「JI」84年6月号 「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 
         ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」187頁掲載)

 先月に引き続き、正法者に関してお話ししましょう。
 まだまだ相応しくない人々がいるという意味です。
 ほんの少し奉仕をしただけで、正法ボランティアの特権を得たと勘違いして、
後は要領よく正法者の特典を要求し、他の人の先頭に立って自分の立場を確保し、
私生活が正法に沿わぬものであっても反省なく、人に批判させぬようにプライド高く振舞う。
 剰(あまつさ)え、私達にも批判させないように心を閉じ、
奉仕をお願いすると、多忙であるからと断る。

 ボランティアとはそうあるべきかも知れないのですが、
幾らその人の協力が必要であっても、個人の生活を優先する。
 大なり小なり、ボランティアに個人を常に優先する人は、正法への理解度が甘く、
その人の発案で自主的に奉仕をする時には、その甘さが露呈されて、
正法流布の躓(つまず)きとなるような事を平気で行うのです。

 これは横の繋がりは巧みに、他の人との交流は上手く対処している積りの人でありながら、
縦の繋がりは重視していないということでしょう。
 それに反して、集いの中で派閥を作り、他のメンバーに主宰の批判を常に行って何とも思わず、
私達には誠心誠意心を開き手紙を書いてこられる。
 集いのメンバーと協調出来ないタイプの人は、天との繋がりを密にされる。
 これは横の繋がりよりも縦を重視しておられる人と言えるでしょう。
 これらの何れをも、私達は容易に心を許し、信頼し切ることは出来ず、
従って天に於ても正法者として相応しい人格として迎え責務を任せることも、
信頼を置くことさえも出来兼ねるのです。

 天への愛を普通の人間愛へ振り向けることこそ神の子として相応しい人格であり、
人間愛も動物や植物への愛も共通のものである
と何度もお教えしましたが、
(動物虐待を意に介さぬキリスト教信者は、愛を口にしながら愛とは何かを知らず、
人間虐殺の共産主義を先頭に立って広めようとしていることから理解は容易でしょう。
 愛はあらゆる生命を持つものへの愛、その一種類しかありません

思い遣りもその現れでしかなく、愛と思い遣りがあれば、
正法者として相応しくない人格とはなり得ないのです。
 この二つがあれば、志を同じくする人々と神と同時に繫がることが可能となるのです。

 エゴイストはこれらを理解するタイプではなく、正法に合流していても、
他の人々と並行に走っており、私達天の者とも遂には永久に接することはないでしょう。
 縦と横の繋がりを重視して生活する習慣を身に付けなければ、
エゴイズムの罠(わな)に陥り、永遠に孤独な人生を甘んずることになります。
 自らの在り方を反省し改めて頂きたいものです。
                  (八十四年五月二十四日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法