「JI」85年7月号 「人に自分を認めさせようとする虚栄心(ヒステリー症状)について」
         ラファエル様
(「天上界メッセージ集・続(86年1月初版)」55頁掲載)

 今月は私から少し偽我について付け加えたいと思います。
 殆どミカエル様が詳しく述べられたので少ししかありませんが、
一つ正法者の態度で気になることがあります。
 それは例えばノイローゼなどを治す場合に、
医師や心理学者が繰り返し助言することの一つに、自分の過ちに拘(こだわ)るな。
 自分の欠点についてくよくよ考えるな。
 そういうものは忘れて、もっと目を外に向けるように、という場合があります。
 ノイローゼの治療には確かに役立つでしょう。

 しかし正法はノイローゼを治す場ではなく、良識的な人格の育成を目指す所です。
 自分について、能力を云々されたり、性格を云々された場合、
第三者がそう観るような自分ではない。自分はもっと優れた者だと考えるのは易しい事です。
 所が現実に優れていないのに、そう人に印象付けようと努める人は既に、
自己肯定の偽我に陥っているのです。

 自分に出来ない事があっても出来ると人に認めさせたがるあなたは、
虚栄心の虜
(とりこ)になっています。
 人の能力を認めたがらず、自分にない能力を偽って人に誇示したがる人物は、
ノイローゼよりも始末に悪い、ヒステリー性格の一端を示しています。
 男女共に、思考が停止してしまい、柔軟でなくなるのを、ヒステリー症状と言うのです。

 そしてその性格の欠点は、虚栄心と虚言です。
 自分を守る為に、自己を肯定して、惨めな劣等意識から逃れたいと、
そういった心理状態に陥り、却って人の迷惑になるのです。
 
ヒステリー性格に取って苦手なことは謙譲である、
真実を喜び、真理を求める、進歩向上することなどです。

 自己を肯定するのはいけないことではありませんが、
誤った形で肯定するのがいけないのです。

 誰もが天才ではなく、秀才でもなく、各人各様の能力があり、また限界もあります。
 それを認めず、又、人の能力を見抜くことも出来ない人物は、
関心が自己にしか向いていないし、
人が自分をどう見るか、にしか関心のないエゴイストでもあり、
視野が狭く、人の上に立つ資格がない人物です。正法者でもありません。

 こういった人は、得てして自分の持つ能力以上に偽って見せたがり、
尊大に振舞うか、他から敬意を払ってほしいと、
それこそ、米国人の日本人観である"雉(きじ)"のように、人前で行動するのです。
 背反者の多くがそうでしたね。
 "己を知ること"を嫌う人物は、最も背反する可能性が高いのです。
 正法は"自らと対決する"よう要求するからです。
 だが、謙譲な心は、そこから初めて生まれます。天に愛される心です。

                   (八十五年五月一日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法