第一部 天の教え
第五章 徳(心の糧)
一節 真理は神の霊から齎される

 (一) 神の恵み
 このように語る彼等の善なる心に共感し得ない心でありながら、
神として人類を善導する者が何処か別に存在している、
しかも聖書が伝える元七大天使(受胎告知で知られるガブリエル大天使、
ジャンヌダルクに使命を与えられたミカエル大天使長など)を名乗る天上界高次元の霊が、
総ての高次元の聖霊の意志である天上界メッセージを人類に齎されたにも関わらず沈黙している、
現天上界のメッセージよりも、宗教信者の、人間の言う沈黙する神が本当の神であると、
如何なる根拠も示すことの出来ぬ彼等の信じる神同様に沈黙する宗教信者を信じるとしたら、
それこそ盲信以外の何ものでもないでしょう。

「慈悲と愛」78年11月創刊号初出 ガブリエル様メッセージより
&「天上界メッセージ集」18頁

慈悲と愛は如何なる世にも善に徹し、徳に親しみ、賢者となる時自然に解るのです。
 魂が堕落を許されぬ環境に於て、神の光を感じ
清々しく悪の心を容れぬ浄められた良心に於て、人と対する時、
心からなる誠意と善と思い遣りが湧き出てきます。
 何の躊躇もなく、何が正しく、何が誤りであるか見抜き、指摘することが出来ます。
 それは魂の歌であり泉なのです。
 そして人の世の汚れに染まぬ心を持ち、自然の美しさに触れ、
鳥や動物の無邪気なそして自然の摂理に適った生活を目にする時、
それらへの限りなき慈しみの心が溢れ出てくるのです。

 神の恵みとはこのことであるかと悟り、
天上の大いなる慈悲と愛をしみじみと感じるでしょう。
 そしてこれは波動の荒々しい、投げやりで荒んだ感情や心の人や、
己のことのみに明け暮れる人には決して悟れぬものだと私は断言致します。

第一部 天の教え
第五章 徳(心の糧)
一節 真理は神の霊から齎される

 (二) 至高の徳(律法と愛、戒律と慈悲)
「慈悲と愛」79年6月号初出 ミカエル大王様メッセージより
&「天上界メッセージ集」46頁

慈悲が甘やかしに通ずるものであっては、
教義に於て至高の徳とされる"慈悲の心"が正しい形で与えられることにはならない。
 
それが正しく与えられていないから受ける側も何の感動も無く、
生涯を通じての心の糧、魂の修行への指針とはならないということなのです。

 機関誌創刊号のメッセージに於てガブリエルが魂の研磨を説き、
そこから初めて"慈悲と愛の心"が湧き出て来る、
それは魂の歌であり、泉であると述べておりますが、
"慈悲"は厳しく己を練磨する心が無ければ、己にも他にも益とならず、
又本当の"慈悲"とは言えない
のです。」

「"慈悲"でさえもそのようですから"愛"も勿論その域を出るものではない。
 愛も甘やかしの愛であっては、自他共に有害無益となり、
尊敬と信頼を以て接する人格の成長を互いに望むことは出来ません。

 愛は罪をも宥すとされていますが"盗み"や"殺人"も余程の理由があって
そこまで追い詰められて不本意に為したのであれば、"法"も情状酌量という温情を与えますが、
罰されること無く、何時も宥されるのであれば、世の中は犯罪に満ち満ちたものとなります。
 それを防ぐ為には慈愛は"法"に譲らねばなりません。

「"罪"についてより詳しく語るならば、
"罪"とは他人の生命、生活を脅かし、社会の調和を乱し、破壊するものを言い、
暴力、破壊の為の闘争もすべて罪です。」

「"正義、正義"と理想理念を掲げて即短絡的な力に訴え、
殺人、強奪、破壊を正当化するイデオロギーは死者と闇の世界の使いであり、
天と光の国の使いではありません。
 真理と天は社会の調和と秩序を擁護するものであり、
それを乱し破壊するものはすべて"罪"なのです。

 再び"愛"に目を転ずるならば、
"愛"は一部の楽天的なクリスチャンが解釈する如く
"律法"と"罪の観念"を空しくするものではなく、
"慈悲"が"戒律"と"魂の修行"を離れては存在し得ないように、
"律法"を完成するものであることを、
私は何度も繰り返して皆様にお話したいのです。

 自己を厳しく戒め、法と戒律を当り前のことと
その如く生きようと志す人にでなければ、
真の価値ある"慈愛"の限界を知ることも無く、
思い遣りと甘やかしの違いさえも会得することは無いのです。


「精神的に"子供"であることは、社会の甘やかしを求め、
その甘やかされた人生に於て善悪の基準がはっきりせず(社会はそれを与えないのですから)、
従って"罪の意識"も薄く、律法の厳しさを避けて通り、"慈悲と愛"の本質も解らず、
自己愛のあまりに他者への愛も慈悲も理解せぬ盲目の人生を送ることになるのです。

自らを厳しく律する者であってこそ、魂は良心の呵責から自由であり、
悩みを持ち苦しみにある隣人への真の愛と慈悲の心に目覚め、
無私の心で手を差し伸べる思い遣りと誠意が生まれてくるのです。

 魂の研磨を怠らず、互いに助け合うこと。
 それはこのような"律法と愛"、"戒律と慈悲"の中から自然に生まれるものであり、
天はそのような人々に惜しみなく正義の冠を与え、信義と愛で包むものなのです。」

〖備考
 天の光の内に、自然の恵みの内にあれば、
その愛に、慈悲に生きるを喜びとする心に育つことでしょう。
 その心に宿る(生きることを生かすことを喜びとするあらゆる良き)
思いが徳となって実るでしょう。
 徳は世を浄化し、人の魂は神の光の内に目覚めるでしょう。
 世を、人の魂を腐敗から救うのは、天へと導く光の道を見出す以外にありません。備考終〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法