「慈悲と愛」80年2月号 「政治理念」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」85頁掲載)

 一九七九年はイランに明け暮れて少しの解決を見ぬままに一九八〇年を迎え、
その機に乗じて世界が常に憂慮していた方向に悪魔の王国ソ連が動き出したことは、
私達天上界に取って、新年号のイラン問題に引き続き、第二番目の頭痛の種となりました。
 イランの少数強硬派シーア派と同じく、国際世論を無視し、
イランの先例を地の利としてアフガニスタン軍事侵攻を謀略を用いて平然と行い、
それを批判する国々を"不当な非難"、
"米国が対ソ制裁措置を講ずるならば、パキスタンへの圧力の強化もあり得る"と撥ね付け、
ソ国内で批判的声明を出して、日本にも同様の圧力をかけようとするソ連は、
この国の一貫した目標が常に社会主義勢力の拡大にあり、日本も含めて西側諸国並びに中国、
反ソ派のアジア、中近東諸国までがソ連の野望を的確に指摘する今日、それがたとえ西南アジアの、
あらゆる国との友好を謳ってきた積極的中立主義の一開発途上国であると雖(いえど)も、
ソ連に隣接する限り、こういった事態が起こり得ることは、
西側諸国のみならず、私達も顧慮してきたことです。

 その点に於ては反ソ政権のイラン、トルコであろうとも、隣接、近接を問わず、
ソ連と陸続きである諸国は常にその侵略思想の対象となる脅威から免れ得ないのです。
 それがこういった国々の自国経済、国際外交とバランスを取りつつ、
絶えざる国家・民族の防衛思想となって現れるのでしょう。

 米国の識者が予見する通りに、イランのイスラム強硬政策は一年と持たず、
米国を帝国主義と決めつけてしまう反米思想に慣らされた国民は、
国内紛争によってホメイニ政権の突き崩しが実現すると共に、
遠からず共産主義政権に移行するかも知れません。
 シーア派指導者の主張する通りに教義に則って宗教と政治の一致が貧困層に生活の向上を齎し、
それに識者層も満足し団結してナショナリズムに徹するならば、
ソ連の魔手からその間は免れ得るでしょう。

 それでなくてもアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ、中近東などの発展途上諸国は、
反植民地政策、民族解放運動が、自由主義社会から社会主義国家に変わる事によってのみ可能だと、
国情の如何によらず、短絡的に誤診し、クーデターによって王政を共和制に変え、
国土、人心再統一の過程で、人道主義から外れて個人の自由を奪うといった、
階級制度を打破する目的で、力による制圧の慣習を作ってしまうのです。
 結局はファシズムが辿り、封建制が維持した政治形態と似たものに帰着することに

気付いていないのです。

 共産主義、社会主義は理論と現実の喰い違いが生じ、
質的には帝国主義、全体主義と同じものになり、どの主義でもこれは言えることですが、
外国と開戦すれば軍国主義に一変する。
 カストロが一念発起して勝ち得たキューバの共和制にしても、共産主義思想による統一によって、
資本主義独裁制ではないというのみで共産主義的ファシズムに変わりはないようです。

 カストロがゲバラの理論を忠実に踏襲したお蔭で、
社会の貧困層である農民に至るまで経済面での均衡は保たれていますが、
君主制から共和制への移行は、
即ち議会主義的共和制も、所謂ブルジョア民主制から社会主義型共和制への移行はどうでしょうか。
 中央集権制に於ては個人の権利について主張はするが、
人間性に関して一般的理解を持たない、詰り無学な人々に多くの権利を譲ったことになるのです。
 人道上の問題が生じても主義が先行すること、
又は無視されるというのが大勢の成り行きでしょう。
 こういった点は、宗教的民族主義、即ちイランの革命政府とよく似たものであるようです。

 資本主義制であるとはいえ、福祉国家を目指している自由民主主義国家としての
日本の貧困層や労働者や農民の生活レベルはどうでしょうか。
 多政党国家でもあるからでしょうが、年々改善されている筈です。
 彼等は知識層の豊かな人間研究によって、非人道主義に陥ることなく、
個人の自由の束縛も、自由民主主義に取って反体制側に当る右、左翼主義者も含めて
全国民層に平等な、社会的、法的なもののみに限定されているのです。
 たとえ経済的に不均衡で物価高に苦しむ現状ではあっても、
心と思考と言葉の自由が保障されているのです。
 これは素晴しい事ではありませんか。

 反近代文明を目指しているかの如き革命体制下のイランも、前述の発展途上国も、
押しなべて社会主義的民主政治或いはそれに類似した政治体制
(イスラム教など)の表面上の甘い条件の数々に飛びつくのは、
彼等の多くが貧困と階級差別に苦しむ歴史が長すぎたからであり、
革命による早期の解決を望むのは無理もないことかも知れません。

 世界平和と秩序の破壊を目指す、悪霊の支配と謀略のみに因るものと断を下す前にもう一度、
共産主義思想に基づく社会主義国家が何ゆえ自由主義的民主制度に劣るかを、簡単に述べましょう。
 古代の君主制、王国に於て最大の課題であったのは、如何に良く国を治め、
国民の幸福と繁栄を図るかにあったのです。

 国民の福利が関心事とならず、自己の欲望や邪念の虜となった王なり君主は、
暴君として歴史に悪名を残しました。
 賢明なる王は必ず、その国の賢人、智者から倫理学並びに政治学を学び、
それを以て良く国を治めたのです。

 ところが群雄割拠麻の如く乱れる現代はどうでしょうか。
 立憲君主制国家、自由主義国家、社会主義国家、の三種類に大別出来る他に、
少しずつ変形した国家形態が見られます。

 学者によって論ぜられる国家の本質、特質と政治家の、国家相互間の、
或いは国民の望む国家の在り方は、当然その理想と現実と譲歩により、
必ずしも一つの国家論を定石通りに当てはめることは、可能ではない場合が多く、
その為に実に少数の、国民の意識や知的レベル高く、
健全な国のみがさしたる国内紛争もなく存続し得るという現象が起こります。
 これさえも国力の大小、他国の野望と侵略、勢力拡張政策に遭えば、
単なる一国の国情安定如何がその国の安全を保障する必須条件とはならない場合も生ずるのは、
あなた方正法者も過去の歴史、戦争史を通して熟知しておられることと思います。

 その為の国家間の不可侵条約や、相互安全保障条約などの国際問題を解決する
国際連合や国際法の設立、制定が為されてきたのです。
 勿論如何なる場合も現在の自由社会の国々に見られる、多政党、イデオロギーの多様、
宗派的意見の対立が強く、内情の不安、経済の動揺、内紛にまで発展する場合は、
外敵の脅威に対して最も弱く、
侵略政策を保持するソ連などの帝国主義に容易に屈する
対象となるのは、国際外交に長けた国家、政府であるならば充分認識する所でしょう。
 国家の安全と維持は、如何に良く世論を調整し、内紛を押え、
外敵の侵略、征服の脅威に対して国力を備え、
必要があれば軍事力の強化による国家の防衛体制を整えなければならないのは、
政治学の常識である筈です。

 これは社会に於ける個人の良識でもあり、

集団であるばらば、その集団にも適用され得るものです。

 ところが、この政治学の基本を知らぬ政治家が、
古代ギリシャに民主制が確立され、近代に於て、多数決の原理が重要視され始めて、
次第に増えて来たのは大変遺憾とせざるを得ません。

 その原因とする所は、権威が普遍化され、責任の分担が拡散されることにより、
心理的負担、義務の観念が薄れ、
且つ十分政治に関しての知識を備えていなくとも、又政治的手腕、才能を有せずとも、
民主的に議会の運営を行うという目的で、意見、発言の多様性を好むという、
衆愚政治の温床となり易い基盤が作られた
ことによるでしょう。
 ギリシャの賢人が国制の理想の第一にまず王制を挙げているのも、
まんざら論拠のないことではないのです。
 王が賢王であることが条件として望まれますが。

 こうして議会主義共和制(民主制による)が政治イデオロギーのみならず
経済イデオロジストによる安易な革命理論を生み、革命指導者による専制や独裁制
(理論的にそうではないものも、イデオロギーの純粋性を尊ぶあまり、
そうならざるを得ないのが現状でしょう)を招く結果とならざるを得なかったのです。
 この革命理念の純粋性、貫徹性による、国家の崩壊の原因は、
前述の政治理念である国民一人一人の幸福と繁栄を図るものではなく、
却って政府に異論を唱える者の追放と抹殺に徹した所にあるのは明らかで、
形態上からは、専制君主制、ファシズムなどと何等変りはないものとなるのです。

 権力闘争と明言して憚らぬ共産主義者の言う、
"ブルジョアジー"と"プロレタリアート"の権威、政権が交代したのみで、
全国民の安寧を図る理念ではなかったことが、社会主義国家の悲劇を生む主要因となったのです。
"プロレタリアート"の無知と、非倫理性と、
革命指導者層の政治意識の欠如が国家の真の文化的、経済的成長を阻害し、
個人の意識の成長をも制限する ー
即ち国家全体が魂の自由を奪われることになるのです。

 非科学的宗教の政治への介入も同じ結果を招き、
その極端な例が現在のイランであり、ホメイニ政権であるのです。
 共産主義国と同じ大虐殺の手段を用い、政府を批判するものを国外追放、或いは抹殺したのです。

 国際法を無きが如きものに振舞うイスラム教徒の集団である彼等は政治家ではない。
 過激な倫理については知っているが、政治については宗教的共同体の規約しか知らない。
 革命家の闘争的駆け引きには精通しているが、
経済学者でもなく、宗教家でもなく、倫理感覚も薄く、誤った政治形態に過ぎないものです。

 このように、過激思想の立場しか表明出来ない共産主義も、イスラム教義も、
自由民主主義に取って代る重要性及び、何らかの発展性、価値を持つものと錯覚

してはならないのです。
 もしそう錯覚させるものがあるとすれば、
それは、悪魔と悪霊の惑わしであり、暗示、誘導に他ならないでしょう。
 八〇年代は過去に於けるあらゆる政治の貧困と混乱と失敗は
該当国家とその行政機関が政治の根本原則を深く研究せず、

正しい知識に欠ける所から発していることを反省し、種々の危機に対応しつつ、
より理想的な政治形態、国家の体質改善を目指して真剣に努力する機会を与えられた
と考えるべきであることを、日本は言うまでもなく、世界の良識に訴えたく思います。

 最後に、日本の政党の外交感覚の甘さと、
他方に於て、外国をも含めて分析能力を持つ人々の賢明な判断の的確性を紹介し、
私達天上界の考えもこれに沿うものであることを明らかにしておきましょう。
 ソ連のアフガニスタン軍事介入に関し、社会党色の目立つ毎日新聞は、
当時のアミン大統領が一九七八年締結の友好善隣協力条約第四条の
「アフガニスタン・ソ連両国は双方の安全、独立、領土保全を確保するため相互に協議し、
適切なる措置を執るものとする」を根拠にソ連に援助要請をしたのだが、
結果的にアミン政権の墓穴を掘ったもの、と報道している一方、
社会、公明両党(民社も含む)の八〇年代前半の「連合政権」構想として、
「平和五原則に基づき、中立を目指し、自主・平和外交を推進、核兵器全面撤廃、
全面軍縮を目指すと共に軍事力優先でない多面的国際協力と平和体制を作る」外交方針を合意。
 「自衛隊」は「軍事力増強、軍国主義復活に繋がる有事体制は行わず、
シビリアン・コントロール程度のものを勘案しながら、縮小・改編を検討する」ことを協定、
と批判もせずに淡々と報じておりますが、益々迫るソ連の脅威を身近に感じつつ
この野党の姿勢は、たとえ憲法の恒久平和主義に則ったものであろうとも、
不的確、非合理的、非現実的判断としか評し得ず、政治家として、
国を預けるに適性ではないことを示すものです。

 同じく現実感覚に乏しい東大の左傾教授、衛藤瀋吉氏は、
社会党政権になろうと、共産党政権になろうと少しも騒がず、政治的非介入の哲学を説き、
経済大国、貿易国日本は如何なる場合も「正義の旗」を振りかざさず、
米イ問題に関しても、お得意様としてイランに対し、日本とイランの相互利益を図るべし、
とソ連の侵略政策は対岸の火事、の如き意見を"正論"として述べておりますが、
これなどもエリート意識ばかり強く、
人間の暴力・野望、国家の暴力・野望には無防備で対し、
無制限に許容するならば留まる所を知らない、
その人間の心理について学ぶ機会のなかった人物であるのでしょう。

 却って一般人の中に、
「現在の防衛力では、局地的紛争にも備えられず、折角の日米安保も十分機能しない恐れがある。
防衛の増強と国民の防衛意識の高揚に取り組むよう」と大平首相を通じて
政府の積極的対応を求めたり、同じくサンケイの"正論"で慶大の加藤寛教授が、
「今、ソ連を甘やかすべきではない。…
たとえ民間ベースのことであり、選手の落胆があるにしても、
オリンピック不参加のような実害の少ない姿勢は早く闡(せん)明にすべきことである。
 しかし直接的反ソ宣言よりももっと重要なのは、
アフガンの運命を我が身に起こさぬようにすることである。
 それには、反ソに立ち上がったアメリカが世界の安全保障のリーダーとして再登場出来るよう、
アメリカの経済力強化に我が国が支援を惜しまぬことである。」
と述べておられることに私は拍手を送りたく思います。

 社会主義国でありながら最も良識的に動き始めた同じく日本の友好国、
中国は、十一日の人民日報に、「SS20中距離ミサイルの極東地区での配備を開始した ー 
とアジアに於けるソ連軍の増強を挙げ『これは中国だけでなく、米国、日本に矛先を向けたものだ』
として米国、日本の警戒心を喚起している。
 現在までソ連が地中海、インド洋、大西洋、太平洋沿岸で、
他の国から獲得した海空軍基地の使用権は四十以上」と分析、
「ソ連のアフガニスタン侵攻に絡む南下政策に触れて、『特に世界の反覇権勢力の形成と発展、
第三世界の増大する阻止力と抵抗はソ連を一層不利な地位に陥れることになろう』として、
ソ連に対抗する為の防衛力の増強を呼びかけている」、とサンケイ、十二日にあります。
 (しかしアフガンの反政府ゲリラに何故積極的な武器援助がないのか一つの謎です。
 こちらには情報が入りにくいのか、
それとも西側は既に同国をソ連に明け渡してしまったのでしょうか。
 これが日本の立場になったら、と少なからず焦慮します。)

 カーター大統領は、同新聞によれば、「我々は防衛力を強化しなければならない。
ソ連に米国との競争は平和的でなければならないことを認識させるには、将来十年、
十五年掛かることを見込んでいる。
 インド洋、ペルシャ湾、中東で平和確保のため多額の投資をする」と述べたとあります。
 この政治的、国際的良識無かりせば、
世界の平和は脆(もろ)くも崩れ去ることは目に見えている現時点に於て、
私達天上界は米国の善霊に呼びかけ、出来るだけの支援を送る決意でおります。

 理由は只一つ。
 その昔ブッタ様の出られた、コーサラ国の属国、カピラバーストに住むシャキャ族は
クシャトリヤ(士族)でありながら、国境紛争、戦争の危機を無視し、
「出家者が多くなり、戦争が出来ないということであれば、それはそれで良いではないか」
との父シュット・ダナー王夫妻の甘い考え方で、我も我もとブッタ様が止められたにも関らず、
出家する者が後を断たず、遂にシャキャ一族は隣国の強国に侵攻され、
カピラバースト全市が破壊され、住民が悉く虐殺された。
 そして紀元四〇〇年頃には荒廃した国土しか残らず、シャキャ族の消息は歴史から消え、
十世紀にはインドにおける仏教が滅びてしまった、
という悲劇的な史実に基づく、私達の警告でもあるのです。

 こういう史実に照らせば、前述の野党連合、社公民の八〇年代前半の「政権」構想は、
公明党の宗教色も絡み、国家の安全を危機に晒すその非現実性に於て、
実に反国家的見解であることがよくお判りになる筈です。
                               (八〇年一月十三日)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法