「希望と愛と光」81年6月号 「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」202頁掲載)

 正法を知ってから何とか立派な人間になろうとして月日を経たある日、
ふと気になりだす一つのこと。
 「私は天上界の方から見て、どんな風に見えるのだろう」
 これを考え出すと、何だかじっとしていられなくなる人が沢山いらっしゃるでしょう。
 天上界の方に限らず、千乃様や集いの主宰の方に対しても同じ気持ちを抱くことがありませんか。
 あなた方の中でも大部分の方は、自分が外からの目に対して
「どう思われているだろう」ということが気になるのではないかと思います。

 ですが、どんなに立派な人間になり、優しい心、正しい考えを持とうと努力しても、
「どう見えるか」と他人の目を気にしていては、到底無理です。
 自分の心の中に起った良くない感情、
例えば嫉妬、妬(ねた)み、恨み、羨(うらや)み、憎しみを、
「みっともない、不細工、だから止めよう、いけない、きっと天上界の方が … 」
と考えて直そうとするのでは何にもなりません。

 「どう見えるか」というのは「良く見られたい」という気持ちに言い換えることが出来ます。
 「良く見られたい」と思うことは必ずしも悪いことだとは言えませんが、
時に焦ったり、友人の能力に対して嫉妬したり、自分以上のものに出会った時、
少なからずショックを受け「どうせ私など … 」と思ってしまいます。
 これも執着の一つですね。

 立派な人間になろう、良い性格になろう、と自分に言い聞かせるのではなく、
まずは悪いことをしないこと、
やらなければならない毎日のことを気持ちよく片付けることから始めることです。

 難しいことが言えるとか、何があっても動じないとか、
そういうのが立派で良い人間ではないのです。
 嬉しい時に喜び、楽しい時に笑い、悲しい時には涙流して、
辛い時には耐えることが出来る、というのが健全で素直な生き方なのです。
 そして、そういう人が、ここぞという時に天上界の為に働くことが出来るのです。

                (八十一年三月二十五日 口述筆記 土田展子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法