第四章 天上界の人びと

 (八) ブッタの章 ー 原始仏教を取り戻そう
 元来、私の開いた仏教は、"生きている人間の実行する法"、即ち、個人の悟りを目的とし、
その個人一人一人の心の調和によってユートピアを作るというものでした。
 現在の仏教は最早、朝夕のお勤め以外の何物でもなくなりました。
 生きている人間の法が何時の間にか死者への鎮魂のものとなったのです。
 本来の姿からかけ離れたものとなったのです。
 心の安らぎの場、精神修養(反省)の場であるべき仏閣は悪霊の棲家となり、
偶像崇拝を続け(口利かぬ、人間の作ったものに何ゆえ功徳がありましょうか。
 たんすや机を拝むのと同じことです)、
やたらと意味を理解してもいないお経を上げるものではなく、
中に書かれていることを実行することなのです。


 真の仏教とはどういうものであるかを、もう一度説明致しましょう。
 自分の心の中にある善なる自分、それこそが人間の心のすべてであり、
永遠不滅の生命の根本なのです。
 そして心が善我だけならば(他人の為に尽くし、愛を分け与える)、心は清々しく浄化され、
何の苦しみも起こりません。

 ウパニシャッドや私の言う"解脱〖心の浄化、(執着・煩悩からの)解放 〗" はそこにあります。
 生老病死という、人間の必須条件から逃れるにはどうすればよいのでしょうか。

 人間の生命は永遠なのです。肉体の命が滅びても心は滅びません。すべては輪廻しています。
 水は雨になり、川となり、大河と合流し、海に流れ、そして蒸発し、又雨となって戻ります。
 水は水でしかなく、その本質は永遠に変ることがありません。
 人間も例外ではなく永遠です。何度も生まれ変わることが出来るのです。
 たかだか持っても百年のこの肉体。
 この世限りではないのですから、生きるの死ぬのとということに捉われず、
その時その時を有意義に過ごそう。
 永遠の命を持って生まれてきているなら、
肉体を持つこの何十年かを、精一杯心の修行をしよう、ということなのです。


 他にも様々な苦しみがあります。
 苦しみというよりは、心の歪みです。
 欲望、妬(ねた)み、譏(そし)り、怒りなどの自己中心的な感情、
それらを心に持っていると心が濁り、不快な気持ちで、何時もイライラし、
対人関係も悪くなるのです。
 しかし、そのような感情は人間である以上は持たざるを得ません。
 かといって歪みを持ったままでいる訳にもいきません。
 大切なことは自分の中のそういう感情を押えるのではなく、さらりと受け止めて流すことです。

 満足に生活していて、尚贅沢がしたいという気持ち。
 贅沢をしたからとて、心が豊かでなければ、家庭が不調和ならば、
どんな美しい家も、宝石も、慰めにはなりません。
 心がすべてなのです。
 あの人の才能が、自分より優れている。妬ましいという気持ち。
 妬ましいと思う前に自分がそれに近付こうと努力したほうが賢明です。
 悪口を言うよりも、その人の悪い所を直してあげるなり、
自分の気に入らないことをしたからといって、その人を責めるというより、
相手の立場を思い遣る方が、後で自分の善なる心に照らして見て、気持ちがよいでしょう。
 相手が自分の思うようにしてくれなかったのを、怒るのは間違いです。
 自分中心に考えずに、相手の立場を考え、
もう一度、何故腹が立つかを反省してみる方が良いのです。

 私の説いた八正道とは、このように"第三者の立場"から相手の立場に立ってものを考え、
行動するという"思い遣り"、詰りは"慈悲の心"に根差しているのです。

 仏教は生老病死からの解脱法だけではないのです。
 八正道とはどのようなものか、一つ一つ説明しましょう。

正見(しょうけん) 正しくものを見る。第三者の立場から事柄を見るのです。
  表面だけでなく、それに隠された真意を見るのが大切です。
正思(しょうし) 正しくものを考える。
  思うことはその人の心を明るくするか暗くするかを決めます。
  思い遣りの心を基に、正しくものを考えれば対人関係を良くし、
 自分自身の心も明るくなります。
正語(しょうご) 正しくものを語る。正しく語るというのは、愛と慈悲のある言葉を語る、
  愛と慈悲を籠めた語調で語るというものです。正しく語れば、調和を作り出せます。
正業(しょうぎょう) 正しく仕事をする。現代社会は分業によって成り立っています。
  自分の仕事を他の人、世の中への奉仕と考えれば、公害、貧富の差も無くなり、
 社会全体の調和へと繋がります。
正命(しょうみょう) 正しく生活をする。自分の長所を伸ばすことと、短所を修正することです。
  短所は持って行きようによっては、直ぐ長所になります。
正進(しょうじん) 正しく道に精進する。社会関係の中の調和です。
  人間関係の中で自分を見詰め、考え、道に沿って生活する、ということです。
正念(しょうねん) 人の一念は三千の世界に通じ、それに応じて物を引き寄せます。
  類は友を呼ぶのです。
  ですから正しく、濁りの無い心で念じないと、悪友、悪霊が憑いたりするのです。
正定(しょうじょう) 以上の七つのことを行ってきたかどうかを、
 第三者の立場から反省することです。
  そうして、過ちを見つけ、同じ間違いはすまい、と決意することです。

 八正道とは、行うのに少しも難しいことではないのです。
 心の濁りを取り、素直な気持ちで実践すれば、直ぐに体得出来ます。
 八正道に沿った生活をしてゆけば、必ずあなた方の前途は光で満たされるでしょう。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法