなく、
自らが見出したが故に、人が真理を求めながら見出してないが故に、
伝えないではいられい思いが、真に伝えるべき者に伝わって行くのです。
故に真理に生きる者を見出すことは真理の働きを見るのです。
互いを真理に繋ぎ止める、生かし合う、嘘偽りの必要としない心に生きる世界です。
そのような世界を望まぬ心に真理は理解されません。
「何時の世になっても、あなた方のような心の貧しい清純な乙女が、清純な子供達がいる限り、
私達は希望を失わずにいることが出来るのだから。」
(現象テープ№8 イエス様)
「悩みを解決するのは自分自身ですが、それを助けてくれるのは、あなた方の隣人なのです。
良き友人は良き人格を作ります。
一人では耐えていけないことも、友人となら耐えていけるでしょう。
私達とてそうです。だからあなた方もそのようであってほしいのです。」
(現象テープ№23 ガブリエル様)
そこで、皆様の参考になればと推薦文を考えてみました。
勿論皆様が自ら考えることで、他への思い遣りの心を強めて、
その思いが伝わることで、正法は広まってゆくのですから、
ご自身の手で、見出された真理を証して下さることが、
互いの善我にとってより善いことと思います。
推薦文
〖拝啓 心より敬愛致します友へ。
私は、あるホームページで、
神(天上界高次元の聖霊)と名乗る方のメッセージに出会いました。
勿論、この神ご自身も、人自らがこのメッセージの真偽を判断することを願い、
その判断をするに足るだけの真理について証をされています。
私はそれを読みました。
あなたがそれを知ることを望むか否か、また知った上で信じるか否かは、
全くあなたご自身の問題でありますから、
私からはこのメッセージの存在についてお知らせするに留まるだけです。
どうあろうとも、私のあなたへの信頼はそれによって変わることはありません。
ただこれを読んだ時、私があなたに伝えようと思ったのは、
このことを知ることで今迄にない幸せを感じたからであり、
あなたがそのように幸せになることを願ったからに他ありません。
どうぞあなたに幸せが訪れますことを願って、
真の神の存在を証するメッセージに出会ったことをお知らせ致しました。〗
これまで書いてきたことが、エッセンスとして人に伝えようと思いつく前から、
既に理解されていたのなら、
同様のことをしている人々の中から、自分の理解が天に認められたと自惚れる、
そういうこともあったかも知れませんが、
実際は天上界の意志を伝えようと意識してから、
このようなことを思うようになったのであり、
伝えようと決意しなかったら、これらのことは全然思いつかなかったかも知れません。
(どうしてこんなことを思いついたんだろうと思えることが何回も起きると、
何らかの働きがあったんじゃないかと思います。)
天への思いがその程度だったのですが、
天上界が導いていようといまいと
(天上界の思いはメッセージ集で伝わっておりましたから)、
天への思い(天の意志を伝えること)が生まれたのなら、
私達に失望したからと見棄てることなく、救おうとされていると信じることが出来たのなら、
それは自分の本心であると自覚されるのではないでしょうか。
今までこれはよいと思って書いたことが、
読み返す度に、その酷さに落胆することの繰り返しであり、
そうやって今の内容になってきました。
酷い内容がここまでなったのも、途中であきらめなかったのも、
天に導かれていなかったら続かなかったと思えます。
要するに天の伝えた思いを、本当に理解することが如何に難しいか、
それまで全然わかってなかったことを思い知らされてきた訳です。
彼等の気持が伝わるようになって、彼等の思いはこうに違いないと納得されてきました。
善霊の助けがあるか否か今は判らなくとも、
自らの意志で神の道を歩こうとされている方には、
必ず天はその心に相応しい神の道を与えられるでしょう。
天へと繋がる道、魂の研磨の道、茨の道を歩む者は、魂を磨かれ、
善我に生きる精神を鍛えられ、善霊に愛されるに相応しい魂となった者は、
あなたを信頼し、あなたと共に歩もうとする彼等の想いが伝わることでしょう。
ホームページですから、誰の目にも止まる訳ではないですが、
その事実を知りさえすれば、神に出会うことの出来る場があらゆる人に開かれたことは、
本当に良かったと思います。
正法を知って良かったと思う方が伝えれば、正法に生きる喜びも一緒に伝わるでしょう。
「天上界メッセージ・集成」に、すべての天上界メッセージを記載しましたので、
直接天上界からのメッセージに耳を傾けて頂ければと思います。
(メッセージ集などの書籍は、現在絶版の為に高額で取引されているようですが、
すべてこのホームぺージで読むことが出来ますので、学ぶ上で書籍が必要ということはありません。
図書館などで借りて見比べればご納得頂けるかと思います。
書籍は、ホームページのことを知らない人の為に、
残しておいてあげたらよいのではないでしょうか。)
神に選ばれた栄光に応えんとする善我を見失い、
選民という増上慢を悪魔に弄ばれ、
神の救いとして与えられた神の子を殺し、
神の教えに生きる善我を自ら滅し去り、
悪魔の心に従わしめる悪魔の思想を人々に伝え、
人類を破滅せんとする悪魔の手先となってこの世を地獄に変えたユダヤ人のように、
悪魔に魂を奪われることなどないと誰が言えるでしょう。
自らの持つ神の心を顧みることすらなかった者に。
イエス様を裏切ったユダについて、
彼は生まれて来ない方が好かったとイエス様の悲しませたような人間にだけはなりたくないと、
誰もがそう思われることでしょう。
天上界の方々の思いが真に人類の幸せを願われているものであることを、
人々に証しないではいられないでしょう。
天上界の思いを大切にする心を守る為にも、天上界の伝えたメッセージ
(彼等が自ら語られたこの言葉を通して、今を生きる神々の思いが伝わるのです。
神々の与えられた『天国の扉』を開ければ、天の光がそこに在ります)
を生かすことが出来るのは、自らの意志しかないのです。
善なる霊に導かれて神々の意志が皆様の心を目覚めさせたのです。
神々への思いが試みに挫けることなきよう(私自身も含めてですが)、
信義を育てて行かれますことを切に願うものです。
最後までお読み頂きまして、心より感謝いたします。有難うございました。
ブッタ様から頂きましたお言葉を最後にお伝えいたします。
「皆様が善我に、自我に目覚められることを、
あなた方が誰一人として悪霊の道に誘い込まれ、私達と別れることがないように、
心から願っています。」
正法流布協会1977
"追記2"
正法グループの内部事情に精通する者でもないので語ることを控えてきましたが、
再び正法を伝えるにあたって少しだけ述べることに致しました。
〖1990年頃から、毎月の機関紙に天上界メッセージとして伝えられたものの中に、
悪霊が偽のメッセージを紛れ込ませる、
正法者に偽りの正法を植え込むことでGLAの会員のように悪霊化させ、
これまでの真の天上界の伝えたメッセージまでも悪霊によるものと信じさせ、
この世から葬り去ることを目論む悪霊が介入してるとも
(最後まで善我を貫いた者以外に天上界の一員と認められることはない、
死後初めて天上界に認められることが明らかにされてきたにも関わらず、
既に千乃先生は自らを天上界の一員との自覚から発言されているのではないか、
また既に天上界が離れているのではないかと
会員や読者が正法グループから離れていくことへの危惧から)、
自らの主張を天上界の御意志の如くに受け入れさせんが為に
自ら"天上界メッセージ"を騙っているのではないかとも思われる、
真の天上界メッセージと判断し難いものが発表(※)されたのです。〗
長年の千乃先生への悪霊の攻撃が激しくなり、
悪霊に同調する偽我が強められたのだと思います。
天上界を信じる多くの正法者は、千乃先生から天上界が離脱したと判断しました。
正法グループ全体も言うまでもなく悪霊の支配を受けた人が千乃先生を取り巻き、
それを見抜いた真の正法者は退会しました。
正法を志す者として個々の人生を歩まれた人は多くいたでしょう。
流布活動も個々に於て地道になされるに留まり、
嘗て天上界が導いた大宗教のように社会に浸透することはありませんでした。
無論、天上界は人類を見捨てたのではありません。
盲いた人類の陰で、神を求める人々に、神の御意志に生きんとする人々に、
天上界は働きかけています。
千乃先生に失望して現天上界から離れ、正法を棄てた人々こそメシヤ信仰に生きてきたのであり、
真に神の法を正法を見出し、(真の平和を齎す自然の法に生きる生きとし生けるものの如くに)
法に生きる者ではなかったのです。
天の王国を在らしめ、地上に神の国を平和を齎す唯一のもの、
人の生きるべき指針であり、人類を永遠の魂を救い得る唯一のものが神の法であり、
天の善霊が命を懸けて伝えてきたものです。
天上界は、伝えるべきメッセージを全て伝えたと、
後は一人一人が法灯となり、広めて行ってほしいと言われました。
また、天上界は直接人々と繫がることを望まれていると言われました。
私達が望めば、直接天上界に繋がることが出来るというメッセージです。
宗教団体の指導者など不要である、
直接天上界の導きに従ってほしいと言われているのです。
このメッセージを人々が受け止めたら、
もう人々が邪宗教の犠牲になることもなくなるでしょう。
新たに天上界メッセージが伝えられる必要はないと、
これまでのメッセージを受け止めた者は、
法灯として独り立ちしなければならないと言われたのです。
正法団体に指導的立場の者や、後継者といった地位の者が存在する意味はありません。
そういう人達がいたら、真の天上界が関与していない団体であるということです。
またサタンと共に天上界の善霊を唆し、背反させ、
天上界によって消滅された高橋信次の霊言集は全て偽りのもの、
大川隆法やアマーリエという人は高橋氏になり替わった悪霊を仲介したのです。
それらのメッセージが人に入り邪念が生まれる時、悪霊を引き寄せることになります。
幸福の科学はGLAと同様、悪霊の介入を許した(憑依された)団体です。
今初めて正法を知る若き人々が新しい法灯としての自覚に目覚めて、
正法を神の御意志を伝えられることを天上界は望み、
人類の平和のために、この世をユートピアとする為に天上界と共に歩まれることを、
偉大な預言者達を遣わされ、今日に至るまで人類を救わんと、人類に働き掛けられたように、
今皆様に天上界は希望を託すべく語り掛けております。
(※注。
その後、機関誌に元七大天使全員が悪霊との戦いで亡くなったことが公表されました。
真の天上界はそのようなことは(真偽に係らず)絶対に公表されません。
悪霊の有益となるようなことを真の天上界がされると思われますか。
地獄界の力が天上界に勝っていると、戦いに勝利するのは地獄界であると善霊に信じさせ、
天上界を裏切らせたダビデのやり口と同じではありませんか。
エル・ランティ様は、ダビデにも逃れられぬ羽交い絞めにする方法を編み出し、
自らのエネルギーによって共に燃え盡きたということも極秘にされていたのです。
戸張某が、自らをエル・ランティ様の本体であるといって、多くの正法者を唆し、
現天上界は自分にあると、後継者は自分であると信じさせ、
真の後継者(千乃先生)に、現天上界に背反させるという事件が起きた為に、
已む無くエル・ランティ様の死が公表されたのです。
元七大天使は死んだと千乃先生に伝えた霊は、 偽の天上界、悪霊であることが明白となったのです。
※注終)
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様