第四章 天上界の人びと

 (六) ラファエル大天使
 私は、ラファエルでございます。
 私も、ミカエル大天使長の下で働く六人の大天使の内の一人として、
芸術、文学、歴史学を司っております。
 そして同じく、魂の修行の為に何人かに生まれ変わってまいりました。
 十五世紀に、レオナルド・ダ・ビンチとして生まれ、
本来、人間が目指して行かなければならないのは
万能で平均された理想の人間であると教えたのです。
 十五世紀に、私は画家ラファエロとして生まれ、天上界の様子や人々の姿を描きました。
 そして、十六世紀には、私はシェークスピアとして生まれ、
人間の生き方について深く追求しました。
 
 この時に私は、四大悲劇、喜劇、悲喜劇など、
多くの人生に於けるドラマの対象となるような作品を著わし、
今でも映画、演劇その他で皆様のお目に留まることも多いかと思います。
 それらの内に描かれている人々の人間像は、円満さを強調したものや、
鬱病的なものや、躁病的な人間や、偏執的な性格や、明るく拘らない性格や、種々様々で、
レオナルド・ダ・ビンチの理想像とは違い、
多角度から人間を分析し描くことに興味を持っていました。
 私の人間観といってもよいでしょう。

 特に「ベニスの商人」のヒロインであるポーシャの役柄に於て、その性格を分析すると、
あらゆる両極端な性格が一つになって、却って円満な性格を形作り、
複雑なそして愛すべき人間像を表現することになったのです。
 その性格はあなた方の中にあるものと同じ、
或いは、多く共通したものだということを私の説明を読めば、きっと理解されるでしょう。
 そして、この本に説かれている、私達天上界の者に愛され容認される性格について、
この章を読むことにより、
皆様は人間というものの複雑な性格とその表現の幅広さに共感を覚えられ、
少なからず安心されるのではないだろうかと思うのです。
 
 天上界が愛する、又、好む性格とは、禁欲的で、清教徒的なものでは決してない、
ということを皆様に理解して頂きたいのです。
 即ち、私が敢てシェークスピアの作品について語るのは、
それが天上界の良しとするものだという事なのです。
 
 ポーシャによって代表される性格とは、
ある時は天衣無縫で捉え難く思える時もあれば、淑女のように礼儀正しく事を弁え、
正義を説くに理性的で冷静で鉄の如き意志を持つ如く見えるかと思えば、
人間愛に裏付けられた慈悲の尊さを説く者であったり、
無謀な程の大胆な発言をするかと思えば、それは細心に計算された賢明さの表れであったり、
厳しく理論を展開するかと思えば、ユーモアで聞く者の心を柔げたり、
喜怒哀楽を生き生きと表現し、決して自由な弾力性を持った心を失わず、
明るく、自己を想像力と表現力と創造力に於て、決して形式によって束縛せず、
しかし奔放にではなく、権威の前に畏縮せず、卑屈にならず、のびのびと振舞う。
 そのような性格なのです。

 その中に多くの互いに相反する性格が柔げ合って、偏りを防ぎ、
表面には円満なものとして現れる。
 それは人間でなければ持つことの出来ない複雑な、しかも健全な精神なのです。

 健全ということの尺度はこれもいろいろあるでしょう。
 しかし、ポーシャを良しとする私達天上界の者の尺度から見れば、
多くの人は不健康な生活を送っていられるのです。
 それは多くの場合、社会の階級と、制度と習慣や様式と、
一番根の深い偏見という病気に侵されて、
人間の魂の自由とは何かを見失っているからです。
 次いで、人間の魂の自由を奪うものは人間の欲望と虚栄心と執着なのです。
 それらが人間を地上に縛り付ける鎖であり、

天国を遠く隔たせる空と大地のクレパス(割れ目)なのです。

 そのような鎖に縛り付けられた方々は、どうやって天国へ来ることが出来るでしょうか。
 勿論、自由を奪う鎖を断ち切らなければいけないことは、言うまでもないでしょう。
 さて、そのような鎖を断ち切る為には何が一番近道でしょうか、考えてみて下さい。
 まず、ブッタ様の説かれた八正道があります。
 ブッタ様の章が後の方に出てきますが、
それは如何に物事の判断の基準を正しくするか、という方法について述べてあるのです。
 正しく見、正しく思い、正しく語る。
 この三つが物の表面的な表れ、及び内面的に隠されたものを同時に判断し、
正しく行動する上での基準にする為に必要な心構えです。

 後の五つはブッタ様の説明されたことを読んで理解なさって下さい。
 ここではこの三つだけが必要なのです。
 そして、ブッタ様が説かれた慈悲とイエス様の愛の心を加えるのです。
 その五つが揃えば、先に述べた鎖を断ち切り、天国へ行くことも出来、
又、地上に楽園、ユートピアを作ることも可能なのです。

 それでは、例を挙げて判断の仕方を考えて見ましょう。

 愛ということについて正しく判断してみますと、
愛は徒(いたずら)に優しく寛容ではない訳です。
 対する相手が間違った生活態度を取り、社会が歪んでいないとした場合の
正しい考え方の基準に沿って行動し、生きていなければそれを改めるよう忠告し、
改めなければ改めるまで、厳しく接する愛の形もあるのです。
 しかし多くに場合、人々は愛や寛容を、日和見的な諂(へつら)いや、
感情のもつれを避ける為の無関心さというものと取り違えてしまうのです。
 又、不必要な同情で忠告されるべき人を甘やかせ、益々歪んだ人生を送らせてしまうのです。
 そうして、自分たちだけが絶えればよいという、
義理人情に左右された間違った正義感を通す人もおります。
 何が正しさの基準であるか、全体を見渡して判断することの出来ない人が
理性を以てではなく、感情で物事を定めていくのです。
 イエス様は決してこのような態度を良しとされませんでした。
 あくまで天の意志と理性に従って、その中で人間愛を、と教えられたのです。
 天の意志とは、正法の言葉に変えれば、宇宙や自然の法則を見習えという意志であり、
正しい形の調和の姿を指すのです。

 人間が自然の法則を見習った調和の形とはどういうものでしょうか。
 それは、互いに迷惑を掛けない、個人の自由と人格を尊重する。
 感謝を忘れず、必要であれば悪びれずに謝罪する。
 常に誠意と義務と責任感を持って対し、互いの和を図る。

 必要があれば進んで助け合う。

 そしてお互いの望む所、喜ぶ所のものを賢明に判断して与え、為す。
 それが人間としての宇宙や自然に習った調和の形であり、
愛という捉え難い言葉であり、観念を正しく表現した形なのです。


 このように人間愛と調和と平和は互いに関連し合っています。
 そして寛容は慈悲の心と切り離すことの出来ないものです。
 これらの中で、慈悲(寛容、許し)と愛は人間のみが持つことの出来る高等な感情です。

 動物も或る程度持っていますが、人間のようにすべてを乗り越えて、
それを与えることは出来ないのです。
 何故ならば、動物は意識せずに本能によって、愛や慈悲と見える行動をしますが、
本能や感情に左右されずに理性に基づいて
(ということは、自己の利益に捉われずに判断し、行動するという意味です)、
愛や慈悲を与えることが出来るからです。
 このように地上を神の国、即ち、天国と同じユートピアにする為には、
私達天上界に住む者と同じ判断と行動、生き方が要求されるのです。

 しかし、良かれと願っても、人間間や社会に於ける歪みを正そうとすれば、
私達が悪霊と戦うように、時には人の心や社会に蔓延(はびこ)る悪の思いと
戦わなければならぬこともあるでしょう。
 その場合にも、人間の崇高な精神である愛と慈悲に基づいた調和の心が根底になければ、
たとえ僅かな意見の食い違いも許し難く、互いの破壊を招くものとなるでしょう。

 悪を憎み、正義の為に戦っている積りでも、寛容の心を忘れては、
(いたずら)に相手を傷付けるだけに終わるでしょう。

 戦いと平和が相容れるものであるかどうかは、何時も大きな疑問を残してきました。
 今、私が述べた事で、再びその疑問が浮かぶならば、天上界の尺度によれば、
悪の侵略の為に平和が脅かされるならば、正義の劔は取らなければならないと理解して下さい。
 再び繰り返しますが、平和と調和は、言うべきことも言わずにお互いに甘い言葉を交し合って、
お互いの性格の不健全さも歪みもそのまま受け入れ、それが習慣になれば、
社会の歪みも黙認して個人個人がそれに合わせてしまう。


 そうして、三次元の人間が
十パーセントの意識と智恵が大半で作り上げている社会がすべてであり、
地上のことのみが人生に於ける唯一の関心事になってしまう。
 そう考えていられる方、そのように三次元の世界を理解していられる方があるとすれば、
それは正しい受け取り方ではなく、健全な判断ではないことを知って頂きたいのです。

 寛容の心といっても、徒に許すことのみが社会に平和を齎すとは限りません。
 悪と不正と不健全な考えをそのままにしておくことは、
却って社会に混乱を招き、精神の向上や文明の発展を遅らせるだけなのです。

 これが、私の理想とする人間の性格であり、心であること、
そうして即ち、天上界が三次元の方々に求めるものであり、
四千五百年の昔から変わらず伝えられてきた正法という教えで説かれているものを
解り易く、具体的に説明したものなのです。
 終わりにもう一つ付け加えますが、
この本の内容は、"神"という抽象的な概念を明らかにし、
自然、宇宙という物質的なものに還元してしまう目的を持っていますが、

それによって浮き上がってくる疑問"人間はどう生きるべきか、どう在るべきか?"
に答える必要が出てきます。

 それは、高橋信次様も生前に主張なさっていられた通り、
人間の一人一人が"心"を認識せよ、ということなのです。
 すべてが物質とエネルギーに還元されるから人間は生きる意義を失くし、
植物や動物のようにひたすらに、自然の法則に従って生きよ、というのではないのです。
 それでは私達が万物の霊長として、

最高に発達した頭脳を与えられている意味が無くなるのです。
 この意味がお解りでしょうか?


 私達は、幾ら悲観的になっても、楽天的になっても、又、絶望的になっても、
植物のように一日をほとんど考えずに過ごすことは出来ないのです。
 科学優先の時代だとはいっても、

人間は考えることや感じることを無視して生活することは出来ません。
 それが文学となり、芸術となり、宗教となり、神を求める心となるのです。


 そうして、私達天上界の者は
あなた方が宗教や神を求める心が湧き上がってきた時、

あなた方が科学文明の時代に生きることを思い出し、
間違った神に惑わされずに、正しく生きて行くには

心を大切に、善なる自分を大切に、そして魂の修業をして、個々に立派な人格を養い、
人間、人類の大宇宙の中で果たす役割

義務と責任は何かということを常に問うていって欲しいのです。

    *     *     *
 著者(千乃先生)による補足
"三次元の人間が十パーセントの意識と智恵が大半で作り上げている社会"とは、
天上界の方達から見て、人間が肉体を持っている間は、
その肉体を維持する為のいろいろな必要性から、
エネルギーが五官六根に根差した生活や煩悩に費やされ勝ちになり、
充分に頭脳を働かせて知識や知恵を吸収したり、活用したり出来ない為、
大脳の十パーセントしか開発され用いられていない、
とする高橋信次先生の御説に従ったものです。
 そうして、人間が死を迎えて、霊となり、肉体維持にエネルギーが必要でなくなると、
大脳の意識は残りの九十パーセントをフルに利用し、素晴らしく智慧ある者となる。
 これをパニャパラミタといいますが ー ということです。
(実際は生前に開発された知能以上に、その後高められることはないことを、
後に天上界によって明らかにされました。
 知識は、転生などで学習し得るようです。)

 そして、もう一つ付け加えねばならないことは、人間に神性を与えるこの書は、
人間をその責任と義務から解放するものでも、不遜な無神論者に自由を与えるものでもなく、
且つまた、"社会悪との戦い"に関しては、
天上界は誤れる理想主義と巧みに豹変する言葉を以て人心を操り、 
テロ行為を正当化するような如何なる種類の政党、国家、民族並びに学生運動や、
又、それに協力、同調する者も認めておらず、サタン若しくは悪霊と同列であると見做され、
善霊の助けはそこにはなく、永遠の生命は与えられないものである、
とミカエル大天使長以下、大天使方は断言されております。

又、このような、"社会悪"を裁く側に立つ者としては、
例えば、"ハイ・ジャック"などの対応策にも他の場合と同じように、
"正見・正思・正語"の見地から判断を下さねばなりませんが、
日本では何よりも"人命尊重"が第一で、
西欧やイスラエルなどに於ける人質救出作戦の強硬手段にややもすれば批判的になりがちです。
 これを天上界の側から見ますと、
日本人の"人命尊重第一主義"の為に凶悪犯を平気で国外に釈放するのは同じく誤った人道主義で、
極端な言い方をすれば、"社会悪"に同調するものとされているのです。


 それは、譲歩を寛容と取り違え、低姿勢で無策にハイ・ジャッカーや凶悪犯を国外に泳がせ、
そしてその後にどれだけ多くの国や人質が、同じ犯人達の為に迷惑を掛けられ、
生命を危険に晒されねばならないかということを考慮に入れていないからなのです。
 犯人が日本人である限り、日本は犯人を国外に出すべきではなく、
又強硬措置を取って再発を防止しなければならないのです。
 ハイ・ジャッカーが日本人であれば、日本はこれを国家の恥と考えて、犯人達を捕え、
刑に服させなければならないのです。
 それは国粋主義でも何でもなく、
連帯責任と義務ということを忘れた日本人の世界に対する大きな甘えと考えなければなりません、
とそうラファエル大天使は申されております。

 反面、科学面に言及するならば、
核エネルギーの平和利用を越えてそれを無謀に戦力として核実験を続けている地球は、
既に赤道上にバン・アレン帯と呼ばれる放射能の帯に囲まれ、
もしそのような層が大気圏に増え続けると、未来のこの太陽系で唯一つの人類の住む星は、
不気味な土星どころか恐ろしい死の星になってしまうでしょう。

 一度作られたものは形を変えない限り永久に残るという、
考えようによっては恐ろしい物質不滅の法則を、
人類は事あるごとに思い出す必要があるのではないでしょうか。

 このように、科学者とて知らずに"社会悪"に全面的に協力している場合も多くあります。
 公害、薬害問題も明らかにその例であり、今、科学文明に住むからこそ
私達は中心の頭脳(ブレイン)たる科学者の良心に訴えるべきものが多くあり、
又、全地球の運命が委ねられているといっても決して過言ではないでしょう。 

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法