第一部 天の教え
第十章 病の分析と治療への助言
「天国の証(78年8月初版)」115頁 サリエル様メッセージより
「医学、薬学というものは医療上の過失誤診等による被害はさておき、
その目的とするものは人類の病を癒し、生命を救う尊い使命を持った神の業です。
勿論すべてのこの社会福祉に貢献する人々が完全であり、その技術が優れているとは申しません。
若い医師の中には、やはり社会風潮に迎合して、人格の至らぬ、
医療を一つの技術としか考えぬ、医師の倫理から見れば堕落した人々もおります。
しかし全体として、医師、看護婦、社会福祉関係の人々の中には、
人類奉仕の精神と信念に基づき、激務に耐え、責任を果たしている人が半数はいるのです。
これらの人々は特にその信念が強く理想主義的な人生を歩まれます。
自分の一生を賭して人々を救う為に働くのです。
それに比すと宗教家の努力など足元にも及びません。
然るに近年(70年代)とみに医師の過失に対する、或いは病院設備に関し、
或いは医師個人の収入に関し、世間の非難、告発の風潮が過度に高まり、
生命を救うべき人々を呪うような不思議な現象が見受けられました。
それはサタンの跳梁により人々が神に背を向け、
善霊への協力を拒否したのと時期を同じくしました。
今より後、サタン亡き後、そのような考えは改めてゆかねばなりません。
何ゆえか、それは私の説明を待つまでもないでしょう。
医師無き暗黒の時代もあったことを歴史の上で振返って見て下さい。
天上界は、人々の悩みと苦しみを己のものに置き換え、生活上のあらゆる犠牲も省みず、
只人を救い、病を癒す努力を続ける医師達、看護婦達、社会福祉関係の人々には、
恵みと光を与えることを改めて告知致します。
それは善霊の業であり、神の助けとなるものだからです。
但し人命を預かる者の責任は大きく、東洋、西洋の医学を問わず、
有害とされる治療、却って人体の健康を害するような治療を行う者は、速やかに改善或いは無くし、
自然の恵みにより与えられた人間の身体の健康維持の為、
又貴重な人材に社会により良く貢献する機会と場を与え、又その働きの期間を長くする ー
その為に医薬、治療法はあるものでなければならぬことを、
社会の良識として医師は無論のこと、一般人も心得ねばなりません。
医師の立場に於ては、医学総会に於ける決定に於て多数派意見による民主主義的、
或いは独裁的(保守的な意見による偏見や、権威に追従し、或いは教授の派閥を作ることなどです)
或いは非人格的に流れず、たとえそれが 一 医師のものであっても、
治療に関して如何なる新しい考えも研究も慎重に検討し、
少数の意見も良いものであればどんどん採り入れ、
今以て完全に理想的な医療法が発見されず、
何処かに欠点、難点を抱えている現状を打破する為に、
一科学の部門として真剣に病因の解明に、治療法の改善に取り組んで頂きたいのです。
この後、地球人類が真に賢明なる人格となり、魂となり、天上界を構成し、
私達の後を受継ぐ方々となるかも知れません。
その為にもあらゆる分野に於て最高の知識を目指し、人格の浄化を目指し、
如何なる悪とも迎合することなく、徳高き人々が医師の中から出られることを希望しております。
何故ならばエル・ランティ様を含む七大天使がすべて過去に於て、
ベー・エルデに於ても、又地球上の転生の歴史に於ても、
医師としてあらゆる分野を研究し、責任と義務を果たしてこられたからなのです。」
一節 精神面
(一) 歪んだ性格、未熟な精神
① 虚栄心(自己肯定の偽我)
「JI」85年7月号初出 ラファエル様メッセージ全文
&「天上界メッセージ集・続」55頁
「今月は私から少し偽我について付け加えたいと思います。
殆どをミカエル様が詳しく述べられたので少ししかありませんが、
一つ正法者の態度で気になることがあります。
それは例えばノイローゼなどを治す場合に、医師や心理学者が繰り返し助言することの一つに、
自分の過ちに拘るな。自分の欠点についてくよくよ考えるな。
そういうものは忘れて、もっと目を外に向けるように、という場合があります。
ノイローゼの治療には確かに役立つでしょう。
しかし正法はノイローゼを治す場ではなく、良識的な人格の育成を目指す所です。
(注。
ノイローゼが癒されさえすれば、健全な精神が持てるものではないからです。
健全な精神に生きてきた人々に、良識的な人格に出会っているにも関わらず、
その心を感じ取ることが出来ない者に、健全な精神とは何かを悟ることが、
己が心の病でいると気付くことが出来るでしょうか。
健全な精神、善我(神の心)が周りから全く伝わらぬような環境にあって、
歪んだ環境に適応させれば心は病んでゆかざるを得ないでしょう。
(善なる霊の働きかけでその環境から脱し得た者は、善我に目覚めるかも知れません。)
自ら健全な精神を育てようとすることなく、心の病んだ者の跋扈するこの世に生きるなら、
己が精神(善なる心)を守り通せるでしょうか。注終)
自分について、能力を云々されたり、性格を云々された場合、
第三者がそう観るような自分ではない。
自分はもっと優れた者だと考えるのは易しい事です。
ところが現実に優れていないのに、そう人に印象付けようと努める人は既に、
自己肯定の偽我に陥っているのです。
自分には出来ない事があっても出来ると人に認めさせたがるあなたは、
虚栄心の虜になっています。
人の能力を認めたがらず、自分に無い能力を偽って人に誇示したがる人物は、
ノイローゼよりも始末に悪い、ヒステリー性格の一端を示しています。
男女共に、思考が停止してしまい、柔軟でなくなるのを、ヒステリー症状と言うのです。
そしてその性格の欠点は、虚栄心と虚言です。
自分を守る為に、自己を肯定して、惨めな劣等意識から逃れたいと、
そういった心理状態に陥り、却って人の迷惑になるのです。
ヒステリー性格に取って苦手なことは謙譲であること、
真実を喜び真理を求める、進歩向上することなどです。
自己を肯定するのはいけないことではありませんが、誤った形で肯定するのがいけないのです。
誰もが天才ではなく、秀才でもなく、各人各様の能力があり、又、限界もあります。
それを認めず、又、人の能力を見抜くことも出来ない人物は、関心が自己にしか向いていないし、
人が自分をどう見るかにしか関心のないエゴイストでもあり、
視野が狭く、人の上に立つ資格がない人物です。正法者でもありません。
こういった人は、得てして自分の持つ能力以上に偽って見せたがり、
尊大に振舞うか、他から敬意を払ってほしいと、
それこそ、米国人の日本人観である"キジ"の様に、人前で行動するのです。
背反者の多くがそうでしたね。
"己を知ること"を厭う人物は、最も背反する可能性が高いのです。
正法は"自らと対決する"よう要求するからです。
だが、謙譲な心は、そこから初めて生まれるのです。天に愛される心です。」
一節 精神面
(一) 歪んだ性格、未熟な精神
② ヒステリー性格
「慈悲と愛」79年7月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」52頁
「世に言うヒステリー性格という気質があります。
これは神経質で感情的で派手で、自己顕示欲が強く、虚栄心が強く、独創性に欠け、没個性的で、
人真似が上手く、人の中心となりたがる。
それでいて他人の気持など解らず鈍感で、
しかも人を引き付けるようなアクセントのある喋り方をする非常にエゴイスティックな性格ですが、
その上に依頼心強く動物的な恐怖が常に心に不安を齎し、
変化に耐えられず単純で付和雷同型で、
自主的に行動することの出来ない、大変厄介な人格で、
こういった人々がどの国に於ても狂信・盲信宗派の中心となっています。
一口で言えばデリカシーや感性の美しさ、情操の豊かさといったものとは縁遠い人々であり、
そして又、あらゆる犯罪に関与しているタイプでもあるのです。
虚言、盗み、殺人、謀略、破壊へと、
宗教的狂信から思想、イデオロギーの狂信者に至る迄の共通する一つの性格類型です。」
一節 精神面
(一) 歪んだ性格、未熟な精神
③ 未熟な精神
「JI」83年12月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」177頁
「文明国でありながら、古代の人々のように、日本人に多く幼児の性格が見られるということは、
(発展途上国も同様ですが)、封建時代から民主主義への移行の途中に、
共産主義という個人の道徳や責任を全面否定する思想が広がり、
そこで個人の人格的成長が止まってしまったからでしょう。
宗教も少なからず蔓延り、ここでは個人の自主性が否定され、依頼心を助長してくれたので、
益々人は精神面の成熟に関して無知、無関心に留まったのでしょう。」
第一部 天の教え
第十章 病の分析と治療への助言
一節 精神面
(二) 心の病
① ノイローゼ
「JI」86年1月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」37頁
「ノイローゼというのは、どのようなタイプ、年齢、教育を受けている人にあっても、
自分について考え過ぎることから生じる脅迫的な精神状態です。
充分に他者に献身せず、没する人は、そういった他者との関りとか自分についてなど、
ゆっくり考える余裕も時間もないのが普通です。」
「ノイローゼになるのも、大脳の疲労度が増し、
正しく考えることが出来なくなるのが原因なのです。
その大脳も、身体の疲労から、貧血したり、血圧が上がり過ぎたり、
バランス良く機能を働かせることが出来ないから、正しい思考や反応をしなくなるのです(※1)。
そういうように、生理学的に原因があると定められるのが好ましくない。
ノイローゼは何か特別な知的で重要な精神の苦しみであると誇大に考え、
自分の小さな煩いや苛立ちに周囲を忘れ、目的も、理想も、他者への献身も忘れてしまう所に、
病的なジレンマが存在し、周囲が解決して上げられない悩みでもあるので、
何か立派な煩悶ででもあるかのように、本人が思い込んで、
その病いを何時までも抱えているのです。」
「只、全体的に精神的な悩みや拘りや脅迫的な観念に囚われ過ぎることは不健全で、
少しも解決に導かないことは言えます。
身体的な病気も大抵の人が余程の病状でない限り、くよくよと症状について煩悶しないし、
忘れて他の事に没頭するものです。
風邪なら自分なりに風邪対策をして治したり、それで済ませています。
ノイローゼだからといって何年も、精神の崇高な悩みであるかのように大事に持って回る人は、
やはり甘やかされた人格に多く、ご両親が病気についても、医者よ、薬よと、
大層に扱われたケースが多いようですね。
人生には多少の心身の病気に悩んで時を費すより、もっと大切な事が多くあるのです。
それを覚らぬ内は幼児のままであり、
一人前に扱われなくても仕方がないとしなければなりません。
幼児的な精神の持主はエゴイストと同様に正法者に不要とするのはそこにあるのです。」
(※1注。
偏食(野菜を摂らず肉を摂り過ぎる)により血液の酸性化を強めたり、
肝臓の機能障害で血液中の不純物が除去されず蓄積されてゆくこともまた、
健全な思考を妨げ不健全な思考への条件反射を強化する、
要するに前頭葉の開発が阻害され、本能の衝動に意識を奪われる(無意識に行動する)
原因となるでしょう。※1注終)
一節 精神面
(二) 心の病
② 自閉症
「JI」84年9月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集・続」43頁
「正法以前の問題ですが、自閉症ないし自閉的な性格を持つ人は余程努力しないと、
自己愛とエゴイズムから抜け出ることは出来ません。
過去に愛されなかった代償を求めて、
人の愛ばかり待つようでは、片輪な人格は直らないのです。
永久に子供の領域から出られません(※2)。
まず人の好意に感謝し、素直な心で人と交流するのです。
動物を愛し、人を愛し、愛されなかった人は愛することで自分の人生を豊かにする以外に
自分の性格の歪みを直す方法はありません。
父性愛よりも母性愛から始めて下さい。
ノイローゼになり易い人もです。人が自分をどう思うとか、こう思われないかとか、
人の目を気にし過ぎる所から萎縮してしまうのです。
ヒッピーや左翼のように辺り構わずも一種の精神病ですが、気が小さ過ぎるのも人格として未熟。
一人立ちが出来ずに周囲に迷惑を掛け、負担となっているのです。」
(※2注。
左翼の得意の手口で、偽りの同情で人を被害者であると信じさせ、ナルシシズムを助長させ、
加害者のレッテルを敵に与え社会的に打撃を与えるための道具として、彼等を利用しますが、
愛されなかった人々を、愛されぬ性格を気の毒に思う己が優しさに溺れているのです
(他の反論を許さぬ、絶対的正義に自らを置くナルシシズムに過ぎぬものです)。
彼等を愛してこなかった周りがすべての原因であると非難しても、
彼等を救うことにはならないのです。
敵を悪に見たてて攻撃すれば、被害者としての立場も面目が保つかもしれません。
しかし、彼等(の幼児のままの精神)を受け入れない社会を悪と信じ込ませて、
精神の成長を放棄させての如何なる精神の救いも喜びもないことの理解を奪うものなら、
これこそ人を永遠の不幸に陥れる行為であろうと思うのです。※2注終)
一節 精神面
(二) 心の病
③ 被害妄想
「JI」83年2月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」162頁
「悪を許さぬ心は正しい心でありながら、
そこに疑心暗鬼という偽我が忍び込む時、病的に相手を悪と断じてしまうこと。
相手のすべての行動を善意と寛容で観ずに、狭量と悪意で観て結論を下してしまうこと ー
悪いことにそれを正法者の間で行ってしまう傾向があるのを最近よく耳にします。
そのような時、批判者は共に法を広めようとする同志であることを忘れているのでしょう。
血祭り上げられた人こそ災難。逃げ場もなく追い詰められます。
この疑心暗鬼という偽我は往々にして義人で完全主義の人物が健康を害した時に度々現れ、
周囲を悩まします。
正法者が追い詰めるのは共産主義という悪魔の思想であり、
手段を選ばず、社会の規約のすべてを破壊してその主義を他に押し付け、
自らの権力を得ようとする共産主義者であるべきであるのに、
少しでも弱点や欠点を見せた同志に猛然と飛び掛かり、攻撃を繰り返すのです。
これを心理学者は被害妄想と呼びますが、
そういった病的な心理状態に陥ると、同志が忽ち仮想敵国に見えてくるのです。
過労が原因となって健康を害し、精神的な不安を高め、疑い深くなる(※) ー
その時あなた方は充分に休息を取り、人の欠点も許せる寛容な心になった時、
初めて自分の精神は健康を取り戻し、天の意に適う正法者の在り方に戻ったと考えて下さい。
俗に"健全な精神は健全な身体に宿る"と言うではありませんか。
共産主義者の好む総括の手段は、仲間である一人の人間を多数が批判し、吊し上げ、
二度とその屈辱を味わいたくないと思わせる効果を狙うものです。
しかし正法者は決してそうであってはなりません。
それは弱い者いじめの心理と何等変らないからです。
義人の陥る偽我は、不寛容の悪であることをよく心して頂きたいと思うのです。」
(※注。
「JI」88年2月号初出 ガブリエル様メッセージ全文
「本誌十月号(一九八七年)から正法者間の不和と原因について、
例を挙げて忠告しておりますが、これも同時期に起こったらしく、
一人の世話役の規則無視を集いの主宰と他の世話役数名が責め立てて
とうとう正法への熱意を失わせてしまったという事件があったようです。
この集いは何時も問題が起こり、戒めてきましたが、
その近隣の集いメンバーが干渉しては内紛を起こさせた集いで、
その人物に耳を借さなければ良いのに、引きずられて自分達も影響されては、
同様の争いを起こしてお互いの(心を一つに立ち向かうべき真の敵を前に)
戦意を削いできました。
働きすぎ、栄養摂取が悪く不健康である。慢性の心身の疲れ ー
それらが相乗効果となり、神経が尖り、
普通は腹の立たないことにも無性に苛立ちが募る。寛容でなくなる。
正法者間の争いの大部分はそういった健康管理の不備に根差しているのは、
私もよく判っております。常にそのように助言してきました。
疲れている時は休み、どうしても限界を感じて、働きたくない時は、
テレビを観る、庭木の世話、ペットの世話、散歩、など気分転換を図り、
ストレスの解消をして下さい。歩紀柚衣さんもそのように書いています。
こういった人達は一体JI誌を読んでいるのでしょうか?
私達も編集には参加して、意見を出さなくても、
あなた方に役立つ内容のものを容認するようにしているのです。
JI誌は正法者の教材であり、参考書でもあるのです。
幾ら忙しいからと言って、私達のメッセージしか読まないのでは、
メッセージに直接書かないことは実行しないという生活方針になり、互いの足を引っ張り、
私達に背を向けさせる人をあなた方自身で産み出していることになります。
それでは幾ら熱心に流布に努めても何もなりません。
自分の健康管理も出来ないようでは自立した人格とは言えず、
天の一員となる資格も得られません。
規則に厳しいだけが正法者ではなく、常に慈悲と愛の心を忘れてはならないのです。
或る熱心な正法者が規則を破ったのは何が原因なのか、
せめてその集いの中に一人の寛容な心の持ち主があれば、
個人的に会って話し合い、その中から解決法を探り出し、
厳し過ぎる仲間を宥(なだ)めるだけの公正さを持って欲しいものです。
明らかに天に背き、法に背く人は糾弾すべきであっても、
小さなことを針小棒大に言い立てるのは、心身の疲れ以外に
嫉妬心という偽我に駆り立てられて一人の人を責めていると判断せざるを得なくなります。
悪霊も充分に働きかけているでしょう。
表面だけに捉われて正しい人の内面の悩みが見抜けないようでは、
正法者と呼ばれる資格はないと言えましょう。
私達に背を向けた知能高く、熱心な働き手であったその人と同じ失望を、
反って人民裁判のように裁いた集いの幹部の人々に、私自身が感ぜざるを得ません。
"つまらないことで、どうしてあのように責め合うのだろう。
責める側が人の躓(つまず)きになっているのが判らないのだろうか" ー
こう感じるのは、私のみでなく、
正しく正法を理解し、行っている人達が一様に口にした感想でもあるのです。
規則に反した人を責めるべきであるなら一人の人が直接会ってそうしなさい。
教師でさえ優れた子供を叱る時はそう配慮します。
子供が非行の故に人前で咎める時は、他の子供の影響を考えて、
正しい言葉で正しい叱り方をするよう心を配るでしょう。
闇雲に大勢で一人を責めるのはリンチと呼ぶべき無謀な行為であり、
良い結果は得られません。
正法の為に共に働く仲間を小さなことで追い立てるのは、八正道に沿った行為ではないのです。
心して今後はそのような内紛は起こさないようにして下さい。」
第一部 天の教え
第十章 病の分析と治療への助言
一節 精神面
(三) 大脳の開発あっての精神の成長
「JI」87年4月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」70頁
「精神の成長も健全の度合いも偏(ひとえ)に大脳の発達に依ること。
又、それは良き正法者となる基準の物差しであり、研磨の目安、私達の規範であって、
あなた方にお教えしてきたものです。
精神の成長なしに、良き社会も文明の発展も、世界の繁栄もありません。」
〖備考1
スターや著名人の周りに群がる人々は、
「私」の崇拝しているスターを同様に崇拝している人々なのだから、
彼等が己を愛する如くに(同類の)「私」も愛してくれるに違いないと、
同じ考えの集まりであると信じられる、安心出来るからでしょう。
情けないことに宗教に集ってくる人も同様であり、
同じ思いの人達が、自分達の宗教こそ、神の認める唯一の本物の宗教であり、
自分達は選ばれた者と自己愛を満足させているのです。
このことからも宗教は人の精神を高めようとしない、
寧ろ精神の成長を阻むことで組織を維持してきた(共産主義と同様)ものであることが
理解されるでしょう。
精神の成長なくば、真理を見出すことなく、偽りを見抜けない、
悪魔の甘言に自尊心をくすぐられて自己肯定の偽我にあることも悟れず、
真理に盲いた人生を送ることになると天上界が仰しゃることは
尤もなことであると納得されるでしょう。備考1終〗
現象テープ№10 「正法を学ぶ人のためにⅠ」より
78年7月10日 ミカエル大王様現象
&機関誌「慈悲と愛」78年11月創刊号初出
&「天上界メッセージ集」20頁
「学ぶべき事を学んでおかねば
恵まれた環境で自分がその機会を与えられるということはもう無くなるのです。
その人の一生が後の霊としての生涯を定めるのです。
価値あるものか無きものか、優れたる者か、成長の止まれる者か、
本人が生ある間に如何にその脳細胞、大脳皮質に学習をさせたかによります。
それによって全体の価値基準が決まるのです。誰もが同じレベルになるわけではないのです。
能力を開発させ思考訓練をしておかねば死して後に同じことは絶対に出来ません。」
「慈悲と愛」79年5月号11頁初出 岩間先生「正法講座」より
「(インスピレーションに関して)これは従来、"霊感"と解され、何かこの語感からして、
専ら霊による働き掛けによって生じるものと思い込まれている点がある。
しかし、事実はそうではなく、
『インスピレーションは脳の成長に伴い、知識、経験を基とした思考過程に於て、
飛躍的に新しい結論、発明発見への糸口を得るということ』であり、
『これは"霊感"という語意に囚われて、総て霊の助けによると考えることは、
人間の自発性や自力的な生き方を阻害することになるので注意すべきことである。
詰り霊能と混同してはならないし、又天の賜物と決めてしまうことは出来ない。』
ということである
(この全く新しい事実は、千乃先生を通して天上界から教えを受けたものである)。」
〖備考2
生物が何億年と生存し得たのは、生きる術である本能を遺伝することが出来たからでした。
種々性格も遺伝されますが意志を支配する力は無く、生後自覚して習得したものが生き方の、
判断の基準になります。
前頭葉は何の本能も欲望も侵されない、欲望は前頭葉を必要としない、
旧皮質に何億年に亘り強化されて、淘汰をも克服してきた強靭な本能を持っており、
新たな欲望も心の働きは同じ自己保存に根差すものですから、
旧皮質が強化、深化されるのであり、前頭葉は不可侵です。
全く新しい心の働きであるから、生れて来てから初めて経験する、感受するものに対し、
自らが判断し、記憶する為に必要とされる記憶領域、
今を生きる為の状況を確実に、素早く記憶し、再生する為に用意されたまっさらな記憶領域です。
本能の心の働き、その力を制御する意思を齎すのが前頭葉に培った理性
(知性によって見出した真理を真理と受け入れる心の働き)です。
神の心である理性を徳性を宿す前頭葉は、前人未到(比喩です)の広大な新大陸、新世界です。
ここに真理を指針に生きる意志を培う理性が宿るのです。
人は生まれながらに神の心を持っていると天上界が言われる大脳の領域
(合体霊に導かれて理性、思考能力を開発する場)であり、
この大脳を開発しない者は、本能の力に従う心しか持たぬ者であり、
決して神の心を理解する能力は得られないのです
(神の本質である善を愛する心も前頭葉に宿るのですから)。
旧皮質は生命維持の根幹であり、意志に関らず常に活性化されるので、
前頭葉の様な意志を伴わなくば働くことのない脳細胞に比べて遥かに生命力が強いものです。
同じ神経細胞を使うことで、条件反射は強化されるのであり、
理性を働かせない者は、本能を、若しくは(本能に刺戟された)欲望を満たすものを獲得する、
その目的に向けての開発に留まります。
ある条件反射が強まれば、それに反する条件反射は衰退します。
使われない前頭葉の神経細胞は不活性化して行き、理性を失うのです。
前頭葉が滅びれば旧皮質だけの、動物(も前頭葉も理性も少なからずありますから)
以下の人格として生き続けます。
そのような状態で死を迎えれば、動物にも劣った魂が残されます。
理性による条件反射を維持した状態で、肉体の死を迎えた場合、理性的な魂が維持出来ますが、
一度は理性を築いて生きても、前頭葉を損傷した状態で生き永らえた者は、
理性に生きた条件反射の脳細胞を失ったのであり、
代りに理性による抑止力を受けない条件反射が、
旧皮質の欲望を剝き出しにする領域に自我意識として活性化されるのです。
前頭葉に理性を刻まなかった者、若しくは一度は理性を打ち立てながらも、
理性を宿した前頭葉の脳細胞が死滅した者がどうなるか、
ミカエル大王様がメッセージで伝えられております。備考2終〗
"理性を学べなかった者"
「JI」83年4月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」164頁
「人は美しい物よりも醜悪を好み、正しい物よりも偽りの言葉や企みを良しとするのは何故か。
恐らく美しさも正しさも知らぬ環境に育った者が醜く偽りに満ちた対象をしか与えられず、
より良き物を求める本能も育たず、暗く悲しい世界 ー
即ち人の地獄を作る故でしょう。
共産主義教育を受けた者は"良心"を棄て去ることをのみ学び、
その"良心"は陽光を求める自然界の生命の仕組みであることを学ばず、
"自由"とはその陽光を求めて如何なる方向へも幹を伸ばし、地下には養分の水を求めて根を張る、
"生きることを許された自由"を言うのであることを知らず、
"生きる為に互いを抹殺し合う自由"のみ与えられた、光なき世界に住む者。
哀れな歪み育った密林の住人なのです。サタンの支配する暗黒の黄泉の世界です。」
「JI」90年10月号初出 ミカエル大王様メッセージより
「スターリンやチャウシェスク同様、
反対する閣僚はその場で射殺して口封じをしてしまい、独走する。
国民は軍隊も含めてフセインに処刑されるのを恐れて、
如何なる非道な圧政も見ざる・聞かざる・言わざるを通し、ただ服従に甘んじ、追随する
(キューバのカストロとて同じこと)。
そして西側に協力する国、サウジ・アラビアやエジプトの政府転覆を計るよう呼び掛ける。
"盗人猛々しい"このフセイン氏は
"中東の蛇"とも"何時裏切るか判らない人物"とも言われて嫌われ、恐れられていますが、
こういった横紙破りの独裁型は社会主義国に共通で、
しかもマルクスがリーダーの条件にしたように、
貧農の出であり、教育はイデオロギーの洗脳以外あまり受けていない。
共通して情緒に欠け、
前思春期までの子供の残酷さをそのまま持っている性格の人物であるようです。
こういった情緒欠如型の人間は、自分以外の人間の感情も痛みもまるで判らず、
だから次々と平気で拷問や大量虐殺を行えるのです。
中国の文化大革命もカンボジアのポル・ポト政権も同じ。
直接射殺しなくても、収容所で拷問死させるのも餓死させるのも同じ。
そういった独裁政治は、ベトナム、北朝鮮、アフリカの社会主義政権と、
総てはマルクス・レーニンの非人道性に遡るのです。
貧農の出であるから、勿論、
裕福な者や、インテリ階級への偏見と嫉妬を自らの活力として生き、
広範囲の学問や教養を身に付けている訳でもなく、先人の精神から学ぼうとする姿勢もなく、
ましてや哲学にも人生にもまるで無関心であること。
大脳の前頭葉部位の未発達は野望を遂げる以外に用いることのなかった為であり、
良心の麻痺した理性は無感覚となり、
自らを弁護し、口実を駆使して
あらゆる悪行を正当化してしまう雄弁にのみ働かせ、
誇大妄想にも似た大義名分を振り回す人物です。
サダム・フセインやホメイニの如き人物は、
"神の掟"の第一の戒め"汝殺すなかれ"を平気で破り、人殺しの人生を送るにも関らず、
国民や部下には貧しさと飢えからパンを盗んだだけで手を切り落とす。
無防備な国を侵攻し、非武装の国民を殺す。
そのような施政は、神の前に通ずる筈がありません。
彼等は悪魔の思想に共感し、悪魔に仕えているだけです。
"聖戦"などと言う資格もありません。」
"理性を失った者"
「JI」88年5月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」100頁
「高等感情を齎す前頭葉の活動が鈍くなるか、萎縮し始めると共に、
善人が悪人に変わり得ることも可能であるということです。
同時に、向上心なく、高貴な心の養いも目指さず、エゴイズムの悪を正当化しては、
自らを甘やかし、身勝手な人生を反省もなく生きた人間の老年は、
只々心の醜い部分を剝き出しに暮らす晩年でしかないのです。
"心が美しい"ことは何にも優る人間の徳性であり、
"顔形が美しい"ことは何の利点でもありません。
私達はそれを正法を通じ、常に教えてきました。
又、老年になっても"美しい心"を保つには若年の頃より努力しなければ、
大脳の多くの細胞が死滅して習慣としての言動しか残らなくなった時に、
その人の真の心の歴史が表面化してくることも覚悟しておいて下さい。」
〖備考3
"精神(思考)活動の失われてゆく(痴呆の)恐ろしさ"
映画『2001年宇宙の旅』の中で、
宇宙船を支配したコンピュータ(HAL)の思考力(生命)を奪う為、
主人公がHALのメモリ(板)を一つづつ抜き取ってゆく時、
次第にHALの思考活動が緩んでゆくシーンが思い出されました。
映画『アルジャーノンに花束を』では、
特殊な治療のお蔭で知恵遅れだった主人公が天才になるのですが、
同じ治療を受けて天才ネズミになったアルジャーノンが、
次第に元の只のネズミになって行ったことを知った主人公が、
やがて自分も同じことになると知った時の絶望を表していました。
植物は成長を始めるや、芽は光を、根は水を求めます。
動物は、心の成熟した親の下で、その心の働きを真似ることで成長します。
人間が堕落するのは、堕落した世界に生まれ育った故にそうなるのでしょう。
神の導きを得られなかった者です。
堕落に生き、精神(活動)の衰退していった人達を知ったなら、
そのような精神の薄明に人間が晒されていることを悟ったなら、
精神の向上を顧みなくさせるこの世の誘惑が悪魔の精神から齎されることを
悟らないではいられないでしょう。
神の心に、天への愛に、同じ思いに生きていると思っていた同志が、
悪魔に魂を明け渡し、天を裏切っていったことを知った時、
その恐ろしさを感じたのは、神の心を失わなかった者だけであったことを思うと、
精神の働きを失う(奪われる)恐怖は、失ってからではもはや恐怖感(危険を察知する、
本能という生命を維持する上で不可欠な能力)すらも失っているのであり、
人間の尊厳、あるべき己自身を自覚する能力など言うまでもないでしょう。
神を捨てた者、神を裏切った者は、天から知恵を取り去られると言われてきたのは、
天を裏切った者には、善なる合体霊、守護霊は与えられず、
彼等が離脱するや悪霊に完全に憑依され
(神の怒りに触れた者は断罪を受ける事実を知る者にとって、
自分がそうであるとは受け入れられぬ故に、
虚偽に生きる偽りの神(悪魔)に縋り付くしかないのです)、
神の知恵に従う善我を失うということです。
(偽我に生きる)悪霊となった者は天に消滅されます。
ソ連(今のロシアも同様)が良心の囚人(共産主義、悪魔の心を拒絶した善なる心の人々)
を薬物によって精神を破壊した共産主義者達の心とは、
人間の心をすべて捨て去った悪魔と変らぬ心であり、
そのような心は悪魔以外に導く存在はいない、
そのような魂を繋ぎ止める、悪魔の支配する地獄が存在することを理解されることでしょう。
そのような世界を、魂を拒絶する心が生まれないようでは
自由な精神(活動)に生きていない者に違いないのです。
ミカエル様の仰しゃった、理性を学ぶことのなかった者か、
理性を失ってしまった者です。備考3終〗
第一部 天の教え
第十章 病の分析と治療への助言
一節 精神面
(四) 精神病と霊障との差異
「JI」89年1月号初出 ラファエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集・Ⅲ」124頁
「(正法者で精神科医の)木村先生からのお手紙で以前から御相談があったことですが、
精神病と霊障との差異については、
やはり症状として診(み)るから誤診が出るのではないかと思います。
もし可能であれば脳波やスキャン撮影によって
器質変化の有無を調べて初めて診断を下すのでないと、
精神病の症状としての本人の行動が憑依によって動かされているものか、
本人の妄想的な行為なのか、外部から判別は付け難く、
また悪霊もそれを狙って操るようです。
その例として憑依でしかなかった一青年が
暴れたという理由だけで警察の保護を受け、強制入院。
そしてその繰り返しで、暴れなくなったからと
一時帰宅させた翌日に、また憑依されて暴れ出し、
心臓が弱っていたのを知らずに暴れないように押さえ付けた為、
本人が苦しいので反抗し、押さえる側は判らず力を加えて、
いろいろ揉み合ったはずみに内臓が破裂、死亡に至ったケースもありました。
つい最近の警察の制圧行動に似たようなことです。
こういった不幸なことが起こらない為にも精神病の診断は内科、外科と同じく、
検査という科学的、客観的な手段を経て治療を決めて頂きたいと思います。
勿論、本人が行う行動の理由付け又は説明によっても診断出来るでしょう。
しかし、私が相談を受けた中では
只二例のみ明らかに、思春期の精神病の症状と判断した以外は、
総て巧妙な悪霊の操りによるもので、不幸にもソ連の"良心の囚人"の如くに
正常でありながら、入退院を繰り返されている人が多く、気の毒なことでした。
特に若い人達は安易に妄想と診断され、内臓を壊すだけの精神科医薬を飲まされたようです。
ああいった誤診を何とかする方法はないか、その努力をお願いしたいと何時も考えます。」
〖備考
医学会が認めた症状の原因とその治療の通りに従って
結果が付いて来なくても医者の責任ではないでしょう。
医神アポロンのお告げであろうと、天上界の叡智が伝えられようと
医者は宗教家ではないのだから、人の命を預かっているのだから、
魂を誤導しようと罪を問われぬ宗教家のような気楽な立場ではないのだから
(厳しく己を律しなければならぬのが真の宗教家の立場の筈ですが、
真の神を思わず、この世に認められれば宗教家でいられると堕落したのでしょう)、
耳を傾ける訳にはいかないと思うのでしょうか。
しかし現天上界が医療の道を切り開いて来られたことを理解されたのなら、
彼等の歩まれた道を行こうとする者なら、
天の思いを感じぬような者であってはならないと思われるに違いありません。備考終〗
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様