「希望と愛と光」81年12月号 「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」212頁掲載)

 何か分からないことがある時、何故だろうかと考えます。
 天上界から見ていると、人によって考える方法がそれぞれ違うのがよく分かります。
 物事を好き嫌いで判断している人は、疑問に対する解答も、
正しいものよりも自分の好みに合うものを見つけようとします。
 独善的な人です。

 一度、自分の判断の基準が何に依っているか考えてご覧なさい。
 判断の基準はその人の価値観と繋がっています。
 価値観は生き方を意味します。

 詰り、好き嫌いで物事を判断するのは、
自分にとって有益なものだけに価値があるとする人で、自己中心的な生き方です。

 正法者に相応しい判断の基準は、自他を生かすか否かであり、
純粋に精神的な強さ美しさに価値を求め、
自分もそうなるように努力する生き方です。

 ですが、判断ほど難しいものはなく、
好き嫌いで判断を下す人間でさえ自分は正しい判断をしているのだと思っています。
 ここに魂の研磨の難しさがあります。

 魂の研磨は自分自身を見詰めてゆき、突き詰めてゆくことですが、
日頃から優柔不断に考えている人、好き嫌いで判断する人は、なかなか研磨出来ないでしょう。
 何故なら、研磨は自己の醜い部分を叩き直すのが目的ですが、
先のような人は、自己保身の為に好き嫌いで判断し、優柔不断に考えているからです。

 概ね、正法者と雖(いえど)、この点は魂の研磨の進まぬ人ばかりです。
 何時までも自分は変らない、進歩しない、
と悩んでいる人は自分の判断の基準をよく考えてみなさい。
 自分を見詰めるというのは、
自分がこういう時にはこうした、ああ言われた時に怒った、泣いた、喜んだ、
等のどんな反射系を持っているかを探ることから始まります。
                     (八十一年十月二十五日 口述筆記 土田展子)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法