本誌十月号(一九八七年)から正法者間の不和と原因について、
例を挙げて忠告しておりますが、これも同時期に起こったらしく、
一人の世話役の規則無視を集いの主宰と他の世話役数名が責め立てて
とうとう正法への熱意を失わせてしまったという事件があったようです。
 この集いは何時も問題が起こり、戒めてきましたが、
その近隣の集いメンバーが干渉しては内紛を起こさせた集いで、
その人物に耳を借さなければ良いのに、引きずられて自分達も影響されては、
同様の争いを起こしてお互いの(心を一つに立ち向かうべき真の敵を前に)
戦意を削いできました。
 働きすぎ、栄養摂取が悪く不健康である。慢性の心身の疲れ ー 
それらが相乗効果となり、神経が尖り、
普通は腹の立たないことにも無性に苛立ちが募る。寛容でなくなる。

正法者間の争いの大部分はそういった健康管理の不備に根差しているのは、
私もよく判っております。常にそのように助言してきました。

 疲れている時は休み、どうしても限界を感じて、働きたくない時は、
テレビを観る、庭木の世話、ペットの世話、散歩、など気分転換を図り、
ストレスの解消をして下さい。歩紀柚衣さんもそのように書いています。
 こういった人達は一体JI誌を読んでいるのでしょうか?
 私達も編集には参加して、意見を出さなくても、
あなた方に役立つ内容のものを容認するようにしているのです。
 JI誌は正法者の教材であり、参考書でもあるのです。
 幾ら忙しいからと言って、私達のメッセージしか読まないのでは、
メッセージに直接書かないことは実行しないという生活方針になり、互いの足を引っ張り、
私達に背を向けさせる人をあなた方自身で産み出していることになります。
 それでは幾ら熱心に流布に努めても何もなりません。

 自分の健康管理も出来ないようでは自立した人格とは言えず、
天の一員となる資格も得られません。
 規則に厳しいだけが正法者ではなく、常に慈悲と愛の心を忘れてはならないのです。
 或る熱心な正法者が規則を破ったのは何が原因なのか、
せめてその集いの中に一人の寛容な心の持ち主があれば、
個人的に会って話し合い、その中から解決法を探り出し、
厳し過ぎる仲間を宥(なだ)めるだけの公正さを持って欲しいものです。

明らかに天に背き、法に背く人は糾弾すべきであっても、
小さなことを針小棒大に言い立てるのは、心身の疲れ以外に
嫉妬心という偽我に駆り立てられて一人の人を責めていると判断せざるを得なくなります。
 悪霊も充分に働きかけているでしょう。
 表面だけに捉われて正しい人の内面の悩みが見抜けないようでは、
正法者と呼ばれる資格はないと言えましょう。

 私達に背を向けた知能高く、熱心な働き手であったその人と同じ失望を、
反って人民裁判のように裁いた集いの幹部の人々に、私自身が感ぜざるを得ません。
"つまらないことで、どうしてあのように責め合うのだろう。
責める側が人の躓(つまず)きになっているのが判らないのだろうか" 
こう感じるのは、私のみでなく、
正しく正法を理解し、行っている人達が一様に口にした感想でもあるのです。

規則に反した人を責めるべきであるなら一人の人が直接会ってそうしなさい。
 教師でさえ優れた子供を叱る時はそう配慮します。
 子供が非行の故に人前で咎める時は、他の子供の影響を考えて、
正しい言葉で正しい叱り方をするよう心を配るでしょう。
 闇雲に大勢で一人を責めるのはリンチと呼ぶべき無謀な行為であり、
良い結果は得られません。
 正法の為に共に働く仲間を小さなことで追い立てるのは、八正道に沿った行為ではないのです。
 心して今後はそのような内紛は起こさないようにして下さい。
                        (八十八年一月十日 口述筆記 千乃祐子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法