第一部 天の教え
第七章 現代に於て初めて証された真理
一節 霊について

 (一) 霊体の構成について神自らが、現象(人々の前で霊能者を通して直接語り掛ける)
   という奇蹟によって証言される

現象テープ№34 「天の現象と霊体の構成」より
 81年10月18日 ミカエル大王様現象
&「エルバーラム(82年4月初版)」62頁

「霊体ということについて、
天国シリーズや『慈悲と愛』今は『JI』に改称しております現正法グループの機関誌に
色々説明しておりますが、それに少し付け加えますと、
まず霊体の大きさは、高次元など色々飛び廻る霊体というものは、
死んだ直後の、色々な雑物が構成要素の中に含まれている霊魂とは違って、
そういった物が、燃焼したり、取れてしまって小さくなり、
そしてぎりぎりの限界である大きさ、即ち私達の維持している大きさというものは、
直径5cm位のほんの小さなものであって、勿論それは人間の目には見えません。
 写真に写すことは出来ます。

 そしてまたそれが、不思議なことに、身体機能を果たす要素ではなくて、
寧ろ大脳の中の細胞、神経細胞、そういったものの集まりではないかと私達も考えるのです。
 ですからそれは、原子というよりも、原子に分解してしまえば、
もう人間の今迄用いてきたような思考表現能力というものは失われますから、
やはり分子レベルで残っているのではないかという事が、私達討議の結果判明したようなことです。

 勿論、分子レベルといっても空気位の希薄なものであって、数も少ないものであろうと考えます。
 詰り、余分な物はすべて取り去られて、しかも必要不可欠な要素だけが残っている。
 分子だけが構成要素として残っている。 
 そしてそれが生前に色々な機能を果たしていたそのままを再現し、思考、意志、
言語表現に何等差し支えのない生活を四次元に於て、ここ天上界に於て果たしているという事は、
私達にとっても非常に驚くべき現象であり、
又あなた方にとっては信じ難い事でもあるかも知れません。

 特に科学者にとっては、科学的に立証されなければ、色々な検査器具を通して、
探知器具を通して、或いは数字の上でそれが証明されなければ信じ難いといった、
そういった人々も多くいられると思います。
 しかし事実は事実であって、私達はこの永い永い年月、
三億六千万年という年月をも生き続けて来たのであり、
そして今後も何千億年生きるかも分からない。
 そういった状態でありながら、少しも機能の変化は無く、歳を取ったというような事も無く、
魂となった状態のままでずっと生存し続けているということは、
これは驚くべき現象と言わねばなりません。

 又、その霊体としてのエネルギーは何処から取り入れるかと申しますと、
私達が何かをしようと意志する、そしてその通りに行動する、
即ち大脳の機能を働かせると、自然にそのエネルギーが意志に伴って吸収されてくる訳です。

 そのメカニズムは何であるかと言いますと、
まず私達に考えられるのは、直径5cmという霊魂の塊の中に凝縮されている分子、
それは一つの磁石の役割りをし、電磁場の役割りをしている。
 そして、私達が色々思考したり、言葉を用いたり、行動したりする時に、
そこに生前にあったような活動電流が流れ、
そして反射的に機能し、反射作用が機能し自然にエネルギーの交換が行われる

そういったものであろうかと思われます。
 又、分子と申しましても、ナトリウム、或いはカリウム、
そういったものを含んでいるという事は最早無いと思われます。
 そういったものは、空中で消失され、
ですからそれによって生ずる電位差によって、活動電流が流れるという事では無く、
即ち生体の思考、自己表現に際しての大脳の活動、そういったものとは違って、
いえ、その機能或いは作用が違ってくるのではないかと考える次第です。

 その違いと申しますのは、
最初の頃は少しは電位差というものがぎくしゃくしていたかも判りません。
 しかし、まず自分達の意志がしっかりしていて自己を表現しようとする場合に、
それを意識せずに行うと、そこにやはりエネルギーの交換が行われ、
自然に電位差が起きるのではないかとそういうふうにも考えられます。
 或いはそのままエネルギーを吸収し、又放出する、
そういった形で自己表現が為されているのかも判りません。
 そういった事は、未来の科学者の証明を待たねばならないと、私は思っております。

 又、霊体が霊体である場合、そのままの形でいる時には人間の目には勿論見えません。
 そして又、不便な事には霊体にも互いの形は見えないのです。
 と申しますのは、私達人間は、生きていた時も、霊体となってからも、
それは生前の反射機能の条件反射の存続ですから、物を見る、
即ち光のエネルギーが網膜の感覚細胞に対して、刺激となって生ずる感覚、
そういうものには限界がありまして、虹の七色、即ち人間の目に色となって見えるもの、
四千オングストロームから七千オングストローム迄、
その限界の電磁波しか色や形となって人間の目には映じてこない訳です。


 それと同じ条件反射を霊体も備えておりまして、
生きている間に見えなかった物は、霊体になっても見えない。それは機能は同じなのであります。

 又、霊能者が霊道を開いて常人の聴覚よりはやや優れた感覚を持っている場合、
非常に微細な物音に対して意識の声というような小さいエネルギーに対しても、
ちゃんと反応するようなそういった能力を備えている人間は、
天上界に上がって霊体となっても同じような能力を備えており、
生前に霊能者でなく霊道が開いておらない人間は、
天上界に上がって霊能者と同じ能力を持っているかというと、それは少し疑わしい訳であります。
 案外死んでからそういった能力を備えるのは非常に容易く、
霊同志の意識交換、意識での言語の交換というものは容易に行われるのかも知れません。

 さて、その霊体が互いに見えないということでありますが、
霊能者の前に色、形を伴って霊体が自分を見せる場合には、
生前の自分の顔形、或いは記憶している自分の衣装、
そういった物はそのまま自分のあがままで変化して見せることが出来ますが、
自分以外の、例えば動物に化ける、化身する、そういった場合にはそれは無理なので、
そのままそっくり変わるという事は不可能でありますから、
 例えば私ミカエルに悪霊が化けようと思っても、
直ぐにその化けたままの形が悪霊の素顔に戻ってしまう。
 そういった場合が多いのです。

 それを防ぐ為に悪霊のやっている事は、
長い間ミカエルとしての形を現しておく為に、恐らく幻燈か映写の様にエネルギーを投影する。
 そういった形で人間の意識下に、網膜にその映像を映して見せる。
 或いは空間にそういった幻燈をスライドのように映像を映して見せる。

 そういった事をやっているのではないかと思います。
 実際私達もそういった事は可能であるという事は既に知っております。

 以上のような事が、最近私達がいろいろ討議を重ね、霊体自身の構成、
並びに能力というようなことについても結論を下した訳でもありますが、
こういった事も何時か科学というものが、四次元の世界が三次元に存在するものであって、
電子などの素粒子研究を行うと同じく、霊体というものを何らかの機会に被験体として登場させて、
人間と霊体が話をする、そういった形でテストをする、能力をテストする、霊体の存在を確認する。
 そういった未来科学が現実のものとなって欲しいと私達は常々望み、そしてその希望を持ちつつ、
現在はそれが叶えられていないままに、
霊能者を通じて私達の希望や計画を皆様にお伝えしたいと思い努力している訳です。
 今日は随分長い現象になりましたが、
何時ものようなメッセージではなくこういった講議のようなものの形なので、
まず物を読んでいるとか、暗記しているとか、
そういった中傷は外部、内部の心ない人々によって為されることはないであろうと思い、
又これが一つの千乃様の霊能を証明するものとなって欲しいと望んでいるものです。
 長い現象でしたが、これをもって私ミカエルの現象を終わりたいと思います。
                          一九八一年十月十八日(現象)千乃裕子」

〖備考
 霊は互いに見えない存在ですから、その心に於てしか天国に神に繋ぎとめられるものはない。
 自らの心に相応しい世界に繫がる、その世界の霊に繋がらざるを得ないということです。

 この世では、法律で保護されているからと、権利を要求することしか考えない者がいますが、
天上界に於ては愛を貪ることしか知らぬ者、
愛に応える心のない者を迎え入れることはありません。
 この世に於ける如何なる地位で以て、また如何なる関係で以て人と繋がっていようと、
天上界にあっては、何ら考慮されるものではない、
その心に相応しい世界に自ら行くのであり、互いに憎しみを与え合う世界に繫がるのです。備考終〗

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 (二) 憑依により病気が伝染る理由
「天国の証(78年8月初版)」55頁 エル・ランティ様メッセージより
憑依を受けて病が始まるのは、正しき理由があります。
 それは、霊的、迷信によるものだけではなく、
その病で死亡した霊が、霊体の修復が付かぬまま彷徨うからです。
 そして人の身体に憑き、その健康な身体のエネルギーと光を吸収し、自分の病を癒そうとします。
 それ故、同じ病が伝染るのです。


 
そして三次元の人は三次元の医師にかかり、その病を治さねばなりませんが、
それもまた嬉しく、憑依霊が病人と共に治療を受けるのです。
 しかるに霊体の病は天上界にて治さねばならない※1のに、三次元にいるものですから、
三次元の治療で治らず、その人を益々病の床に留まらせます。

 しかし三次元で病癒えた人は光が出、憑依を跳ね返すことも可能ですから、
私達は三次元の病は三次元の医師の許へと教えます(※2)。」 

※1注。
 天上界(地上十万メートル上空)で、聖霊達が霊体の治療を行っている。
(元七大天使の方々もみなサタンとの戦いで負傷し、治療を受けられたそうです)
 肉眼では見えない霊体(肉体の条件反射しか持たぬ霊体も同様に見えない)
を治療するというのは、何らかの装置や方法で霊体で見ているということですから、
高次元の善霊(聖霊)が悪霊を消滅する場合も、
その方法が用いられているということでしょう。

 モーセ様は「天国の扉」で、天上界にも地上にあるような湖や自然が作られている、
霊界には地上の建物まで真似て作られていることを紹介されています。
 妖精(生きています)は高次元の霊が作ったものなのだそうです。
 不思議としか言いようがありません。※1注終)

※2注。
 聖書にある病の癒しの奇蹟を信じる己が信仰を、
神に顧みられた証を得たい(実は神への確信を持てないでいる)が為に、
神を試みる、神に直に癒されるという奇蹟を求めてはならない
(神がどのように人を救おうとされているかを神に問うことは神への不信から来ている)
ということです。※2注終)

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 (三) 脳の損傷は霊体へどう影響するのか?
機関誌「慈悲と愛」81年1月号初出 「質疑応答(千乃先生解答)」
&「続エルバーラム」192頁

〈質問〉現在高齢化が進み、中年期には優れた活躍をされた方々も、
死ぬ直前には、大脳の萎縮、変性が起こっていますし、高齢でなくとも、
死ぬ時は、皆何らかの病気がありそれぞれの臓器が障害されているのですが、
大脳をはじめ、どの程度障害されれば、霊体として修復不可能なのでしょうか。
〈解答〉天上界に伺いますと、高齢若しくは身体の障害、
若しくは疾病による臓器の障害がある場合、霊体になられた後の修復可能の程度は、

一、外科的な分野で、怪我、事故等の後天的な身体の障害は、
 それが十五年以上に亘る機能の喪失によるものでなければ、
 50~90%の機能回復が死後恐らく可能である。
  喪失期間の長さに比例した回復度であること(喪失してから現在までの期間が長くなる程、
 今の条件反射が強化されるので、それ以前の状態への回復は困難となる)。

二、先天的な身体障害は精神障害も含めて、回復不可能である。
  従って遺伝の可能性を見越し、両親の出産への配慮が重要且つ不可欠のものとなる。

 (又、精神病と誤診を下されて、薬害により反って不幸にも発病したものも、
 先天的、後天的脳障害による精神障害も同じく回復不能です)

三、高齢による障害は、外科的なものより回復速度が遅く(50%の回復)
 疾病による障害の回復はその中間であること(50~100%の回復)

四、特に、大脳は細胞の賦活が重要な決め手であって、枯死、壊死した神経細胞の
 反射活動を蘇らせることは恐らく不可能
であろうとのことです。
  人格や意識がどうあろうとも長生きすることのみが至福というのは、
 死後の生活の幸せを断念することにもなりかねません。
  単なる長寿は三次元に於てのみの至福であっても霊界の幸せには繋がらないのです。
  その点に於て、精神機能、知性のリハビリテーションとも言える老齢化社会の出現は
 一つの救いでもあります。」
(中略)
「老若男女を問わず生老病死を超えた悟りを持ち、生命にのみ執着しないこと ー
即ちブッタ様の教えを真理として受け入れることが、
真の人間としての価値を己のものとすることになるでしょう。
 真の覚者こそまことの人格者と言うべきなのです。
 身体障害、機能障害も勿論、その人格と価値を害(そこな)うものではありません。
 失ったものに執着し、他と比較する羨望の心、歪んだ心こそ世の俗人の心と何ら変わりなく、
価値ある人格を育て得ない人であるのです。
 姿、形、環境に関わりなく、"心の美しさ"以外に天に嘉せられるものはなく、
天は決して一人一人の外形や知識の優劣によって人を判断なさらない
ことは、私が断言致します。
 すべての人の"心の美しさ、正しさ"と"熱意"しか天に於ける尺度はないのです。」

"肉体を有していた時の心の働きが、死後の魂に於て損なわれるものはあるのか?"
「神の怒りと悲しみ」146頁 歩紀柚衣著
「"霊体としての能力の開発は可能か?"
 肉体を持って生きている間に形成される脳の活動の自然な流れのトータルが、
霊体としての記憶の範囲かつ学習能力の可能性を定める。
 ただしエネルギーが身体活動(自律神経の働き)に奪われない分だけ強いエネルギーの
吸収が可能なので、その分、学習能力や記憶力を一部賦活することは可能である。
 人間の脳細胞は一般の人間で10~15%、最大限開発された人で23%前後が開発されているが、
生前活発に使用されることのなかった残りのパーセンテージは
霊体になっても開発されることはない。
 肉体を持っている間に努力して学習のこつを学んだ者は
他人の体に転生することを通して一回の転生につき、1~2%程度を開発することはできるが、
転生をいくら重ねても全体の35%以上は開発することはできない。

"怪我や病気は霊体にどう影響するか?"
(怪我や事故による後天的な障害のうち、15年以上経っていないものなら、
霊体になってから50~90%の機能の回復が可能である。
 病気による障害は50~100%の回復率であり、
回復の度合いはその機能を失ってからどれくらい時間が経っているかに反比例し、
15年以上経っている場合には回復の見込みはあまりない。)

 後天的な障害であっても、脳の機能に障害をきたしたものは回復できない。
 歳をとることによるゆるやかな脳の機能障害なら50%前後の回復が可能だが、
すでに枯死した神経細胞の反射活動を再生することは不可能。
 アルツハイマー病や脳軟化症のような精神病的に自己喪失した者は
死後霊体として機能することはできない。

"生まれつきの障害は霊体にどう影響するか?"
 先天的な障害は精神病も含めて回復は不可能。
 先天的な精薄は脳細胞の数が少なく従って脳を構成する素粒子の数も少ないので、
霊体になってから知能を開発するということは不可能。

"子供のまま死んだ場合はどうなるのか?"
 5歳以上の子供であれば霊体になってから教育を通して
13歳くらいまでの知識を与えることはできるが、それ以上の知能や人格の形成は難しい。

"肉体を持って生きることの意味"
 以上手短に紹介した霊体の機能や可能性について
高次元の霊たちから知らされた事実を通してだけでも、
そこには我々の想像を遥かに超える厳しい霊の世界の現実が垣間見えるだろう。
 これら高次元の霊たちが語る霊の世界の姿は、
非の打ち所がないまでに理路整然として現実的だ。
 だが、それだけに余計、"生前身体障害者や知能障害を持った人も早死にした子供も、
死後はみんなそれらの欠けたところを埋め合わされて
他の人々と同じように機能できるようになる"という
一般の霊界書の記述を信じていた人にとっては強いショックだろう。

 だが、これらの苛酷な事実を高次元の霊たちがあえて、
今生きている我々に呈示するのはなぜなのか。
 それは、これらの厳然たる事実を受け入れなければ理解できない、
より重要な事実があるからだ。
 それは、今、生きている人間にとっては、
この肉体を持って生きている間が自分自身の体、
自分自身の人生を持って本当に生きることのできる唯一の機会であり、
そして自己の霊体として可能性を定める時期なのだということ ー
この肉体を持って生きるわずか百年足らずの短い間が、霊体になってから生きる何百何千年、
あるいはそれ以上の年月の基本的な可能性を定めてしまうという事実である。

 そして同時に、この世において先天的な機能障害を持って生まれた人々や、
病気や事故、果ては薬害などで脳の機能に支障を受けてしまった人々は、
それを霊体になってから埋め合わせるといったことはできないということを考える時、
この世においてこそ、我々は、できるだけ多くの人々がより恵まれた人生を与えられ、
最大限自己の可能性を伸ばす機会が与えられるような環境を実現しなければならない、
ということなのだ。
 そのためになさなければならないことの中には、
病気や老齢からくる、あるいは薬害による脳の機能の障害を予防、
治療することも可能になるような医学技術の進歩や、
子供を産む際に遺伝的に見て先天的な機能障害を持った子供が生まれる可能性はないかを
チェックするといった、生まれてくる子供の人間として(そして霊体として)の幸せに対する
親の側の責任に基づく配慮といったことが具体的に含まれる。

「霊界へ行けばすべてなんとかうまいことおさめてくれる」式の現実逃避的な思考法を捨て、
この世においてこそ一人でも多くの人が精神的、肉体的に健全にすごせるような努力を、
現実的な基盤の上に立って行わなければいけない ー
これが霊の世界についての正確な知識をこの二十世紀後半において
人類に伝えることの中に含まれている、神々からの重要なメッセージである。」

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第七章 現代に於て初めて証された真理
一節 霊について

 (四) 肉体(脳)が滅んでも生前のまま変らずに機能する心(魂)とは

"死後、生前の反射活動(心の働き)を維持する霊体とは、
生前どのような形で肉体に存在しているのか?”

ー 生前の心が霊体の心(魂)を決定するのであり、
 生前の心と死後の心(魂)は変わらないからこそ、
 天に於て魂が裁かれるのです。 
  死後、心を変えられないから、生前に於てしか心を変えられないから、
 今生に於て正しく生きることでしか心(魂)を正しく育てられないから、
 天上界は魂の研磨を伝えてこられたのです ー

「神の怒りと悲しみ」139頁 歩紀柚衣著
「"無条件反射と条件反射"
(前略)大脳で処理される条件反射と脳幹・脊髄のレベルで処理される無条件反射があるが、
いずれも、動物が絶えず変化していく環境に適応しながら生きていく必要性から
進化を通して発達してきた機能である。
 動物の目や耳、鼻といった感覚器、脳・脊髄という中枢神経、
そして感覚器と中枢神経を結ぶ神経系が進化を通して発達してきたもの、
感覚器を通して逸早く周りの環境の変化を知り、
適切な反射を通して必要・最適な反応を起こすことが、
生存競争を勝ち抜いてゆくのに不可欠だったからだ。
 つまり反射というのは、動物が自然の中で生き抜いていくために、
動物自身と外界とを常に結び付けている、
動物の生存に不可欠のフィードバックだということができる。

 反射のうち、無条件反射と呼ばれるものはすべての動物に生まれつき備わっており、
特定の刺激に対して必ず反応する神経反射弓を通って特定の反応を起こす。
 人間の場合でいえば、熱いものに触ると手を引っこめる。
 目にゴミが入ると瞬きをする、といった反応はこの無条件反射の例である。
 これに対して条件反射というのは、
動物が生まれた後に経る経験を通して新しい新経路が形成されてできる反射で、
単純なものでは好きな食べ物を見ると口の中に唾液がたまる、などはこの例である。
 それが後天的な条件反射と解るのは、
人によって、同じ刺激に対しても(好みの違いで)反応が異なるからである。
(中略)後天的な習慣の形成というのはすべての条件反射を通して行われる。
 そして最も重要な形の条件反射として、生物学でいう"学習"がある。
(中略)人間が生まれた後の獲得する習慣や癖などは一種の条件反射であると言える。
 そしてその人間を取り囲む文化や習慣、教育などはすべて
その人間の条件反射が形成されるのに関る。
(中略)ごく基本的な本能の枠内の反応 = 無条件反射の範囲を超えて形成されてゆく
人間の心の反応 ー 思考力とか情緒というものは、
すべて一種の条件反射であると見做せるわけだ。

 こういった生物学的な意味での条件反射ー"心の働き"は、
すべて脳の中でその神経細胞を通して起こる。
 神経細胞は神経膜に覆われた樹状突起(ニューロン)を持ち、
神経膜の内側と外側にはナトリウムとカリウムのイオンの濃度差を使った一種の電池構造があり、
脳に情報が入ってくると、神経細胞が刺激される。
 次にその膜が一部破れてナトリウムイオンが膜の内側へ急激に流れ込むことで
電位変化(スパイク)が起こり、それが次々と他の神経細胞に伝わっていく。
 要するに、頭の中を電流が流れる。
 経験を積むことで脳の中に反射路が開かれるというのは、
つまり特定の電気信号を伝えやすいルートができるということだ。
 そして反射は経験が繰り返される毎に強化され固定化されてゆく =
特定のルートを使えば使うほどそのルートは通りやすくなる。(後略)

"反射と霊体"
 こうして特定の反射路が開かれて条件反射が充分に固定された、ということは、
同時に反射に関連する様々な分子が、そして更にはその分子構成している素粒子群の働きが、
条件づけられたということを意味する。
 この、条件反射と無条件反射を含む反射 = 中枢神経内の電気反応 ー デジタルな電子の流れが、
それに関与する素粒子群に慣性の法則様に固定され、
それが肉体の死と共に肉体から離れて存在するようになった状態が、霊体の基本構造である。
 その際、素粒子群は分子レベルの階層構造をそのまま維持し、
生前の神経系と同じような働きを持ち、刺激を受ければ同じように反射が起こって
素粒子群は一種の磁場を形成してそこに活動電流が流れる = 心の働きが起こる。

 岩間教授の簡潔な表現を引用すると、
「霊体のできる過程とは、生理学的に言えば大脳皮質を中心とした条件反射の成立の過程、
量子生物学的に言えば素粒子群の反射形成の過程で、
この宇宙に存在し、特定の固体を構成することになった素粒子群が
遺伝と条件反射のメカニズムを通して霊体としての属性を作る過程」である。
 もっと簡単に言うと、生きている人間の体の中では、
常に電気反応を通して考えることやその他の色々な心の活動を含めて、
生きるために必要な色々な反射が起こっている。
 中でも脳細胞とそれに連なる神経細胞は、
他の筋肉細胞などのように一定期間毎に作り変えられたりすることなく、
一生同じ細胞が働き続けるので、
体の他の器官に比べて遥かに強い反射がその細胞を構成している素粒子群に刻み込まれ、
このしっかり固定された反射を持った素粒子群が肉体が死を迎えた時点で
肉体から独立して存在するようになる ー これが霊体 = 魂なのである。

"生前の脳の発達レベル = 魂のレベル"
 このようにして形づくられる霊体 = 魂というものが、
生きていた間に形成された様々な反射をそのまま持っている、
ということは極めて理解しやすいだろう。
 思考パターンも性格も、理解力や知能などもそのままだ。
 従って、肉体を持っている間に高い知能を持っていた人は高い知能を、
優れた人格者だった人は優れた人格をそのまま持っているし、
逆に、鈍い反射系を持っていた人が
霊体になったとたん鋭い反射系を持つようになるというようなことはあり得ない、
ということが解るだろう。
 一部の霊界研究家や新興宗教では、
「死んで魂になると脳の眠っていた90%が目覚めて素晴らしい知恵が湧いてくる」
と主張しているが、そのようなことはあり得ない ー
生前に全く持っていなかった知識が突然身についたり知能が高くなる、知恵がつく、
といったことは、霊体の形成される仕組みから言って不可能だということだ。(後略)」

"生前の心と肉体(脳)及び死後の魂と霊体との関連について"
「エルカロム(83年11月初版)初出」233頁
「心と脳の分析」高田佳久氏寄稿抜粋

① 素粒子と心の関連図1(文末掲載)参照)
 心とは一口に言えば約140億個の脳細胞からなる超高性能のコンピューターである大脳皮質が
造り出した生物進化の極致に近い情報処理過程であると言える。
 何の情報を処理するのか。如何に生きるべきか。
 より良く創造的に生きる事の出来る人間に相応しく、五感によって外界からの情報を処理して、
神経の電気的信号によって手足、口、目等々に伝え、行動を起こさせる。
 それが人間生活となり、精神活動となっている。
 それでは脳は単なる分子レベルで働く機械なのだろうか。
 それを見るには分子より細かい世界を覗くしかない。
 実際、心の動きといった超複雑な反射系は素粒子のレベルで考えねばなるまい。
  
 しかしながら素粒子を考えるには量子論となり、「確率」という概念に突当る。
「量子力学」はこの「確率」の概念に基づいている為、多体問題は解く事が出来ない。
 厳密に解く事の出来るのは電子1個の水素原子のみである。
 素粒子(陽子、電子、中性子など)を更に分けるとクォークとなるであろう。
 では、クォークレベルではどうなるか。
 このように考えていくと最終的に何かという問題にぶち当たってしまう。
 天上界によれば最終的には電磁力の強弱しか存在しないという明快な答えが出ている。
(JI誌1982年9月号 P31参照。文末掲載)

 もう一度もとに戻ろう。何故分子レベルなのか。
 それではピアノ曲に例えてみよう。
 ここにモーツァルトのピアノソナタが鳴っているとしよう。
 ソナタは影も形もない音の波の集合である。しかし、私は充分にそれを楽しみ、
かつモーツァルトの何番ソナタと判断でき、美しいと感じることが出来る。
 これは方便として比喩を用いているのである。
 この図1のように素粒子はピアノ曲に似ている。
 モーツァルト(ミカエル様本体)のピアノ曲を分解すると和音の集合となる。
 和音はリズムという言わば法則に従ったタイミングによって初めて形が整ってくる。
 更に分けると12の単音になる。
 これを更に分けるにはピアノを壊してみるしかない。
 ピアノを壊してみると一つの音を3本の同じ音に調律された鉄線となる。
 更に分けると鉄の振動となり、その振動を起こさせるのはこの鉄の線をひっぱたく
力の強弱に行き着くであろう。元々ピアノは強弱がだせる楽器としてB・クリストフォリが
1709年に発明したもので本来の名はピアノフォルテと言うのである。

 それでは分子とは何か。ピアノ曲の如きものである。
 長大な曲は巨大分子であり、短い小曲は小さな分子である。
 分子を分解すると原子の集合となる。
 原子は波動関数(注1)という言わば法則に従った
タイミングに沿って電子が動くことによってその性格が決まる。
注1。波動関数 
 量子力学で電子の状態を表すものでメロディーである電子の動きを決める
リズムの如きものである。)

 原子を更に分解すると素粒子となる。現在の物理学では素粒子までしか確認していない。
 ピアノで言えば、鍵盤の単音までは誰でもすぐ触れることが出来るが、
ピアノ線を取り出すのはぶち壊すしかない。
 クォークも同じでこれを取り出すには巨大なエネルギーが必要である。
 クォークは1/3の電荷(注2)を持ち、3つで1つの素粒子を形作る。
注2。電荷
 正負の区別があり、物体が電荷を持つことを電気を帯びるという。
 電荷の分布状態が変らないのを正電荷といい、物体の中を移動するのを電流という。)

 ピアノ線は3本張られてあり、3つで1つの透明な音を出す。
 ピアノを壊すほどでなく、力いっぱいキイを叩いているのが、
現在の物理学の研究レベルと言えよう。
 それは現在の物理学が加速器に頼っているからであり、
素粒子を壊す(ピアノを壊す)までの力に至っていない故である。
 ピアノでも力いっぱい叩けば他の音が共鳴するだろう。比較的短い時間ではあるが、
素粒子と素粒子を壊すほどでなくぶつけると別の色々な形に変り得る。
 即ち共鳴状態というものである。

② 素粒子と心の関連図2(文末掲載)参照)
 さて前章の比喩を用いるならば、心の分子レベルと言っても巨大分子の働き、
即ちピアノ曲自体が与える総合的な印象のみを論ずることとなる。
 モーツァルトのピアノ曲は数多くあるように脳の働きを形成する巨大分子も沢山ある。
 それでは巨大分子とは何か。それは蛋白(たんぱく)質の分解されたものと言える。
 ペプチド分子ともホルモンとも言う。ホルモンと言っても沢山の種類がある。
 では何故沢山あるのか。人間の進化が究極に近いからである。
 ホルモンと言っても男性女性ホルモンではない。
 心を分析するのだから、脳内ホルモン即ちペプチド分子に限って論ずる。

 では何故ホルモンなのか。
 人間は沢山の細胞から出来ている。
 そして内臓で判るように分業体制をしている。
 分業しているが故に相互に連絡しあわなければならない。
 更に統合的に支配している脳の命令を何らかの形で情報伝達を確実にしなければならない。
 そのメッセンジャー(注3)役がホルモンである。
注3。メッセンジャー
 使者、伝道者。)

 そしてそれは三つの段階を経て進化したと言える。
 人間は図2の如く神経の3つの形態を適所に使い、
約60兆個と言える全身細胞をコントロールしている。
 これにより各細胞が生死を繰り返しても人体システムは変化せず成長していく事となる。

 そして細胞間のメッセンジャー役が蛋白質の分解されたものと言えるペプチド分子である。
 ペプチドはアミノ酸分子10個~100個からなり、化学的には安定であり、
ホルモンとして最も広く人体で使われている。
 蛋白質はアミノ酸分子100個~1000個ほどの鎖状の高分子と言える。
 比喩を用いるならばペプチド分子は手紙である。
 受容体(レセプター)がポストである。レセプターは標的細胞とも言う。

 心と一口に言うが、3タイプ即ち鈍行である神経細胞、急行の無髄神経、超特急の有髄神経の3つが
複雑に絡み合って手紙であるペプチド分子をやり取りしていることによって生じていると言える。
 又進化するほどハイスピード化している。コンピューターと同じである。
 ではハイスピード化はどのようにするのか。電線化するのである。
 無髄神経は裸電線、有髄神経は完全にカバーした電線である。ナトリウムとカリウムが関与する。
 故に分子レベルで脳を論ずると言うのはペプチド分子を追う事に他ならない。
 例えば怒りを司るのは主にノルアドレナリン、知能はアセチルコリン、
幸福感、快感などはドーパミン等々、訳の分らぬ名がずらっと出ても怯えることはない。
 とにかく沢山の手紙をやり取りしていると考えればよいからである。

③ 霊体になるとどうなるか
 さて人間が死んで肉体がなくなると当然、脳も神経もなくなってしまう。
 ミカエル様によれば
というものは、死んだ直後の色々な雑物が構成要素の中に含まれているとは違って
そういうものが、燃焼したり、取れてしまって小さくなり、そしてぎりぎりの限界である大きさ、
即ち私達の維持している大きさは直径5cm位のほんのちいさなものである(中略)
それが不思議なことに身体機能を果たす要素ではなくて、
寧ろ大脳の細胞、神経細動、そういったものの集まりではないか」(現象テープ№34 
「天の現象と霊体の構成」より 81年10月18日ミカエル大王様現象
ということである。
 勿論、5cm位というのは高次元の方達のものであり、下の次元になると不純物を含んだ
もう少し大きいガス体(と言っても円形)であることは想像に難くない。

 さて私は手紙であるペプチド分子をやり取りしていることによって心は生じていると書いた。
 これは完全には正しくないのである。何故なら神経は電線でもあるからである。
 進化によるハイスピード化の為に神経は跳躍電導を使っている。図2を再び見て頂こう。
 進化した最も効率的な神経が有髄神経である。有髄神経はいわば髄鞘というカバー付き電線である。
 電流はデジタル型情報(注4)としてパルス波を用いている。より確実に伝える為である。
注4。デジタル型情報
 1か0かの、あるかなしかだけで表された情報。)

 さてスパイクとは何か(図3)。スパイクとは鋭い短時間の電位変化のことである。
 神経電流は神経膜であるニューロンの表面に沿って流れる。
 この膜の内と外にイオン(電荷を持った原子や分子)の濃度差があって、いわば電池を作っている。
 原料はナトリウムとカリウムである。
 ナトリウムイオン濃度は神経膜の外側が、内側の約10倍に達している。
 神経が刺激されると神経膜の構造の一部が破れ絶縁性を失い、
ナトリウムイオンが外側から内側へ急激に流入する。故に、スパイクが起こるのである。
 有髄神経は髄鞘というカバーが付き、しかもランビエ絞輪(図3)という節が2mm間隔にあり、
節から節へとスパイクしていき、秒速100mほどになる。(無髄神経は、1m/秒)

 さて霊体が脳細胞の働きの集合体ならば(大部分がという意味)死んで何もなくいなった後、
残るのはこの電流の流れ、しかも超複雑な流れの塊が
慣性の法則によって残ったものと言うことが出来る。詰りコピーである。
 勿論カリウムもナトリウムもなく、デジタル的な電子の流れ、
及び大気中で共有するわずかな数の素粒子群だけが残っている。
 素粒子群は、やはり階層構造と相互の繋がりを持ち、
生前のペプチド分子と神経の働きに替る動きをするものと思われる。

 但し分子レベルで残っているといっても、勿論蛋白質が残っている訳ではない。
 電子、陽子、中性子を中心とした(霊体の)
素粒子が大気と共用することによりガス体(希薄な)となる。
 例えば生前と同じように刺激を受ければ反射が起こり、
素粒子群が一種の磁場を形成し、活動電流が流れる。(電子の移動が起こる)

 私見によれば、やはりレセプターのようなものは残り、
ペプチド分子の働きはその作用のみがわずかな素粒子群によって代替されいるのではないかと思う。
 反射の属性を持つのは素粒子自身である。
 ペプチド分子の働きは、いわばそれを構成しているアミノ酸分子によって決定されている。
 更にそれを構成している原子の組み合わせによって性格付けられる。
 従って最小限の作用を見ていくと原子間の作用点、
即ち最も外側の軌道の電子の作用に帰する(但し近似的に)。

 電子同士の作用は各種の軌道計算によっておぼろげながら導かれる。
 ペプチド分子自らの活性度(作用しやすさ)は
各原子のフロンティア電子密度を計算すればよいということになる。
 フロンティア電子理論とは、電子が満ちた軌道の中で最もエネルギーの高い軌道にある電子
(フロンティア電子)が化学反応に特に重要な役割を果たすという理論であり、
電子密度とは電子の存在する確立である。
 前述の比喩でいけば、モーツァルトのピアノソナタを練習したが難しく、
音符が満ちた五線譜の中で最も大事な音符、
即ち旋律(メロディー)だけを見てまず理解しようとする如きである。

 生命を荒っぽく見るならば化学反応そのものであり、
(しかし本当の核心は違う)その意味で生命を性格付けているのは電子とも言える。
 勿論各々の原子の原子核にはその元素の原子番号(注5)と同じ数の陽子が含まれ、
その数が原子核の化学的性質を決めている。
注5。原子番号
 原子核中の陽子の数。)

 しかし化学反応も電気現象としてみる時、
その実態をなすものとしてその場合は電子が重要となる。
 それでは「どのようにペプチド分子が働いて心の動きが起こるのだろうか」
と当然疑惑がわくだろう。
 そこで最も理解しやすい怒りについて分子レベルで見てみよう。

④ 怒りとは?
 怒りとは何か。怒る、ムラムラッとくるという状態はいわば
ノルアドレナリンによる急性毒物中毒の状態と言える。
 例えばいきなり他人に殴りつけられ、
殴った奴は「バカ、ドアホ」と嘲笑いながら逃げてしまったとしよう。
 あなたはカッとなり怒るだろう。
 それは分子レベルで見れば相手の理不尽な行為が刺激となり、反射が起こった結果、
脳からノルアドレナリンが放出される。
 また自律神経系(注6)を通じて全身にノルアドレナリンが(特に副腎髄質)大量に放出され、
更にアドレナリンも放出される。アドレナリンは恐怖・不安を司っている。
注6。自律神経
 意志に無関係に反応する器官を支配する不随意神経系、
正反対の作用を持つ交感神経と副交感神経に分けられる。
 交感神経は活動力を高めるように働き、副交感神経は疲労が回復するように働く
両者をコントロールするのは自律神経の中枢とホルモンである。アドレナリンは交感神経に働く。)

 アドレナリンにしろノルアドレナリンにしろ、ヘビ毒に次ぐという猛毒であり、
手紙分子(ペプチド)というなら強烈な情報網を持っている(図4)。

 アドレナリン、ノルアドレナリンはそのような毒物に近いものなので、
普段はシナプスにある分泌顆粒というタンクに仕舞い込まれている。
 しかし殴られてカッとなると脳内の神経にインパルス(図5)が起こり、
ノルアドレナリンが放出される。
 ノルアドレナリンの放出によって速やかに血糖値上昇、血圧上昇、呼吸数増加が起こり、
カーッとなり怒髪天を突くという状態になる。
 しかしMAO(モノアミン酸化酵素)、COMT(カテコールオウメチルトランスフェラーゼ)
などにより速やかに分解され、約20%は分泌顆粒に戻ると言われている。
 更に詳しく説明しよう(図6)。

 GLA(高橋信次創設)では悲しみはブルーのオーラとか怒りは赤だとか色々言われていたが、
私見によれば、これは条件反射によって心を形成する一群のペプチド分子が作用して、
体内の細胞の活性度を変化させ、細胞内の変化は化学反応であるので化学反応を促進、
又は抑制させていることとなる。
 ノルアドレナリンであれば環状(AMP)を形成し、細胞内の活性を強力に促進させ、
例えば肝臓内の環状(AMP)が作用すればグリコーゲン分解、血糖値上昇へと結びつき
心臓にあるAMPが作用すれば心筋の働きが高まり、血圧の上昇となる。
 勿論自律神経系の作用と相乗効果となる。

 化学反応と活性化とは、生体内の電子伝達系の上で行われる
酸化還元反応によって遊離されるエネルギーによってATPが形成され、
ADP、AMPと変化する間に1モル当り約1キロカロリー(Kcal)のエネルギーを放出する。
 従ってフロンティア電子が活性化することとなり、体内の電子総和の波動関数を見るならば、
色の変化となる。怒りであれば赤へ移行する。
 しかしオーラと言っても電子が励起して光子を放出し続けてオーラとするのは間違いで、
電磁エネルギーの処理レベルが変るとするのが正しいのではないか。
 これは、別の視点から見れば電子は高速で飛び回っているが、そのエネルギー源は?
というのと同じである。残念ながら現在の物理学では解らない。
 しかし素粒子の運動様式即ち波動であり、
光の発生は電子の運動量変化によって表面上は起こるので、
近似的には例えば心に毒物ノルアドレナリンを作り、
細胞が活性化されることによってオーラの変化を齎すのであろう。

 なお環状(サイクリック)AMP(注7、及び図7)は、
細胞内の活性化を促進する強力な力を持っている。
注7。サイクリックAMP
 細胞内ホルモンというべきもので神経の電気発生、筋肉の収縮、
ホルモンの分泌などすべての動物的活動の原因はサイクリックAMPの活動に始まる。
 同様に、GTPからサイクリックGMPが作られる。)

 これが形成され続けると統制が執れなくなってしまう。
 そこでホスホジェステラーゼという酵素によって環状AMPの量をコントロールしている。
 面白いのはコーヒー・紅茶の成分カフェインはこのホスホジェステラーゼを抑制する働きがあり、
環状AMPが分解されなくなり作用が高まる。そこで間接的に興奮状態となり、
何となく気分がはっきりして眠気も取れる。しかし弱々しい作用であるから安心なのである。
 ポイントは何か不思議なオーラが先に動くのではなく、肉体の反応が先なのである。
 詰り条件反射体系に行き着くのである。
 オーラ詰り電磁エネルギーによって細胞の賦活は勿論可能である。
 詰り化学反応の促進を助け、活性化することとなる。

⑤ 心の分子レベル分析
 先に述べたように、怒りを司るのはノルアドレナリン、不安・恐怖はアドレナリンというように
素粒子から見れば巨大な分子が複雑に神経電流の動きに沿って作用して心を形成している。
 巨大分子とは蛋白質の分解されたものと言える。しかも数が沢山ある。
 これだけ沢山のものを個別に作るのは大変である。
 そこで生体ではセントラルドグマを使って前駆蛋白質と呼ばれるものを作り、
それを酵素によって切り刻み、目的のものを作る絶妙な方法を取っている。
 即ちプロセッシング(注8)である。
注8。プロセッシング
 特異的酵素分解と言い、蛋白質を特別な酵素で分解、必要なペプチド、ホルモンを合成する事。)

 さてプロセッシングについて語る前にセントラルドグマについて簡単に説明しよう。
 セントラルドグマとは生命原理、生きているとは何かを分子レベルで解明したものである。
 それを考えたのは、ノーベル賞学者であるワトソンとクリックで、要約すれば、
DNAが二重螺旋状に形成していわば鋳型を作る(図8)、
そのDNAの二重螺旋がほどけて鋳型に沿ってその上に新しい鎖が作られる。
 詰り元と同じDNAが出来上がる。そのDNA鎖上の配列が遺伝情報ともなる。
 配列を提供するのは、4種類の塩基である。
 それはアデニン、チミン、シトシン、グアニンである。

 向き合う対の塩基は水素結合によって比較的ゆるく結合している。
 この場合、アデニンとチミン、シトシンとグアニンが必ず対となる。
 DNAは大事な遺伝情報を入れたレコードと言えよう。
 傷付けると大変なので、伝令RNAというコピーテープを作り、
そのコピーに従って固有の蛋白質が形成されていく。

 その過程の進行が「生きている」という生命現象なのである。

(注。この石ころからでもアブラハムの子を作ることの出来るのが神であると語った
ヨハネの信仰が聖書に記されていますが、自然にはそのような力はないが故に、
複製(再現)を可能せしめる為にコピーまで考え出したという驚嘆すべき業(わざ)を、
いろんな種の生き物が生まれる遥か以前に作ったということです。
 それすらも創造神の業と考えるのがキリスト教徒です。
 キリスト教徒の思考は言うまでもなく自然が作ったものではありません。
 神による創造というドグマからしか自然を見る事が出来ないのでしょう。
 矛盾したら思考停止、真実を受け入れる柔軟性を持たないのです。)

⑥ プロセッシングと感情
 それでは実生活に於てどのように巨大分子群が動くのであろうか。
 例えばサラリーマンであるあなたが、
大事な取引先から預かった百万円の小切手を紛失したと仮定しよう。
 課長からは怒鳴りつけられ、部長からは「首だぞ」と脅される。
 焦って増々どじを踏み、同僚まで冷たい視線を向けるようになると、
あなたの不安とストレスは、最高潮に達するのである。
 これは前半で述べたようにアドレナリンの生理的中毒によって
不安・恐怖の状態が作られるのである。
 アドレナリン或いはノルアドレナリンによる苦しみはいわば警告であり、
その原因を正しく判断して改善していけばよい。

 ところが不安感に散々苦しんだ挙句、不安を責任転嫁、自分を騙して理由付ける。
「こんな事になったのも部長があの仕事を俺にさせたからだ。クソ部長め、死ね」
今度は怒りに変ってしまうのである。
 丁度ピストルのようなものである。めったに使わないピストルは錆びついて中々引金が重い。
 ところがどんどん使っていると油が回ってきて直ぐ引金が引けてしまい、
増々怒りの弾丸・ノルアドレナリンが放出される。
 ようやくMAO(モノアミン酸化酵素)によってノルアドレナリンが分解されると、
ハッと目覚め、「しまった。こんな心では、正法がまるで解っていない。俺は間違っていた」
とようやく正しい判断が戻ってくる。
 大事なのは常に客観的な正しい判断を保つということである。
 例えば悪に対する怒りは絶対に必要である。しかし共産主義のような明白な悪は別として、
正法者は日常の修行の中で善悪を見抜く正しい判断力が必要なのである。

 今度は分子レベルで見てみよう。
 植物として摂られた蛋白質は体内で分解され、アミノ酸となり、
それを原料に、人間に必要な蛋白質が作られる。
 さて感情の元(?)はチロシンである。このチロシンが変化してドーパとなる。
 更にそれがドーパミンとなる。
 このドーパミンこそ人間の心にとって最重要なペプチドホルモンの一つであり、
作られると直ぐ分泌顆粒に蓄えられ、
その顆粒内で酵素が作用してプロセッシングが起こりノルアドレナリンとなる。

 さてドーパミンとは何か。一口で言うならば快感、情動を司っている重要ホルモンである。
 又運動の微調整をも司っており、例えば表情などはこの微調整なくしてはあり得ない。
 詰り大脳基底核にあるドーパミンが作用して筋肉を繊細にコントロールするのである。
 不足すると手などが震えるパーキンソン病となる。
 一方快感とは何か。
 脳の中のA10神経系(注9)にドーパミンが作用すると快感が生じるのである。
注9。A10神経系
 頭の中の脳幹にあり、中間皮質、前頭葉ドーパミン作動神経系と言われている。
 A10神経系は人間の大脳の中で感情にとって重要な所を賦活し活動させて、
すべて快感を生じさせている。よい香りを嗅ぐと気持よいというのもそのほんの一例。)

 文学的表現で言えば満足である。気持ちいい、美しいなどとなる。
 しかし幸福とは何かということを突き詰めていくと、
楽しい、満足である、詰り快感ということと切り離せないであろう。
 これは自己保存ということと考え合わせると大変重大な問題を示唆している。
 幸福とは何か。自己保存とは何か。

 分子レベルで見る限り、人間は自己保存のみで生きているかの如く表面上は見える。
 又全宇宙、素粒子、植物、動物に至るまで自己保存を中心として動いているかの如く見える。
 心とはどのようなものか。愛とはどのようなものであるか。
 我々は正法者などと言いながら本当に考えているのだろうか。
 宗教と科学は一致して終るのではなく、一致した所から始まるのである。

 さて不安と怒りについて述べてきたが、
一方、忍耐力について分子メカニズムを簡単に見てみよう。
 上司に睨まれ、部下からはバカにされる。取引先は相手にもしてくれない。
 この困難な状況を耐えながら営業のノルマを上げていかねばならない。
 この強力なストレスに対して条件反射を起こし、我々の体は又もやプロセッシングが起こり、
忍耐力が形成される。図10に図示しよう。
 図10の如くACTHが副腎(注10)を刺激、抗ストレスホルモンを放出させ、
ACTH自体は脳を覚醒する物質であり、車のアクセルに相当する。
注10。副腎
 両側の腎臓の上にある三角形の分泌機関、色々なホルモンを出す。)

 一方ベータ・エンドルフィンは脳内麻薬物質であり、
精神的なストレスから解放するものでブレーキに相当する。即ち「がまん」である。
 又MSHは脳の活動を高め、ストレスを乗り越えさせようとする。
 脳内覚醒物質ACTHと脳内麻薬物質ベータ・エンドルフィンが等量ずつ出来、
バランスを取りながら、忍耐力が物質的に作られる。
 この条件反射体系が記憶によって固定されると
根性が付いたということになるのである。
 このようにストレスが脳に記憶され、免疫と同じように忍耐力が形成されていく。
 その過程は苦しいが、それが文学的にいう「鍛錬」である。(注11
注11
 この部分は「心の分子メカニズム」紀伊国屋書店より大木説によった。)

⑦ 知能とは何か
 さてサラリーマン生活の一小景を分子レベルで簡単に述べてきたが、
単に忍耐が付いただけでは、ふてぶてしいだけである。
 仕事の失敗という禍を福に転じなければ、建設的とは言えない。正法活動またそうである。
 それには智恵が必要である。
 即ち考える葦である人間にとって最重要な知能について考えてみよう。

 例えば前述の怒りにしても、「バカ」という言葉が理解されてこそ条件反射を起こし得る。
 言葉を理解するというのは大脳の言語領の働きである。
 有髄神経がいわばコンピューターを形成している
大脳皮質の働きなくして人間らしさはあり得ない。
 その点欲望は、動物的なものであり、怒り、不安、喜びなどは動物も勿論持っている。
 そこに大脳皮質知能が作用して高次の心が作られる。
 心とは外界の刺激に対する条件反射体系であり、知情意が統合的に作用しているのである。
 そして最も重要なのは認識である。即ち知能とは何かという事と結びつく。
 大脳開発は言語を仲立ちにして読み、書き、習うという以外にはあり得ない(勿論人間として)。

 それでは認識とは何か。
 私見によれば大脳の認識はシンボリックに行われている。
 コンピューターに比較すると、大脳皮質はメモリーに似ている。
 大脳各部分が運動領、視覚領、聴覚領と色々機能分化しており、主として学習によって、
例えば言語を子供の時に聞き覚え、言語領に新しい神経回路が出来、しゃべれるようになる。
 しかし大脳の一部を切除して他の部分が代替し得るのである。

 例えば「考えろ」と言われても戸惑うばかりであろう。
 何について考えるかという制限がないと心は動きにくいのである。
 逆にソルジェニーツィンと聞けば、何となくその人をすべて知っているかの如く感じる。
 しかしその人と会ったこともないのである。
 又、恋人のことを考えるのに、まずその人の顔を思い浮かべるであろう。
 これは顔が第一のシンボルとなり、そこから言語領が機能し、
高峰秀子などというシンボルを引き出す。
 分子レベルで見るならば、有髄神経が前述のスパイク電流を使って
信号のあるなしのみによってデジタル式にタカミネヒデコと表現し、
解釈領にある記憶のタカミネヒデコと照合し、高峰秀子と認識するのである。
 従って認識とは刺激が少数のシンボル群を引き出し、照合、記憶し、
別のシンボル群に処理することだとも言える。

 例えばAという女性と交際していたとしよう。そこへBという絶世の美女を見つけ、
Aより魅力的に見えたらどうなるか、分子レベルで見てみよう。
 心はまず第一のシンボルである顔とスタイルを比較するであろう。
 そしてBが秀れているという認識を得る。心はこれに条件反射を起こし、
「いや、Aを裏切ることは出来ない」という認識に達する。
 ここではAに対する信義と社会通念及び感性の法則が第二のシンボルとして作用する。
 しかしそれでもBが魅力的であるならばBの魅力が巻き起こす
A10神経系末端へのドーパミン作用による満足感と第二のシンボル群との競合となる。
 このようにしてみると正しい判断はよく考える事、
詰り深い段階までのシンボルを考える事である。
 従ってシンボリックに機能するというのは、
表面的な判断のみで動き易いという癖を内包するのである。
 深く考え続けるのはめんどくさいからである。

 アンドロポフ氏が十歳の米国の少女に手紙を送ったのは、
ディスインフォメーション工作という深いシンボルを、
一見微笑ましい表面的なシンボルで覆い隠したものと言えよう。

 では何故シンボリックになるか。
 それは有髄神経といえどやはりシナプスからはペプチドホルモンに頼っている。
 アセチルコリンという分解し易いペプチドで、それ故に高速な動作を可能とする。
 京都などでよくししおどしを見かけるであろう。
 これはある一定まで水が溜まるとカタンと落ちる。
 アセチルコリンも同じで、ある一定値を超えると作用する。
 これを閾値(しきいち)的に作用すると言う。
 従って、無段階に心は作用するのではなく、特に認識のある、なしという
はっきりした情報の場合はこのレベルだからA、このレベルだからBとなり易く、
統合作用としてシンボリックに機能するのではないだろうか。

 アセチルコリンは分解し易いので、さっと断定的に作用するからである。
 ノルアドレナリンのように尾を引く物質であれば、閾値下であっても雰囲気として把握される。
 勿論この部分は私見であり、間違っているかも知れないが、たたき台となればそれでよいのである。
 霊体となれば心の動きはエネルギーと等量(そのもの)となって大変早くなる。
 この私見が正しければ霊もまた、あるシンボル(例、財産)に執着していれば
心がシンボリックに強烈に作用し、生前以上に執着すると言えるだろう。

(注。霊にとって真に自分のものと言えるのは霊体のみであることを理解するなら、
魂の真の幸せは執着からの解放であると理解する者は、心のあり方に救いを見出すでしょう。
 しかし己自身に執着した者は、その執着心に突き動かされて生きる、
霊体自身のものと考えるのはその生命であり、その生命の安全こそ喜びであり、
生きていることの意味であると、生命の危険を冒すに値するものを決して認めようとはしません
(人の思いを顧みぬ心であっては、生きる糧を得られずに苦しまねばならぬ三次元ではありません)
自分の魂を守ってくれるなら悪魔にも従うまでに執着させるものは、
霊体の生命以上にはないであろうと思いますが、その執着心を養うのはこの世にあって、
エゴイズム、ナルシシズムを満たそうと、
あらゆる偽我に立っての条件反射の強化された心なのです。)

 それ故に「あらゆる執着を捨てなさい」「金持が天国に行くのはらくだが針の穴を通るより難しい」
というのは、単なる道徳論ではなく、心はシンボリックに機能する、
詰り車で言えば左へ寄り易いという癖を持つ車だと比喩し得る。
 肉体は普通乗用車で50km/h 位の速度であるが霊体はレースカーであり、
200km/h の速度である。左へ寄る癖があるのにその癖を修正しなければ、
たちまちコースを外れてしまいますよ、ということだろう。

 人間で言えば左へ寄り易いというのは、財産・名誉に囚われやすいと言い換えれば
よく理解出来ると思う。これは記憶ということと重要な関連を持つものなのである。
 このように、心という漠然としたものでも科学的に見れば、
分子レベルで動いていることがきちんと証明されるのである。

「己を知る」ということは、何故そうなるかという心の動きを科学的に知り、
正しい判断力を養う事が一つのポイントになっていると私は考える。
 長々と述べたが皆様の参考になれば幸いである。

附記 大変判り易く、また面白く解説してあります。ミカエル様からの追加や修正はありません。
 只一つ、必然的且つ正しい分子レベルの反応に於て、素粒子レベルでも同じく、
量子力学に沿った活動が必ず見られるはずでしょうと言っておられます。 (千乃)

※ 機関紙「JI」1982年9月号 初出 P31 読者への連絡(千乃先生)
「(物理学性からの投書がありましたので ー 
 日立製作所が、ワインバーグ博士とサラム博士の理論
(「弱い力」と「電磁気力」を統一したもの)の前提となる
「電子は磁場とは無関係に動かし得る」との理論を検証したことに関して、
物理学はこれからこの「弱い力」と「電磁気力」を統一に加えて、
「強い力(核力)」と「重力」を加えて総ての力を統一した理論を作ろうとしている所です。
 うまく行けば重力の制御が可能になると期待しているという内容でした。)

 一言言わせて頂くなら、そしてここにある文をそのまま素直に解釈するならば、
その全種の力の統一理論はすでにミカエル様が一昨年から主張なさっていたことで、
宇宙はいわゆる電磁気力の強弱しか存在しないというものです。
 学者が名附けた雑多な名称の電磁波はあっても、
星の爆発や核融合から生み出されるプラズマの粒子は宇宙の何処から飛んできても同種のもの、
星から四方八方に放射する電磁エネルギーが、星の自転・公転によって重力(引力)となり、
電磁線であるが故に地表の諸々の物体を引き留め、
且つ他の星や惑星・衛星をも牽引する力となっているし、
又、一つの恒星系内の重力の集合エネルギーが他の恒星系に影響を及ぼし、
牽引力となって働いている。

 又、量子力学理論による法則はニュートン力学ではないとするのは誤りで、
実は原子、分子内の安定は陽子・中性子の核が
核力即ち電磁気力の引力によって原子内の電子を引き留め、
地表の大気圏内を物体が自由に運動するように
核力と核内部の陽子同士の斥力とのバランスの取れた領域を自由に電子が動く ー 
というもので、ニュートン力学の法則を外れる物では決してないのです。

 何故ならばミクロもマクロも同一の法則の下になければ、
自在に形や強度を変化させれば、必ず何処かにバランスの不統一、不均衡が起こり、
例えば生命体や物体の(限界はあっても)形の変化がスムーズに行われず、
すぐ小爆発、破壊が生ずるはずです。
 恒星、恒星系に関しても然り、統一された力もしくはエネルギーの法則の下にあるから、
容易に物体の崩壊が起こらないのです。

 原子の中の電子も分子内部の電子も全て回転運動をしている、
大気圏内の粒子も回転運動をしているから、安定しているのであり、
且つ検出出来ないほど微少磁場として互いの微量な回転する電気エネルギーが引き合ったり、
反撥したり、実は周囲の流動的に混み合うより大きな電磁場に引付けられて、
大気圏内を自由運動しているかの如くに見えるに過ぎない(原子・分子内も同じ) ー 
というものです(電気的に中性であるものは、大気の流れの中の埃のように、
風の中の木の葉のように、周囲のエネルギーの流れに動かされている)。
 従って「電子を動かすのに、磁場が無関係ではあり得ない」
という他の学者の理論を正当とするものなのです。

 ミカエル様によれば、宇宙に自然に存在する粒子には次の運動しかない。
 即ち、星の爆発による推進力と星の運動(重力)に影響を受けるもの、
及び電磁場に引っ張られたり、跳ね飛ばされたりの運動、であるそうです。
 即ちアイザック・ニュートンの偉大な発見を否定するものは全宇宙に存在しないということです。


天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法