「 JI 」82年12月号 「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」160頁掲載)
あなた方の中に過日、あるチャンネルでふと、
千乃裕子様のテレビインタビューとミカエル大王の現象を耳にし、
目にされた方も居られると思いますが、
私が一番失望を覚えたのは、局の方でミカエル様の10分の現象を3分に縮めてしまった結果、
アナウンサーが、"神がかり的で何を言いたいのかよく判らない"と評したその一言です。
恐らくそのアナウンサーは、中傷に終始した左傾大新聞のみの知識と偏見をしか持たず、
現正法をいかがわしい新興教団と同種の物とした上での発言でしょう。
勿論、正法について研究をした事もない人であるのは明らかです。
それとも、"よく判らない"というのが中立の立場であると、
この偏見に満ちたアナウンサー(※)は考えたのでしょうか。
このような人物が如何に多くまだこの国に存在し、正義感の現れさえあれば、
その判断力は他を凌駕(りょうが)し、自分達が国の主導権を握っているとの幻想を抱く、
無責任な言動の個人や、マス・メディアが如何に多いことか。
これは滅びに至るこの民族の象徴であるとしか思えません。
そして又、歎かわしい名古屋の一女性が、只集いに出席し、
発言権を持ったという事のみで"正法者"と自他共に印象付け、
最も天の民として相応しからぬ行動によって、美しい心の正法者を傷付け、
且つ神の法を伝えるこの正法グループ全体に恥を来らしめた事です。
私は天上の者として、曾て正法を学ぶ人々の中で最も軽率な俗人であり、
反省無きエゴイストであるこの女性について、一体誰がこのような女性を丁重に遇し、
身を犠牲にして全体に迷惑を及ばしめたのか、正法者の甘さについて歎いております。
最近は若い女性の軽率な言動とそれに従う若い男性が目立ち、あまつさえ付和雷同して、
共に背反する者も出ておりますが、若さとはまず思慮を欠き、時に先の見えぬこと。
正法とは天の美しさを伝える以上に
徳の厳しさによって導かれねばならぬ神の法であること。
神の法であるが故に、そこには微塵も軽々しく、且つ俗的で、
視野の狭い考えが存在してはならぬこと。
天が未来を語る時、それは常に永遠に連なる善と正義の予見が存在していること ー
それらをまず心に深く留めて、周囲の人々はせめて自らの洞察を養い、
若さの過ちを防ぐ努力をして頂きたいと思います。
しかも年長者が同様の過ちを犯すならば、そこに救いはありません。
このままでは神の民も滅びに至ると言わねばならないでしょう。
(八十二年十一月十五日 口述筆記 千乃裕子)
(※注。
"左傾マスコミの立てたアナウンサーは、
サタンの声を伝える為に立てた霊能者と同様にサタンの操り人形に過ぎません。"
神の言葉を伝えながら、人の神の心を失わせる、
誤った解釈を生む歪んだ思考(偽我)へと導く宗教家と同様に、
ニュースを知ろうと開放された心に邪念を送り込む、人を偽我で繋ぎ留めようとする
(悪魔の傀儡である)マスコミの悪なる意志を見抜けないなら、邪念に侵されているのです。
"美しいものを嫌悪し、汚そうとする心"
「清らかな厭世(2007年10月出版)」172頁 阿久悠著
"節度というのは
それに触れないことではなく
触れながら品性を保つこと"
「(安倍元)首相が「美しい国日本」を掲げると、
美しいとは如何なることを指すのか具体性に欠けると、早速に言う。
何が美しいか示せ、示せと攻め立てる。
抽象とか観念とかは標的にしやすく、騒ぎ勝ちのところがある。
攻め手としては楽な舞台である。
ただし、どんなに勢いよく叫んでも、感心されることはまずない。
なぜなら、仮に「美しい国日本」の姿勢と行動を具体的に示したとすると、
生き方や心の持ちようまで支持し、一本道を視野を狭く遮蔽して行列させようというのか、
何とオソロシイことをと、反対するに決まっているからだ。
「美しいって何でしょうね。どうもハッキリしません」と
女子アナウンサーがニュースの結びで、シラッとした顔で言っていたが、
これは彼女の感想か、原稿書きの捨て台詞か、さあどっちだろう。
ハッキリしませんなどと他人事を決め込むのではなく、
「美しい」というキーワードを投げつけられたのだから、
私にとって「美しい国」「美しい人」「美しい時代」はと、まともにラリーに応じてほしかった。
「美しい」とは何かと首相のつもりを探るより、
一億二千万人がそれぞれの「美しい」を嚙みしめるチャンスにすべきであったのである。
一国の首相が、「美しい国」という言葉を最重大事として持ち出すのはよほどのことである。
荒れに荒れたか、または、饐(す)えに饐えたか、どちらかの時でないと持ち出さない。
それを承知していながら、それでも多くの人は身構える。
ぼくらははるか昔、政治家が語る精神性に騙された苦い経験があるので、
何でもかんでも、心を語られることを嫌がる。
その時のトラウマを口実に嫌がりつづけて、
その結果ヅジャグジャの社会にしてしまったことを知っているのに、
それでもなお、美しく生きようと言われると、危険な道に誘い込む呪文だと抵抗するのである。
それもわからないではないが、だが、日本の社会の状況、日本人のありようの実態を考えて、
グジャグジャの無節操が自由の姿だと、誇らしく言っていられるだろうか。
政治家はいざとなったら選挙で落とせる。しかし、社会の人々は罷免出来ない。
日常の美しさで節度を構築するしかないのである。
政治家に「美しい」を持ち出されたのは、ぼくら庶民のハジである。
しかし、そのハジを忍ばなければならないほど、「迷惑」が闊歩している。
現代の迷惑は恐縮しない。それどころか居直る。
迷惑がハジでない社会は美しくない。
迷惑を制するのは法ではなく、実は節度なのだが、これに力がなくなった。
節度とは消耗的品性ではなく、積極的品性のことで、これが美しさを支えるのだ。」
「清らかな厭世(2007年10月出版)」172頁 阿久悠著
"『美しい』という言葉を
おぞましいものの如く言う
奇ッ怪なメンタリティ"
「不思議なことがある。それは日本人が「美しい国」とか「美しい人」という言葉を使う時、
必ず唇をゆがめ、目尻に軽侮の色をただよわせ、
しかも、言葉の終わりに顎を上げて高圧的態度を誇示することである。
特に政治家とか識者 ー 一昔前はインテリと言った ー を自認している人たちが、
「美しい国」と「美しい人」に過剰な反応を示すように思えてならない。
彼らは、あるいは彼女たちは、なぜ「美しい」に対してそのような敵意を抱くのであろうか。
「美しい」には、政治的ジョーカーとして利用出来る何かがあるのであろうか。
それも日本の運命をひっくり返すほどの呪縛的要素を含んだ魔力が、
「美しい国」と「美しい人」に秘められているのであろうか。
仮にそのようなもの、歴史を百年逆行させる種類の魔力があるとして、
「美しい」を抹殺してしまったら何が残るのか。
「美しい」に誑(たぶら)かされてはいけませんよと警告するのであれば、
唇をゆがめ、軽侮の目の色をし、尊大に顎を上げるだけのポーズ芝居ではなく、
「美しい」に勝る言葉を発明し、それをもって説得してほしいと思うのだ。
突然、思い出話を書く。突然に思い出した。
六十年以前のこと十歳の頃で、ぼくには不思議な老人の友人がいた。
何者だったのか、町では奇人変人扱いされていて、
子どもたちは決して近寄るなと親からきつく言われていた存在で、
中には石をぶつける子すらいたが、ぼくは仲がよかった。
理由はよくわからないが、ぼくには洋々たる将来があり、驚くべき才能があり、
人相学的にも金満の相があると言うので、すっかりいい気持になっていたのかもしれない。
結構一緒にいた。その老人は日本の話をよくした。
とても奇人変人と馬鹿にされている人の言葉と思えないもので、
「日本人っていうのはね、世界一行儀の悪い、しかも、公徳心のない民族だからね」
とある日言った。
これは衝撃だった。なぜなら十歳のぼくの意識では、
日本人ほど礼儀や行儀を重んじ、私を犠牲にしてでも公に尽くす民族はないと、
信じ込んでいたからである。ぼくはムッとした。
すると老いた友人は、「日本人はね、他人の目だけ恐くて神が恐くない不思議な民族でね。
他人が見ていなければ、どんなハレンチでも平気でやる。
だから、頭の下げ方から、戸の開け閉めの方法、下駄の揃え方、風呂敷の包み方まで、
何から何まで決まりごとにしなければならなかったのだ。そうだろう。
その証拠に自由を覚えたとたんに、ハレンチ仕放題じゃないか。そうだろう」。
ぼくは老人との友人関係を断った。そして、六十年後に急に思い出した。」
良心とは人が他人を監視するためにあるものであって、自分を見る為にあるのではない、
誰も見てないと判ればやりたい放題、
誰かが見ているかも、ばれたら大変なことになると自己保存から、
悪事(悪だくみ)を躊躇った小心者が言い訳して、
神様はちゃんと見ているからなどと言うようなもので、
イソップに出て来るキツネが手の届かない葡萄を見ながら、
あれは酸っぱい葡萄だと自分に言い聞かせるレベルなのが日本人なんでしょうか。
ユダヤ人の末裔であろうとなかろうと、信仰を持たねば、只の俗物になってしまうのですね。
※注終)
天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の許に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様