第六部 天上界メッセージ
 機関誌「慈悲と愛」(78年11月創刊号から79年12月号まで)
に掲載された天上界メッセージ


「慈悲と愛」78年11月創刊号 ①「神の恵み」 ガブリエル様

(「天上界メッセージ集(84年7月初版)」17頁掲載)
 私はガブリエルです。
 私は天上よりこの素晴らしい「慈悲と愛」と名付けられた正法の機関誌が、
この度初めて世に出されることに限りない喜びと安堵を覚えるものです。

 正にこの世は末法と言うべき程のものにて、神の意志と計画と言葉を伝える書は、
この機関誌とそして高梁信次氏の後継者として私達に祝福され、守られて、
病身に出来得る限りの正法流布の仕事として出されている、
千乃裕子様の手になる「天国の扉」他天上の書のシリーズのみだと言わねばなりません。
 
 高橋信次氏の御著書は、生前には光を与えられ、多くの人々の心と魂を目覚めさせました。
 しかし今はその光は失われ、天上の声はその書からは聞こえなくなりました。
 何故ならば、それらを用いて自分達の益となし、神の意志でも計画でもなく言葉でもない教えを、
理論の正しき者が後に「天国の扉」を通じて出されているにも関らずそれを無視して、
サタンの惑わしの"徴(しるし)"と現象と企みに愚かにも利用された人々が、
教典のようにして伝え広めているからです。

 私達は高橋信次氏の教えの中の誤りを抜き出し、正しく改められた教え、
即ち天国の書のシリーズに説かれます法を、
皆様が学び、心の養いとして下さることを心より望むのです。
 「天国の扉」に続く天上の書「天国の証」に於て私達は、
今まで皆様に語ることの出来なかった天上の苦衷を、誠意と限りなき悲しみを籠めて語りました。
 そして同時に"最後の審判"という大いなる裁きが、
人々の徳と罪とを秤にかけて行われているという事実も明らかにしました。

 しかしそれは善なる心の人に恐れを齎すものでもなく、
徳高き人々に世界の暗闇が身近にあると伝える宣言でもないのです。
 却ってこれらの人々は神にありて喜び、
その人々と同じ心を神々が、天上の者が有していることに、
共感を覚えて勇気付けられねばならぬものなのです。

 人々の中には"厳し過ぎる""慈悲と愛が足りない"と評された人もいますが、
神に於ける善我の心とは、磨かれた、光を放つものでなければならぬのです。
 原石を磨いて宝石とするのに研師はどのような仕事をするでしょうか。
 磨かれる原石にとっては決して居心地のよい、楽しいものではありません。
 研磨とはそのような仕事です。
 ごつごつとした石を割り、荒い表面を磨きに磨いて表面を滑らかにし、
水を掛けては汚れを洗い流す。
 それを何度も何度も繰り返すのです。

 そのようにあなた方は神の戒めと光によって、
そして自己の反省と改めによって魂を磨かねばなりません。
 慈悲と愛は如何なる世にも善に徹し、徳に親しみ、賢者となる時自然に解るのです。
 魂が堕落を許されぬ環境に於て、神の光を感じ、清々しく悪の心を容れぬ清められた良心に於て、
人と対する時、心からなる誠意と善と思い遣りが湧き出てきます。

 何の躊躇もなく、何が正しく、何が誤りであるか見抜き、指摘することが出来ます。
 それは魂の歌であり泉なのです。

 そして人の世の汚れに染まぬ心を持ち、自然の美しさに触れ、
鳥や動物の無邪気な、そして自然の摂理に適った生活を目にする時、
又それらへの限りなき慈しみの心が溢れ出てくるのです。
 神の恵みとはこのことであるかと悟り、天上の大いなる慈悲と愛をしみじみと感じるでしょう。
 そしてこれは波動の荒々しい、投げやりで荒んだ感情や心の人や、
己のことのみに明け暮れる人には、決して悟れぬものだと私は断言致します。
 
 パウロは奇しくも次のように申しました。
 "十字架の言(ことば)、滅びゆく者には愚かであるが、救いに与る私達には神の力である
 これを"神の言は"、"私達には神の恵みである"と置き換えて考えて下さい。

天上界からのメッセージ - 神から授けられた正法