「JI」84年4月号 「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」183頁掲載)

 今月も再び私からお話し致しましょう。
 あなた方の中には、まだかなり霊に関する興味の方が、
現実の世の姿を直視し、何を為すべきか考えるよりも優先する人が多いようですね。
 女性は千乃裕子と同じ霊体験を望み、
等しいか或いはそれ以上の使命を与えられるよう秘かに願い、
男性は年齢に関らず、霊能は悟りに応じて与えられるものとした考えを捨て切れずに居られ、
私達から謹慎や役職交代を命ぜられたり、
最悪の場合は背反から消滅に至るケースが後を断ちません。

 これは外部の人々が正法を宗教視し、邪教まがいに中傷して廻るよりも、
もっとマイナスとなり、正法の普及を妨げる原因となるのです。
 そこからは何の生活の知恵も、人格的な進歩も向上も産まれては来ません。
 正法を宗教と見做してはならないのは、外部と同様、内部のあなた方も同じです。
 あなた方が何時迄も天の奇蹟の顕現を願い、
努力せずに幸運が齎されることばかりを望む限り、自立心は養われず、
およそ宗教的なもの一切に頼らずに生きている人の、
強さも智恵も判断力さえも身に付けることが出来ないのです。

 それは私達を父と慕い、懐しみ、愛を身近に感じたいが為の心情であるのでしょうか?

 あなた方を含め、全人類をモーセ様出エジプト以来、イエス様ご誕生の時より更に、
どれだけ私達天があなた方に愛の手を差し伸べ、救いの言葉を掛け、
あなた方迷える人類の虚ろな心に悲しみの涙を流したことか。

 そして何時までも成長することなく、
同じことの繰り返ししか出来ない神の子は堕落の天使と同じ、
突き放さねば、己の姿さえ見出すことはないと私達も漸く悟ったのです。
 だからと言って、悪魔に魂を渡せと言うのではありません。
 父である天を喜ばせる神の子として相応しい人格に成長してほしい。

 自らが苦しみと努力の内に、
何が人間として正しいあり方か、何を為すべきか、人間の価値は何か、
世界とは地球とは人類に取って何を意味し、その為人類は何を為さねばならないか ー
社会を形成する一個人として当たり前の人間の成長と悟り ー
それ無くして人類の為の世界など存在し得ないことを早く
悟ってほしいのです。

 悪霊の世界などあなた方が関り合って、戦う必要もなく、又、その能力もないことは、
天国シリーズの第一巻『天国の扉』からお話ししております。
 人間と霊が戦うことは映写幕に写る映像と戦うに等しく、
破れ壊されるのは、布幕(スクリーン)であり、部屋の壁でしかないのです。
 悪霊は虚像を幻燈のように三次元の物体に写して見せるか、あなた方の網膜に刺戟を与え、
頭に中に描き出すしかなく、善霊とて同じ手段しか取り得ないのは、
私が霊に関して詳しく説明したことで理解しておられると思っておりました。
 ドン・キホーテが水車と戦う如く、人間が霊と争うと惨めな結果にしかならないのです。
 
 私達が悪に譲るな、悪霊に負けるなと言う時は、
心で相手の操りに乗じて愚かなことをするなという意味で、実際に戦えと言うことではないのです。
 実際には空気のような相手と戦うならば、あなた方は狂人にしか見えません。
 他の人に見えぬ幻と格闘するほど愚かしい姿はないのです。
 それを冷めた目で見、自らの理性を働かせる位の大人であってほしい。
 そう願って、霊のすべてをあなた方の前に明らかにしたのです。
 そして憑依があればその度に私達に千乃裕子を通じて除霊を願うように言いました。
 その度に何度でも。

 何故ならば、私達にしか悪霊を消滅する力がないからです。
 除霊は天に頼む以外に方法がないと申しました。
 霊に関して、又、正法について、
浅い理解しか示していない読者以上に浅薄な正法者もかなり多いことを知り、
改めて、既に何度もお話ししたことも含めて説明致しました。

 理性を働かせて、科学的に冷静な目で事象に対処することが文明人の智恵であり、
迷信や盲信、はたまた狂信的な人格とは異なるあり方であると、私達は幾度お教えしたことか。
 しかし理性と科学的な判断力を培えない現代の日本の教育法では、

そこで育った若い正法者も、共産主義者や年長の宗教的人格と同じく、
迷妄の域を出ない人が多いのは已むを得ないかも知れません。
 すべては左翼である日教組の為した破壊現象であるとしても、
日教組を排除する智恵なき親と、
老獪(ろうかい)なマスコミの洗脳活動の狭間(はざま)にあって、
自由な国に住みつつも、子供達や若者は既に社会主義の犠牲になってしまったのでしょう。

 民主主義という虚名の下に、弊害のみと知りつつ、
誤った思想の教育団体や政治・宗教・文化団体を擁護しなければならぬ民主政治の仕組みは、
自由競争と人格の錬磨の場を与えてはくれても

その利点に関しては時に疑いの念が湧くのを防ぐべくもなく、
最近は焦慮すること屡
(しばしば)です。
                    (八十四年三月二十二日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法