「JI」86年10月号 「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因
          (2)」 ガブリエル様
 最近、主宰とお世話役、特に年輩の方と若い人達の間の不和や私達への不満を陰に陽に表明し、
集いの針路を乱そうとする元主宰などが増えてきているのは真に残念に思います。
 自らの生命も人生も捨てて、天との為に、人類を人為的な過ちや災害 ー
共産主義の蔓延による諸国家、諸民族の破壊と滅亡
及び人間の無知による自然や動物界の破壊と絶滅 ー
から救う為に、進んで正法者となり、集いの主宰や世話役になった筈の人々が、
却って自分達からその意志と信念を放棄したり、誤った主張に固執するなどとは、
夢にも考えませんでした。

 集いのメンバーや参加していない人々よりも私達に近い所に居た筈の人々です。
 集いを纏め、天の方針に従う為の日々の努力が評価されているのか、
果してその苦労が報われることがあるのか、
それを天と人に問いたいが為の苛立ちでしょうか? 不満でしょうか?
 自らの払う犠牲について、天の賞賛や、
人の労(いたわ)りと崇敬が得られない事への歎きでしょうか?

 そういうあなた方は一体何の為にこの大任を引き受けたのですか?
 名誉と尊敬を得る為なら世俗の考えと少しも変りません。
 よくやった。本当に立派な方々だ。
 普通の人間には出来ないことだ、と事ある毎に感謝と賞讃の言葉を得たいのですか?
 それならば世俗の習慣と少しも変りはありません。
 なるほど、同じ方向を向いて茨の道を切り進む正法者間の和と連帯の意識は大切です。
 今迄も何度も、お互いの間の友愛と思い遣りや励ましは、
私達との間の ー 神と人との繋がり ー と同じく大切なものだとお教えしました。

 しかし、あなたやあなた以上の働きをし、自己犠牲を天の為には当然のものとし、
人の為に進んで払う人間愛に満ちた人々は、賞讃や励ましを得る為に働いているのではない。

 それを当たり前だとし、自分の責任と義務を果たす為に懸命に働いている正法者は、
事改めてお互いへの労りに言葉を尽くす術を知らない人も居るのです。
 それは他の人にそういったものを求める人ではなく、
大きな目標に向けて他の人も自分と同じく努力しているもの。
 当然の義務であり、理想であると信じているからです。

 例えば、国と家族を守る為に戦場に出た兵士であるとしてごらんなさい。
 兵士たちは顔を合わせると、ねぎらいや労りの言葉を掛け、慰め合いますか?
 人それぞれ性格が違うのです。
 そういう人も居れば、黙って理解し、国を救う最善の方法 ー 
戦略を練る将校も居れば、死傷した同志や部下の為に、
敵を倒し、自国民の安全を図る人も居ります。
 彼等の一人一人が己を捨て、国と愛する家族や恋人の為に戦っているのです。
 そして司令官がその誰を責めることが出来るでしょう?
 一人一人が大切な兵士であり、将校であり、必要不可欠な要員であり、
誰が居なくても戦いに勝つことが出来なくなる。
 それほど各個人の能力と努力に負う所が大きいからです。

 そして又、天の為に働く人達は皆"ヨブ"のような心構えで居て頂きたい。
 世の終わり、永遠の生命を失うことがあろうとも(悪霊の闘いが将来再びある時に)、
天の兵士として、将校として、共に茨の道を歩み、報いや賞讃を求めず、
ねぎらいを受けずとも世界を救う為に、人間への愛の為に、
自らを擲(なげう)って働いて頂きたいのです。

 そのような生き方こそ、私達天の者が求めて止まない、
心からの信頼と賞讃に値する正法者の道なのです。
 いい加減な正義感や心構え、感動や感激で、直ぐ熱が冷めるようでは、
今後幾多の試練に遭うとも、天の道を歩み、私達の許に来ることは不可能と言わざるを得ません。

 まだまだ自分を甘やかしているが故に、何かあると反抗し、不満を隠し切れなくなるのです。
 それは悪の誘惑に弱い性格です。

 私達がそのようであったなら、天はとうの昔に存在しなくなっていたでしょう。

 あなた方一人一人が悪を憎み、滅す気構えにならなければ、
私のお話ししたような天の使命を貫く人格とはなり得ないのです。

 最後まで走り続けねば。
                       (八十六年十月一日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法