「JI」85年2月号 「私達は真理をのみ語り、明かす為にあなた方の前に現れたのです」
ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集・続(86年1月初版)」48頁掲載)
今月は或る集いで質疑に出た正法の解釈について、以前にもお教えしたことがありますが、
再び解答致しましょう。
初心者の方でしょうか。
正法で人の為に愛を以て行動する自己犠牲を最大の愛としているが、自分には偽善的に思える。
自分の幸せを考えるとともに他者の幸せを考えなければいけないと思うが、と述べていました。
又、或る人はマザー・テレサのインドの貧民に奉仕の生涯を正法から見ると偽善的に思える。
しかしこの人が居ないと、多くの人々が困ることになる。
そこが自分にははっきりしない所だとあります。
それでは第一の質問者に反問しましょう。
本当にあなたは自分の幸せを先に思い、幸せでなければ他者の幸せは考えなくて良い、
と思っているのですか?
まず自分が成功し、金持ちになったら、アフリカの難民を救おう。
自分の病気が治ったら、他の人の病気を治す為に尽力しようと ー 。
遭難救助隊の人々は危険を避け、自分の命の安全を保障されて初めて、
遭難者を救う努力をしようと考えていると思いますか?
無闇に自分の生活の基盤や健康や生命を軽んじることは、却って周囲やご家族を悲しませ、
且つあなたの責任や分担を他の人に肩代わりさせてしまうことになります(※1)。
勿論あなた自身を嫌悪しつつ、他を愛することは、人間の心理として不可能です(※2)。
第一の人は感情としての愛と自己犠牲の行為を
混同(※3)して考えているのではありませんか?
人の高貴な美しい行為は、自らと他を何時も秤に掛け、利害関係で動くのでは、
誰もそれを高貴なものとは思わないでしょう。
普通の人でも、自らの幸せ、安全よりも他者のそれを優先させる人を賞賛します。
常に人の為に、社会の為に尽くす。他の心を思い遣る。
それは自らの生活や思いばかりを先にしていては、やはり可能でなくなります。
ー 並行させるということは、自分のことが先になるのは、心理的に避けられません。
何かを例に取り、考えてごらんなさい ー 。
例えばお年寄りに席を譲るのも、あなたが立たなければ譲れないでしょう?
あなたは突き詰めて考える習慣がなく、人の言葉を受け売りして、
或いは"偽善"の意味を知らずに使っているのです。
高等感情とは何かも、もっと学ぶべきです。
心理の研究をして下さい。
第二の質問者の場合、マザー・テレサは確かに自らの人生を擲(なげう)って、
他の幸せの為に生きている、立派な女性です。
彼女を必要とする人々の為に母の愛を貫くべき人です。
只、私達はマザー・テレサや法王のみを尊しとして、人が皆そのような人を選ぶならば、
社会は崩壊すると警告したいのです。
現に宗教は道を誤って、共産主義を選択し、社会の破壊に手を貸している。
カトリック宗派はそうではないにしても、現代に於ける宗教宗派そのものの存在は、
世界を危機から救い出す力と智恵と真理を見抜く心を失っております。
法王が他宗派に健全な道を選択させ得るならば、それも良しとしましょう。
と言ってもカトリック宗派は宗教としての位置と力しかなく、
それで以て世界を救うことは不可能です。
又、僧職者に階級があり、権威主義的である、
それ自体がカトリック宗派の存在の価値を失わしめているのです。
所が世人は、形骸として残っている宗教宗派の再建によって、
世界の崩壊を食い止めようとしており、
それが益々事態を混乱に陥れているのに気付いていないのです。
宗教は結果的に共産主義を産み、普及に貢献し、教義自体に誤り易い箇所を多く抱え、
それを改めようとして居りません。
改めるのは不可能でしょう。
何故ならそれは人の知性がまだ低いころに与えられた指針であり、
進んだ文明社会には基準が低く、科学否定の教義は、真理を探求し、
進化する人類の意識を停滞させる要素を持つからです。
私達は"善"を語る時に、それを"真理"と同一視しております。
真理を離れた善は誤った道を選び、人を誤らせ、世界の滅びを招きます。
そうなれば、それは善ではなくなります。
大きな目で見れば、"偽善"となるでしょう。
宗教が共産主義擁護の立場にある限り、社会の破壊に手を貸し、世界の終わりを早める。
カトリック宗派は教会制度に誤りがあり、反共産主義的な方針は正しい態度である故、
善であり、私達も容認し、支持しておりますが、教会全体の在り方としては、
人を誤らせ易く、原始キリスト教に帰る以外にその誤りを正し得ない。
しかし原始キリスト教の教義は未熟で、現代文明と逆行するものがある。
私達は真理をのみ語り、明かす為にあなた方の前に現れたのです。
従って真理以外のものを正しいとする訳には行かず、
真理に照らして善とはならぬものを善と呼ぶ訳には行かないのです。
誤った結果を齎すものは寧ろ偽善と呼ぶべきでしょう。
しかも今、宗教が産んだ共産主義の弊害が、人々の意識を低下させ、
現代社会の正常化に何が必要なのかを悟らせる知性と感性を鈍らせています。
宗教も共産主義も人類に必要ではないとするのはその点なのです。
神を求めることは必要だが、それを阻んでいるのが宗教宗派と共産主義だからです。
"偽善であるかないか"一つ取り上げても、それは総てに関連していて、
また総てに照らして正しいものでなければ、正しい善でも法でもなく、
正法として認めることは出来ない、
小さな善は連鎖的に増幅し、世界を救うものとならなくてはならないのです。
それがお判りになりましたか?
しかし真理に関して、あなたの知性と感性が鈍っているならば、
私の言葉は理解出来ないでしょう。世人の愚もそこにあります。
嘆かわしいことです。
(八十五年一月十五日 口述筆記 千乃裕子)
〖※1注。
人の迷惑とならない為に、健康維持に心掛けるのですが、
それも自分への思いから(魂を損ねるのが解らなくなる迄、健康に拘る方もいますが)
でなく、迷惑を及ぼすことになる他を気遣っての
(自分に与えられた愛に応えられる健全な精神を維持する為に)
自己管理をすべきということです。〗
〖※2注。
他へと思いを向ける愛とは、自分を愛してくれた他を信じる、
他からの信頼に裏付けられた(自己保存から、自意識から自由な)心から生まれるものです。
人の愛を信じられない心というのは、自分が愛される筈がない、
自分を信じることが出来ないからです。
何故自分を信じられないのか。愛が信じられないからです。
自分に価値がなければ愛される筈がないと考えているのです。
自分に価値があるから(と誇る心が)愛されたりはしません。
それは自己愛から来る自惚れに過ぎません。
他よりも己を価値ある者とする、
自分の方が価値があると人が思うから愛するのではないのです。
人の幸福を自らの喜びとする、己を忘れる、
他をのみ思う純粋な愛に満ちた心故に愛されるのであり、
愛されることを喜びとするからではなく、人が愛に満たされたことを喜ぶ、
そのような愛は他を信じるのみの疑う心を持たぬ故に、人に優しい思いを齎すのです。
人が愛を信じるのは、愛だけが人の心に優しさを齎すことが出来るからです。
愛を信じることが幸せなのです。
真の愛を拒む自己愛に生きる者は、
愛されぬ自分には愛がないからであるとは自己愛(自尊心)は認め難く、
他を愛がないからと憎むのです。
憎しみや自己嫌悪という偽我に愛が生まれることはありません。〗
〖※3注。
自分が愛するに値するか否かは、
自分の心に真の愛があるか否かで判断されるべきものです。
自己保存は自己愛(本能)であって愛ではありません。
自意識に縛り付ける自己愛こそ自由意志に生きる真我を犠牲にしているのですが、
他に意識の向かう自由な心から生まれる愛を知らない為に、
(真我を自由にする)他への愛とは、
(偽我である)自己を顧みぬ(犠牲にする)ものと認識するのは当然のことでしょう。
自己愛を愛と認識する限り、
自己を犠牲にする思いが何故愛であるのか理解し得ないのです。
自己犠牲をも乗り越える真の愛が現れるのは、
神の愛を求める者と与える者のどちらも存在すること、
且つそれを阻害する者、若しくは出来事が存在する時です。
自己犠牲を厭う者とは、神の愛を持たないだけでなく、
自己愛に生きんが為には、たとえ他の自己愛を踏み躙っても、
呵責を、神に背きはしないかという不安も感じさえしなければ自らを省みるまでもない、
良心が麻痺しているなどと良心の立場から考えたりはしない、
自覚すらなく神を裏切って行った、多くの善霊を、善なる人々を奪った
(善我を自ら捨てる)偽我を選ぶまでに人間は堕落し得たという真実から、
自らに於ても起こり得ることと、
真の己に向き合おうとする理性がない、
そのような善悪への峻別を常に自らに問うことよりも
自己愛のぬるま湯に浸かるままに、
常に己を正しとする高慢の内に、
自己を客観的な判断(神の裁き)に晒すことを抛棄する生き方に
疑いを持つことがない。
自分を大切にするとは、真の価値である愛に生きることであって、何時かは失う生命を、
自分を生かしてきたものと同じように、自らも役立てようとすること、
それ故の価値であり、大切にすべきであるのであって、
只守ろうとする自己保存の心を言うのではありません。
自己犠牲とは自己保存という偽我、
自分を縛る鎖(執着)から自由な者だけが出来る行為です。〗
〖備考
いろんな慈善活動は、個々に於て善なる行為であるのですが、
それのみに関わる、そのことしか関心を持たない精神であってはならないのです。
自分が関っていることしか、善悪を感じないようでは健全な精神、
天上界の教え導かれる善我ではないのです。
「慈悲と愛」七九年三月号でラファエル様から教わったことですが、
「日頃から心身の健康を保つ為一つの事のみを偏って行わず、
一つの考えのみに囚われず、心身の両面を理解して賢明に身を処してゆくことが、
安定した円満な人格を形作るのに役立つことは言うまでもない」からです。〗
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様