「JI」88年7月号 「痴呆症、ノイローゼ並びにヒステリー性格の関連について」
         ミカエル大王様
 この所精神疾患についてよく触れますが、
痴呆症、ノイローゼ並びにヒステリー性格の関連についても
述べるべき箇所があるように思います。
 私見ですが、医師が手を焼くノイローゼ患者と最近話題になる若年アルツハイマー病とは、
何処かに共通因子が隠れているようであり、
又、ヒステリー性格とノイローゼ症状は深く結び付いております。
 鬱病でさえ、ヒステリー症状の表れであることが多いようです。

 読者や正法者の大部分の方々はこれを正法的に説明する方が判り易いですから、
専門的な分析は致しませんが、
ヒステリー性格というのは確かに理性に欠け、精神力が弱いということから、
自分を批判的に見つめ、又、他からの批判を素直に受け入れることが出来ないので、
反省し改めることは自分については、特に不得手であるようです。

  あたかもそうすることは自分の崩壊に繋がるかのように、
全防衛機能を駆使して他の批判を拒絶し、
厳しい叱責に対しては理解する所か、恨みさえ残すようです。
 しかも自分よりも優れた才能の持主には
相手を陥れてまで自分の優位を勝ち取ろうとする強い嫉妬心を持ち、
自ら善悪の区別をすることは出来ません。

 女性のサタン・ヘラも似通った性格を持ち、サタン・ダビデも同様でした。
 こういったタイプの人物は小心であることが特徴なのですが、
今にして思えば、サタン夫妻ダビデとヘラはアルツハイマー病ではなかったかと考えます。
 ダビデは生来奸智に長けた性格であった
(甘やかされて育ち、自制心、克己心といったものに欠け、己の野心の前に良心を捨て去り、
ありとあらゆる悪徳と奸智により徳ある人々を苦しめるのを喜びとした)
故の悪業であったかもしれませんが、
少なくともヘラは自分というものを持たず、
その非を責められても、改める前に徳と義を煩わしく思い、
ダビデと行を共にして、歪んだ支配欲と権力欲を満たしていたような節があります。
 過ちを悔いて己を人前に投げ出すよりも、責められぬ所へ行き、
良心の呵責を与えないダビデの世界に住むのを良しとしたのです。
 理性や自己犠牲、他者への愛や思いの為に抱くべき抑制心が存在する前頭葉が未発達であったか、
或いは使わぬまま衰退したか

彼等にとっては善の為に克己し、悪の思いを抑制し、されることが
生存の意義を失うことであったのでしょう。

 エゴイズムやナルシシズムというのは、高等感情である理性による抑制心が欠ける所、
他者への愛に欠ける所に蔓延ります。
 だからヒステリー性格は自己愛から抜け出られぬ者に多く、
その自己愛はノイローゼ患者に共通の、世界が自分を中心に廻ると常に錯覚するタイプが抱く感情。


 自分は何時も注目の的であり、他者は自分の考え通りに考え、動くはずだと思い込む独善型
(理論的でなく、只そう言い張り、常識を欠く結論に基づく)で視野狭く被害妄想的であること。
 他者の心理について判らず、只他者の目に映ずる自分だけがすべての行動の原動力となる。
 従って善悪の有無よりも他者の前に繕って偽りの己を維持することに知恵を絞る。
 詰り偽善であり、偽我が人生の目的とすり代るのです。

 その為には善悪の基準は問題ではなくなり、ノイローゼであった頃の小心と良心過多が、
痴呆により更に抑制が取れて良心欠如型と変ってくるのです。
 精神病とノイローゼとの差異は同じ自己を中心とした世界でありながら、
大脳の機能が麻痺してくるにつれ、良心が欠如し、
情操も抑制も失われてくる所にあるのでしょうか。
 この点から見ると、鬱病はノイローゼに近い症状に思えます。
 良心欠如型になる程の気質変化を起こしていないようですから ー 。
                     (八十八年六月十日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法