「 JI 」81年9月号 「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」141頁掲載)

 人に依存すること、人に求めることから脱却して初めて、人間は己を知ることが出来ます。
 何故かお解りでしょうか。
 あなたが心を許している人に頼ったり、求めたりするのは何故か考えたことがありますか。
 親に保護されるべき子供時代は別のこととして、
成人してからも親に対するのと同じく求めるのは何故か。
 何故心を許し開いたのでしょう。

 心を開いたのは信頼出来るからであり、
信頼はその人の中に何か安らぐものを見出したことによって成立します。
 安らいだのは偽りや嘘のない真心の光によるのです。
 そのような心の人に依頼し求め続けるのは先のメッセージにもあるように、
求める者の心に真心の光を灯す気がまだ出来ていない証拠なのです。

 己を知るというのは自分自身のありのままの姿を認識することと、
外の物に対し信義を持つことの二つを意味します。
 信義は揺らぐことのない信頼です。
 何に対する信頼か。
 それは自他の愛に対する温かい思いです。
 あらゆるものの表面的な価値と私的感情を超えて、
純粋に理性の指す所の行動と考えを優先させることです。
 それが万物の中の良きもの、大切なものを守り育み、強くする、終わりなき法則なのです。
 初めは、他人の中に見ていたそれらの長所を、やがて自分の中に打ち立て、
そこからお互いに独立して正しく見ることの出来る信頼関係が生まれるのです。

 信じ合うというのは互いの心にある信義を尊重するということです。
 ここが民主主義の原点であり、"正法者"と名乗る資格は、己を知った時に始まります。
 まだまだ己を知らぬ人ばかりです。焦らずゆっくり見詰めてゆきなさい。
                     (八十一年八月十日 口述筆記 土田展子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法