第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より
第三章 ある日の高校生クラスの討議より
これは正法の毎週の集まりで、たまたま講師の方が遅れて来られ、ミカエル大天使長が、
天使ルリエルと合体し、霊能力を持った高校生に入られて、
共に高校生達及び著者(司会者)を交えて、討議した実録です。
私達が真面目に正法について学んでいること、
又その内容が如何に意味深く真理に沿ったものであるか、お解り頂けるだろうと思います。
入られた方が何方であるかは、その人の顔がその方に似て見え、
顔からオーラ(光り)が強く出るのです。
側に居る者が非常に暑くなり、周りに居る者や、霊能者自身にも金粉が汗と共に皮膚の表面に
結晶したり、衣服の上に降ったりするので、天国から来られた高次元(九次元或いは大天使達)
の霊であることが判ります。
低次元(幽界)の霊や、地獄霊は金粉など降りませんし、
身体がゾーンと水を浴びせられたように感じますので、直ぐ見分けられるのです。
天上界の霊が近くにおられる時、次元の段階が上がるにつれて暖かさが増します。
但し守護霊・指導霊の場合は、本人と共に暮らされますから、
霊能力が開発されて話せるようになるまでは、その存在を意識せず暖かみも感じられません。
(現象テープ№4からの転載 ミカエル大天使長様 77年6月23日現象)
司会者 神様とはどういうものか、人間とどう違うのか。神様と人間の関係についてお話下さい。
皆それについては知らなかったことだから ー
実際に目で見えているものしか解らないのですし。
目に見えない神様とはどういうものか。
人間とどう繋がっているのかを知りたいと思います。
ミカエル 宗教についてお話を致しましょう。
司会者 あ、それから、神と人間とはまた、別の存在の、特に全然次元が違って、
どこかからパッと現れて人間というものを作ったとか、
宇宙のあらゆるものを作ったとか、考えている人が多いでしょう?
そういうふうに説く宗教家も多くありますから … 。
だから、本当の神様というのはどういう方であらせられるのか。
それから、あのー、自然や宇宙とどういう関係があるのか、
それを解り易く説明して頂きたいのです。
ミカエル 宗教と科学というのは全く一致するものでなければなりません。
何度も申しますように、今まで、多くの人が説いてきたいろいろな宗教は、
すべてそれが出来ませんでした。
ですから、今生に於て、あなた方が知ろうとしていることは、
その科学と宗教が一致した、新しいものであることを理解しておいて下さい。
今から説明しましょう。
この漠然とした存在のものを、あなた方は、如何なるものだとお考えですか?
一人ずつ聞いてまいりましょう。
高校生A この世をよくする為に、いろいろとご指導して下さる方。
ミカエル あなたは?
高校生B あまりに漠然とし過ぎて、解りません。
ミカエル そうでしょう。
高校生C 私は、神様がいらっしゃるのを見たことがないので、自分で信じられないし、
もし居られるとしたら、今まで皆さんが言われてきたようなものだと思います。
司会者 言われてきたような ー ということは?
高校生C だから、良い行い、善そのもの、という感じ。
高校生D 私も同じ!光り輝く人。
司会者 人ということは?
高校生D 詰り、人ではなくて、自然が全て神様そのもので ー 人格ではないと思う。
司会者 人格じゃないと思う訳ね。自然が神様そのものであると思う訳ね。
神様は全能の神様で、"神"と皆が崇めてきて、良い行いをする人、
良い行いをするように、人間に求めていらっしゃる人とか思ってきた方が ー
方というのは語弊があるかも知れないけれど ー そういう方が、自然そのものであって、
人間とは何の係わりもない、三次元の人間を象徴するものではない、と考えるの?
高校生D 象徴っていうのじゃなくって、人間は … 。
司会者 自然そのもの。科学的に言えば、自然とは人間の元である。
自然から、人間が進化してきて生まれてきたのでしょう?
高校生D だから人間は神様の子供っていう … 。
司会者 ということは、自然イコール神様ということね。
高校生D うん。
司会者 漠然として、抽象的であるけれども、物質的でもあるような … 。
高校生D 具体的!
司会者 具体的でもあるような。 けれども、私達が崇める対象としての人格を持った神、
とは言われない訳ね。
人格というか、神格というか。自然というのは、ただ在るがままのものでしょう?
高校生D うん。
司会者 それが善の行いをするとか、それが私達に良いことをするように求めているとか。
そういう対象ではない訳ね。
高校生D うん。
司会者 ただ、存在する。意見が二つになりましたね。
ミカエル そうですね。例えば、旧約聖書に於ては、神様は全能なる方で、
そして、 その方がすべての宇宙を作り、すべての物を作り、
人類を作られた方というふうに書かれています。
それは全く非科学的なことであると、あなた方は思いませんか?
大体この宇宙を作り、地球を作り、そして人間を作ったことなどという話しは、
あなた方は素直に信じることが出来ますか? 信じられないでしょう?
そうでしょう。
人類は、宇宙は、いえ、地球、即ちこのすべての存在する物は、
徐々に進化してきた物なのです。
例えば、人間を取って見ても、初めに地球は混沌とした、
熱い星が生まれたばかりであって、それが次第に冷えていって、
そしてやっと生物と呼べるようなものが発生してきて、
そしてそれが徐々に進化してゆき、やがては無脊椎動物から脊椎動物へと、
そして爬虫類とか哺乳類に進化していって、
そしてその哺乳類のうちの猿というものが次第に発達してゆき、人間になった、
というふうに科学で教えられていますね。
それはその通りで正しいのです。
ですから一方の考え方で言えば、
大宇宙のこういう生物を発生出来る力こそが"神"という考え方がございます。
ですから、"神"という言葉については、そういうふうに漠然としたもので、
感覚として掴んでいても良いのです。
こういうふうにはっきりと定義付けては、説明することは不必要なのです。
ですから、人格として崇めると仰しゃいましたね?
人格として崇める対象に、こういう大自然の力に一番近い方に、
エル・ランティ様という方がいらっしゃいます。
そうですね、そして、"神の教え"いうことがございますね。
"神の教え"というのは、すべて"善"というものについて説かれているでしょう?
その"善"は誰が望んでいるかというと、
外でもない地球に住んでいる全人類が望んでいるのでしょう?
それを勝手に、自分自身の心で、自己保存の心で行動しているから、
地球がこんなに汚れてしまったことになっているのです。
ですから、"善の心"というのは、即ち"自然を愛する心"ということにもなるのです。
"自然"というのは、いろいろな意味がございまして、
例えば、木、草、山、海の自然もございますし、
それから"人の心に於ての自然"というのもあるのです。
"人の心の自然"というのはどういうことかと申しますと、
人間の心には九層の層に分かれていると申しましたね。
この心の真ん中には、神様の心というのがございます。
後から説明致しますが、自然のまま行動するということは、自分の善に沿って行動する、
ということなのです。
ですから、悪い行動がありますね。
例えば、人のことを考えないで、自分の為だけに何かをして、
その結果、他の人が傷付くとか、 そういうことがあるでしょう?
そういうのは悪なのです。詰り善の行動とは、自然の成り行きのことなのです。
そうですね ー 、この自然の心というのと、善の心の結び付きが、
あなたには解り難いのですか?
高校生D そうです。
ミカエル 人間の心というのは、だいたい、善我なる心でしかないのです。
だから、例えば、あなたが良いことをした時には、自分の心が気持ちが良いでしょう。
そして、良いことばかりを続けて行けば、ずーっと、満足が得られますね。
満足な状態が続くということは、自然な状態、詰り理想的な状態である訳です。
司会者 何故悪いことをすると、満足しないのですか。
ミカエル 悪いことをすると、自分の"善なる心"が許さないからです。
詰り、もしあなたが授業をサボッテ、何処かへ行ったとしますね。
そうすると、後ろめたい気持ちになるでしょう?
それは"善の心"がそういうふうに思わせているのですよ。
あなた方には、今そういうふうに漠然としか解らなくても、別に構わないのです。
いろいろこういう話を聞いている内に、あなた方は、次第に解ってくると思います。
ですから今は、漠然としたもので掴んで置いて下さい。
司会者 神様ということを、漠然とした存在で掴んで置く訳ですか?
ミカエル そうです。そのうちに解って頂けますから。
ですから、この"善の行為"というものは、自分が理想的な心でいられることでしょう。
理想ということは、自然、草や木の自然がありましたね。
あれが例えば、日照りなどで害を受けないで青々と茂っていれば、
果物なども順調に収穫があれば、それは理想の状態でしょう。
これが普通の自然の姿なのですよ。
普通の理想の状態というのは、自然の姿と善とに結び付く訳です。
それから、自然の一部を成す動物、或いは植物にも、それぞれ天敵があって、
数と量のバランスが取れております。
増え過ぎもせず、減り過ぎもせず、
"自然淘汰"といって、それが自然の調和を保つのです。
ちょうど良い量でバランスを取るのです。
人間の心の善も、人と人との調和を、中庸の形で計るのです。
自然の心は調和である。善も調和である。
だから、善は自然と同じであるということですね。お解り頂けますか、皆さん?
司会者 そして、その神様ということですけれどね。
エル・ランティ様は自分が神様だと仰しゃっているのではなく ー
自然に解ってくると仰しゃいましたけれども、エル・ランティ様が自分を"神"と、
人間に"神"と見做すべき対象であると、説明されてきたのではなくて ー
詰り、長い歴史を通じて、イエス様の時代や他の宗教家達を通じ、
自分を"神と崇めよ"と仰しゃったのではなくて ー
神というものは自然の在り様、その在るがままの姿であって、
それを解明する立場にある者 ー として、
今までいらっしゃったというふうに聞こえたんです。
けれどもイエス様は明らかに、"全能なる神、私の父である全能の神を信ぜよ"と
そういうふうに、聖書の中で仰しゃっていられた。
それは間違いと思っていられる訳ですね、エル・ランティ様は?
間違いと見做していられる訳ですね?
ミカエル イエス様の場合には、エル・ランティ様はエホバとして登場されていましたが、
イエス様の時代に於ては、非常に民衆が貧しく、そして救いが、心の拠所がなくては、
生きてゆけない状態でございました。
司会者 そして非常に非科学的でしたね。科学のことを何も知らない ー 。
ミカエル そうです。そういうように非科学的であるからこそ、神は全能で、
その方がすべてであるということになったのでございますが ー 。
司会者 その時にそう仰しゃっただけですか?
ミカエル そうです。"神を信じよ"とイエス様は仰しゃっていますが、これは即ち、
"自然の、あるがままの自分の心に忠実になれ"ということなのです。
司会者 そうでしたね。"神はあなた方一人一人の心の中にある"と仰しゃいましたね。
ミカエル そうです。
司会者 そこのところも解らなかったのです。
"全能なる、唯一の神を信ぜよ"と仰しゃったことと
"神はあなた方の心にある"ということと ー 。
ミカエル そうです。
司会者 それではっきりしました。皆さんお解りですか?
その頃の人々が解らなかったから、人間が教養がなくて、科学も理解してなかったから、
科学がどうだとか、人間が進化したからどうだとか、
自然がすべてを生み出す母のようなものであるから、それを信じなさい、
そして、自然なる心に従う自分の心を信じなさいと、
そういうふうに言っても解らないから、だから、全能なる神、即ち、
イエス様のような、素晴らしい奇蹟を行うような神様を信じなさい、
その仰しゃる通りにしなさいと、そういうふうに言われた訳ね。
皆が、そういうふうな方がいられるから、
気持ちを安心させて、安心した気持ちで生きて、
世の中の苦しんでいる人達が、そういう教えに従っていったら、
今の苦しみ、悩みから解放されて、世の中がもっと良くなる、
ということを解って貰いたいが為にイエス様は、
エル・ランティ様(エホバ様)を説明するのに、その時そう仰しゃった訳ね。
だから、イエス・キリストの時代の神様と、
私達がこうやって説いて頂いている神様とは、違うということね。同じであるけれども。
それは、エル・ランティ様が、イエス様を通じてそう仰しゃっただけでね。
本当は、"神様"というのは、"自然"であるということね。
それを良く納得して貰わなくてはいけないわね。
ミカエル それと同じように、イエス様の時代には、布教の時間がなかったので、
それを説明している暇がなかったのでございます。
そして、そのことは当時にも、予言されております。即ち、聖書にあるように、
"彼等は耳で聞くが決して心で悟ることはないであろう"
というのはこのことを予言されているのです … 。他に何かございませんか?
高校生C 関係がないかも知れないけれどね。ギリシャ神話ってあるでしょう。
あれに書かれていることは、本当なんですか?
ミカエル 本当ではございますが、即ち、ゼウスやアポロのことでございましょう。
ゼウスというのは、エル・ランティ様の生まれ変わりでございまして、
アポロというのは私、即ちミカエルでございます。
ですから、ギリシャ神話で書かれているような、
浮ついたものは少しもございませんでした。
あの時も今と同じように、こういうふうに正法を説いていたのでございます。
それを後の人が勝手に創作して、自分達の好みに変えてしまい、
あのような浮ついた話になって、今に至るまで残っているのでございます。
司会者 それからもう一つ伺いたいのですが、
そうすると、日本神話というのも、同じようなものですか?
ミカエル そうです。日本神話の場合も、天照大神様を中心としたお話でございますね。
あれはやたらにいろいろな逸話や寓話で塗り固められていますが、
あの方達も本当は今と同じように、正法を説いておられたのでございます。
ですから、天上界の者が入れ替わり立ち替わりこの世に出てきて正法を説いているのは、
すべてこの地上に生きているあなた方に、
ユートピアを作って貰いたいという要求からなのでございます。
ユートピアということはお解りになりますか?
司会者 理想郷ですね。
ミカエル 理想郷、即ち、自分自身の善の心に従って自然のままに生きてゆく。
その理想郷でございます。
ですから、そういうふうに行動して行けば、常に行動は善なるものだけになり、
皆さんは幸福に暮らせるでしょう。
公害もなく自然破壊もなく、
皆が手を取り合って、仲良く生きてゆくことが出来るでしょう。
人種差別もなくなり、その他いろいろな人間間の差別もなくなり、すべてが平等になり、
皆お互いのことを思い遣って生活してゆく。そういうような世界のことをいうのです。
そういうような世界にする為に、私達は何千年も前から、
天上界から光の使者を送り出して参りました。
有名な方としては、イエス様や、ブッタ様や、モーセ様、天照大神様、
ゼウス様などでございます。
何かその方達について質問はございませんか?
司会者 仏教には同じような話はないんですか。
ミカエル 仏教は主に、八正道を説くもので、その当時の人々は神という存在は
たいして信じてはおらず、来世にすべて望みを懸けていました。
バラモン階級に尽くすこと、それが自分の来世に繋がる、
即ち、自分のことだけしか考えない宗教が、蔓延(はびこ)っていました。
ですから、それを打破する為にブッタ様がお生まれになり、八正道や五戒や、
その他、反省の必要性などを説いておられたのです。
司会者 他の国にも同じような、似たような神話や寓話などがございますけれども、
それは仏教的な意味ではなく、日本の神話と同じような意味で発生したというか、
皆が作り上げたものですか?
ミカエル はい、そうです。
司会者 やはりそこに光の天使方が降りられて、正法を説かれたという証拠に、
そういうお話、神話のようなものが残っている、というふうに解釈していたんですけど。
それは違いますか?
ミカエル それは、正法が伝わって行くにつれ、正法を説いた人が死んでしまい、
次々に世代が変ってゆくと、恐らくこのようなことがあったのではないだろうかと、
後の人々が付け加えたのでございます。
その結果、あのような、時にはありそうもない話になったのです。
司会者 私が解釈していたのでは、神話、寓話の基になるのは只一つであって、
それをいろいろな国の人達が自分達独自に解釈して、独自の神話というものを作り上げた、
というものなのですが。
ミカエル それでも良いのですよ。
司会者 解りました。
講師 一つの神話、一つの事実が、二つ以上の神話になることもあるし、
その基が複数であることもある訳ですね。
ミカエル そうです。他に何もございませんか?
高校生C あのね、神が居るとすれば、悪魔というものも居るのですか?
ミカエル 勿論、存在します。
悪魔、即ち、サタンですね。どのようなものか知っていますか?
簡潔に言えば、悪い心だけしか持たない霊ですね。
ですから、天上界の霊とは正反対の性質を持って居ります。
自分の事だけしか考えません。そして、他人を陥れることだけを考えます。
そのような霊のことです。ですから、地獄のような恐ろしい世界が出来るのです。
今、現在、日本の地獄は、無間地獄、天狗界を除いてはございません。
何故ならサリエルの本体として生まれた方に依って、地獄の霊やサタンが、
天上界に上げられたからでございます。
司会者 ルシファーと呼ばれた方がいない訳ですね。
ミカエル いません。ルシファーと呼ばれたサタンが居たのを知っていますか?
書物にも書かれていますよ。
司会者 聖書のことですよ。絵にも描かれています。
ミカエル そのルシファー、即ち、天上ではルシエルという私の愛した天使でした。
非常に彼は優しく、清らかな人格でございました。
それが地上に生まれてきて、いろいろな世間の悪に染まって行くうちに、
地獄に落ちてしまったのでございます。
しかし、彼は、今、天上界に上がって、元の天使に戻っております。
(注。
ルシファー、ルシエルについては「天国の扉(モーセの章)」をお読み下さい。)
高校生C 地獄に落ちるって、誰が落とすんですか?
ミカエル 自分で落ちるのです。即ち、自分の心が醜くければ、天国に行くことは出来ません。
何故ならば、"類は友を呼ぶ"と言いますが、
自分の心が汚ければ、天上界に上がれません。地獄に落ちるのです。
講師 ええ。エレベーターがね。
ミカエル 波動 … 。
講師 エレベーターがバネで吊るしてあると考えて下さい。
目方に相応した所に、エレベーターが止まるでしょ。
心の重い、地獄のような心を持った人は下の方へ降りてしまう人です。
心の軽い人は高い所へ行くんです。これが自然の法則です。
ミカエル そして、波動ということがあるのです。今、私が、こうして声を出していますね。
これは一つの言葉の波動というものです。これは音に乗って聞こえる波動ですね。
ところが、心の波動というものもあるのです。
例えば、九つの層がございましたね。で、ここに一人の人間がいるとします。
この人間が霊界の心を持っているとしますね。
比較的自分のことばかりに走り廻るという人ですね。
この霊界の心を持って、物を考えますと、霊界に心が通じるのです。
ですから、死ぬと、そこに心が通じていますから、霊界に行くという訳でございます。
そして、この人が悪の心を持っていると、悪の波動が出ます。
ですから、これは地獄に繋がるのです。
同時に、この悪の波動に乗って、地獄霊や、浮遊霊や、地縛霊が
この人に憑依するのです。
それと同じように、この人が如来界や菩薩界の心を持っていれば、高い所に波動が届き、
そして、ここに居る人達と霊能力のある人は通信出来ますし、
また、霊能力がない人でも、
天上界から来られた守護霊や指導霊の加護を受けることが出来るのです。
このように、自分の心の持ち具合によって、何処へでも波動が行くのです。
高校生T あの先刻、地獄はなくなったと仰しゃいましたけれども、
もしこの世にいる悪い心を持った人が死んだら、
地獄に行くのではなくて、天国へ行くのですか?
ミカエル そういう霊はすべて幽界に上げて、魂の修業を厳しくさせられるのです。
地獄を作っては、昔の二の舞ですから、これからはもう日本に地獄は出来ないでしょう。
只、今は死人の霊は増えています。
即ち、地獄に落ちたのではなく、この世に未だ迷っている霊がたくさんいるのです。
もし、その迷っている霊、悪霊のことですが、人が悪い心を持って物を考えると、
その波動に乗って、この悪霊が憑依します。
そのような霊も数を減らす為に、又、他の国の地獄もなくす為に、
八月から一定の期間を置いて、エル・ランティ様は、高橋信次様とサリエルの本体
である方の協力で、地獄霊を天上界に上げさせる予定なのです。
高校生S そういう霊は助けて上げることは出来ないのですか?
ミカエル 貴女がもし助けようとすれば、貴女に憑依しますよ。
何故なら、彼等は人の心の暖かみというものを忘れてしまって、
ひたすら自分だけが助かりたいという目的で貴女に憑依します(※1)。
(※1注。
神に救われることを願う、人の心の温かさを欲する彷徨える(浮遊)霊は、善なる者に憑依し、
心の醜い悪霊は、善なる者を堕落させる、美しい心を汚すことで、
また善に生きぬ者に憑依し、悪事を働かせて邪心を満たし、罪を犯した者を絶望させることで
支配欲を満たすのです。)
あなた方のように光の出ている人達は、特に憑依され易いのです。
しかし、あなた方が善の心を持っているので、長い間は憑いておりません。
何時の間にか離れてしまいます。
そういう浮遊霊、詰り迷っている霊の処置は、天上界の者に任せなさい。
なまじっか救ってあげようと考えると、大変な目に会いますよ。
あなた方は、まだ善霊と悪霊の区別が付き難いので、そういうことは危険なのです。
止めて下さい。その為に諸天善神という光の天使がおります。
今日、初めて来て下さった方は、あそこに並んでいる本を何冊か借りて帰って、
目を通して置いて下さい。
高校生T それでは悪霊に憑依されたと解ったら、どうして取れば良いのですか?
ミカエル まず、自分の心をきれいにしなさい。
悪いことをしたのなら、それを反省して悔いなさい。
高校生S 光の天使という意味をちょっと教えて下さい。
ミカエル 光の天使ですか?
光の天使というのは菩薩界、如来界の者達のことです。
光の天使という場合には、この同じ天使という字を書きますが、
如来界の上にいる天使とは違うのです。
光の天使という表現は、高橋信次様がお使いになったもので、
これは天の使いという意味です。
ですから、如来界、菩薩界の人達は天の使いとして、この世に生まれてきて、
その正法を説く仕事をするのです。別に、その天使という言葉に拘らなくても良いのです。
高校生C あの、人間というのはね、欲望的な面と精神的な面と、
詰り、良い面と悪い面が誰にもあってね。
ミカエル はい。
高校生C それが人間というものだ、と納得しているのはいけないんですか?
司会者 人間的な生き方を欲望の塊り、というふうに見ている訳ね。いろいろな欲がある。
高校生C 欲望 … うん。
司会者 人間的な欲がある。それは人間的である。
高校生C それは、あの ー 、人を愛することとかね、それは … 。
司会者 それも欲望に繋がる … 。
高校生C 欲望になるのか … 。
ミカエル 欲望というのは、即ち、それは善の心ではございません。
それは先程お教えしたように、自然の理想の生き方ではないのです。
例えば、そうですね、貴女が本当に神の心を持って行動するならば、
お金持ちになって良い暮らしがしたいとか、きれいな洋服が着たいとか、
そういうことはなくなるのです。それは実際に経験してみれば解ります。
身を飾る、そういう欲望は自己保存です。
即ち、自分さえ良ければ他はどうでも良いという心ですね。
欲望というのは自己保存なのです。自己保存というのは神の心ではありません。
ですから、欲望があることが人間らしい、ということは間違いなのです。
それは自分勝手な人間の考え方です。
人間は生まれつき、欲望というものを持って生まれてきません。
どうやってそれを持つかというと、周りの人達を見て、
自分より良い暮らしをしているから羨ましいという気持ちを持つのですね。
別にその人は貧乏な訳でもなく、普通の中流家庭だとします。
上流家庭の人が羨ましいと思うのです。
自分が不自由している訳でもないのに羨ましいということ、
即ち、この人が欲張りであることでしょう?
自分はもうそれで足りているので、余計に良いものを欲しがっていることでしょう?
そういうことは不自然な訳です。
自分の能力以上に良いものを求めようとする。
お金が無いのに贅沢をしたがり、
そのために結局は盗みを働いてしまうことも起こりますが、
このように欲望というものは善ではないのです。
人間は元来そういうものは持って生まれてきてはおりません。解りますか?
ですから、欲望を丸出しにして生きるのが人間らしい、というのは間違いです。
欲望を丸出しにして生きるのは動物の生き方です。
人間は善というものを考える力を、理性を与えられているのですから、
それを良く働かせて生きれば、こういうことはなくなるのです。
愛ということについて質問されましたね。
人を愛するということには、二通りあるのです。
アガペーの愛とエロスの愛です。
エロスというのは、例えば、男女間の愛のような愛憎の感情が伴います。
ここに、或るカップルがいたとしますね。
お互いに愛し合っている内は良いのですが、片一方が心変りしたとなると、
片一方はそれを憎みますね。憎しみに変るような愛のことをエロスの愛というのです。
エロスの愛には、絶えず相手が心変りしてしまうのではないかというような
不安が付き纏い、その愛には安らぎがありません。
ですから、同じ愛を持つにしても、
エロスの愛よりも、アガペーの愛を持つ方が良いのです。
アガペーの愛というのは神の愛のことです。
ですから、いま述べた例をとって説明しますと、この人が心変りをしても、
この人は相手の人が幸せならそれで良い、と思うような心 … ちょっと違いますが ー
アガペーの愛なのです。
アガペーの愛とは神の愛、即ち理想の姿の愛です。ですから … 。
司会者 自己中心的でなくて、与える愛ね。
ミカエル そうです。
司会者 神様のように与えるだけの愛ですね。
ミカエル そうです。自分では何も求めませんが、他人に与えるだけの、他人が幸せになれば良い、
というような愛のことをアガペーの愛、神の愛と言うのです。お解りになりましたか?
司会者 ということは、精神的なもののほうが良いということ。
ミカエル そうです。単に肉体的なものは種族保存のためだけです。本当の愛を知ったならば … 。
あなた方は残念ながら、本当の愛というものには、未だ巡り会ってはいられませんね。
司会者 それから、もう一つ、それを伺っていると、
一つの疑問が浮かび上がってくるのですけれども、
動物というものは、種族保存の為だけに生きていて、アガペーの愛を知りませんね。
ミカエル はい。
司会者 それが人間だけに要求されるのは、どういうことなんでしょうか?
自然に沿って生きよということは、種族保存という人間的な生き方も、
認められるべきではないでしょうか?
ミカエル そうです。認められるべきですが、それはエロスの愛ではなく、
アガペーの愛を前提にして、そういうことが行われることが理想なのです(※2)。
そうして、このアガペーの愛が前提となっているならば、例えば、
離婚や、子殺しや、子捨てや、そういうことは無くなるでしょう。
(※2注。
神の愛が心に生きているなら、エロスの愛は神の愛に背くものとはならないのです。
エロスの愛は盲目であり、神の愛を知らぬ盲目の者が、エロスの愛に支配される、
愛の中に溺れるのです。
神の愛に従う者は、恋愛の中においても、相手の中に神の心を見出すのです。
互いの信頼のうちにあって恋愛に喜びを見出すのです。)
司会者 それは、人間であるが故に、求められる訳ですね。
ミカエル そうです。
司会者 理解することが出来るから。
ミカエル そうです。
司会者 動物は理解出来ないから、同じようなことをしていても、自然の成り行きだ、
というふうに見ている訳ですね。
ミカエル そうです。あなた方は理性というものを与えられています。
ですから、その理性を良く働かせてものを良く考えなさい。
感情に押し流され過ぎると、欲望が出て来て自己保存に繋がり、
挙句の果ては自分の破滅に繋がります。
司会者 それからもう一つ、私が、私自身解釈していることですけれども。
ミカエル はい。
司会者 人間というのは、動物と同じように生きていると、動物より以上の残酷なことをします。
ミカエル そうです。
司会者 自己中心的な。
ミカエル そうです。そういう考え方が出来るからです。
司会者 はい。だから、それがあるが故に、アガペーの愛が大切な、
ミカエル 余計に要求されるのです。
司会者 精神的な生き方を要求される。
ミカエル そうです。
高校生D あのー、一番ね、人間的であって、一番人間的でないというか、そういう何というかな …
司会者 精神が高度であるという意味で、人間的であって、
ミカエル そうです。
司会者 人間という動物的なものを持った、いわゆる、
高校生D 人間!
司会者 世間の人が理解している人間というものじゃいけないと、
高校生D というものじゃない …
ミカエル そうです。そういう生き方が理想なのです。
そういう生き方をしていれば、悩みも、苦しみも何もありません。
信じることが、そのアガペーの愛というのは、他人を信じることにも繋がりますし。
ですから、先程述べたようなことは起こりません。解りますね?
司会者 そう、悪の思いを持っていたら、人から同じものが返ってくるから、
他人を苦しめるけれども、自分もそれで苦しめられる。
ミカエル そうです。
司会者 傷付け合うからですね。
そういう破壊的な世界よりは、お互いに思い遣ってゆく方が、平和な生活が送れる、
ということをね。神様は仰しゃっています … 。
ミカエル そうなのです。
司会者 神様と言って、又、間違えました。天国の方が仰しゃられてる。
高校生D あの ー 、神様ということなんですけれどね。
自分の心の中に神様がいて、その心が広がるから、神、
すべてが神なんだと考えてもいいんですか?
造ったからでなくて、なんというかな、周り …
司会者 いえ、だから先刻仰しゃったでしょ? 神というものは善我なる自分の心である。
ミカエル ですから、神様が自分の心にいらっしゃるのではなくて、
神の心を持った自分が自分の心の奥底にいるのです。
それをあなた方は、今一つ一つ、そのベールを剥がしていって、発見するに至るでしょう。
司会者 では、この辺りで米本講師に代ってお話しして頂きましょう。現象はここで終わります。
ミカエル大天使長様、長い間お話し下さいまして、大変有難うございました。
ミカエル どう致しまして。大変楽しい時間を持つことが出来まして幸せに思っております。
第四章 天上界の人びと (一) ミカエル大天使長(天使の長 [おさ] )
第四章 天上界の人びと (一) ミカエル大天使長(天使の長 [おさ] ) 私は、ミカエルでございます。 あなた方の中でご存知の方もあると思いますが、 御存知でない方は私の名前を世...
続きを読む第五章 天国 ー 空高き善霊の住処 モーセの章
第五章 天国 ー 空高き善霊の住処 モーセの章 私は、凡そ三千二百年程前、六十数万の捕囚の民であったユダヤ民族を、エジプトより救い出し、 四十年をかけてイスラエルに連れ帰り、そ...
続きを読む天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法
- 天上界メッセージ・エッセンス(はじめに)
- 天上界メッセージ・エッセンス 目次
- これからメッセージを読まれる方へ
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 一節 天の救いの歴史
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 二節 天の奇蹟について
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 三節 人類の歴史と共に天の伝え続けた教え、正法とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 四節 正法に適った生き方とは
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 五節 天の指導と方針
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 六節 サタンによる天の計画の妨害
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 七節 天上界の一員として神と共にありながら悪魔となったサタン・ダビデの人格(悪の想念)
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 八節 サタンの妨害と戦いながら、天の為した救いの業
- 第一部 天の教え 第一章 天の歴史 九節 現代に現われた神々が、神として語るとは何を以て言うかを証された
- 第一部 天の教え 第二章 最後の審判 一節 最後の審判の背景
- 第一部 天の教え 第三章 善我(神の心)を見失わない為に 一節 苦しみに神の信仰を見失う時、神の心に繋がる良き思いが失われる
- 第一部 天の教え 第四章 天上界に愛される人格 一節 天上界の良しとする、愛される人格とは
- 第一部 天の教え 第五章 德(心の糧) 一節 真理は神の霊から齎される
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 一節 徳の観念を悟れず、知識のみに留まる者
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 二節 真理
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 三節 愛
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 四節 正義(悪に立ち向かう)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 五節 信じること(信義)
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 六節 理性
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 七節 ユートピア建設
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 八節 使命感
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 九節 中庸
- 第一部 天の教え 第六章 天から齎された真理及び徳の観念(本質)について 十節 偽我から生まれる観念
- 第一部 天の教え 第六章 備考 一考察
- 第一部 天の教え 第七章 現代に於て初めて証された真理 一節 霊について
- 第一部 天の教え 第八章 宗教 一節 宗教の誕生
- 第一部 天の教え 第九章 共産主義(悪魔のイデオロギー) 一節 共産主義とそのシンパ
- 第一部 天の教え 第十章 病の分析と治療への助言 一節 精神面
- 第二部 神と人類の交流 第一章 天上界の世界 一節 神々の紹介
- 第三部 神から授けられた正法 第一章 正法を信じる
- 第四部 天への思い 第一章 天への信義 一節 真の神に帰れ
- おわりに
- 天上界メッセージ・エッセンス(ダイジェスト版)
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅰ巻 目次
- 第一部 「天国の扉(77年12月出版)」より 第三章 ある日の高校生クラスの討議より
- 第二部 「天国の証(78年8月出版)」より 巻頭 詩 最後の審判 千乃裕子
- 第三部 「天の奇跡」第一章 (天上界への質問と解答)
- 第四部 「天国シリーズ」巻頭メッセージ
- 第五部 現象テープ 一九七七年の約束(天上界よりの通信) ミカエル大天使長
- 第五部 現象テープ No.4「ある日の高校生クラスの討議より」
- 第五部 現象テープ No.7 「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ①ミカエル大天使長様
- 第五部 現象テープ No.7「『天国の扉』出版お祝いの言葉と共に」 ②イエス様
- 第五部 現象テープ No.8「正法講座」 イエス様
- 第五部 現象テープ No.10 ① 「正法を学ぶ人の為に① 天の方針」 ②「新天王の宣誓」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.11 ①「正法を学ぶ人の為に② 業(カルマ)について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.12 ①「正法を学ぶ人々の為に③善我と偽我について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ①「この場に集ったあなた方の何を信じて、私達が語り掛けているのか解りますか」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.16 ②「神を畏れるとは」 ウリエル様
- 第五部 現象テープ No.17①「愛について」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.18 「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.19 「宗教と人間との関係について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.20「再び愛について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.21「原罪について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.23「心の美は」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.24「あなた方が賢くなる為に、私達が与えるものとは」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.25「天国語の語源について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.26「良き人間関係について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.27「正法流布について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.28「自己犠牲について」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.29①「愛と信仰」 イエス様 ②「クリスマス・メッセージ」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.31「天上界による質疑応答(天上界の見解)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.32「物の考え方について」 ラファエル様
- 第五部 現象テープ No.33「天上界による質疑応答(慈悲について)」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.34 ①「天による現象と霊体の構成」 ミカエル大王様
- 第五部 現象テープ No.35「クリスマス・メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.36「消滅について」 ガブリエル様
- 第五部 現象テープ No.37「メッセージ」 ①イエス様
- 第五部 現象テープ No.38「ユートピアについて」 ①ウリエル様
- 第五部 現象テープ N0.40「天上界からの苦言」 ①ガブリエル様
- 第五部 現象テープ 欠番 「正法を守る」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで) に掲載された天上界メッセージ 「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年1月号「霊の能力について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年2月号「最後の審判」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年3月号 ①「精神的成長の齎す愛の昇華」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年4月号「民主主義と共産主義」 ウリエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年5月号「天上界の意志と世の人々に望むこと」 イエス様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年6月号「至高の徳」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年7月号 ①「思い遣りと尊敬について」 ミカエル大王様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年8月号「動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年9月号「再び動物愛護について」 パヌエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年10月号「人間の冷酷さ」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年11月号「天上界を軽んずる正法者について」 ラファエル様
- 第六部 天上界メッセージ 「慈悲と愛」79年12月号「天の真理を、意志を伝えた言葉」 ラファエル様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅱ巻 目次
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年2月号「政治理念」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年3月号「国防に無責任且つ無節操な政府を作った原因」 ミカエル大王様
- 「慈悲と愛」80年4月号「イデオロギーの洗脳から自由な国家を守る為に」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年5月号「時事問題(前編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年6月号「時事問題(後編)」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年7月号「天上界が政治に介入する理由」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年9月号 ①「正法者間の親和力の足りなさについて」 ラファエル様
- 「慈悲と愛」80年10月号 ①「GLAが天上界からの警告を理解し得なかった理由」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」80年12月号「善意から出る嘘と悪意からの嘘の人に齎すものとは」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年1月号「悪霊が滅ぼそうとするもの、天上界が守ろうとするもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年1月創刊号「"希望と愛と光"の意味するもの」 ガブリエル様
- 「慈悲と愛」81年2月号「宗教の弊害について」ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年2月号「道を誤った日本への警鐘」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年3月号「動物の中に生き続ける真の愛」 パヌエル様
- 「希望と愛と光」81年3月号 詩「ファンタジア」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年4月号「サタンの道を行くローマ・カトリック教会」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年5月号「怒りについて」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年5月号「人の気持ちを考えるとは」 ウリエル様
- 「 JI 」81年6月号「信じるということについて」ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年6月号「人に良く見られたいという心」 ラファエル様
- 「 JI 」81年7月号「ユートピア建設について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年7月号「天上界の美しさについて」 ウリエル様
- 「 JI 」81年8月号「理性について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年8月号「赦しについて」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年9月号「己を知った先にあるもの」 ラグエル様
- 「希望と愛と光」81年9月号「慈悲について」 ガブリエル様
- 「 JI 」81年10月号「奇跡について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」81年10月号「愛を受ける方法について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」81年11月号「使命感について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」81年11月号「強さについて」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」81年12月号「何故魂の研磨が難しいか」 ウリエル様
- 「 JI 」82年1月号「正法者について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年1月号「物の考え方について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年2月号「柔軟な心について」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年2月号「悪霊の甘言に騙されて天に背反した者達の偽我」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年3月号「正法の伝える真理とは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年3月号「判断力について」ラファエル様
- 「 JI 」82年4月号「正法を如何に役立てるかを考えるのは、人を生かそうとする思いから来ます」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年4月号「自由な心について」 ラファエル様
- 「 JI 」82年5月号「使命感の本質について」 ミカエル大王様
- 「希望と愛と光」82年5月号「慈悲について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年6月号「魂の研磨について」 ガブリエル様
- 「希望と愛と光」82年6月号「心に安定した支柱なき者」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年7月号「天と共にあるとは」 ラファエル様
- 「希望と愛と光」82年7月号「正法を学び、見出した真の道を本当に歩いてきたのですか?」 ラグエル様
- 「 JI 」82年8月号「暖かい心と冷たい心」 ラファエル様
- 「 JI 」82年9月号「天を信じると言う人々は何を以て、その信仰の根拠であると天に証するか」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年10月号「人を愛する者へと導くのが神の愛であり、人を幸福の内に留まらせるものではない」 ガブリエル様
- 「 JI 」82年11月号「天の戒めである"姦淫するなかれ"の真の意義について」 ミカエル大王様
- 「 JI 」82年12月号「天の徳に生きんとする者が天の導きを知る」 ウリエル様
- 「慈悲と愛」80年1月号「悪霊に支配され易い人格及び国家」 ミカエル大王様
- 天上界メッセージ・集成 第Ⅲ巻 目次
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様
- 「JI」83年2月号「義人の陥る不寛容という偽我」 ラファエル様
- 「JI」83年3月号「自ら神に等しくならんと努める人格とは」 ラファエル様
- 「JI」83年4月号「共産主義者の心の世界」 ミカエル大王様
- 「JI」83年5月号「優しさと慈悲魔の違いについて」 ラファエル様
- 「JI」83年6月号「人を信じることとは」 ミカエル大王様
- 「JI」83年7月号「一箇所に留まらない進化する精神とは」 ラファエル様
- 「JI」83年8月号「正しく躾を、指導を与えなかった保護者、社会人の義務感の欠如」 ミカエル大王様
- 「JI」83年9月号「嫉妬心について」 ラファエル様
- 「JI」83年10月号「神の与えた戒律」 ミカエル大王様
- 「JI」83年11月号「神を捨て、共産主義を信じて得た理想郷とは地獄のことであった」 ウリエル様
- 「JI」83年12月号「精神面の成熟に無知、無関心となった原因」 ミカエル大王様
- 「JI」84年1月号「天と共に働くことが出来る者とは」 ラファエル様
- 「JI」84年2月号「共産国の傀儡(エージェント)と化した全国紙」ウリエル様
- 「JI」84年3月号「他を救おうとする心が人を価値あるものにする」 ミカエル大王様
- 「JI」84年4月号「天の望む神の子に相応しい人格への成長と悟りとは」 ミカエル大王様
- 「JI」84年5月号「神に愛されぬ人生を生きて、何の喜びがありますか」 ミカエル大王様
- 「JI」84年6月号「神との関係か人との関係のどちらかしか大切に出来ない人」 ミカエル大王様
- 「JI」84年7月号「正法者の性格について思うこと」 ラファエル様
- 「JI」84年8月号「次期天王の予告、及び神(現天上界)が最後のメシヤであることの真意」 ガブリエル様
- 「JI」84年9月号「善霊に禁止されている霊現象を行うのは悪霊以外にないということ」 ミカエル大王様
- 「JI」84年11月号「正法の目的を、魂の研磨を忘れてまで霊能力に夢中になる正法者」 ラファエル様
- 「JI」84年12月号「世の終わりを来らせるもの」 ガブリエル様
- 「JI」85年1月号「人間の知性が滅びを求める時、天もそれを救い得ない」 ウリエル様
- 「JI」86年1月号「ノイローゼの原因」 ラファエル様
- JI」86年2月号「病的性格と未熟な精神」 ラファエル様
- 「JI」86年4月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(1)」 ミカエル大王様
- 「JI」86年6月号「ノイローゼ克服への助言」 ラファエル様
- 「JI」86年7月号「真の人格の向上に繋がる学問への向かい方」 ラファエル様
- 「JI」86年9月号「再び思い遣りについて」 ミカエル大王様
- 「JI」86年10月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因(2)」 ガブリエル様
- 「JI」86年11月号「(神の国の起点となるべき)"集い"の心を一つに成し得なかった原因 (3)」 ガブリエル様
- 「JI」86年12月、87年1月合併号「天の方針」 ガブリエル様
- 「JI」87年3月号「共産主義に蝕まれた社会の現状」 ラファエル様
- 「JI」87年4月号「老人性痴呆となった者に表面化する(精神的障害の原因となった)歪んだ性格特性」 ラファエル様
- 「JI」87年5月号「天の証言(イエス様を通じてのサタン・ダビデの布石)」 ガブリエル様
- 「JI」87年6月号「弛緩した精神に蒔かれるリベラリズムという悪魔の種」 ラファエル様
- 「JI」87年7月号「"幸福の科学"の霊言は、総て天上界を貶めんが為の悪霊によるもの」 ミカエル大王様
- 「JI」87年8月号「既成宗教に安住する国々にとって受け入れ難い天の真実」 ガブリエル様
- 「JI」87年9月号「社交性やユーモアの解せないのは、精神がまだ成長途上にあるからです」 ラファエル様
- 「JI」87年12月号 「人の善意を信じず、自らの偏見を正当化する者」 ガブリエル様
- 「JI」88年1月号 「劣性遺伝子を持つ者が子供を産むことの問題について」 ミカエル大王様
- 「JI」89年1月号「精神病と霊障との差異について」 ラファエル様
- 「JI」90年3月号「夫婦間の思い遣りについて」 ラファエル様
- 「JI」92年1月号「再び偽我について」ラファエル様
- 「JI」93年1月号「魂の研磨で手にした智慧と信義と慈愛を持って、私達の下に帰って来なさい」 ガブリエル様
- 「JI」83年1月号「天に役立とうとする積極性に潜む自己顕示という偽我」 ミカエル大王様