「慈悲と愛」80年10月号 ②「自らの智慧と悟りに於いて人は天に救われる」 ミカエル大王様
(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」121頁掲載)

 私ミカエルからもお話します。
 後継者問題からあなた方は沢山のことを学ばれたでしょう。
 まずは人の心の弱さ、脆さです。
 各人に於て様々な悟りがあるでしょう。
 悟りとは絶対的なものではありません。
 それは絶えず磨かねば曇る宝石のようなものです。
 如何に私心無く法の為、人の為尽くすと言えど、

それは油断※1すれば自分の何等かの欲望に結び付き、
自分の知らぬうち心の大部分を占めるようになるのです。

 又、謙虚になれと常々言うのは、あなた方をして「私は謙虚だ」と思わせる為ではありません。
 自分は謙虚であると思うこと自体が増上慢であり、
天の鳴らす警鐘を他人事として捉える最初なのです。
 又、「自分はダメな人間だ」と公言して憚らない人物を謙虚だと思うのも誤りです。
 その人は自分の無知を知らず、謙虚の何たるかを知らず、天の目を甘く見ているのです(※2)。

 又、正法の支柱は愛、正義、信義であるが、声高にこれらを述べ繰り返す者を注意しなさい。
 愛の重さの何たるかを知らぬ者であり、正義の厳しさ、信義の深さを理解せぬ者だからです。
 愛は尊いとあなた方は誰しも思うでしょう。
 では、皆、誰も心の中に一人、自分の愛していると思う者を思い浮かべ、
その者が自分の気に入らぬことをし、自分より能力優れたることを発見された、と想定なさい。
 果して、何人の者がそれでもその者のすべてを愛する、と答えられるでしょうか。
 未だ誰も愛したことがない、と気付く者が沢山いるのです。
 三つの支柱の中で最も実行し易い愛がそうであるから、他の二つは尚更であり、
それ故に正法の人類覚醒が遅れてきた理由でもあるのです。

 これからは天は預言や予言の類は一切出しません。
 人類は天の助言に自らを立たせ、自らの英知を以て迫る危機に対応せねばならないのです。
 神を信じ、自らの智慧と悟りに於て救済されなければならないのです。

 歴史は一人の偉大なメシヤが出て創られるのではなく、
名も無い一人一人の人間の努力の結果なのです。
 ユートピアを作るその為には、奇蹟の人など必要なく、最後の機会であるこの時代に、
千乃裕子様を通じて出される天のメッセージとあなた方個々の努力がその原動力となるのです。

 千乃裕子様に於ては他のどの時代の伝授者よりも世の与える名誉少なく、
人の心も関心の少ないことでしょう。
 しかしそれであるが故に、私にとっては他の誰よりも一等輝く光であり星なのです。
 千乃様は、御自分がミカエルの本体であるから、
と一度も人に対してそのような態度を取られたことはなく、又正法によって利益を得ること少なく、
只ひたすら天と人との繋がりを作っておられます。
 名誉心があるならば、口述筆記のメッセージをすべて御自分のものだとされたでしょう。
 権勢欲があるならば、天より御自分を表に出されたでしょう。
 人の前に自分を出さず、自分よりも人を立て、天を立て、一人でも多く天に、
と願うその御姿は、病にやつれたとは言え、天の御使いの誰にも引けを取らぬものです。
                     (八十年九月七日 口述筆記 土田展子)

※1注。
 多くの天上界高次元の方々が警告されています。
 天に導かれながら、道を誤るものが多くいるからです。
 天への道を歩いている、天に導かれていると信じる余り、
自分が天に守られる価値があるの自惚れてしまうのでしょうか。
 天の道であるからこそ、悪霊が罠を掛けようとしていることを失念してしまうのでしょう。)

※2注。
 自らが知るべきことは、真に価値あることは何か、
価値なきことに従わず、真の価値に心が従っているかです。
 真の価値の知らぬ者に高く評価されても、そこに価値あるものは何もないのです。
 他を正しく評価するのは、邪心を持たぬ、己の利益を求めぬ者です。
 そのような心が人の心をありのまま見抜くのです。
 真に己の心を正しく見ることの出来る善我を心掛けていれば、
人の偽りの心の齎す評価など知りたくもなくなるでしょう。
 神の目を軽んじる心が、人からの評価を求めるのです。)

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法