「JI」84年3月号 「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」182頁掲載)

 昨年、六月頃から、水戸市のある石材業の方が、
親切にも近隣の山から餌を求めて降りてきた八匹のタヌキの親子の餌付けに成功したニュースが、
テレビで放送されたことがありました。
 所が八月から一匹ずつ姿を消し怪しんで探すと、無残にも猟師がワナを仕掛け、
県内のハク製店に売り飛ばしていたのが判ったそうです。
 今年の一月二十六日の某新聞に発表されておりました。
 生命を尊び、慈しむ人々と、それを蔑ろにし、奪う人々と ー 、
幼児をさえ無差別に殺して、何の良心の呵責もない社会主義国の人々と ー 。

 何と人間とは、その育つ環境に左右され、両親や教育者や友人、
はたまた社会の影響を受けて、どのような性格にも成り得るものか。

 それを考え、認めることは、現在の世界の状況に鑑(かんが)み、
ただ滅びに至る末世への思いと予感に満たされるのみに終ります。

 あなた方正法者も JI 誌の読者も、先の事件についてどのような印象を受けますか?
 生命を尊び、慈しむのは、単に動物に対してのみならず、
人間にも当てはまるのは改めて言うまでもありません。
 特に非力の者や、病める者には(動物も例外なく)、
周囲からの救いが差し伸べられていなければ、
あなた方が、父母の愛と心遣いでもって優しい思い遣りを注ぎ、救わねばならないのです。
 それは健康な者や自立出来る者の十倍の思い遣りであり、愛でなければなりません。

 あなた方は社会主義者でも共産主義者でもなく、
生命と自由の大切さを学ぶ自由社会に生きる者ですから、
人間としての価値は自らを犠牲にしても他を救うことにあります。

 しかも相手が価値なき者でも助けねばならぬ場合にも打(ぶ)つかります。
 生命を失う場合もあるかも知れません。
 一人一人が世界を救う救世主となり得なくとも、
せめて助けを求める人の生命を大切にし、救うだけの人間となってほしいと思います。
 "友の為にその生命を捨つること"とはそれを言うのです。

 只、私達の教える事柄を覚え、議論の際の武器とするのではなく、
"動物より優れた人間の在り方"とはどのようなものかを、
せめて理解する位の賢明さを私達から会得して頂きたいと思います。
 それは人間社会の常識でもあります。
 私達と出会う以前から学んでいる筈のモラルでもあるでしょう。
 正法者やJI誌の読者が却って、
"生きとし生けるものの生命は尊いもの"であるとは知らず、
今私がこう語って初めてなるほどと思うようでは、
あなた方は"正法を学び、或いは接している"と言う資格さえ無いのです。

 それを理解し、或いは体得するまでは、人間としての価値さえなしと自らを反省し、
生き方、考え方を改めねばならないのは当然のことです。


 動物を哀れと思う心が、人間の生命を軽んずるようでは、
強盗殺人犯や爆弾魔を重用し、破壊活動に利用しようとする左翼の過激派や、
大虐殺を黙認し、奨励せんばかりの穏健派と何ら変る所がないでしょう。
                     (八十四年三月五日 口述筆記 千乃裕子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法