「JI」86年4月号 「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因
         (1)」 ミカエル大王様
 正法流布の分野に参加し、身を粉にして天に協力して下さる集いや出版社の方々と同じく、
私達天上界も忙しい日々に時の経つのも忘れ、毎月メッセージを書く時期になると、
内容を選び纏めるのに苦労を致します。
 正法の基本的な事柄を伝え終えたような現在、特にそういった事を痛感しますが、
今日その設定を可能にする一人物への中傷と報告が、
出版社経由で米国の某ボランティアから届きました。
 同様の事が、国内でもまだあり、それが正しい観察と分析に基づくものではなく、
一方的に中傷した者に賛同して、千乃裕子に報告するという直線的、短絡的なものや、
天上界に言っても始まらないからと、内部分裂を無意識の中に行おうとする
自己正当化病の他県の主宰も居ります。

 主宰が目に余るなら直接、千乃裕子を通して私の方にと伝えた覚えはありますが、
主宰の一挙手一投足を世話役や集いメンバーに公開する共産主義的、
リベラル的で超民主的なシステムは、統制を乱す愚民政治にも等しく、
私達の方針を充分に生かし切れないものです
)。

 私達天上界を信じ、従い、その一員となることを望むのならば、
その仲介者である千乃裕子並びに私達の信任を受けて集いを纏める、
主宰及び世話役を基本的に信頼して頂くことが、条件となります。
 私達が信任するとは、
主宰及び世話役の言動に接する機会が集いの個々のメンバーと接する機会より多く、
また彼等の人格について熟知し得る立場にあるからです。

 千乃裕子も私達と同様の立場におり、彼女は又、常日頃から、
如何にこの方々や米国のボランティアが、自らの生活を切り詰め、正法に献身しておられるか、
個々の正法者も同様であるか、それを範として生活するようお母様に力説しております。
 節約一つについても、生活の合理化や智恵、正法への献身の態度にしても、
どのような人々が天上界に協力し、集いを支え、又導いておられるかを
忙しくて集いに出席の叶わぬお母様に話して聞かせております。

 それは主宰会議に出席する主宰方との交流や報告から、又出版社との接触から、
そして主宰方の集いの報告から得た知識に基づくものであり、
時折舞い込むトラブル処理の際の直接の連絡や相談などで得た、
集いメンバーの在り方などの情報に基づくものなのです。
 私達も勿論同席し、同じものを目にします。

 時にリーダーたる者は厳しく律しなければならず、寡黙になり、
全体の行き先、流れ、方針について思考を集中し、指針を与える側になるので、
指針を与えられる側には、リーダーの考えや方針、そこに至る過程を明かされないという
不満が起こり勝ちです。
 又、明かされても同様に考えられない、同じ知恵と先見を持たない若者や老人、
思慮の浅い人も居るでしょう。
 
人それぞれに能力があり、リーダーはリーダーの素質、医師には医師の、講師には講師の能力、
正法に協力する人々にはその熱意と献身の素質が備わっているからです。

 一方、正法を志すなら、パリサイ人の如くに自らの善行を門口で吹き鳴らし、
口で神を讃えながら、一方で他に厳し過ぎ、他者の批判に明け暮れる、
そのような性格は持たぬよう努めるのが当り前
なのに、
主宰であれ、世話役であれ、集いから集いへ中傷して廻る人物は、
かなりパリサイ人的な面を持ち、しかもそれに気付いていない。
 私達や千乃裕子には大いなる失望の種となる人がまだ居るのは情ないことです。
 そういった人物は他県の集い内の不満を根拠に内政干渉まがいのことを行う悪癖を持ち、
何度も同じ事を繰り返しています。

 私達はパリサイ人的な主宰や世話役の正法への熱意と献身は評価し、
過去に忠告しても改まらない人物なのですから、今、直接警告はしておりませんが、
報告して問い合わせてきた人にはそう伝え、どちらを排除すべきかを指示しております。
 そして将来それが益々酷くなり、生涯改まらないようであれば、お判りでしょう。
 天上界に籍を置くことを許可しないという処置を取ります。
 同人物が一つの集いを潰すようなことがあれば、消滅を致します。
 私達が偽善者も天上界に必要としないのはお判りだと思います。

 千乃裕子がJI誌で時に厳しく批判するのは、正法を信じない者や共産主義者の愚昧を嫌い、
また他の心理的な歪みや性格の偏りを正しく見抜き、読者への忠告とする為であり、
それを正法者間での中傷の手段にするようには、決して述べておりません。


 出版社や集いに対しては、期待が大きい故に叱責し、

指導することで方針の歪みを改めさせますが、私達が了承の下にそれを行うので、
独断で悪意の中傷を信じることは決してなく、常にどちらの側の意見も聞き、
私達の判断と指示に従って公正に処理します。

 前述の中傷者に欠けているのは、双方の意見を聞くことなく、私達にも知らせず、
勝手に、関係する人々の和を乱そうとする所にあり、
個人的な恨みか、偽善が、どちらかが動機となって悪霊に操られているとしか見えません。
 悪霊は人の和を乱し、不幸を望むからです。

 私達も千乃裕子もそういった人物の意見を真剣に取り上げる事はないということを
今後あなた方一人一人に忠告、助言致します。
 あなた方も悪霊の罠に陥らぬ為に、そのように見習って頂きたいと思います。
                    (八十六年三月十八日 口述筆記 千乃裕子)

注。
「現代訳 論語(泰伯第八の九)」下村湖人訳
「民衆というものは、範を示してそれによらせることは出来るが、
道理を示してそれを理解させることは難しいものだ」
* 本章は「由らしむべし、知らしむべからず」という言葉で広く流布され、
 秘密専制政治の代表的表現であるかの如く解釈されているが、
 これは原文の「可」「不可」を「可能」「不可能」の意味に取らないで、
 「命令」「禁止」の意味に取った為の誤りだと私は思う。
  第一、孔子ほど教えて倦まなかった人が、
 民衆の知的理解を自ら進んで禁止しようとする道理はない。
  寧ろ、知的理解を求めて容易に得られない現実を知り、それを嘆きつつ、
 その体験に基づいて、いよいよ徳治主義の信念を固めた言葉として受け取るべきである。」

 天上界の教えを理解し得ぬ知識人たちを悪霊は思いのままに操り、
天の真意を歪めたものを真実の如くに後の世に信じさせていったことの、
また神の教えを悪魔の教えにすり替え人を愚かへと導いたり、
愚かな教えを伝えたのを天の所為にして嘲笑ってきたことの証明となる湖人先生の洞察です。〗

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法