「希望と愛と光」81年4月号 「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」197頁掲載)
 ローマ法王の来日で、改めてキリスト教カトリック宗派の信者の多さに、
とまどった人が多かったでしょう。

 衆人の歓呼の中をにこやかに手を振りながら行くその姿に、あなた方は何を見ましたか。
 キリストの代弁者と名乗るその姿に、
少しでもイエス様の苦しみや深い愛を見出すことが出来たでしょうか。

 如何なる時代にも、義人の行く道に花咲くことはなく、人は背を向け、敵意の瞳が光り、
天への信義のみが、義人の心を支えるのです。

 それと好対照をなすものが、ローマ法王であり、ホメイニであり、
その他の諸々の既成、新興宗教の教祖であるのです。

 ローマ・カトリックに的を絞れば、古くは中世教会の権力絶大な時代を思い起こすまでもなく、
科学者、改革者の迫害、
ジャンヌ・ダルクは私が使命を遂行させた聖女であるにも関らず、
火刑に処し、その罪許し難く(※1)、
天の許可無く免罪符なるものを、値を払わせて売り、教会の封建制と非科学性は他に類を見ず、
人口過剰が地球上の人類を飢餓の時代に追い込もうという恐れのある時に、
"産児制限"は罪であると平然と述べるヨハネ・パウロⅡ世は何を目的とし、
何を代表して語るのか、私は知らぬ、と言いましょう。
 核廃絶は別として、彼は"自由と平和と軍縮"を、
自由で平和な、そして防衛力を必要とする国に来て、繰り返し述べますが、
そもそも現在のバチカン市国を勝ち得た教皇庁が、第二次大戦中、ムッソリーニと結び、
軍事政権に権威を与え、自らは領土を得た(※2)ことなど、知らぬげに、
バチカンの元首は反戦を説き、天上人の世界を治める者の如くに崇められているのです。

 しかも歴代、日本において一番の崇拝者は、不思議なことに、
中世教会とその残虐性において質を同じくする共産主義に近接する、社会主義者であることです。
 又、共産主義者がそれに和していることです。
 キリスト教徒である共産主義者、社会主義者が益々増え、実際に世を乱していることに、
教会は何一つ触れず、ヨハネ・パウロⅡ世は彼等と同じことしか提唱しない。
 それが世に妥協せぬ証だと考えている。

 如何にイエス様が求められた岩の上に立つ教会であるとはいえ、ペテロの後継者であるとはいえ、
世の惑わしの先頭に立つ愚か者を天は認める訳にはいきません。
 パリサイ人の長であると言えましょう。

 ローマ法王は、天上から見れば、きらびやかな法衣に身を包み、領土を持つ宗教教祖、
或いは特異な、そして狡猾な外交手腕を持つバチカン国の元首としてしか映らず、
教皇や教皇宮殿とは何を意味するのか、天の知る所ではありません。

 自己が永遠の生命を得る為に、宗教という衣を着て、権威の象徴として免罪符を、
人々の信仰と引き換えに売り、金品を集めるのが当然の如く行われた宗派であり、
異端の迫害に血塗られた歴史を持つカトリック教会及び無思慮なローマ法王が
私の裁きの剣を逃れられるとでも思っているのでしょうか。

 彼等の行為は足の下に人を踏付け、上半身のみで祈りの姿勢をしている者の如くです。

 ローマ法王が熱烈な歓迎を諸国で受け、
ホメイニが一国を動かす程の権力を持つような世相であるが故に、
天の正しき道を伝える者は少数であり、細く険しい道を歩まねばならぬ邪悪な時代なのです。
                             (一九八一年二月二十四日)

※1注。
 神の使命を遂行されたイエス様を処刑したパリサイ人(古代ユダヤ教の一派)
と同じことをローマ・カトリックは行ったのです。
 その後、カトリック教会はジャンヌ・ダルクを聖女に認めたそうですが、
サタンに仕え、神の計画に反抗し、神の遣わされた聖女を殺したことを認めた
カトリック教会のしたことが、ジャンヌが魔女ではなく聖女であったと認めただけです。

【「マタイによる福音書」第二三章三〇節より
 『もし私達が先祖の時代に生きていたなら、
 預言者の血を流すことに加わってはいなかったであろう』と、
 このようにして、あなた方は預言者を殺した者の子孫
 (尚悪いことにカトリックの信者は自らの意志で信者になったのです)
 であることを自分で証明している。
  あなた方もまた先祖達がしたように悪の升目を満たすがよい。
  へびよ、蝮の子等よ、どうして地獄の刑罰を逃れることが出来ようか。

 神の遣わされた聖女を認めず殺害した罪を悔改めることなく、
この世に姿を現わされた神をも認めず、今再び神の救いを地に擲ち、真の神に背を向けるならば、
その宗教が導こうとしている世界が天国であると盲信する信者には、
如何なる者の支配する世界であろうと彼等の魂にとってそれが天国なのかも知れません。※1注終)

※2注。
(他の(国の)ものを盗んで天に罪を犯していないと考える、悪を為し、神を侮る二重の)
罪を認め、バチカンの領土をイタリアに返還し罪を償おうともしない
ローマ・カトリックが天上界に許される訳がないのです。
 イエス様の教え(神の救い)を人々(と共に聖霊)が世界に広めたのは、
この世のもの(領土)を得る為だったのでしょうか?
 誰がそれを欲したというのでしょう。
 一体彼等は誰に仕えているのか。
 ユダですら、イエス様と引き換えに得た
銀貨30枚をパリサイ派に突き返そうとしたではありませんか。
(罪に穢れた金であるからと、受け取りを拒否され、悪魔に魂を渡したことを、
真の神を裏切ったことを悟った彼は自害しました。)
 自らを罰することで神への罪を贖おうとしたユダにすらローマ・カトリックは劣る、
神の代行者を名乗る厚顔無恥の宗派です。※2注終)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法