第四部 「天国シリーズ」 巻頭メッセージ
 (「天国シリーズ」発刊に寄せられたメッセージの原文は、
初めて天上(ベー・エルデ星)語により書かれ伝えられました。
 今回は併記された日本語のみ(ベー・エルデ星語にはアルファベットにない文字がある為)
掲載します。
 大天使様方々は、78年7月以降は、天使界から九次元に昇格されております。
 大天使とあるのは、昇格以前の出版物で発表されたものです。)

「天国の扉」(77年12月)発刊に寄せて サリエル大天使様
エル・ランティ様への誓いの言葉" ー サリエル
 ヤーウェであり、エホバであり、全能の神であるエル・ランティ様、
貴方の徳は世界に広められるでしょう。

 貴方の七人の使の一人として、また、今生に於ては、
貴方の後継者として送り出された私は、貴方の御意志を継いで、
正法を世界に広めるべく、努力いたしましょう。
 ここにいられる、ミカエル大天使長様も、貴方の後継者を助ける者として 
私が人々に正法を広めるにあたり、その大いなる力を貸し、智恵を与え、
そうして、この地球上の全人類が、貴方の御意志を継ぎ、平和な世界を築く日まで、
共に努力しましょうと、私にかたく約束なさったのです。
 貴方のお言葉どおりに、すべてが実現するよう、天上界の方々も心を一つにし、
力を合わせて、その日のために働くことを約束なさいました。

 どうか、私が地上の人々に、貴方の御意志を伝え、
その人々が、自分の幸福は何であるか、目覚める時が、寸時も早く訪れますよう、
貴方の光と、恵みと、守護を、世界中の人々にお与え下さい。
 ー ベー・エルデ星の言葉にて ー

「天国の証」(78年8月)発刊に寄せて ミカエル大天使長様
 メッセージ  ミカエル
 汝等 地に住める人々よ。
 我等 この地に来たり、治めてより一万年、
遂に今日の審判の時を迎えるに至る迄、長き月日、
我等と共に在りし人々、あるいは亡き人々と、
我は今より後も 変わらず誓わん。
 必ずや美しき平和を来らせんと誓わん。

 されど汝等 この美しき地を愛し、大空を愛し、大海(みずうみ)を愛せるなりや。
 我等の地は美しき園にて、神の国と名づけられむ。
 そは美しき園なり。
 されど、汝等の園は園にても、悦楽の園にあらずや。
 命を奪う者はびこり、金銭の為 身を売る女多し。
 ああ そは、神の国とはほど遠きものにして、地獄の装いなり。
 これ 永遠に乱世のまま残らんか。
 滅びるままに置かれるは悲し。
 我等の来たりし日より 三億六千五百万年余。
 何と変わりしその姿よ。美しき花園でありし地球よ。

 我等は悔いて語らん。
 されどこの末法の世に 我等集いて語り、
如何に美しき園に戻さんかを、日々話し合いたりしが、
その報い さりとてなき事を 知りたり。
 彼等何ものをも受け入れず、神をも否定しいたり。
 ただ少数のみぞ 我等を拒否せざるは。
 ああ この末期の世に 我等惑う者なり。
 如何に この人々に 我等語りかけ、呼び集め 語りかけ、
平和を説かんかと。

 されど我は なおも誓わん。何時の日にか 必ずや平和は来たらんと。
 その時 再び汝等に地にて会い、語り合わん。喜びと共に。

「天国の光の下に」(78年12月)発刊に寄せて ミカエル大王様
 メッセージ  ミカエル
 二十一世紀の曙を迎えし
汝等地上の人々よ。
 イエス・キリストの蒔きし種は
穫り入れの季節となれり。
 釈尊の法は蘇りつつあるなり。
 願わくば キリスト、釈尊の地上に降りし
大指導霊の後継者として、
選ばれ天上の光に育まれし
千乃裕子が最後の天上の
意志を伝える光源とならんことを。
 
 人類の歴史始まりて五千年
文化と意識の開発は相反してならず、
人の歴史は正しき者への迫害と
愛への裏切りなり。
 その中にも可能なき正義を尽す者あり。
 天上とサタンの戦いの
如実なる地上への反映なり。
 真の意味における世紀末のこの二十世紀に、
我ミカエルが合体霊として、
天上の持ち得る限りの正義と愛と
信義を持たせし千乃裕子なり。
 
 緑蘇り、海青く空透き通りし地球を
再び手にすること可能ならしめんか否かは、
汝等の心次第なり。
 人の心和し、愛の意識漂(ただよ)う
エルデンの園の復活は
汝等の決断にあり。
 ああ 地上の汝等よ。
 法の伝授の成功は、理想郷の建設は、天上の我等と千乃裕子、そして
汝等の協力によりて初めて成就され得るなり。
 サタンとの戦いは終わりを告げしが
人の心の戦いは曙を迎えしばかりなり。

「天の奇蹟 上巻」(80年10月)発刊に寄せて ミカエル大王様
奇蹟"  ミカエル
 遥かな太古に於て神はその奇蹟の業を怒りと慈悲を以てなされた
 それは人々が未だ無知であったからである
 現在に於て神は忍耐と憐憫を以てその奇蹟の力を現される
 人々は悪を知りながらその理性が働かぬからである
 審判は夢物語にあらず神と正義の憤怒が怒涛の如く押し寄せる

 その数々の災害が襲う中、天を見つめ愛と信義を貫く者が
自らの身に奇蹟を起こしているのだ
 奇蹟とは多くの目と耳と口の前で為されるのではなく、
必要な者にのみ神より与えられる神の使いを証す為のものである

 奇蹟はモーセの行った如きの規模のものであろうとそれ自体手段に過ぎず、
多くの意味を持たない
 むしろ神を信じそれが故に迫害される者の心に勇気を与えたという点で、
大いなる業というものなのである

「エルロイ(天使の智恵)」(83年5月)発刊に寄せて ラファエル様
神の民"  ラファエル
 神の民と呼ぶべき人は数少なく、
人の世に その歩む道は阻まれ、
茨と苦難の道のみが続く。
 天上の民と手をたずさえて歩んだ神の人、
心美しく清く、勇気と智恵の人々は、いにしえの昔から、
何時も悪魔と魂を分け合う。
 邪心の者に裏切られ、敵に売り渡され、
イエス・キリストの 十字架を負わされ、
受難の道を歩むことを余儀なくされてきた。

 何時の世も変わらず、悪は数限りなく、
神を裏切る者は サタンの喜びを味わい、
正義を足蹴に、邪なる笑いを声高らかに響かせ、
しかしその喜びも笑いも、神の目には
真の喜びと幸せにあるものではなく、
天から離れ、サタンの弟子となりし事への
絶望と自嘲の表れでしかない。
 
 何故ならば、神の下にしか 希望も愛も光もなく、
人は心を自由に保ち、
太陽の光の如く、伸び伸びと弾力に富む思いと、
豊かで発展と進歩を齎す智恵を 持つことは出来ず、
永遠の救いと喜びに連なることが許されないからだ。
 
 悪魔の思いも智恵も すべて歪んだ物。
世を破壊する道具しか創り出せず、
光の当たらぬ地獄の世界をしか作れない
その地獄とサタンの配下であることを 誇りとする者は、
光や愛や希望や、神とは何かを、
年齢に関らず とうに忘れてしまっている。
 彼等は正しき者の不幸を願い、天への道を阻むことがサタンという(神)の与えた、
彼等の使命であると思い違いをし、
その為にすべてを擲(なげう)ち、生命を賭(と)す、
哀れな愚か者でしかない。
 そこには 天使の智恵は存在せず、生まれてもこない。

「天上界メッセージ集」(84年7月)発刊に寄せて ガブリエル様
神の犠牲"  ガブリエル
 イエス・キリスト の十字架の死は、
永遠に悔いぬ 悪の魂に満ちた地上に、
高貴に過ぎる神の犠牲であったかも知れない。

 その昔 私達天が与えた希望と光を
あまりにも多くの人が地に擲ち、
サタンのしつらえた舞台に踊り、
偽の救世主と偽の神と偽の牧者に従って迷わぬ人類は、
真の光や真の神々の来臨に、
目開かず、その語る真理にも耳を傾けず、
心は閉じたままに生き続け、
深い思考と智恵と気高い望みを抱かず、
私達天の者と、それに従う人々を偽物と嘲笑う。

 神もサタンも認めぬイデオロジストが世界に蔓延(はびこ)り、
彼等に取り入り、扇動し迷路に更に迷い込む人類の滅亡を計る。
 イデオロジストは殺人を罪と思わず、
盗みや姦淫を生きる一つの手段であると思い、人を不幸に陥れる。
 たとえ友人の生命を自らの手で奪おうとも、涙ひとしずく 流すことはない。
 彼等の語る平和や人類愛は虚しく、よそよそしく、訴える響きがない。
 人一人を救う為に己の血を流さず、
自らが救われる為に、人の生命を奪いて悔いず、
悪魔のイデオロジストに、人間愛の情熱はない。
 
 神は無実の気高き人を、サタンの企みにより人類に与え、
サタンに導かれて、愚かな人類は神を見棄てた。

 神の犠牲を心に深く刻み付けた人々は、
イエス・キリストと同じ生き方を、己の範とした。
 しかしサタンやその部下と戦う勇気を持ち得た人は少数のみ。
 神の犠牲と人の犠牲にも関らず、悪は蔓延り、
神を見て従う人々の不幸を願い、死を願う。
 何時の日に悪は滅び、あらゆる人は神を見て己の意志により、真理を選ぶか ー 。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法