第二部 神と人類の交流
第三章 神の心、神の愛
四節 永遠に生きる魂(天上界の栄光)

愛に生きる魂
現象テープ№23 「心の美は」より
 80年5月11日 ガブリエル様現象

「魂の研磨、魂の研磨と申しますが、私達でさえまだまだおぼつかないものです。
 目を閉じれば、こうして三億年の年月が蘇ってきますが、その中に於てさえ、
私達はどれだけのことをやってきたのかと問われると、少し答えに困ってしまうのです。
 私達が何億年もの長い年月を耐えてこられたのも、
(ひとえ)に人の幸せを考えてきた為でした。

 無論、そうなるためには若干の苦労は要ります。
 あなた方は、人の苦労を知った時のみ、人の幸せを考えることが出来る。
 又、人の苦労を知るためには、自分も苦労しなければなりません。そのようなものです。

 考えてごらんなさい。
 自分が幸せになった時に、隣人が不幸ならば、
その幸福は、果たしてあなた方の心の底から喜べるものでしょうか。
 そのような人間にはなって欲しくないのです。
 お互いのことを思い遣り、お互いの心を理解し合い、

お互いのことを幸せになって欲しいと願う心。
 そういう心をユートピアを作る心と言います。


愛のない魂
「天国の証(78年8月初版)」64頁 エル・ランティ様メッセージより
「弟は自己の有するあらゆる知識を、
霊となった時、仕事を(愛を)持たぬ者として時の長さに倦み、
私の建設的計画を破壊することに用いたのです。 四次元の能力を駆使して。
 これは神として考える時、理解し得ぬ事柄ですが、
人間の霊として考える時、人間の性格をすべて合せ持つ者の背反、破壊衝動、謀略、破壊行動 ー
これらの図式から、一人の人間が天上界から地獄の波動を持つに至る過程、
そして反省と行いを改めながら再びサタンになることも、あなた方には容易に理解し得ましょう。」

真理(愛)に生きんとする意志の内に、真理(愛)は働きかける
「JI」82年1号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」144頁

「愛は気付くのにそう難しいものではありません。
 大自然の中に探さずとも、周囲の者の中には無くとも、自分自身が発火点となることが可能です。
 信義は古代の義人が遭遇したような迫害に遭わずとも確信出来ます。
 正義は大上段に振りかざすものではなく足場を固めているものなのです

注。
 人に誇る、人を裁く権利があると保証する為に善が存在するのではなく、
善に生きることで魂が救われることを、
自らが善に生きることで証すべきであるということでしょうか。)

永遠の法に生きる魂
「JI」82年4号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」147頁
「判断の基準は自然の中にあると以前申し上げました(現象テープ№32)。
 宇宙の法則が愛で、すべてのものを生かし、あらゆるものが生かされるもの、
そして如何なるものにも終わりがあり、終わりの中に始まりが息づいている、この世界です。」

宇宙の法則を体得し悟るのが偉大なのではありません。
 宇宙の法則を踏まえて、どう役立てるかが問題なのです。

 自然の中の人間の存在にとって、何が真理かということ、
どう生きて行くのか、その方向性は何か。
 人間は一人では生きて行けません。
 社会にとってどういったことが尊重されるべきか、
こういったことも考えて、宇宙の法則を捉え直してみて下さい。」

「希望と愛と光」81年7月号初出 ウリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集(84年7月初版)」204頁
「天上界の美しさは、長い年月と多くの労苦と厳しい修行の積み重なった姿です。
 優しさは鋭さを含み、暖かみは批判眼を備えています。
 自己中心的ではなく、相手の成長と幸福を願っての姿なのです。これを愛と言います。
 特定の人や物にではなく、ありとあらゆる(愛を求める)ものへの尽きることなく、
飽きることない献身としなければならぬことを弁えた心です。」

天上高次の人々の姿形を超えた美しさとは、
単に暖かさや優しさの表れではなく、正しい姿なのです。
 この正しさとは愛、宇宙の法則を意味します。


長きに亘る魂の研磨が齎す(真理を証す)光
「慈悲と愛」79年11号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」76頁

「あなた方が我が身を振り返って、
 私達天上の者より優れた識見と判断力を備えていると考えられるならば大きな誤りです。
 私達が義と言うものの本質について、どのように験され、鍛えられ、
年月を通じて正しい判断力を備えるべく教育されてきたか、

あなた方にはお判りにならないでしょう。
 それなくして、巧妙な悪魔や悪霊に操られた人々のすり替えの理論や罠を見抜き、
三次元を正しく導き、或いは人の愚かさを教え、賢き道を歩ませることは出来ないのです。


"天上界の権威"
「JI」83年5月号初出 ラファエル様メッセージより
「最近、クロード・ポリロンなる仏国人の歌手が、霊道を開かれ、
交流霊がUFO宇宙人の形で宇宙船に乗って来たように映じたからと言って、
UFOへの憧れと相俟って愚か者が氏を一途に信じ従っており、
イエス、ブッタに次ぐ預言者などと賛辞を呈しておりますが、
UFOだから科学的と宣伝するにも関らず、その教義は諸々の新興宗教の教祖が語ると同じ、
一貫して浅薄で荒唐無稽、非科学的。

 ダビデの紋章たるカゴメのマークのような物(サタン・ダビデが作らせたものと言ってよい)
を使えば、救世主や大預言者として迎えるというのは理解し難き最近の風潮ですが、
これは果たしてユダヤの亡霊か。
 左翼の運動を助けてのユダヤ人共産主義者の悪霊か。
 ポリロン氏の現住所が幸い著書に印刷されているので、
手が空き次第喜んで消滅に馳せ参じる積りです。
 米国サンフランシスコ郊外の霊能者に現れて、
いい加減なメッセージを八年もの間与えたミカエルを名乗る偽物の悪霊も、
その霊能者の住所を調査しており、判り次第消滅致します。

 すべて天の威信を傷付ける悪霊は厳しく裁かねばならず、又そうしております。
 愚かな人々は自ら望んで誤った天を選びますが、
天は偽物の天を許しておくほど寛容ではないのです。

 自らを律し、天の教えを以て研磨した魂、神への愛の前に、自己への愛を捨てた者、
天の認めた神の子だけが、父なる神の業を明らかにする、
それが神の遣わされた真の救い主ではなかったでしょうか。
 神の善を語り、行うは、人の神を信じることを願う、神を知る心から来るものです。
 しかし自らを神の子と、救い主と認めさせる為に行うは、
すべて偽善であり、その者の語るは、悪魔から来る、地獄に導くものです。
 自らを神の子(救い主)と名乗る、そのような偽りの者を許すなら、神は存在しないに等しい。
 偽りの神(の子)を許さないと語るは、真の神ならば当然のことです。

 現天上界を真の神と認めぬ如何なる宗教も偽りの神を崇めるものです。
 現天上界を偽りと言う者を天は決して許さないと知らされて、
自分達の崇める神だけが真の神である、宗教を否定する現天上界は偽りの神であり、
自分達の宗教こそ真の神を証すものであると、
現天上界に向かって言った宗教が嘗てあったでしょうか。
 邪教徒には是非言って貰いたいものです。
 天に唾する者はそれに相応しい扱いを天から受けるがよいでしょう。

 偽りの神に、悪魔の前に沈黙するなら、神は存在しないということではないですか。
 神はおらず、悪魔だけが君臨していたなら、
悪魔の共産主義をどうしてくい止めてこられたというのでしょう。
 共産主義国家が如何にして人を支配してきたか、
このメッセージを聞いて、神の名の下にこのように語る存在を、偽りと否定するならば、
その者は悪魔の心しかないことが理解されるものと信じます。

「JI」83年4月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「人は美しい物よりも醜悪を好み、正しい物よりも偽りの言葉や企みを良しとするのは何故か。
 恐らく美しさも正しさも知らぬ環境に育った者が醜く偽りに満ちた対象をしか与えられず、
より良き物を求める本能も育たず、暗く悲しい世界 ー 即ち人の地獄を作る故でしょう。

 共産主義教育を受けた者は"良心"を捨て去ることをのみ学び、
その"良心"は陽光を求める自然界の生命の仕組みであることを学ばず、
"自由"とはその陽光を求めて如何なる方向へも幹を伸ばし、地下には養分の水を求めて根を張る、
"生きることを許された自由"を言うのであることを知らず、
"生きる為に互いを抹殺し合う自由"のみ与えられた、光なき世界に住む者

 哀れな歪み育った密林の住人なのです。サタンの支配する暗黒の黄泉の世界です。

 あなた方正法者も、正法に接することを喜ぶ読者も、決して彼等の地獄や密林が、
自らの美しい自然と"自由"に満ちた光溢れる天の国と
(心の中であろうと、実生活であろうとそれは同じ事)
引き換えるに足る物と錯覚を起こしてはなりません。

 地獄とは正に社会主義国の、虐げられた、
"罰されることを恐れ、それを逃れる為にのみ我が身の行く末を思う世界"なのです

 サタンの配下である(共産主義者であり、科学者であり、文化人の)密林の腹黒き使者の
偽りの言葉や夢を信じる時、あなた方はすべて良き物を失うのです。」

 悪魔の心しかなくなれば、何一つ存続するものはない。
 自然の知恵を顧みない、生き物の命を軽んじる心は、
自然を破壊し尽くすであろう。
 自然の愛を拒絶した心に、自然の恩恵を失った心に、
未来があろう筈がないではありませんか。

 真の神が現れても解らない心に、
どうして偽りの神を見抜く知恵があるというのでしょう。
 偽りを明らかにする真理を知らぬ者に、
神の愛を知らず、自己愛に生きてきた心を喜ばせる悪魔の甘言を見抜く知恵など
あろう筈がないでしょう。
 偽りの神とは、偽我(悪魔に繋がる心)に生きる者にとって、
偽我を肯定する神(悪魔)であり、たとえそのような神とは信じていなくとも、
自らの心が悪魔を許すもの、悪魔に支配されているのです。

 魔が差すと言われることの意味する所は、
罪を犯す、悪なる心(偽我)から来る欲望の、邪念の力に、
抗する善我(善への意志)の力を持たなかったということでしょう。

 たとえ私達が罪に負けても私達の信じる神に否定されるとは考えていないことでしょう。
(もし私達の所為で神に否定されることを恐れる者なら、
罪への誘惑を克服した人なのかも知れません)
 しかし天国を、善なる魂達を守ってこられた聖霊が、
悪魔を許すような偽我を見抜けないような存在であったのなら、
天国は、神の心に生きる善の観念は、
とうの昔に悪魔の誘惑の、甘言の前に滅び去っていたに違いないのです。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法